第32話 半端者

(1)


 波が少しずつ高くなってきた。遥か遠くで船の汽笛が鳴っている。

 靄がかった重低音が敏感な聴覚を刺激し、肺や心臓にまで突き抜けていく。

 真っ黒な海は近づいたら最後、引き摺り込まれそうで不安を掻き立てる。

 どこまでも黒一色の海から目を逸らし、砂浜を見下ろす。


 ロザーナが拘束され、勢い込んで飛び出したものの。宵闇の空高く浮遊するミアは立ち往生していた。


 スタンが駆けつけるのは想定内であったけれど、まさか、まさか、あんな展開になるとは。

 自分がされた訳じゃないのに赤面してしまうのはどうでもいいとして。

 下手に加勢することで却って足を引っ張ってしまわないか。現時点じゃ状況を静観する以外、ミアに成す術はない。


「……そっか、スタンさんって、同族だったんだ」


 三年前、初めて住処に訪れた時のノーマンとの問答、ロザーナとイェルクの反応から、彼らの身近に吸血鬼がいる(いた)のだろうと薄々感じてはいた。それがまさかの――


 ショックだとか裏切られた気分に陥るだとかではなく納得の方が大きい。

 スタンがミアとルーイに冷たく当たり、距離を置きがちな理由に対しても。


 吸血衝動の耐性への不安を含めた同族嫌悪。三年前の、世間知らずだった頃の自分なら憤慨しただろう。でも今は違う。衝動を抑えきれない同族が一定数いると知っている。衝動が全く起きない自分とルーイがごくごく少数派なのだと。


 眼下のスタンとマリウスは人間離れした(どちらも人間ではないが)速度で格闘していた。

 剣を交える動きがミアの目でも辛うじて追えるが、加勢できるかどうかまでは正直自信がない。

 ロザーナでさえ援護の隙を見出せず、様子を窺いながら二人の周りを駆け回っている。


 自分がすべきことは何か。考えなきゃ。よーく考えなきゃ。


 マリウスとの交戦をスタンに全面的に任せるべきなのに、ロザーナはなぜ、あの場から離れないのか。援護が難しいと分かりきっていていて尚。

 兄的存在だった人の暴走を自らの手で止めたいのか。否、三年前に吸血鬼城へ特攻仕掛けた時、失敗を悟るやいなやすぐに退却した。身内相手だと突っ走りがちに見えて、存外引き時はちゃんと見極めている。


 なのに、今回に限っては一向に引こうとしない??

 どうしても自分の手で引導を渡したいのか。否、それならスタンの介入を許さない、筈。

 スタンもスタンでミア達に隠してきた正体を晒したのか。

 マリウスが吸血鬼だし同等の能力で立ち向かうため。大方そんな理由だろう。

 でも、本当に理由はそれだけ??


 考えなきゃ。しっかり考えなきゃ。


 スタンの真意が掴めれば、自ずとミアの役割が見えてくる、と思う。









(2)


「貴っ様!下衆で野蛮、みっともない小男の癖にロザリンドに触れるだなんて!!万死に値する!!今すぐ殺してやる!!」

「はっ!やれるもんならやってみろ、色男の皮被った変質者が」

「なんだと?!誰が変質者だ!!」

「どう見てもそうだろ??散々隠れて後つけ回して、関心引きたいがために人殺しする奴のどこがまとも??笑わせるな。変質者って言葉が気に入らないなら他に考えてやるよ。例えば、異常をきたしたとか??」

「ふざけるなぁっ!!」

「俺は至って真面目だが??ついでに言うと俺はお前を生け捕りにするつもりは毛頭ない。何度殺しても飽き足りないくらい腹を立てている。ロザーナを吸血鬼化させるなんてお前の方こそ万死に値する。それでなくとも調子づいた半端者には反吐が出る」


 マリウスの柘榴色の双眸が怒りで益々赤みを増していく。

 これでいい。マリウスの意識はロザーナから完全に自分へ逸れた。

 今回ばかりは命を奪う前提で臨まねば、と覚悟したものの。


 懐に飛び込む前に防御の突きが繰り出されてくる。

 何度試してみても同じ。避けて再び飛び込もうにもマリウスの長い腕がすかさず伸びてくる。

 剣の型自体はこの国古来より伝わる一般的な剣術。動きは笑えるくらい型通り。単純で一本調子。

 この男は余り応用が利かない質だと剣を交えて程なく気付いた。長身かつリーチが長い分、一度の攻撃範囲は広いが、繰り出した一撃さえ避ければ仕留めるのは容易い。彼が人間であればの話だが。


 まさか、自分と同等の速さで動けるとは。

 この男の武器が短剣ダガー一本で助かった。二本使いか長剣使いなら危ないところだった。

 しかし、速さはともかく身長差や腕の長さリーチの違いに加え、武器さえもマリウスの短剣ダガーの方がスタンの刺突短剣スティレットと比べて有利だ。


 元々が護身や暗殺に特化した刺突一点の短剣。切っ先にいくにつれ錐のように細く鋭い剣身は鎧の隙間から肉を貫き内臓へ到達、致命傷を負わせるため。時代によっては携帯を禁じられる程危険視された短剣。反面、刺突のみに特化した剣は剣身が脆く、折れやすいという弱点を持つ。

 イェルクの開発で並みの刺突短剣スティレットより強度を上げているとはいえ、大男相手の剣の打ち合いには確実に不向き。いつ折れてしまうか、内心気掛かりで仕方ない。


 砂にうずもれたロザーナの短剣バゼラルドの剣身が闇に鈍く光っている。

 隙を見て拾いに走ろうと思ったが、目論見は見事に打ち砕かれた。折れた時用の予備の剣スペアのスティレットや鋲などの暗器に手を伸ばす隙すらないのだから。


「ロザーナ!埋まっているお前の剣を!!」


 振り向かずとも音の気配のみで、短剣バゼラルドがどこから投げられるかは分かる。

 ロザーナも受け取りやすいよう、空いている左手方向から投げてくれるだろう。

 実際、ひゅん、と音がしたのはスタンの左手方向。折れるの覚悟で右で奴の突きを受け止めれば、何とか取れる――、受け取るまさに直前、マリウスは突きを繰り出すように見せかけ、飛んできた短剣バゼラルドを弾き返した。それは虚しく砂へ、再び埋もれる。


 忌々しいデカブツめ。


 心中で悪態を吐いた瞬間、眼前に切っ先が迫った。

 紙一重で避けるも切れた幾筋かの前髪が宙を舞う。癪すぎる。

 頭を低めたまま上半身を捻り、頭上に伸びた腕を強く蹴り上げる。

 狙い通り、マリウスの手から短剣ダガーが滑り落ちていく。

 落ちてくる短剣を避け、即座に態勢を整える。がら空きの左脇へ刺突短剣スティレットの切っ先を――、しかし、あえなくマリウスの大きな掌が剣身をぐっと握り込む。ぼたぼたと垂れ落ちる血の匂いにほんの一瞬くらりとしたが、すぐに苛立ちと怒りが勝り、舌打ちを鳴らす。


 マリウスの左の拳が飛んでくる。もう一度舌打ちし、刺突短剣スティレットから手を離す。

 数ミリ程度だが軌道の逸れた拳を躱し、先程よりも重く強い蹴りを手首へ叩き込む。骨が折れた手応えあり。

 マリウスが端正な顔を歪めた僅かな隙を狙い、飛びかかって顎を蹴り飛ばす。多分割れたんじゃなかろうか。

 刺突短剣スティレットを握る掌に力が加わった。嫌な音が鳴り、剣身が真っ二つに折れる。

 三度舌打ちを鳴らし、仰向けに倒れ行くマリウスへのしかかる。

 砂に沈んだ巨体の両腕に、携帯する鋲数本、素早く突き刺した。


 鼻からも口からも血を垂らし、秀麗な顔面は血塗れ。にも拘わらず、美しさを保つ様が憎らしい。


「まるで磔にされた罪人だな。あぁ、本当に罪人だから問題ないか。ロザーナ!とどめはお前が差せ……、やっぱり動くなっ!!待機っ!!」


 腕に刺した鋲を抑えつけ、マリウスを睨みつけたままロザーナへ叫ぶ。直後、マリウスは何とか起き上がろうと上半身に渾身の力を込める。鋲が肉に食い込んで相当痛いだろうに、それでも起き上がろうとしている。

 体格差と体重差のせいで撥ね飛ばされてしまう。逞しい体躯に跨る両脚にぐっと力を入れる。見計らったかのように、マリウスの上半身が起き上がる。


 もう、いっそしかない!


 振り落とされそうになりながら、マリウスの肩にしがみつくと。

 スタンは太い首筋に思いきり牙を突き立てた。

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