第39話 こわいものはなあに②

(1)


 聖堂を満たすパイプオルガンの音色は銃声、聖歌隊の歌声は悲鳴に塗り替えられていく。


 銃撃の最中、神父は犯罪者達への説得に走り、神に慈悲を乞い――、無慈悲にも命を散らしていった。

 飛び散った大勢の血と肉片、脳漿でヴァージンロードはけがされ。長椅子には信者の、聖壇には聖歌隊の遺体が並ぶ。

 あとに残されたのは教会で暮らす孤児達。半狂乱で逃げ回る年端もいかない子供達を、凶悪な大人達が次々と撃ち殺していく。

 この場でまだ動けたのは自分とあいつ、たった二人だけ。


『アードラ!おまえだけでも逃げるんだ!!警察が来るのを待ってたら全員死んじまう!オレがひきつけてる間に早く!!』


 親友であり、兄弟のようなあいつを置いていくなんて。


『いいからいけよ!』


 裏口の方向へ強く背を押される。振り返って戻ろうにも、銃弾と犯罪者も後を追ってくる。

 勘頼りで弾を避け、教会を飛び出し、人通りの多い道を目指す。そこまで出てしまえば奴らも自分を追うのは諦めるだろう。


 逃げた訳じゃない。助けを呼ぼうと思ったんだ。

 なのに、通りを闊歩する大人達は示し合わせたかのように取り合ってくれない。


 武装した犯罪集団に丸腰の人間が立ち向かえるわけなんかないって、今なら理解できる。あれは全くの無駄な行動。パニック状態だったとはいえ、本当に頭悪すぎる発想。

 そのせいで救えた筈の親友は未だ植物状態で眠り続けている。


『一緒に逃げよう』って言えなかった。強引にでも手を引っ張ってあの場から連れ出せなかった。


 後日の裁判で、逮捕された犯人の一人から『自分だけ逃げたくせに』と詰られても何も言い返せなかった。例え、そいつがかつて共に教会で暮らし、面倒を見てくれた年上の仲間でも。


 成人すると同時に教会を出た奴らの身に何が起こったのか。知る由もないしどうでもいい。

 奴らには我が子同然に養育してくれた教会への恩義、擬似的ながら繋いだ家族の絆など簡単に断ち切れてしまうもの。『むしゃくしゃしたから殺った』で済ませる程度の軽いもの。


 愛情だとか絆だとか、抽象的な事柄がこの時から信じられない。

 里親の元から逃げ出したのは愛情のお仕着せが怖かったから。

 路上でスリや物乞いで生きる方がうんと楽だと思っていた。










「こちらはカルトッフェルジャガイモのポタージュになります」

「玉ねぎと紫キャベツのシーザーサラダです。バケットのブロートはご自由にお取りください」


 給仕する青年の背中は余りに真っ直ぐで、定規でも入れてるのかと疑いたくなる。

 こちらの気が引ける程の洗練された物腰、颯爽と立ち去る後ろ姿は自然と目で追ってしまう。


「なに、ああいうのが好み??」

「ち、違うよ!動きに全然無駄がないなぁって感心してただけですっ。あと、ナイフを人に向けるのはマナー違反!」

「あぁ、そうだったっけ」


 小声でアードラを注意しつつ、目深に被るクローシェ帽子越しに周囲の様子を窺う。

 うん、見える範囲では誰も彼の不作法に気づいてなさそう。些細な行動ひとつで少しでも目立つ、取り分け悪目立ちするのは避けたいところ。

 ちなみにミアが帽子を被る理由は黒髪と赤目を隠すため。これも上手くごまかせてればいい。


『今度さぁ、ちょっとした高級レストランの食事に付き合ってよ。僕が奢るし衣裳も用意する。っていうのもね、調査中の標的の情報仕入れるためなんだけど』


 というのがアードラが提示した訓練の交換条件だった。


『一緒に行くなら男より断然女の子がいいに決まってるよね??ロザーナはスタンがうるさいし、ラシャじゃ話にすらならない。かといって、烏合の子や堅気の知り合いの子だといまいち信用ならないし。っていう消去法の末、あんたが一番適任だなぁ、と』


 そう言われるまま、用意された帽子に堅めの意匠のワンピースを着用し、ついてきてみれば。


 運ばれてくる料理は元より、料理を乗せた皿は有名な高級食器製造会社の皿。

 ワインの値段も注文票を見るなり目が飛び出そうになった。何だこれ。何だこれ!

 いくらなんでも全額奢りは相当に気が引ける。衣装代も含めて後で絶対返済しようと心に決める。


「シーザーサラダ、アスパラと人参の生ハム巻きです」

「鹿肉とブルーチーズソースのパスタです」

「牛肉ステーキ、カルトッフェルのソテーです」


 豪奢なシャンデリアの光、絹地のテーブルクロス、奥から流れてくる古典音楽を奏でるピアノ。

 各テーブルに座す客の身なりの良さ。どうしても気後れしてしまうし、周囲の警戒も忘れてはならないせいで運ばれてくる料理を味わう余裕なんて皆無。

 うう、もったいないっ!と心中で残念がっているミアに対し、アードラは「サラダは普通だなぁ」「パスタは癖あるけど意外といける」などと料理に舌鼓を打っている。時折、スーツのカフスボタンを撮む仕草をする以外は普段と変わりない。


「……それ、イヤーカフスの形と、同じ??」

「うん、そうだよ」


 言葉を続けようとして口を噤む。

 微笑みを湛えながら、アードラが唇に人差し指をそっと押し当てる。

 いつもは下ろしてる前髪を上げ、仕立ての良いスーツを纏う姿は上流階級の若紳士に見えなくもない。


【ここのトイレに盗聴器仕掛けててさ】


 声は出さずに話し始めた口元を凝視する。

 声なき声で話す内容が若紳士とは程遠い。


【カフスボタンはトイレの盗聴器から流れてくる情報を受信する。受信した情報をイヤーカフスへ流す。それを俺が聴く。ちょうど今、標的と関係者が洗面台で話している。あぁ、また毒にも薬にもならない世間話かぁ。収穫の見込みが薄かったらイヤだなぁ】


 イヤだ、イヤだと零し、切り分けたステーキ肉を頬張る余裕ぶり。

 でも、こんなに喋ってて聞き漏らしたりしないのかな。


【ある訳ないじゃん。あんたやスタンには負けるけど、僕、目と耳いいんだよね。どんなに騒がしい状況でもどの声が誰のものか、話していた内容までちゃんと聞き分けられる。自分がおしゃべりしてる時も同様にね。雑踏の中でこそっと僕を守銭奴とか詰った場合、ミアが守銭奴って言ったって分かるから気をつけなよ??】

【……そんな悪口言いませんから】

【ミアってマジでいい子ちゃんだねぇ】


 それってイヤミですか。喉元まで出かかって無理矢理飲み込む。

 揶揄い半分で『いい子ちゃん』と言われる程腹立たしいことはない。


「ア……、さんって、怖いものとか絶対ないですよねっ?!」


 うっかり言いかけた名前を濁し(言ったら変装の意味がなくなる)、若干の皮肉を込めて問う。


「あるよ??って、なに、その目。嘘つけって思ってる??」

「思ってないと言えば嘘、です」

「本当だって。例えば――」

「例えば??」

「預金通帳の残高が減ること」

「デショウネー。ワカリマスー」


 予想通り過ぎて片言風な返事しかできない。する気がしない。


「飢えること。雨も雪もしのげない屋外で冬を過ごすこと」

「……え」

「形のない愛情や絆を過度に信じること。よく恩をあだで返しちゃいけないって言うじゃん??でもさ、恩義を感じるかどうかなんて受け取る側の問題だし、仇で返すに至った理由は必ずある筈なんだよ。例え身勝手極まる理由だとしても。恩知らずなんて言葉こそが与える側の思い上がりなんだ」

「それってどういう……」


 折が良いのか悪いのか、先程の青年がグラスとワインを乗せたワゴンを押しながら戻ってきた。そのため、この話は打ち切りになった。










(2)


 後頭部はガンガン痛むし、視界に映る天井はぐるぐる回る。

 自室のベッドに横たわり、せり上がってくる吐き気と戦っていると扉が開く。


「ミア、だいじょうぶぅ??」

「……じゃないと、おもうぅ……」

「水持ってきたけど起きれるぅ??起こしてあげよっか??」

「うぅ……、お、おねがいぃ……」


 ロザーナの手を借り、ひどく緩慢な動きで起き上がる。

 その僅かな動作だけでもう、胃の中のモノが口から飛び出しそう。


たらいも持ってきたけど……、吐くぅ??」


 口許を抑えてぶんぶん首を振る。

 ロザーナはうーん、と眉尻を下げ、ピッチャーの水をコップに注ぐ。くもりなき透明なグラスと水が最悪の気分に清涼感を齎す。

 ちびちびと舐めるように、乾いた口内を漱ぐように水を口に含む。温くも冷えすぎでもなく程良い冷たさが喉を潤していく。


「『酔っ払いの介抱してやって。ワイン一杯で酔いつぶれるとか面倒くさいったら』ってアードラさんに背負われて帰ってきた時はビックリしちゃったわぁ」

「ご、ごめんねっ」

「ん??同室のあたしが介抱するのは当然じゃなぁい??別室でもあんなぐったりしてたらほっとけないけどぉ。でもぉ、この様子だとを飲むのは明日になるわねぇ」


 ベッド脇、サイドテーブル上には水が三分の二程減ったピッチャーとクランベリージュースの瓶--、試験管立てに並ぶ血液入り試験管。赤黒く染まる試験管を目にするなり、再び吐き気が込み上げる。


「……ごめん、今日、むり、かも。明日の朝、がんばって、のむから……」

「うん、そうしよ、そうしよぉ」


 成長するに従い、血液を飲む量を年々増やされていく。

 寝る前に薬感覚で三日に一度の頻度で飲むけれど、やっぱり血の味は好きになれない。

 美味しく感じたら感じたでちょっと、だいぶ問題なんだけどね。


 スタンから聞くに、血の味を一度でも美味しく感じると度々吸血衝動に苛まれるという。

 彼は血液の摂取量を最小限にした上で、あとは鋼鉄の自制心で衝動を抑えつけていたらしい。場合によっては腕を咬んで自らの血を吸い、誤魔化していたとも。


『いいか??女、特に若く美しい女の血だけは絶対吸うな。あえて条件に該当するロザーナとお前が同室なのは正直不安でしかない。だが、同時にお前に対する戒めでもある』


 スタンの不安は最もだと深く頷ける反面、杞憂だとも思う。

 なぜならこの三年、ロザーナと過ごす間、彼女の血を吸いたくなったことはただの一度もなかったし、これからだって有り得ないと信じている。

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