第48話 虎穴の中⑤

 行く手を阻むべく、左右の方向から吸血鬼達がミアに襲いかかってきた。

 ほんの数分前までグラス片手に、和やかに周囲と歓談していた紳士淑女達だ。

 通常なら何となくの気配で同族だと気づけた筈。自分はともかくスタンが誰一人として正体を見破れなかったなんて有り得ない。正体を隠すのが余程上手いのか、何らかの細工が施されていたか。


 駆けながら膝丈のドレスの裾を捲り上げる。有事に備えて動きやすいようにと、実はスカートに見せ掛けてキュロットパンツになっている。跳ね上がった裾の隙間からちらり、黒のガーターベルトが覗く。そのガーターベルトに挟んだ、警棒に似た黒い棒を素早く引き抜く。

 折が悪いのか、はたまた良いのか。吸血鬼達は一斉にミアへ飛びかかった。


 持ち手を掌が痺れそうな程強く握りしめる。ブンッ!と大きく空振りさせると黒い棒は倍の長さへと伸びる。その間にも若い吸血紳士がミアに覆い被さってきた。

 咄嗟に姿勢を低め、吸血紳士の股の下を滑り込む。すぐさま立ち上がって振り返れば、彼を含めて飛びかかってきた者達全員、ミアに背中を向けている状態だった。

 よし、今の内に……、と再び駆け出したミアの耳に絞り出すような悲鳴が飛び込む。

 悲鳴が聴こえた方へ目線を投げる。あの老紳士--、アードラが連れ出した若執事の主人が一組の若い男女に組み敷かれていた。


「おじいさんっ!!」


 方向転換しようとして二人のメイドに囲まれた。

 彼女達も柘榴色の目をしている。まさか使用人の中にまで紛れているとは!

 女性に手荒な真似は働きたくないが――、仕方ない。


 ミアを捕らえようとする四本の腕を躱し、一人は棒の先端で喉元を突き。残る一人は持ち手のボタンを親指で押さえ、鳩尾に棒を突き入れる。

 一瞬流れた電流の衝撃。メイドはぎゃっ!と叫び、昏倒。喉元を突かれたメイドも苦し気に蹲っている。


「おじいさんは……」


 老紳士がいた方向をおそるおそる、もう一度確認してみる。

 彼を襲っていた男女二人は床に転がっており、老紳士は腰を抜かしてはいるものの無事な様子。

 傍らには暗器片手に佇む、夜会巻きがほつれてしまったロザーナの後ろ姿。


「ロザーナ!!」

「ミーア!この場はあたし達に任せてっ!!ねっ??」


 振り返って大きく手を振るロザーナへ、「わかったわ!了解!!」と大声で応える。


「何をしている!?お前は自分に課せられた役割を果たすことに専念しろっ!!余計な行動は慎め!!」

「すみません!!」


 ついでにスタンの叱責まで受けてしまった。立ち止まっていても仕方ないし、また、いつ妨害されるか、わかったものじゃない。


 速度を上げて三度駆ける。暗幕はもう目前まで迫っている。

 ほら、あとは幕を開けるだけ……、と思いきや、ミアが開ける直前で乱暴に暗幕が開く。

 驚きと共に危険を察知。即座に飛びずされば、ミアよりも二回り近く大柄な黒服の男が会場へ侵入してきた。屈強な背中には吸血鬼の蝙蝠羽根、落ち窪んだ両目は爛々と赤く輝いている。


「嘘でしょ……??まさか警備員まで……」


 もう夜会来場者、メルセデス家関係者問わず、組織の者以外全員が疑わしい。襲われている客ですら、実は演技かもしれないとすら思えてしまう。

 そして、困ったことに今し方侵入してきた吸血警備員は暗幕の前から微動だにしない。


「こちらの動きはお見通し、ってこと、なのかな」


 おそらくミアが動かない限り、この男も攻撃してこない、かもしれない。

 だが、一歩でも前進しようものなら――、例えここは一旦諦め別の暗幕へ向かったとしても、容赦しないだろう。


 黒棒を更にきつく握りしめ、構える。ミアの動きに男も警棒を構え、飛びかかってくる。

 ミアの細腕では突きを始め、打撃のみで屈強な男など倒せない。でも電流を流せばいける、だろうか。


 床を強く蹴って踏み込む。振り上げられた黒棒を避け、天井まで跳躍。警備員も後を追って跳躍、ミアに迫りくる。

 手近なシャンデリアに片手で掴まり、ぶら下がればこちらへ猛然と向かってくる。

 不安定に揺れる足首を掴もうと、伸ばされる腕を蹴り上げる。一瞬の躊躇で生まれた隙にシャンデリアから手を離し、降下と共に脳天へ黒棒を叩きつける。

 薄い頭頂部から全身へと電流が走り抜け、怒号混じりの悲鳴を上げて警備員は落下していく。それよりもずっと速くミアは床へ着地。落下地点に並ぶテーブルからクロスごと皿やグラス類を叩き落とす。


 硝子と陶器が割れる音が悲鳴の合間を縫い、会場中に響き渡った。

 テーブルに落下した警備員は気絶こそすれ命に別状なさそうだ。あとは仲間の誰かが彼を捕縛してくれる、筈。


 今度こそ、今度こそ外へ出なきゃ。

 暗幕は目と鼻の先にあるのになかなか出て行けない。


「いっ……!」


 バルコニーへ出る直前、誰かに強く肩を掴まれた。肩に爪が深く食い込む掴み方、仲間なら絶対にしない。

 これで四回目。いい加減にして欲しいっ!


「えっ」


 肩の痛みと圧迫感から突然解放された。骨が砕けるような音、人が床へ落とされた音が背中越しに届く。反射的に振り返りかけて、ドン!と背中を押される。力強くも決して痛くはない。


「早く行け。皆待ってる」


 頭上高くより降ってきたカシャの声に「あ、ありがとうっ!」とだけ返し、バルコニーへ飛び出す。

 少し時間がかかってしまった分、一刻も早く飛ばなければ。

 幸いにも、このバルコニー周辺では他の吸血鬼の気配を感じない。けれど油断は大敵。


 ローマン列の白い柵に向かって駆ける。駆けながら瞬時に蝙蝠羽根を拡げる。

 目指すは、住処の城とメルセデス家別邸との中間点で待機する空挺。そこで仲間達の武器を預かり、再びここへ戻り、各々に渡す――、ミアに与えられた今回の仕事だ。

 ここに持ち込めるの拳銃や暗器、もしくは体術で応じるくらいしかない。照明も落とされたせいで真っ暗だ。本格的な罠を仕掛けられ、戦闘の時間が長引いた場合、それらで対応するだけでは不安は否めない。


『あんたの動き次第で全滅だって有り得る』というアードラの言葉も、あながち間違いではない。

 時間との勝負だというのに――、完全に出遅れた!


 吹きすさぶ夜風が頬を叩き、夜気の冷たさが肌を刺す。

 月と星々の光で黒髪は艶を増し、深紅のドレスに黄金の輝きに染まっていく。

 凄まじい速さで夜空を飛翔するミアの姿は、急流の流れに逆らって泳ぐ野生の鯉のよう。逆らってもがいて、それでも前進するしか――




「……あれは、なに、なんなの??」


 空挺に近づくにつれ、ミアはある違和感を覚えた。

 一定の位置で旋回せず、上下に傾いたりゆらゆら不自然に旋回したりと不審な動きを見せていたからだ。

 その理由はすぐに判明した。ついでにバルコニーに吸血鬼が潜んでいなかった理由も。


「まさか、空挺にまで吸血鬼を差し向けていたなんて……」


 一人二人ならまだしも、空挺の周りを飛び回る影をざっと数えて五人は確実。

 右手に収まる黒棒をちらり、見下ろしてみる。これで立ち回るには少し、自信が……、否、自信があるとかないとかじゃない!やるしかない!!

 でも、この棒だけでは勝ち目がない。せめてカメムシペイント銃だったら撃退できたかもしれないのに。


 他の仲間と違い、ミアは伯爵から『如何なる理由があろうと君の殺しは禁止。仕事であっても、相手が誰であろうと絶対に』と言い含められてきた。ゆえに持たされる武器に殺傷能力は備わっていない。


 カメムシペイント弾に電流。致命傷には至らなくても敵の動きは封じられる――、そう、要は――



『ミア姉、歌わせるのやめたほうがいいと思うよ??』




「とりあえず、戦意を喪失させられれば、いいよね……??」



 空挺が旋回する場所はまだ少し遠いが、人間には聴こえなくとも吸血鬼なら聴こえるかもしれない。一か八か、賭けてみよう。


 決意を固めたら、思いきり鼻から息を吸い込む。そしたら大きく歌うの。

 ほら、今すぐに!

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