第33話 鬼畜で下衆
(1)
なぜ、同じ若者でも男より女の血の方が好まれるのか。非常に不本意ながら、スタンはマリウスの血を啜ることで理解した。
生臭い血の味に吐き気をもよおす。熟れた果実のように甘い女の血とは比べ物にならない。
自分が直に血を口にすることに慣れてない(慣れたくもないが)からかもしれないが。唯一、この舌が覚えている血の味が自ら殺した直後の母の血だからかもしれないが。
ごく少量とはいえ、自分は実の母の血を啜った鬼畜。立場は違えど、この男と何ら変わりない下衆。
この男はロザーナの手にはもう負えない。だから鬼畜かつ下衆なりの方法で引導渡すしかない。
スタンを引き剥がそうとする腕の力が徐々に弱まっていく。食らいついた首筋に皺が増えていく。
いっそミイラになるまで吸い続けて――
「だめぇええ――っ!!!!」
悲痛な叫びが意識の片隅を過る。牙は突き立てたまま吸血を止める。
しかし、ドンッ!と背中に強い衝撃がやってきたと共に、スタンの身体はマリウスから引き剥がされた。
「だめぇっ!やめてやめてっ、お願いだから!!
「ロザーナ?!」
衝撃の元が背中にしがみつくロザーナだと分かった途端、スタンの動きは止まった。
「イヤなの!スタンさんまで堕ちたりしないで……!!お願いよぉ……」
「ロザー……、うわっ!」
泣き叫び、興奮する余り勢い込んだロザーナごとマリウスの身体から転がり落ち、二人揃って砂に埋もれる。運悪く顔から砂へ突っ込んでしまい、目は開けられないし鼻は痛い。口の中も砂だらけ。軽く二、三度咳き込みながら身を起こす。
起き上がるなり正面からロザーナに抱きつかれた。本来は喜ぶべき事態なのだろうが、状況が状況だ。その上、思いの外力が強くて喉が締めつけられ、ぐぇっと間抜けな呻きが漏れてしまった。
「スタンさんのバカぁっ!血は吸わないって約束したじゃないのぉっ!!」
「いや、それは」
『仲間や一般人に対してだけで、標的に対して止むを得ない時は……』と続けようとしたが、うわぁああん!!と幼子のように泣きじゃくるロザーナに言える筈もなく。
普段、彼女が臍を曲げた時同様、背中をポンポン叩いて宥めようとしたが――、やめた。化け物の汚れた手で触れるなんて烏滸がましい。
それに――、前方を鋭く見据える。見据えた先には噛まれた箇所を抑え、起き上がろうとするマリウスの姿。吸血された影響か、金の髪は色褪せ、目尻、口許に皺ができている。
「ロザーナ、俺が悪かった。全面的に非を認める」
「……ほんとぉ??」
すっかり泣き腫らした菫の双眸に罪悪感ばかりが湧いてくる。
口調はぶっきらぼうだが、これは適当な謝罪ではなく本心からの謝罪。
「本当だ。本当に悪かった。だから……」
視線をロザーナから前方のマリウスへ再び向ける。
スタンの視線の先を追ったロザーナの表情が瞬時に引き締まる。
「なんで……、なんで、そいつなんだ……。そいつだって僕と同じ吸血鬼だし、人殺しじゃない、か……??」
「はっ、化け物の癖に自分を人間呼ばわりするとはずうずうしい。言っておくが、俺は標的以外で『人間』を殺したことは一度もない。一度たりとも」
「なんでだぁああ!!」
とうとう狂ったか。完全にこちらとの意思疎通を放棄している。
腰のホルスターから拳銃を引き抜く。隣でロザーナも同じく拳銃を構える。
二人ともまだ一度も発砲していない。弾は二人合わせて最大12発まで撃てる。
マリウスの背中が裂け、巨大な蝙蝠の羽根が出現し、二人に飛びかかってきた。
静かな夜の海で続けざまに銃声が鳴り渡る。
音を聞きつけて住民や観光客が押し寄せる前に決着をつけねば。
だが、スタンの願いは虚しくマリウスは何発銃弾を受けても倒れそうにない。
「ロザーナ!お前はもう下がれ!」
「だめ、そういう訳にはいかないよっ!あぁっ!」
「余所見してる場合じゃなくない??」
退却を命じたほんの僅かな隙、スタンの間合いの内側で
まずいっ、と焦りを覚えた瞬間、驚くべき事態が起きた。
「スタンさん
寸でで剣先を躱し、頭上から聞こえた声に従い、大股三歩分後退。強烈な悪臭が漂ってきた。
例のペイント弾を頭上から浴びせられ、マリウスの金髪も青白い顔も赤く染まる。赤い弾が立て続けに二発、三発と容赦なく降り注ぐごとに動きは鈍っていく。
最早、言葉にならない雄叫びまで上げ始めるマリウスに更なる追い打ちがかかる。
彼の頭、背中目掛けて成人男性の拳大くらいある石(もしくは岩の欠片)が飛んできた。
ミアとルーイか。
戦闘に直接介入できない(最も、下手に介入されても足手まといになりかねないが)が、彼らなりに援護してくれている。
「ロザーナ!ミアとルーイが足止めしている隙に!」
先に後退していたロザーナと共に発砲を再開。
ペイント弾の赤と本物の血の赤が混ざり合い、マリウスの全身を更に深い赤へと染め上げていく。
身体にいくつも穴を空けながら、マリウスはロザーナに向けて腕を伸ばす。
痛ましい顔つきで何度も首を振り、ロザーナは銃口を額へ向ける。シリンダーに残る最後の一発を撃つために。
さよなら、と、掠れたつぶやきがスタンの耳を掠めていく。徐々に高く、俄かに荒れ始めた波の音にも掻き消されない、強い意志が宿るつぶやき。
けれど、最後の一発が放たれることはなかった。
(2)
一際高い波が浜辺へ押し寄せてくる。
この海は内海ではなく外海。余程でなければ大丈夫だとは思うものの、万が一でも流される訳にはいかない。銃や剣を濡らしたくないのもある。
銃を構えたままのロザーナを抱え込み、波が届かないであろう場所へ即座に駆ける。マリウスは後を追ってこない。追ってくるだけの体力気力がもう、尽きている。
死にかけていようと、あれだけの巨体なら簡単に流されたりはしない筈。それより自分とロザーナ(ミアとルーイは自分達でどうにかするだろう。特にミアは空の上だし)の安全の確保が先決。
黒々とした波が白い砂浜を飲み込んでいく。間一髪、飛沫が少しかかる程度で済む場所まで逃げきれた。ホッとしたのも束の間、「スタンさん……」とロザーナが固い表情でマリウスがいた場所を指差す。
そこには先程の高波で打ち上げられた貝や魚が転がっているだけ。
そこにいる筈のマリウスの姿は、跡形もなく消えていた。
そんな、まさか――
まさか、あっさり波に流されてしまうなんて。
まさか、見立てを誤ったとは。
生死の確認ができなければ標的捕縛は失敗と見做される。
それ以前にロザーナを縛る枷から解放してやれなかった。
己の愚かしさ、不甲斐なさに唇を噛みしめる。
ロザーナが肩を肩を叩かなければ、血が出ても噛みしめ続けただろう。
「スタンさんっ!あれを見てっ!!」
急き立てられ、仕方なしに顔を上げた時だった。
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