第47話 虎穴の中④
(1)
――遡ること数か月前。
「……ねぇ、これは一体どういうことなの??私は若くて美しい女がいいって常々言ってるわよね??」
左右の壁沿いに並ぶ黒檀製の本棚、本棚と揃いの材質の執務机に座しながら、ハイディは手渡された文書の冒頭を読むなり渋面を浮かべた。
背後の大窓から差し込む月灯りが、見事な金髪を、青白い肌を、冴え凍る美貌を際立てる。
「貴方、バカなの??死ぬの??ねぇ、ドミニク」
渋面の後、ふっ、と鼻で軽く笑い、手にした文書を眼前のドミニクへと投げ放つ。
薄暗がりの中、室内に散らばった紙を黙って拾い集める背中へ、今度はインク瓶を投げつける。薄茶のベストにも白いワイシャツにも黒い染みが拡がっていくが、ドミニクは動じる素振りひとつ見せなかった。
反発されるのも非常に腹立たしい。かと言って、全く反抗してこないのも非常につまらないわね、などと考えている内に、ドミニクは書類全てを拾い上げ、再び手渡してきた。
「ハイディマリー様。今、私がお渡しした『狩りの対象者リスト』をもう一度よくご覧になってください」
「ドミニク、誰に向かって命令してる訳??気に食わないわね」
「……申し訳ございません、ですが……」
「まぁ、あんたが食い下がるだけの情報が載っていると言うのなら……、読んであげるけど」
さして期待もせず、ぱらぱらと文書に軽く目を通す。
何枚目かに差し掛かった時、書類をめくる手が止まった。
「……なるほど、この植物人間は黒い狂犬の一頭、あの、態度と口が悪すぎる優男の……。ふふ、いいわね!あの男に言いたい放題言われた屈辱も晴らせるし。よくやったわ、ドミニク」
「おそれいります」
「早速今夜、入院先の病院へ忍び込むわ。手筈を整えて」
憎たらしい狂犬一頭への思わぬ報復が用意できそうだ。まったくもってついている。
どうせなら、目つきの悪い元貴族の狂犬、(認めたくないが)自分と腹違いで頭の悪い狂犬、そして――、純血の吸血鬼というだけが取り柄の、狂犬ですらない箱入りの子犬。
組織を構成する連中は他にもいるし、統括するのは『伯爵』と呼ばれる人物だ。
しかし、ハイディが潰したいのはこの四匹の狂犬であり、また、この四匹を潰せば組織をある程度壊滅に追い込めるのでは、と予想している。
あの組織さえ壊滅させれば、他の賞金稼ぎ共など虫けら同然の雑魚でしかない。そう、あの組織さえ潰せば。
望むとも望まずとも人から与えられた地位ではなく、己の力で掴み取った地位や力で人心を操り、気に障る者や物事全て排除し、思うままに生きていく。
そのためにもあの組織は邪魔なのだ。
気に入らない連中の集まりであるなら尚更。
世間からの信用を著しく失墜させた上で潰してやる。
(2)
悪い夢でも見ているようで頭が真っ白になった。
罵詈雑言を吐き散らされ、殴られ蹴られと暴行受ける方が比べ物にならないくらいマシだろう。
よく見れば、かつての親友の背には、小さいけれど蝙蝠の羽根が生えている。
つまり、多かれ少なかれ吸血の経験もあるということ。
ファルケがアードラを憎むのは想定内。だから左程傷つきもしない。傷つくことすらおこがましい。事実を静かに受け止める。ただそれだけ。
なのに感情が波立つのは――、吸血鬼と化してまで復讐を果たそうとする、想定以上の凄まじい憎悪に気圧されてしまったからだ。
懐に忍ばせた拳銃に手を伸ばさなければ。
早くしろ、と怒声混じりで急き立てる声が脳内を駆け巡る。
早くしろ、早くしろ、早くしろ!何をやっている!
「なにやってんのよ!」
キンキンと甲高い声が空気を裂き、夜空にこだました。
紐状の細い革がアードラの頬を打ち、声の主に身体を横へ押しやられた。
普段なら難なく避けられたのに。よろめきつつ寸でで転倒を防ぎ、体勢を持ち直す。
そういえば、ファルケは?!と先程彼がいた辺りに慌てて視線を寄越す。いた。
ちょうどファルケの顔、面中にあたる箇所に長い紐--、厳密に言うと革製の紫色の髪紐が深くめりこんでいる。これは、たしか……。
考えている間にも、ファルケの顔から離れたばかりの紐革が今度は首へ巻きついていく。獲物を絞め殺す蛇に似た動き、否、蛇そのものの動きに近い。
「無駄よ!解こうとすればする程首が締まってくんだから!アタシの髪紐は特殊な革でできてるから簡単には切れないし!」
肩より少し長い鳶色の髪が、急に強く吹きだした夜風でばさばさと煽られる。乱れた前髪の下、髪と同じ色の大きな吊り目が鋭く光った。
ラシャは革紐の先をそれぞれの手で握りしめ、絶妙な力加減で引っ張り上げる。絡めとったファルケを逃がすまい、と。
ファルケは首に巻きついた革紐を外そうと両手で紐を掴み、引っ張ろうと試みる。だが、却って首を締めつけるばかりでその動きは何の意味もなさない。余計に自らを苦しめる羽目に陥っていた。
「ラシャ、なんでここに……」
「あんたがミア置き去りにして勝手に動いたからでしょーがっ!バレてないとでも思ってんの?!ったく、カワイイ女の子をほったらかしにするなんて信じらんない!最低!!大体あんたねぇ、ちょっと、ううん、だいぶ組織の女の子への扱い雑過ぎなのよ!!」
「あ、怒るとこそこなんだ……」
「他に理由があるとでも?!」
ファルケ以上に殺気立った目でラシャにギロリ!と睨まれ、怒鳴られたお蔭か、逆に平常心が戻ってきた。女子にきつく当たられて悦ぶ趣味はないので、感謝はしてやらないが。
「で、僕に文句言うためにわざわざあとを追っかけてきたって訳なんだ??」
「ていうか、何、勝手に持ち場離れてんのよ。あ、言っとくけど、アタシはちゃんとお兄ちゃんに伝えてあるからね!」
「別にあんたの話はどうでもいい」
「今、なんて?!」
「あー、何でもない。ただ、まぁ……、許可なく別行動取ったのは若干軽率だったね」
「若干どころじゃないわよっ、おっと!」
ラシャは微妙に緩みかかった革紐を引っ張り直すと、アードラと真っ赤な顔で二人を睨み据えるファルケを交互に見比べる。
「……悪いけど、話も全部聞かせてもらったから。どうする??例の、ロザーナの姉さんと繋がってるこの人が紛れてるなら、確実に今夜何か起きる。この人が何をどこまで知ってるかわかんないけど、アタシが情報吐かせて……」
「その必要はないよ」
「は??」
「僕が吐かせるから」
でも……、と、ラシャが言い募りかけたのと、暗幕の向こう側から相次いで悲鳴が聴こえてきたのは同時だった。
(3)
一斉消灯した直後、どこからともなく現れた蝙蝠の大群が高い天井をぐるぐると旋回し始めた。
暗闇に加えて耳障りな羽音と鳴き声は人々の恐怖を一気に駆り立てていく。
開かれていた筈の入り口も固く閉ざされ、施錠すらされている。唯一の避難場所、及び脱出経路となると暗幕から続くバルコニーのみ。それだって外に吸血鬼が潜んでいるかもしれない。
仮に潜んでいなくとも、梯子や縄もない状態で三階のバルコニーから一般客を逃がすのは困難を極める。
いつの間にか、メルセデス夫人とハイディ達の姿は忽然と消えていた。
「カシャ!ロザーナ!吸血鬼を見つけ次第捕縛しろ!場合によっては始末してもいい!!ただし客の身の安全を最優先で!!それから……、ミア!!どこからでもいい!ここから出て俺達の武器を運んでこい!!」
「はい!!」
命令されるやいなや、ミアは一番近い場所にある暗幕へ向かって駆けだした。
すれ違いざまにスタンから「頼んだぞ」とぼそり囁かれ、返事の代わりに小さく頷きながら。
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