第43話 虎穴の中①

 こんなにも居心地の悪い気分は何時振りだろうか。

 吸血鬼城に居た頃、一族で集まる度に一挙手一投足を注目されるのもしかり、ワインボトルとグラスが次々と運ばれてくるのも非常によく似ている。


 ただし、今現在ミアが佇む大広間は仄暗くなければ、うっすらとした血臭も漂ってもいない。目が眩むほど明るい照度類の下、華やかな装いの人々が集う夜会。


 メルセデス邸に到着後、精鋭六人は男女一組ずつ、ミアとアードラ、ロザーナとスタン、ラシャとカシャの三組に分かれ、会場へそれぞれ散っていった。

 少数ずつに分かれれば招待客及び主催のメルセデス夫人に接触しやすくなる。相手方もこちらへ接触しやすくなるだろう。

 それから、これはかなり穿った見方になるが――、少数ずつ散ったことで各個撃破を狙ってくる可能性もなきにしもあらず。


 視界は明るくも何が飛び出すのか、まったく予想がつかない虎穴への入り口。


 その虎穴もとい会場中から送られる、吸血鬼であるがゆえの好奇、嫌悪など様々な感情をないまぜにした値踏みの視線にミアの緊張は高まる一方。

 選んでくれたラシャには悪いけれど、もっと色も意匠も大人しいドレスにすればよかったかも。膝の辺りでひらり、ひらひら揺れる鮮やかなスカートの赤に戸惑いが募っていく。


「あのさ、ぼーっと歩かないでくれる??歩調合わせてる身になってよ。あと、もっとしっかり腕組んで欲しいんだけど。ただでさえ身長差のせいでエスコートしにくいんだし」

「う、ご、ごめんなさい……」

「どうせ周りの目気にしてるんでしょ??つまんないことでうじうじされるの、すごくウザい」


 アードラの憎まれ口、ここに極まれり。

 さすがにムカッときたが、今この時ばかりは辛辣な言葉に脱力し、緊張がほぐれていく。


「あっちの二人の落ち着き見習ったら??あれくらいの余裕なきゃね」


 アードラが目線でそれとなく示した先は、テーブルを二卓分挟んで離れた場所――、目にかかる前髪、中途半端に伸びた横髪や襟足を後ろへ流し、シャツ以外のすべて黒で統一した燕尾服姿のスタンが温厚な物腰で来場者と歓談していた。

 彼の傍らでは、銀の星と月を織り込んだ薄青の夜会ドレスに銀のショール、銀の長い髪をゆるめの夜会巻きにしたロザーナがにこにこと微笑んでいる。


 うん、明らかに二人は通常運転だ。


「まぁ、あそこまでくっつかれても役得よりも暑苦しいばっかだけどさ」


 二人の様子をよくよく観察してみる。なるほど。

 アードラの言う通り、ロザーナは必要以上にスタンの腕に密着している。わざと胸を押しつけているのではと疑うほどに。

 対照的にロザーナの腰に添えたスタンの手の位置、触れ方含めた控えめさときたら……。


 うん、どう見てもあの二人通常運転だ……。


「あ、兄妹もいつもどおりって感じで大丈夫そうじゃん」


 振り返ったアードラにつられてミアも振り返る。

 テーブル一卓分後方には褐色の短髪を後ろへ流し、襟や袖の裾に金の刺繍をあしらったコーリャン服姿のカシャがいた。

 朴訥とした人柄ゆえにこの場に馴染めているのか、なんて余計な心配はすぐに消し飛ぶ。言葉少ないながら、カシャも来場者と歓談し、会場の雰囲気に溶け込んでいたからだ。ラシャはというと、社交辞令という面倒事を完全に兄へ押しつけ、テーブルに並んだ果物をもりもり食べている。


 カシャはちょっと意外だけど、この二人も通常運転とは!


「えっと……、ひょっとして、緊張してるの、私だけ……??」

「そういうこと。とりあえず適当に飲み食いして適当に楽しめば??変に緊張してると余計な勘繰りされるかもしれないし、もしも事が起きた場合の動きが鈍る。特に今回はあんたの動き次第で僕らは全滅しかねないしね」

「あのー……、私のこと、脅してます??」

「心外だなぁ。僕は本当のこと言ってるだけなのに」


 折角解れかけた緊張に再び襲われる。この人、ほんと、意地悪だ!

 灰色の燕尾服に他の男性陣同様髪を後ろへ流した姿は、どこからどう見てもすらっとした長身の若紳士なのに!


 恨みがましい気持ちで見上げてもアードラは素知らぬ顔。料理の大皿やワインボトルが並んだテーブルに近づき、重ねて置かれた小皿を二枚、手に取った。

 アードラは同じ机上に並ぶブロート各種、サンドイッチ、フルーツ類をそれぞれの小皿へ適当に乗せると、一皿をミアに手渡してきた。


「一応確認したけど、心配なら自分でも料理取って再確認して」


 アードラの爪の先をさりげなく確認する。確かに透明なマニキュアに色の変化は生じてない。

 でも万が一は疑うべき。サンドイッチを一切れ、葡萄を三粒ほど皿に盛り、葡萄を一粒つまみ上げる。

 瞳に併せて塗った深紅のマニキュアに色の変化は見られない。毒物混入はなさそう。

 撮んだ葡萄を口に含む。果汁が緊張で乾いた喉をほんの僅かに潤す。喉の渇きが少し治まると空腹を感じ始める。

 サンドイッチに手を伸ばしがてらさりげなく毒物チェックする。うん、これもだいじょうぶそう。


「まぁ、まずテーブルの軽食は問題ないと思うけど、直接手に取って食べる物以外はやめた方が賢明かもね。マニキュアでの毒物チェックできないし。問題は……」

「おや、双頭の黒犬シュバルツハウンドの方ではないですか」


 サンドイッチを口にするなり、背後から突然誰かに話しかけられた。

 咀嚼しきれてないサンドイッチを慌てて飲み込めば、ひとりの紳士が二人の前へ回り込んできた。咽せ返りそうなのを堪え、アードラに『誰??』と視線で尋ねるも首を捻られる。


「貴方達の噂はかねがね聞き及んでおります」

「どんな噂でしょうか。悪しき噂でないといいのですが」


 蓮っ葉な言葉遣いから一転、誰なの……??とアードラの顔を露骨に凝視しそうになる。

 紳士が着用する燕尾服はよく言えば古式ゆかしく、悪く言えば流行遅れが過ぎている。が、気品溢れる物腰も含め、牽制や下世話な好奇心で近づいてきたようにも思えない。


「警察や国軍に劣らぬ戦闘力と諜報力を駆使し、この国の凶悪犯罪撲滅に貢献されていると」

「そんな大層なモノでもありませんよ」

「またまたご謙遜を。まぁ、まずはお近づきのしるしにどうぞ」


 紳士はテーブルの一角に固められたワイングラスを二人分、手に取った。

 心臓の色を想起させるグラスの赤を差し出された瞬間、くらり、軽い眩暈を覚える。

 アルコールの匂いに当てられた、というより、好ましい香りだがとても濃厚な香水を嗅ぐ感覚に近い。


 香りがきついと分かっているのに、好きだからつい嗅いでしまう。

 知らず知らずの内に気分が悪くなっていく、みたいな……。


 あのワインは飲むな、危険だと本能が訴えかけてくる。

 紳士の両手に収まる二つのワイングラスから目が離せない。飲みたくて堪らないと勘違いされたら困るというのに。


「ご厚意には感謝いたします。しかしながら……、申し訳ありません。僕も彼女もお酒が飲めない体質でして。特に彼女はごく少量であってもお酒を飲むと自力で歩けない程悪酔いしてしまうのです」

「なんと!それはそれは……、こちらこそ失礼しました」


 紳士は気を悪くするどころか、あっさりと引き下がってくれた。

 さらりと断りを告げたアードラに感謝しつつ、主に自分のせいにされたのはちょっと腑に落ちない。確かに事実ではあるけれど!


【なにむくれてんの】

【むくれてません!】


 紳士の目を盗んでの、唇の動きのみの声なき揶揄い、深まった笑みの腹立たしさよ。

 少しの間、ロザーナかラシャの元へ避難(?)しようかと考え出した矢先だった。


「ブルーノ様!」

「おや、見つかってしまったか」


 突然名を呼ばれ、苦笑交じりに声がした方へ手を振る紳士を尻目に、アードラの笑みが一瞬で崩れ去った。暗い顔、弱気な顔など見せない筈の彼の、鉄壁の(貼りつけたような)笑顔が。


「……ファルケ??うそ、だろ……」


 アードラのつぶやき――、彼らしくない、どこか怯えを含んだ弱々しいつぶやきが耳を掠めていく。

 聴覚が発達したミアにしか聞き取れない小声ゆえか、紳士も紳士の傍へ近づいてくる執事服の青年にも彼のつぶやきは聞こえていない。でも、確かに彼はつぶやいた。


 この若き執事とは知り合いか。

 問わずとも、青年が近づくごとに青褪めていく顔色が答えを物語っていた。

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