五章 Breaking the Hide

第38話 こわいものはなあに①

(1)


 その部屋は小窓ひとつすらないにも拘わらず、目が眩む程の光に満ち溢れていた。

 白を基調とした天井、四方の壁に金細工があしらわれ、壁という壁には大小様々な金縁の壁鏡が飾られ。金の輝きと鏡が互いに反射し合い、陽光以上の強い光を生み出す。

 室内には無数の壁鏡の他は唯一の等身鏡台(当然、金で作られている)、象牙製のローテーブル、白地に金糸模様の猫脚ソファー二脚のみしかないのに。鏡と金の光によって城内のどの部屋よりも絢爛豪華に見える。


 部屋の様相に負けじと色とりどりの鮮やかな布地が室内の至るところに広げられ、煌びやかさに拍車をかけている、筈だった。視覚的には明るく煌びやか筈なのだが、それらを取り巻く雰囲気が――、なぜか暗く重い。

 ドレス用の美しい布地を目にすれば、大抵の女性は金にも鏡にも負けない輝きを瞳に宿すというのに。大抵の女性の枠からはみ出す彼女達が示す反応は一般的なものとだいぶ異なっていた。


「アタシはコーリャンドレスでいいから。色は黒、装飾はほぼなし、スカートは足首まで。スリットはできればない方がいいけど動き辛いし……、だからさ、控えめなスリットにしてよね??肌出すのキライなんだ」


 ドレスの仕立人が目の前で生地を拡げかけたのを制し、ラシャは自らの希望を早口で一気にまくし立てる。


「あ、あの……、黒は黒でも色見はいろいろありますが……」

「じゃあ適当に選んでおいて!あと、袖も長袖にしてよ??いい??」

「あらぁ、ラシャさん、仕事の時は半袖じゃなぁい??」

「仕事中は袖が邪魔になるから仕方なく、って感じなのっ!じゃ、あとはよろしくっ!」

「あ、あの……、採寸を」


 用は済んだとばかりにくるり、背を向ける。消え入りそうな声で仕立人が呼び止めると、再びくるり、振り返る。まだアタシに何か用でも??と言いたげな不満顔にミアは頭を抱えた。

 自分の感情に素直なのは決して悪いことじゃないが、ラシャの場合、表に出し過ぎるのが問題だ。


「え、適当に服貸すから適当に採寸して作れないワケ??アタシ、同性でもよく知らない人に触られるのキライなんだけど」

「ラシャさんっ!おねいさん困ってるから……!そ、そうだ、なるべくササッと手早く採寸してもらえばいいんじゃない、かなぁ?!」


 もう黙って見てらんない!

 縋るような笑顔をラシャと仕立人とで交互に向けながら話に割り込む。


「はいっ、はいっ!仰る通り、急いで終わらせますのでっ!」

「……ふーん、ならいいけど。三分以内で正確に採寸できんの??」

「は、はいっ、頑張ります」

「ふーん、じゃ、よろしく」


 ラシャの態度の悪さも年配の女性なら上手にあしらえるかもしれない。

 だが、この仕立人はミア達とそう年が変わらない少女。気が弱い性格なのか、この仕事に就いてまだ日が浅いからか、とにかく可哀想なほど萎縮してしまっている。

 掌を投げやりに振り、そっぽを向くラシャに代わってミアは仕立人の少女にぺこぺこと何度も頭を下げる。少女もまた、ミアに向かってぺこぺこと頭を下げる。

 ミアと少女の、無言の謝罪合戦の横でラシャの興味は別の方向へ向いていた。


「ロザーナは決まったの??」

「んー??」


 猫脚ソファーに座るロザーナの前――、ローテーブル、向かいのソファーに豊富且つ色とりどりの生地が並べてあった。更には隣で年配の女性仕立人が生地を広げ、喜々として材質から産地まで事細かに語っていた。ツンとした高貴な猫に似た美少女は大変飾りがいある客。接客に熱が入るのも頷ける。


「うーん……、どうしよぉ」

「え、まさか、まだ決まってない?!かれこれ一時間は経ってない?!あぁ、まぁそうだよね、こんなにいっぱい勧められたら、まぁ迷うかもね」

「うーん、迷う以前にドレスとか全然興味なくってぇ。なんだか眠たくなってきちゃったしぃ、お話も何言ってるかさっぱりわかんないのぉ」


 えへ、と舌を出すロザーナの傍らで女性仕立人の笑顔が凍りつく。

 常人ならば仕立人の笑顔は変わりないように見えるだろう。だが、発達した視力を持つミアには僅かな表情筋の強張りを見逃さなかった。


「いっそのこともう、スタンさんに選んでもらおうかしらぁ」

「……はぁ??」


 ラシャの眉間と鼻先に深い皺が寄る。鳶色の大きな吊り目に殺気が宿る。

 スタンの名は現在ラシャの前では禁句なのにっ!元を正せば、今日のラシャの不機嫌の原因はロザーナの惚気のせいだったりする。


 ちらと盗み見た壁鏡に映る横顔。銀の髪から覗く耳には二つ、合計四つのピアス。

 一つは母の形見だという月長石ムーンストーンのピアスでミアと出会った頃から身に着けている。もう一つは最近身に着け始めた黒金剛石ブラックダイヤモンド白金プラチナのピアス。贈り主は言わずもがな。(ちなみに二つ目のピアス穴はミアが開けてあげた)

 宝飾品に一切興味のないロザーナが高価なピアスを着けていたのだ。目敏いラシャが理由を訊かない筈がない。そこから怒涛の惚気話が始まり――、ラシャは終始この調子である。


 せめてドレスの生地選びが終わった後ならよかったのに。

 少女は益々怯えて涙目だし、話が一向に進まないせいで女性の笑顔はどんどん作り物めいたものに変わっていく。

 この仕事を請け負った仕立人達も気の毒である。店から住処まで車送迎するとはいえ、辺鄙な山奥へ連れてこられたあげく一癖も二癖もある客達に手こずらされるなんて。生地代とは別に手間賃も払ってもらうべきだと思う。


「ね、ねぇ、ロザーナ!男の人は入室禁止ってことになってるし、私がドレスの生地選ぶよ?!そうだ!ラシャさんも一緒に手伝って!ね?!」


 精一杯の愛想笑いを全方位に向ければ、種類の違う八つの視線が全身を突き刺す。本物の剣なら確実に致命傷を負わされている。中でも一番穏やかな視線の持ち主ロザーナはミアの提案に少し迷いを見せている。

 何でもいいから首を縦に振って!肯定の言葉を口にして!


「じゃーあ、ミアの言葉に甘えてもいーい??」

「もちろんだよっ」

「ラシャさんもいーい??」


 全ての視線が今度はラシャに集中する。

 え、あ……、と、珍しくたじろぐもほんの数瞬。


「ロザーナの頼みなら仕方ないね、いーよ!ミアと一緒に全力で生地選ぶからっ」

「ふふ、二人ともありがとぉ」


 室内に負けない輝きを放ち出した双眸に、機嫌が直りつつあるのが見て取れる。

 ホッとしながら、テーブルに拡げられた布地に手を伸ばす。どれがいいかなぁ。

 虹彩に合わせた紫がいいかしら。氷細工みたいな美しさを際立たせる薄青がいいかしら。

 ロザーナはやっぱり寒色系が似合うよね……などと、我が事のように一生懸命考えるのって楽しい。


 先程までの空気の悪さに気を遣い過ぎた反動もあり、ロザーナの生地選びに夢中になり――、なり過ぎた結果。肝心の自分の生地選びをすっかり忘れてしまっていた。










(2)


 やってしまった。自分のドレスの生地の事なんて頭から抜け落ちていた。

 少女の仕立人が教えてくれなければ、危うくロザーナとラシャのドレスのみ注文するところだった。

 それに――、この後の予定まで忘れていたなんて。

 仕立人達が少し前に退出し、ミア達も部屋から出なければならないのにちっとも身体が動かない。


 彼に何て言い訳しよう。いや、言い訳しようとしまいといつも以上の毒舌が飛び出すのは必至。

 ただでさえ重たい扉がひどく重たく感じる。動かさないでいると、ロザーナが背後から扉を押してきた。扉が開いた先、廊下の壁にもたれかかっていたアードラが顔を上げる。


「遅いよ。女の衣装選びは時間かかるって言うけどさ。もう日が暮れ始めてる」

「う……、ご、ごめんなさい」

「まったくだね。ミアだけじゃない、あんた達三人に言えることだよ。伯爵グラーフ通じて精鋭全員メルセデス夫人の夜会に招待されたけど、偵察のために参加するだけなのにさぁ。ちょっとはしゃぎ過ぎ」


 疲れきった私たち(ロザーナはそうじゃないかも??)の顔見て、どこらへんがはしゃいでると言うのか。普段なら流せる毒舌も疲れのせいでやけにイライラさせられる。


「一刻も早く支度して。ほら衣装一式持ってきてあげたんだし、ミアだけこの部屋の中に戻ってこれに着換えて」


 アードラは掲げていたカバーを掛けた女物の衣裳と靴を、ミアへと放り投げる。慌てて受け取り、『投げちゃダメ』と抗議しようとしたが、できなかった。


「ちょっと、アンタさ!ミアに何するつもりよっ」

「何って??ていうか、今日のラシャなんか機嫌悪くない??どうでもいいけど僕に当たらないでくれる??自分の機嫌くらい自分で取りなよ」

「なっ……!」

「今からミアとデートするから邪魔しないでよね」

「ちょっ、アードラさん?!」


 ラシャのみならずロザーナまでもが、ぐるん!と勢いよく首を回してミアを振り返った。

 知らん顔を決め込むアードラを軽く睨むが、どこ吹く風といった体なのが憎たらしいったら!


「やだぁ、ミアったらいつの間にぃ……」

「ロザーナ!ち、違うからねっ!え、えっと……、これには、ちょっと事情が、あるの……」

「その、事情とやらは何なの?!理由次第じゃ今すぐこの場であいつを叩きのめしてやるっ!!」

「わー?!ラシャさん、待って待って!!ホント、二人が想像してるようなことじゃないからっ!!」

「別にどうでもいいじゃん。この二人にはデートって思わせとけばさぁ」


 アードラは壁に預けていた背を離し、ラシャとロザーナを押しのけた。

 触んな!と噛みつくラシャを無視、強引にミアの身体を扉側へ反転させる。


「それよりさっさと着換えてくれない??こっちは待ちくたびれてるんだけど」


 胡散臭い程爽やかな微笑み。彼をよく知らない者、特に女性ならば見惚れてしまうだろう。

 しかし、ミアも他の二人もよく知っている。この笑顔に決して騙されてはならないと。

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