第49話 月に歌い、闇に奏でる①

(1)


 受信機から流れてきた歌声にイェルクの頬が引き攣った。

 その受信機の内一つ、イヤーカフスに指先が伸びかけ、途中で思い止まる。

 聴くに堪えなくとも、何の突拍子もなくミアが突然歌い出す筈などない。絶対に意味ある行動に違いない。

 心中で己に言い聞かせると共に、ミアに歌を唄わせるなとルーイが忠告した理由がよく理解できた。それはそれは嫌という程。


「ルーイ??おーい、ルーイ―??」


 イェルクの対面の席、微妙な引き笑いを浮かべたノーマンがルーイの肩を揺さぶる。だが、ルーイは呆然と天井を仰ぎ見るばかり。よく見ると白目まで剥いている。


「確かに、稀に見る音痴ぶり……、もとい、強烈な個性極まる歌声……」

「んー、ここははっきり超絶音痴って言ってもいいんじゃないの??」

「…………」

「しっかし、ミアってばすっごいね!歌い出しからして一音以上音外してるでしょー。歌詞の語尾というか歌い終わり?も毎回声がひっくり返るし、正確に音が合う箇所が圧倒的に少ない、ていうか皆無じゃないの。こんなに音感がないってのも一種の才能だあねぇ。おーい、ルーイ??いくらミアが音痴だからって何も失神しなくてもいいでしょーに」

「もしくは我々人間には聞き取れなくとも、音に敏感な吸血鬼だからこそ受ける痛手があるやもしれませんな……、あっ!そういうことか!!」

「かもしれないねぇ。メルセデス邸に集った吸血鬼達を傷つけずに身動きできなくするため、とか」

「成程」

「ミアの判断が上手くいけば、空挺襲撃中の吸血鬼は一掃できる。皆の武器調達に関してはまず成功でしょ。問題はメルセデス邸内。ミアが戻ってくるまでの間、暗闇の中、一般客を守りながら不特定多数の吸血鬼相手にどれだけ頑張れるか。ううん、頑張ってもらうしかないでしょ」













 赤々と輝く月に向かって歌う。月に歌声を反響させる(実際はできる訳ないが)つもりで歌う。

 自分では完璧な音程で歌えてるつもりだが、ヴェルナー始め一族から散々『人前で歌うな』と釘を刺されてきた。ルーイですら『ミア姉、歌だけは絶対歌っちゃダメ』と。だから、こうして大声で歌うのなんて何年振りになるだろう。


 自分じゃ腑に落ちないけれど、殺人級の音痴だという歌声、歌声に付随させた超音波が空挺襲撃する吸血鬼達への聴覚へ届け、届け。


 必死に、祈るように歌う。久しぶり過ぎて声は伸びないし、掠れ気味だ。

 でも歌う。例え、明日からしばらく声が出せなくなっても歌う。


 ミアが歌えば歌う程、空挺へ近づけば近づく程、空挺襲撃犯達の飛行が徐々におぼつかなく、不安定になっていく。

 ふらつく飛行で空挺へ迫りつつ、あと一歩で届かず悔し気な者もいれば、耳を塞ぎ、頭を抱え込んですっかり戦意喪失している者すらいる。もう誰も空挺搭乗者に対し危害を加えられそうにない。

 気のせいか、靄のような雲が月にかかり始めた。ミアの歌声を拒絶するかのようで、ほんの少し複雑な気持ちに陥ったが――、想定以上の手応えに拳を握りしめ、ちらっと眼下を確認。

 空挺の真下は小さな運河。今はまだ寒い時期じゃないし、落下したとしてもカナヅチでない限り死ぬこともない。


「あっ……!」


 僅かに気が緩んだのを見透かすように、一人だけ、たった一人だけ、苦しみながら空挺へ近づきつつある者がいた。ミアがほんの一瞬、空挺から眼下へ視線を落とした隙にやけくそに空挺へ勢いよく体当たりを仕掛けた。

 ぐらり、大きく傾く機体。さっと全身の血が足元に下りてくる。

 油断してる場合じゃない。さっきよりも更に声を張り上げれば、敵は体当たりどころかがくんと大きく降下した。傾いた機体も態勢を立て直せたようでホッとする。


 喉が潰れるの覚悟で更に、更に大きく歌う。吠えるように歌う。

 向かい風に肌を切られながら、降下していく一方の吸血鬼達の頭上を猛スピードで飛空する。「ミアです!開けて!!」と叫び空挺の搭乗扉をどんどん叩く。


「ミアちゃんっ!?」

「早く閉めてください!一応降下していってますけど念には念をっ!!」


 搭乗する烏合精鋭外が手を差し伸べるより早く空挺に乗り込む。

 皆の各武器は操縦室の後ろの座席にまとめて保管してある、筈。

 双剣バゼラレルド刺突短剣スティレット、狙撃銃、革棍棒ブラックジャック棘鉄球付き連接棍棒モーニングスター。それぞれの特性を生かした武器。

 一度に抱えて飛ぶとなると結構な重労働だが――、できるできないじゃない。やるしかないのだ。今こうしている間にも、ミアが武器を運んでくるのを信じて立ち回っているのだから。









(2)


 一方、メルセデス邸では敵味方入り乱れての戦闘が続いていた。



 暗幕の隙間からかすかに漏れる光のみが頼りの暗闇。

 だだ広いとはいえ屋内の一室。倒しても倒しても次々湧いてくる吸血鬼。

 一般客を傷つけず尚且つ守りつつ、誰が人間で吸血鬼かを見極めた上での動き。


「嫌がらせも大概にしておけよ……!」


 苛立ちが口をついて出てきてしまう。

 闇をものともしない分、他の仲間の援護も同時にこなすせいで息が上がりそうだ、などとスタンが考える間に、暗闇より濃い影がロザーナ目掛けて飛びかかっていく。

 進行方向へ足を伸ばし突き転ばせれば、影は思いきり顔面から床へ倒れた。起き上がる前に、後頭部に手刀を落として眠らせる。

 安心したのも束の間、一般客を逃がそうと入り口扉を壊している最中のカシャへ別の影が駆け出していく。気配から察するにラシャじゃない。というか、アードラに続き、あいつらは一体何をしている!

 チッと舌打ちし、影の後を追う。仲間も何の罪もない一般人も守らねば。


「なんだ、この、音」


 突然、調子っぱずれな奇妙な音がスタンの耳を掠めていく。

 この音はどこから??おそらく外から流れてきた。

 緊急事態下かつ不快を催す音によって、スタンの機嫌は格段に悪くなり――、悪くなりかけて、周囲の些細な変化にはたと気づく。

 吸血鬼達の動きが鈍り始めている。

 スタン自身も目が回るような気分の悪さをもよおす。音と共に、吸血鬼しか聞き取れない超音波も感じ取る。音よりもこちらの方がより耳に、ひいては頭に響く。


 そうか、気分の悪さはこれが原因で、三半規管の調子を崩そうって魂胆か。

 メルセデスの連中じゃない、だとしたら――


「やるようになったな」


 カシャ達へ襲いかかろうとしていた輩は頭を抑えて床に蹲っていた。この様子ならしばらく動けまい。

 気分の悪さに眩暈が加わるのを耐え、スタンは周囲を見回す。今はさすが止んだが、少し前まで楽士達が演奏していた。当然ピアノがあった筈。ほら、あった。


 ロザーナとカシャの動向を気にしつつ、急ぎピアノがある場所まで駆ける。

 気分の悪さに益々拍車が掛かり、吐き気も込み上げてきた。とにかく耐えろと自身を叱咤し、ピアノの前に辿りつくなり椅子を蹴倒した。後ろに引いたり高さを調整する時間すら惜しい。

 立ったまま、叩きつけるように不協和音の旋律を奏でる。


「スタン!この気味の悪い音楽は何なんだ?!」

「吸血鬼どもの三半規管を音で狂わせ、動きを封じるためだ!少し耐えてくれ!!弾いてる俺自身も最悪の気分だ!!」


 叫んだ直後、胃からせり上がってきたものが飛び出そうになる。寸でで飲み込むが、視界に閃輝暗点がちらつき始めた。

 まずい。ミアが戻るまで持つだろうか。不安が擡げた時、温かい掌が両の耳を優しく覆う。

 驚いて振り返れば、頭上でロザーナが微笑んでいた。


「少しはマシになりそぉ??」


 演奏は止めず、返事の代わりに頷く。


「あ、たった今、カシャさんが扉壊せたから一般客は避難できそうよぅ。この場にいる吸血鬼さん達みんな動けそうにないしぃ、そろそろミアとアードラさん達も戻ってくるかも??」

「だといいけどな」

「きっと、みんな戻ってくるわ!そしたら……、メルセデス夫人達の行方を捜しましょっ」

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