第42話 偽善家

 スタンの報告によると、警察が到着するまでに少々手荒な方法で尋問した結果、件の標的はメルセデス准将の代理人だと吐いた。三日後に双頭の黒犬達が招待されている夜会の主催者、メルセデス夫人の夫に当たる人物だ。

 軍の要人であるメルセデス准将は元より、夫人も高級レストランやホテル、キャバレー、娼館などを経営するやり手な人物だと聞き及んでいる。代理人が逮捕されても富や権力を利用し、自分達の逮捕に繋がる証拠を握りつぶすだろう。


 だが、双頭の黒犬の背後にはノーマンという絶大な存在が控えている。


 彼はカナリッジの主要な軍事工場への投資を始め、科学や医学研究所、国内最大の造船所等への投資を惜しまない。国家警察上層部、一部ではあるがカナリッジ国軍にも顔が利く。

 異国人でありながら、メルセデス夫妻以上にこの国で立場を築き上げてきたノーマンの指令で双頭の黒犬シュバルツハウンドが動き、確たる証拠を掴まれたら――、逮捕・拘留の後、有罪判定は免れない。


 だからだろう。

 代理人達の捕縛が相次ぎだした頃、メルセデス夫人から夜会の招待状が届いた。

 おそらく組織へ何らかの牽制を――、もしかしたら精鋭達を潰す為の罠でも仕掛けてくる可能性も否めない。


 虎穴と踏んでいた夜会は予想通り、否、予想以上の虎穴、かもしれない。




「だったら、虎児のみならず親虎も穴から引きずり出せばいいだけの話だよねぇー。ほい、フォー・オブ・ア・カード!ありゃ、イェルクも同じかね。残念ざーんねーん。しかも惜しい!また僕の勝ち!」


 赤煉瓦風の内装に長いカウンター、その奥には国内外から取り寄せたビール、ワイン、ウィスキーボトル各種がアンティーク調の酒棚に並んでいる。

 カウンター後方にはテーブル席数脚、グランドピアノが置かれ、街中の酒場の扉を潜ったかのような錯覚を覚えるが、ここは住処。ノーマンが城内の一部を自分達専用の酒場に改装した一室である。(一室といっても、下手なパブやバーより広いし酒の種類も豊富だ)


 夜会当日の夜。

 精鋭達を送り出すと住処の酒場で、イェルクはノーマン相手にカードゲームに興じていた。


 12queen四枚と10が一枚、11jack四枚と13kingが一枚。

 ノーマンが机上に拡げたカードと己のカードとを見比べ、イェルクは袖の中で腕を組むと低く呻った。これで三連敗目。ノーマンとの勝負ポーカーは毎回負けてしまう。


「師匠でも伯爵グラーフには負けちゃうんだ……」


 小さな丸テーブルに対面で座る二人の間、勝負を見守っていたルーイがぽつりと漏らす。


 ノーマン、イェルク、ルーイ。別名・待機組。


 精鋭全員で捕縛目的での出向ではなく、今回みたいに潜入調査(状況によっては戦闘に発展するかもしれない)の場合はこの酒場で待機する。別に酒場でなくてもいいように思うけれど、待つ間にノーマンが退屈を持て余し、浴びるようにガンガン酒を飲みだすのを防ぐためだ。退屈させなければ常識的範囲かつ酔わない程度にしか飲まない。


 ちなみに、三人は精鋭達が帰還するまでただのんびりと遊んでいる訳ではない。


 精鋭達が身に着ける装飾品、または宝飾品の一部に発信機が仕込まれている。同様に、三人が身に着ける物の一部にも受信機が仕込まれている。

 ノーマンのネクタイピン、眼鏡のつるから垂れる鎖の宝飾、ルーイのシャツの第一釦と第二釦、イェルクの左耳のイヤーカフス二つ。


 些細な情報であっても入手できるなら聞き逃してはならない。

 情報が流れ始めたら、各自が組織独自の暗号文で内容を速記する。


「さあて、今回はどんな情報が得られるかなぁ??」

「いつになく楽しそうですね」


 くふふっと気持ち悪い笑い声を発するノーマンに対し、若干引き気味なルーイを目線で軽く窘める。師弟の無言のやり取りに気づきもせず(気づきつつ受け流してる??)、ノーマンは赤らんだ顔でウィスキーグラスを傾ける。


「そりゃ、ねぇー、民間人を守るどころか害する、なんて同じ軍人としちゃあ、ちょーっと許しがたいよねぇ??あ、僕は元軍人かっ!わははは!そうだそうだ、そうだった!」

伯爵グラーフ!一旦飲むの止めましょうか。ルーイ、グラスに水を!」


 慌てて席を立つルーイを横目に、ノーマンの手からウィスキーグラスを奪い取る。

 まだ精鋭達は現地メルセデス夫妻の別邸に到着したばかりだろう。情報入手するより先に使い物にならなくなっては困る。


「えぇー、いいじゃないのさー。ケチー。イェルクは厳しいねぇ」

「まだ作戦は始まったばかりですよ!気を引き締めてください!!」

「あは、ごめんごめんー。あ、ルーイ、ありがとねぇー」


 グラスを受け取り、ごくごくと一気飲みする酔っ払い、もとい、組織のトップの姿にハァ、と大きな嘆息が口をついて出てしまう。


「もう今日は水で我慢してください」

「やだ」

「やだじゃないっ!!」


 思わず立ち上がって叫ぶ。

 出身国は違えど仮にも空軍元中佐。元一等兵だった自分にとって雲の上の存在である。

 そのような存在を相手取り、頭ごなしに怒鳴りつける日がくるなど軍隊時代の自分に想像できただろうか。


「オ、オレ、紅茶淹れてきますっ!えっと、アールグレイかオレンジペコー、どっちにします?!」

「んー、今夜はアッサムがいいなぁ。あ、ストレートでおねがーい」


 着席したのも束の間。ルーイは再び離席し、扉へ駆けていく。

 十三歳に気を遣わせる五十(ピー)歳……。隻眼で白い目を向けるが柳に風。

 幸いにも茶番を繰り広げている隙に情報が流れてくることはなかった。


「まったく……、何なんですか!今回に限って酔うの早くないですか??体調が優れない訳ではないですよね??」

「僕は至って元気だよーん」

「真面目に答えてください!」


 酔ってない筈なのに頭が痛い。着席しながら頭を抱える。

 早く有益な情報が流れてくれれば、この茶番も強制終了できるのに。

 イェルクの気など知らず、ノーマンは相変わらずくふふふふ……と笑い続けている。


「あのさぁ、イェルク」

「なんですかっ?!」

「昔の話、してもいいかい??」


 昔、というと、軍人時代の話だろうか。

 気色悪い笑顔は相変わらずだが、群青サファイアの双眸はイェルクの反応を窺っている。

 少し考えた後、「いいですよ。長くならなければ」と応える。


「……昔ね、僕の祖国と北方の某大国が植民地争いを繰り返してた時に僕、少年兵達の飛行訓練の指導してたんだね。少年兵っていっても、空軍養成所少年部所属でも民間から集めた志願兵でもない。少年刑務所から強制的に連れて来られた子達なんだ。僕の国はねぇ、階級制度が異常なまでに厳しくて。彼らはほぼほぼ労働者階級かそれ以下の下層。刑務所行きになった理由は貧しさから小さなパンをひとつ盗んだとかならまだマシな方、貴族が乗る馬車の前を横切ろうとしただけで刑務所送りになった子もいたかなぁ。そんなだから僕の国の刑務所は常に定員オーバー。ミアやルーイくらいの年の子でも階級が低ければ低い程、すぐに縛り首にされてしまう。彼らは縛り首になるか、戦場へ向かうかの二択を迫られて僕の元へ送り込まれたって訳」


 イェルクの方ではなく、空のグラスを注視しながらノーマンは続ける。


「まともな躾も教育も受けてない子達ばっかりだったからさ、最初は礼儀教えたり規律を守らせるだけでも大変で大変で!もうね、訓練どころじゃなかったなぁ。辛抱強ーく根気よーく接してる内にみんな真人間に変わってきて、訓練も真面目に参加するようになって……。僕、文字通り独身貴族だけど、子供がいたらこんな感じかなぁってあの子達の成長が内心嬉しかったんだよね。上官だから適切な距離は取ってたけど、中には親みたいに慕ってくれる子もいたし。でもねぇ……、手塩にかけて育てた子供達は今、生きてる者は誰一人いない。そりゃあ、末端とはいえ兵隊だもの、仕方ないことさ。あぁ、この辺りの話はやめとくかい??」

「いえ……、今平気ですから続けてください」

「じゃあ、なるべく短く終わらせる。あの子達は敵機へ自爆特攻し、敵諸共死ぬ運命だった。親と慕う上官が実は子供達の死神でした、なんてね!」


 大仰に手を振り上げ、おどけるノーマンがいっそ痛々しくてそっと視線を外す。


「苦しい言い訳させてもらっていいかな??僕にも知らされてなかったんだ。最初に入隊してきた子達がそろそろ使えるかも、って頃に上層部からお達しがあってさぁ。後出しじゃんけんはズルいよねぇ??特攻指令を下した時のあの子達の絶望顔は全員覚えてるよ。さぞかし僕を恨んだと思う。だけど、ひとりだけ、特攻前夜に礼を言いに来た子がいて。『自分は入隊するまで親からも世間からもまともに人間扱いされてこなかった。そのうち家も失って寒空の下、泥水啜って飢えを凌いで生きてきた。刑務所行きが決まった時は完全に終わったって思った。でも、ここへ来てからはキツイこともすごく多かったけど、今までで一番人間らしい生き方ができた気がする』ってね!くふふふ、彼はとてもいい子だったよ。何で彼みたいな子が日の当たる場所で生きられなかったんだろう」

伯爵グラーフ、もうその辺でやめておきましょうか」

「僕がこの組織を立ち上げたのだって、道を踏み外して行き場を失った子供スタンがどうやったら日の当たる場所で生きられるか考えた結果だよ。そしたら、類友で行き場のない子達が集まってきたじゃないの。僕は慈善家じゃない。己の罪悪感を薄めたいだけの偽善家だ。だって僕は懲りずに子供達を死と隣り合わせの世界へ送り出している。とんだ矛盾さね」

伯爵グラーフ……」

「メルセデス夫妻にムカついてるのは、行き場のない子供達を食い物にする輩は死ねばいいって思うくらい嫌いってだけだから。……はい!だらだら喋りすぎだねっ、話はもうおわりー!もうやめまーす!!」


 イェルクが何か言い出すより早く、ノーマンは両掌を胸の前で広げて話を打ち切った。

 すると、見計らったかのようにティーセットのトレイを手にルーイが戻ってきた。


「執事教育受けてただけにルーイが淹れた紅茶は美味しいんだなぁ……、んん??」


 ティーポットに伸びたノーマンの手が空中で止まった。

 イェルクとルーイの表情も瞬時に引き締まる。


 三人共に、受信機が反応し始めたのだ。

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