第44話 虎穴の中②

(1)


 母は塞ぎ込むことが多かったけれど、ロザーナが笑うと必ず笑い返してくれた。

 自分が笑っていれば母も笑ってくれるから、自ずと笑顔を振りまくようになっていた。


 今もそう。スタンに寄り添い、来場者の話に笑顔で耳を傾け、相槌を打つ。

 たったそれだけで相手は気分を良くして話に熱が籠っていく。

 人の話を聴くのは嫌いじゃない。むしろ好きな方だ。好きな方だが――







「お断りします」


 口調はあくまで穏やかではあるものの、つっけんどんに扉を閉めるような、拒絶の意がありありと伝わってくるスタンの声色。愛想笑いを浮かべつつ、不自然に口角が吊り上がった唇が不機嫌を表している。


 あたしったらいけない、いけない。仕事中に気を散らすなんてもっての外。


「ご覧の通り、彼女の美しさは会場の中でも別格です。だからでしょうか。大勢の紳士方が立て続けに挨拶にいらっしゃるので、彼女は少々気疲れしていましてね。ただでさえこういった華やかな場に不慣れな者だというのに……。ダンスに誘っていただけるのは光栄ですが、あまり気疲れさせるような真似は精鋭の長として許可致しかねます」


 温厚そうに見せかけていた眼光が鋭さを帯びていく。

 ロザーナ自身が言い寄ってくる紳士達に辟易しているように、スタンもだんだん苛立ってきている。なぜなら、上品ぶった態度の裏で美貌の賞金稼ぎへの下心、そのパートナー役が顔色の悪い小男だという侮りが透けて見えるのだ。彼の怒りは当然だろう。私的な場なら問答無用で飛び蹴りしかねない。


「お誘いはありがたいと思ってるわっ。でも、ごめんなさぁーい!あたし、ダンスがすっごく苦手だしぃ、もしも踊るとしても相手は彼しかイヤなのぉ!!」


 会場入りから何度似たような会話を繰り返してきたことか!いい加減うんざりしてきた!!


 遂に堪えかね、ロザーナは会場中に響き渡る声で高らかに叫んだ。

 ぎょっとした顔でスタンに見返されたけれど、何か言われる前に組んでいた腕により身体を密着させる。


【不毛な会話に時間ばっかり取られてイヤになっちゃったぁ】


 唇が触れ合いそうな位置まで顔を近づけ、声なき声でそっと囁く。腕に胸をぎゅぎゅぎゅっと押し当てれば、スタンの青白い耳朶が一瞬にして真っ赤に染まった。


【おい、さっきの男がまだ……】

【もういないわよぉ??】


 スタンの牽制に気圧されたあげく、ロザーナにきっぱりフラれたせいだろう。いつの間にか紳士は二人の前から姿を消していた。


【あのな……、今は仕事中だぞ?!】

【だってぇ、あんまりにも関係ない人ばっかり集まってくるんだものぉ。しかも来る人来る人みんながあたしをいやらしい目で見てくるしぃ……】

【……気持ちはよく分かる。俺だって、鼻の下伸ばしてお前に近づいてくる奴等全員始末してやりたいくらい腸が煮えくり返ってた】

【…………】


 今度はロザーナの頬がぽっと赤く染まった。

 仕事中なのは百も承知で、唐突に向けられた(物騒かつ強すぎる)独占欲に引くどころか胸が激しく高鳴ってしまったのだ。

 仕事中でなければ、抱きついて今すぐこの場で押し倒してしまいたい。そう、仕事中でなければ……。


「ね、スタンさん」

「なんだ??」


 瞬時に頭を切り替え、唇の動きのみで問いかける。


【事件関与の疑惑ある人達にこちらから近づいてみなぁい??向こうから近づいてくる気配なさそうだし】

【ちょうど俺も同じことを思っていた。待つだけじゃ時間が無駄に過ぎる一方だ】

「あの、あのー……」

【どうするぅ??いきなりメルセデス夫妻のとこにいっちゃう??それとも他の人にするぅ??】

「あの……、邪魔してごめんなさい……、あの、二人とも、ちょっといい??」

「そうだな……、って、さっきから何なんだ??用があるならさっさと話せ」

「あらぁ??ミアってばどうしたのぉー」


 いつの間に傍へ来たのか。傍といっても、ロザーナ達から数歩分離れた場所でミアはおろおろと立ち尽くしていた。


「お前、何しに来た??アードラは??まさか、はぐれた訳じゃないだろうな??」

「ち、違いますっ!小さい子じゃあるまいし、はぐれてなんかいません!」

「じゃあ、なぜお前一人しかいないんだ。アードラはどこへ行った??」

「うっ……、それが……、居場所までは、ちょっと……」

「そら見たことか。聞いて呆れる」


 ミアはもどかしげに唇をぱくぱく開閉させるも、スタンに萎縮してなかなか続きを話せないでいる。


「もうっ、あんまりキツい言い方しちゃダメよぉー!ミア、スタンさんのことは気にせず話して、ね??スタンさんも!ミアの話を最後までちゃんと訊いて、ね、ね??」

「……わかった」

【ありがとぉ。じゃ、ミア!何があったのか早速教えてちょうだい??】


 どこで誰が聞き耳を立てているか分からない。

 ミアも悟ったようで【実は……】と声を出さずに説明を始めた。








(2)


 ミアの話を要約すると――


 アードラと自分の元に見知らぬ紳士が挨拶をしに来た。それ自体は特に問題はなかった。

 問題なのは、後から紳士に仕える青年執事が現われた途端、アードラの様子が明らかに変わったことだという。


 辛うじて笑顔で取り繕っているものの、顔面は蒼白。『知り合いなの??』と尋ねてみても、そう言う訳じゃ……と、否定にしてはいささか弱い言葉が尻すぼみで返ってきたのみ。

 対する青年執事は二人に何の関心も示さず、主人とばかり話していたとくる。


【そしたらアードラさん、おじいさん紳士に向かって『貴方の執事と話をしてみたい。実は僕が探してる人とよく似てましてね、それで……少しの間だけ彼をお借りしても??』とかいきなり言いだして……。当の執事さんも断るかと思ったのに快く応じたから、二人連れ立って……】

【で、引き止める努力もせずにあっさりアードラを行かせた……ってことか??】

【ダメよぉ、ミアばっかり責めちゃっ!】


 確かにアードラを引き止められなかったのは、多少なりともミアにも非がある。

 でも、本当に責めるべきはミアではない。私情で勝手な行動を起こしたアードラだ。


 小さな身体を更に縮こませ、しゅんと肩を落とすミアへおいでと手招きする。

 えっと、えっと……と意味をなさないつぶやきを口にしながら、おずおずと近づいてきたミアに【ね、他に気づいた点は??アードラさんのことでもそうじゃなくても】と耳打ちしてみる。


【ア、アードラさんについてだと、執事さんと場を離れる直前にさりげなくイヤーカフスを弄ってたの】

【イヤーカフスを??疑惑者リストに上がってなかった人なんでしょぉ??】


 ミアは子供がするように大きく頷いた。

 スタンとも顔を見合わせるが、【あいつが何考えてるのか、さっぱりわからん。こんな不可解な行動起こすなんて初めてだ】と頭を振るばかり。


【アードラさん以外のことだと……、おじいさんが私達に差し出してきたワインから血の香りが漂ってきたの。血が苦手な私でもいい匂いだと感じてしまったから、もしかして女の人の……かもしれないわ。あ、私もアードラさんも飲んでないから!】

【そうか……、お前もやはり気づいたか……】

【スタンさんも、ですか??】

【あぁ……、だから、ワインを勧められる度、『組織の規律で、ごく私的な場でしか飲酒を許されてない』と嘘ついて断っていた。だが、カシャとラシャも飲まないという保証はない。アードラの件も含め、あの兄妹にも事情説明するか。会場回る振りして疑惑者にも接近しつつ、アードラの行方も探す。これでいいな??はぁ……、いらん仕事が増えた……】

【じゃ、じゃあ、私、カシャさん達のところへ行ってきます!】

【くれぐれも周りから怪しまれずに、慎重にやれよ??】


 ミアが再び大きく頷いた時だった。

 会場内で一際大きなどよめきが沸き起こった。

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