第45話 虎穴の中➂

(1)


 同じ住処で暮らしてはいても、仕事や訓練以外で精鋭全員が顔を合わせる機会は意外と少ない。

 他に顔を合わせる機会となると、全員で取り掛かる大きな案件を片付けた後にノーマンが例の酒場で酒宴を開く時くらいか。

 最も、毎回欠けることなく全員集まるのもタダ酒を好きなだけ飲めるからに他ならない。(特にアードラと兄妹)


 少し前の話になるが、ハービストゥの吸血鬼事件の時にもミアの怪我の回復を待ったのち、精鋭含めた住人全員で無礼講よろしく楽しく(?)酒を飲み交わしていた。




 酒が苦手なミアは好物のクランベリージュースを、未成年のルーイはトマトジュースをテーブル席でちびちび飲んでいる端で、隣のテーブルではロザーナが喉を鳴らしてシュバルツビアーの大ジョッキを煽っている。酒宴が始まったのはまだ約一時間前。すでに彼女の前は空の大ジョッキで埋め尽くされている。なのに、顔色ひとつ変わっていない。


『ねぇ、ミア姉。これ、止めた方がいいんじゃ……』

『う、うん、そうだよね……。そうなん、だけど……って、あぁっ』


 ひそひそと目線を交わし合う二人をよそに、ロザーナはたった今飲んでいたジョッキを瞬く間に空にした。呆気に取られている内に颯爽と席を立ち、ビアーの大樽へ新たな一杯を注ぎにいってしまった。鼻歌を歌う後ろ姿、揺れる長い髪をぽかんと見送るしかない。


『全然千鳥足じゃないけど、あとで気持ち悪くならない、の……??』

『うーん……、たぶん、平気じゃない、かなぁ……??』

『平気に決まってるじゃん。あーあ、ロザーナの飲みっぷりを想定していつもより多めに酒樽用意したのにさぁ。あればあるだけ飲みつくす勢いだよ、あれ』


 並んで座る二人の間に割り入り、アードラはヴァイスビアーの小瓶を雑に机上へ置いた。

 やだやだ、やだねぇ、と連呼しつつ止めるつもりがまったくなさそうだ。


『止めろよって顔してるけどさぁ、何で??ロザーナは僕の相棒でも友達でも彼女でもないのに??そんなに止めたきゃ自分が言えばいいでしょ??ねぇ、相棒ちゃん??』


 腹は立つけどあながち間違いでもない。

 ぐぅぅと言葉を詰まらせるミア達を愉しげに一瞥すると、アードラは元いたカウンターへ戻っていく。


『アードラに友達なんているのかよ??オレ、絶対いないと思う』

『……私もそう思う』


 ルーイの毒舌に頷く間にもロザーナは大樽のビアーを大ジョッキに注いでいる。しかも両手に計二つの大ジョッキ。


『いやいやいやいや、待って待って?!大ジョッキ同時に二つはダメでしょ?!』

『も、もしかしたら、一つは誰かの分かもよ?!』

『いやいやいやいや、ロザーナならやりかねなくない?!ミア姉が一番よく知ってるでしょ?!』

『……うん、否定はしない、かな……』

『てか、ストッパー役のムッツリは何してんの?!止めろよ?!』

『スタンさんなら……』


 ミア達のテーブルから見て左奥、グランドピアノを控えめに指差す。

 ピアノの影から鈍色の頭が見え隠れしている。


『呑気にピアノなんて弾いてる場合じゃないだろぉ?!』


 ルーイが勢い余って立ち上がると、腰かけていた椅子がひっくり返った。

 けたたましい音に誰もがミア達を振り返ったが、ピアノ演奏は止むこともなくスタンがちらりともこちらへ顔を覗かせることもなかった。


『ルーイどうした!まさかジュースで酔った訳じゃあるまいな?!』

『師匠……、え、いや、あの』

『ルーイうっさい。いい気分で歌ってたのに邪魔すんな』

『……ひぇっ、ごめんっ!……』


 ピアノの影から顔を出したのはスタンではなく、うっすらと赤らんだ顔のラシャだった。ほろ酔いになると(一方的に)嫌ってる筈のスタンのピアノに併せて歌い出す癖がある。

 ちなみにルーイはラシャが苦手だ。小動物系の見た目にそぐわぬ気性の激しさ、男嫌いゆえの蓮っ葉な態度に恐れをなしている。


『アタシ、こう見えて昔は合唱団で歌ってたんだからー!』

『へぇ、こう見えて案外いいとこのお嬢だったってわけ』


 隣の回転椅子の上に片足を投げ出し、カウンター席に座っているアードラが皮肉を飛ばせば、たちまちラシャの眉目が吊り上がる。妹の機嫌が一気に悪くなったのを察し、カシャがピアノの傍へと急ぐ。


『は??なに、その言い方ー?!あんた、やっぱりムカつくっっ!!』

『絡むなアードラ。お前もいちいち相手するなよ』

『じゃあさぁ!何とかしてよお兄ちゃん!!』

『二言目にはお兄ちゃんお兄ちゃんって、キモイよね』

『はぁああ?!』


 今まさに一触即発の事態が起ころうとしている。にも拘わらず、普段は止めに入る筈のスタンはピアノを弾く手を止めない。おそらく彼も酔っている。酔うとピアノから離れなくなる癖があるからだ。

 スタンだけじゃない。ピリピリとした空気の中、イェルクもノーマンも素知らぬ顔で各々グラスや瓶を傾けている。


 すると、突然、激しい落雷のような、強烈なピアノの旋律が言い争うラシャとアードラの声を掻き消していった。

 唐突に流れた有名なトッカータに、今にもピアノの影から飛び出しそうだったラシャは動きを止め、アードラも驚きで脚を椅子の上から床へ下ろした。


『何だ、口喧嘩を盛り上げてやろうかと思ったのに』

『スタン、お前は……』


 硬直したラシャの隣で閉口するカシャに向け、スタンはへらっと締まりのない顔で笑った。

 あ、完全に酔ってる。たまたまミアの目に入ってしまったけれど、見てはいけないものを見たようでいたたまれない。


『ばっ、バッカバカしくなってきちゃったし、歌う気も失せちゃった!お兄ちゃん、席に戻ろ戻ろっ!』

『そりゃ残念だ。誰か他に歌える奴いないか??』

『じゃーあ、あたし行こっかなぁ??』


 イェルクやノーマン同様、事の成り行きを見守っていたロザーナが元気に挙手する。

 さっきまで溢れそうな程ビアーが入っていた大ジョッキは二つとも空になっていた。


『ねーえ、ミアも一緒に歌お??』

『え、わ、私?!私は……』

『あー、あのさぁ、ロザーナ』

『ん??なあに??』

『ミア姉、歌わせるのやめたほうがいいと思うよ??』


 ルーイの発言に何度も全力で大きく頷いてみせる。

 歌だけは、絶対に人前で歌えないし歌いたくない。


 例え家族同然の仲間達の前であっても。











(2)


 後光が射すとは、まさにこのことか。


 広い、広い会場の中央辺りが一際強く輝いている。

 天井には馬車と、馬車を牽引、疾駆する四頭の馬を模った豪奢なシャンデリアがあるが、人工的な光はむしろ彼女達自身から放たれる輝きで霞むほど。


 緩やかな巻き髪はまるで炎のよう。

 夜会ドレスもハイヒールも手にした羽根扇子も、唇も爪も禍々しいまでの赤に統一した女性――、夜会の主催であり今夜の主役メルセデス夫人である。

 元花形の舞台女優という来歴ゆえか、噂に違わぬ美貌、若さ。実年齢は四十代半ばだが、どう見繕っても二十代後半にしか見えない。


 遂に姿を現した最大の標的。しかし、それ以上の衝撃がミア達に襲いかかった。


 夫人の隣で優雅にグラスを転がしているのは、彼女の夫メルセデス准将ではない。

 優に180を、もしかしたら190近いかもしれない長身に筋肉質な体型。皺も多く、白髪に近い金髪だが元々は爽やかな美形だと窺い知れる青い燕尾服の壮年男性と――


 真夏の太陽を思わせる見事な金髪、つんと冷たく整った顔立ち、冷淡さが感じ取れる青緑ターコイズの瞳の少女だった。


【なんで……、なんで?!なんで……】

【ミア落ち着いて!】



 なんで、ハイディとマリウスが、ここに――?!



【なんで?!どういうことなの?!】

【そんなの俺もロザーナも知らん!おそらくアードラも掴めてない、筈だ!!とにかく落ち着け!うろたえるなっ!!】

【ミア、ミア、ほら深呼吸っ!】


 ロザーナに促されるまま、静かに呼吸を整える。

 ミアに落ち着けと言いつつ、二人だってかなり動揺している筈なのに。こういうところが自分はまだまだ未熟なのだ。


 三人の緊張感が高まる一方、人々は今夜の主役と主役の連れ二人の元へ続々と群がっていく。

 街灯の光に吸い寄せられる羽虫のように――、羽虫みたいに身を焼かれなければいいけれど。

 なんて、ただの杞憂だよね。



 だが、杞憂に終わって欲しい時に限って事態はより深刻な方へと流れていく――






「皆様、お気持ちは大変嬉しく思いますが堅苦しい挨拶はこの辺で……。それよりも、今から私と彼女達とで考えた、ちょっとした遊戯ゲームで遊びませんこと??」


 招待客との挨拶中も絶えず弄んでいた羽根扇子がぴしゃり、閉じられる。

 笑顔から一転、夫人は悩ましげに眉を寄せ、ほぅ……と息を吐いた。


「実は……、招待客の中に凶悪な吸血鬼が何人か紛れ込んでますの」


 会場のどこからか悲鳴が複数上がった。


「あぁ、本気にしないで頂戴??これはあくまでお遊び。実際は凶悪な吸血鬼の振りした人間ですからご安心を。わたくしのこれは遊びを盛り上げるための演技ですの。説明の続きですけどルールは至って簡単。皆さんは今から一時間、凶悪な吸血鬼達から逃げ回ってください」


 説明の最後、メルセデス夫人は再び羽根扇子を開くと口元を隠し――、嘲笑わらった。


「パーティーは終わり。さぁ、皆様、早く逃げて。さもないと……」


 ハイディの隣でマリウスがパチン!と指を鳴らした直後。

 全てのシャンデリアが一斉に消灯した。

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