第34話 どっちもどっち
(1)
宵闇よりも濃い、漆黒の塊が上空で広がっていた。
塊は不気味に蠢き、時々キラキラと光った。
「なんだあれは……」
耳を澄ませば、かすかに何かが羽ばたく音、キィキィと鳴く声が聴こえる。
あのキラキラ光るものは生き物の目、だろうか。
「蝙蝠、の群れ……??」
「……の、ようだな」
黒い塊の正体をロザーナ共々悟るなり、頭上で銃声が響いた。ミアが群れに向けて発砲したようだ。
蝙蝠たちは四方八方へ散り、群れは解体。しかし、更に驚くべき事態が待ち受けていた。
蝙蝠たちが飛び去った後には、金の長い髪を靡かせる少女が蝙蝠羽根を拡げ、浮遊していた。
浮遊するのは彼女だけじゃない。数人の仲間、もしくは下僕を率いている。
その内の二人が肩に担いでいるのは――、ぐったりと意識を失ったマリウスだった。
高波が浜辺に押し寄せたのと同時にマリウスの身を拾い上げたのか。
よく見ると、マリウスを担ぐ二人の男性吸血鬼は彼と同じく頭からずぶ濡れになっている。
「ハイディッ!!」
隣のロザーナ、頭上のミアの、怒声に近い叫びが重なり、海岸全体にこだましていく。
ハイディは冷然と
「こんばんは、二人ともひさしぶり。あぁ、そちらの男性は初めましてかしら。今夜は月が綺麗ね。……って、何よ、その顔は。知らないの??東の島国じゃ
「そんなことどうでもいいからぁっ!」
「うるさいわね、人の話を最後までちゃんと聞きなさいって。だから馬鹿にされるのよ」
「小娘、ロザーナを愚弄するな。もしも、お前の言う通り、ロザーナが馬鹿ならお前は臆病者だな」
「小娘??お前??臆病者??」
余裕めいた笑みから一転、ハイディの眉、口許が引き攣る。彼女を囲む吸血鬼達の顔も恐怖に歪む。
その様子をスタンは唇の片端を吊り上げ、せせら笑う。
「武装を一切せず、護衛代わりの取り巻き達を侍らせて。どうせ俺達が攻撃でも仕掛けたら盾にする気なんだろう??なぁ??誰かに守られるのが当たり前な、甘ったれの
「……さすが、一大帝国築いた島国出身者らしい、絶妙に神経逆撫でる皮肉ね。殺してやりたいくらい腹立たしいったら」
「やれるものならやってみろ。それから、情けなく担がれてる色男を捕縛してくれと、アードラに依頼したのはお前だろう。ならば、なぜ助ける??」
「あら、そう言えばそうだった。ちょっと事情が変わったのよ。でも安心して。彼はもう二度とロザリンドに近づかないし、人を殺さなくなるから」
「ここまで追いつめておいて、みすみす見逃す訳にはいかない」
「じゃあ、私達から奪ってみる??力ずくで。まっ、無理だと思うけど」
ひそかに恋い慕う少女と同じ顔でこれ以上毒を吐くな。
空と地上で睨み合う二人の応酬。ハイディを囲む下僕達、ロザーナ、ミアの空気に緊張が走る。どこかに隠れているであろうルーイなどは涙目かもしれない。
あの吸血鬼達が一斉に襲いかかってきたら、ひとたまりもない――、が、その時こそが大きな好機であり、危険を伴う大きな賭け。絶対に成功させねば。
さりげなくモッズコートの内側へ右手を滑らせる。狙うはハイディの首。
自分に飛行能力は備わっていないが、狙撃銃の有効射程内程度の距離なら投かくできる。
暗器が首を貫けば、即死は無理でも致命傷は負わせられる。
「望むところだ」
「貴方、馬鹿なの??死ぬの??いい度胸ねっ!……って、言いたいところだけど、今夜は見逃してあげる」
「なに??」
「スタンさんっ、ロザーナ!伏せてっ!!」
悲鳴混じりでミアが叫んだ瞬間、何十もの不穏な羽音、キィキィと甲高い鳴き声が凄まじい速さで迫ってきた。歯を剥きだし、次々と襲いかかってくる蝙蝠達はまるで小さな悪魔のよう。
ロザーナをきつく腕に抱き、彼女の身を庇って砂地に伏せる。
もしも吸血する蝙蝠だったら、絶対に近づけさせる訳にいかない。
「ルーイ君!私に掴まって!!」
「わぁああん、ミア姉ぇぇー!!」
「だいじょうぶ、私が近づけさせないからっ!とにかく早く掴まって!」
離れたところではルーイの情けない声と叱咤するミアの声がする。会話から察するにルーイを連れて上空へ避難するつもりかもしれない。
あれだけ騒がしければ、まぁ、問題ないだろう。例え、噛まれたとしても元から吸血鬼だし。
もちろん、自分も例に漏れず。だから、噛まれようと何されようが構わない。
「ごめ、ん。ちょっとくるし……」
「す、すまない……」
少し腕に力が入り過ぎてしまった。ロザーナに蝙蝠を近づけさせないためとはいえ、何たる失態……、ん??
ほんの少し前まで羽音と鳴き声が喧しかったのに、今はぴたりと止まった。
聞こえるのは風と波の音、あとはミアとルーイの話し声。
ちょっと待て。とてつもなく嫌な予感を覚える。
恐る恐る、砂地から顔を上げる。蝙蝠の大群の姿は跡形もない。
姿がないのは蝙蝠だけじゃない。
ハイディ達の姿も忽然と消えていた。
(2)
「まぁ、今回は腕に覚えのある人外相手だったし、どうも裏にきな臭ーい事情がありそうだし。うん!今回ばかりは仕方ないよ。ね!だからさぁ、皆してそう落ち込まないのっ!」
作戦決行前と同じくノーマンの執務室にて、一同は任務失敗及び失敗に至った経緯等の事後報告を行っていた。
すっかり憔悴し、項垂れる一同に対し、ノーマンはいつもと変わらぬ人懐っこい笑みで報告に耳を傾けている。惨憺たる結果なのに、と思うと、その笑顔が却って怖い。
ミアも戦々恐々とし、震えがなかなか止まらない。右隣のルーイはミア以上に震えている。今にも気絶するのでは、と心配になる程に。
左隣のロザーナは深く俯いてるためか、長い髪に隠れて表情がよく見えない、が、意気消沈しているのは明らかだった。
「ロザリンドもさっ、適任って僕が言っただけに責任感じてるんだろうけどー、そんな暗い顔しないっ。いやね、君はふわふわしてるようで根は物凄く生真面目だし、何が何でも標的に食らいついてくれると思ったんだよねぇ」
「……ごめんなさい、
「だぁかぁらぁー、命あっての物種って言うでしょっ??生きてればまた捕縛の機会は巡ってくるよ、必ずねっ!」
「……はぁい」
「言っておくけど、スタンレイもだからねっ??」
「…………」
ロザーナを挟んで左隣という立ち位置のため、ミアからはスタンの表情は全然見えない。
むしろ見えない位置にいる方が、ルーイも含め気まずい思いをしなくていい、と思う。
スタンがマリウスの首筋に噛みついた時、ミアはようやく彼の真意を悟った。
マリウスの命尽きるまで血を吸い続けるつもりなのだと。
任務を遂行するためなら、それもやむを得ない。
一方で、このことは後々スタンを苦しめないだろうか。
彼の覚悟に泥を塗るみたいだが、絶対に止めた方がいい。
と、結論出すなりロザーナが身体を張って止めたため、ホッとする反面、益々自分がどう動くべきかわからなくなってしまった。下手に介入すべきではないし、黙って見ているだけというのも不甲斐ない。珍しく戦闘中にオロオロしている内に、マリウスが再び二人に襲いかかろうとしていた。
あ、もしかして、二人に意識を向け過ぎてて、私の存在に気づいてない、かも。
今なら私に背を向けているし――、と、頭からカメムシペイント弾を撃ち放ったのだ。
咄嗟の判断ながら、少しでも役に立てて良かった。
「スタンレイ??おーい、スターンレーイ??」
ミアが感慨に耽っている傍で、ノーマンは机をバシバシ叩き、誰よりも深く項垂れるスタンに呼びかける。
「……ちゃんと聞いています……」
「なら、よろしい。あぁ、でもねっ、標的相手とはいえ、血を吸ったことに関しちゃあ、僕はちょっぴり怒ってるからね??しっかり反省してよね??」
「……はい……」
「罰としてしばらくの間、トイレとお風呂以外は部屋から出ないように。その札もちゃんと首から下げておくように」
「…………」
『札』という言葉に吹き出しかけるルーイの脇腹を軽くつねる。
今、スタンの首には『僕は約束破って血を吸いました。そのせいで仲間の女の子を泣かせました。ごめんなさい』とでかでかと共通語で書かれた札が掛かっている。よくイタズラした犬や猫の首に飼い主が冗談で掛ける、あの札である。
「なんなら、『どさくさに紛れてセクハラも働きました』も追加しよっか??」
完全に楽しんでいる。
思わずルーイと顔を見合わせれば、「オレ……、さすがにちょっと可哀そうになってきた……」と、珍しくスタンに同情的だ。
「
それはそれでスタンが気の毒に思えてくる。
「うーん、でもねぇ」
「じゃあ、こうしましょっ!スタンさん、顔上げて??ね??」
「??」
ロザーナに促されるまま、スタンはのろのろと顔を上げた。
相当に気まずいのか、視線を右へ左へ忙しなく泳がせている。
だが、数瞬後、泳いでいた薄青の瞳は動きを止め、大きく見開かれた。
目を見開いたのはスタンだけじゃない。
ミアもルーイも。ノーマンに至っては指先で弄んでいたペンを机上に落とした。
ペンは机上を転がり続け、床に落下。落下の勢いでスタンとロザーナの足元へ飛んでいった。
「ねっ、これでおあいこでしょっ??」
合わせていた唇を離すと、とどめとばかりに(当人にその自覚は一切なし)ロザーナはにっこり微笑む。
「
「う、うん……、そう、だねぇ……。お説教も以上、で、いいかなぁ……。うん、解散解散っ!あとは各自で反省しなさいっ!スタンレイも……、スタンレイ??大丈夫??」
「……じゃないと思います。ていうか、息してませんっ」
火がついたように耳や首筋まで真っ赤にさせ、立ち尽くすスタンは微動だにしない。
怒られるの覚悟で身体を揺さぶってみても、鋭い眼差しを向けられもしなければ指先一つ動かない。
「えぇ……、そんなにイヤだったかしらぁ……」
逆だよ。
ロザーナ以外の心が一つになる。
「あたしは、ちょっとドキドキしたのになぁ??」
今なんて??
もう一度、ロザーナ以外の心が一つになった。
「ロザリンド、スタンレイに悪いことしたと思った??」
「う、うん……」
この人はまた何を言い出すのか。今度は何を試すつもりなのか。
内容によっては異議を申し立てよう、と身構えたミアだったが、ノーマンが告げたのは予想外な話だった。
「じゃあ、スタンレイへのお詫びにさっ、謹慎中の間部屋に食事と血液を運んであげてよ、ねっ」
「そんなことでお詫びになるかしらぁ」
「なるなる!充分すぎるよっ」
なんだ、そんなことなのね。じゃあ心配しなくてもいいよね。
ミアは純粋がゆえに、ロザーナも鈍感がゆえに何も分かっていなかった。
その証拠に、胸を撫で下ろすミアの横でルーイが「うわぁ、うわぁ……、いやがらせにも程があるって……」などと、ひとりブツブツ呟いていた。
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