第30話 邂逅

(1)


 純血の吸血鬼と違い、元人間や混血の吸血鬼の能力は完全覚醒しづらい。

 五感や身体能力の発達、飛行能力、超音波による餌探知や索敵等のいずれかの内、二、三の能力しか開眼しないのがほとんど。

 理由は簡単。人間と細胞レベルの遺伝子が違う。純血と比べて血を口にする機会が少ない。

 吸血鬼城で暮らす者もそう。純血より元人間の吸血鬼の方が立場は低く、必然的に血を与えられる優先順位も低い。最悪、純血の餌にされてしまう場合もある。


 吸血鬼化して日が浅い割に血を多く摂取するマリウスとて同様。

 飛行能力を手に入れ身体能力は飛躍したものの、五感は発達せず超音波探知もできない。


 なので、遥か前方にて、闇に浮かぶ人影が放つ雰囲気が彼の待ち人と酷似している気がしてしまった。

 マリウスは自然と砂浜を一目散に駆けだしていた。


 彼女は足が速い。だが、砂の重みで普段よりも確実に遅くなる。

 自分は身体能力が向上したので、砂の上でも平地と大差ない速さで走ることができる。

 だからきっと、彼女をこの腕に捕まえるのにそう時間はかからないだろう。


 僕に会いたかったら、まだるっこしい真似なんてしなくていいのに。

 あぁ、そうか。きっと、砂浜で僕と追いかけっこして戯れてみたかったのか。

 相変わらず可愛らしい!


 距離が近づくにつれ、しなやかな長身の後ろ姿、長い黒髪が闇に靡くのがはっきりと視認できた。彼女が愛用する白檀の香りも漂ってくる。距離も確実に縮まってきている。

 そろそろ追いついていてもいい筈、なのに――、なぜ、僕は彼女に追いつくことができない??


 一定の距離を保たれたまま、足元を注意深く観察してみる。

 彼女は砂の重みに足を取られることなく、実に軽やかに走っている。


 例え訓練を受けていたとしても、身体能力の高い吸血鬼が本気を出したら最後、常人は振りきれなどできない。


 訳が分からないと目を白黒させつつ、ひたすら後を追う。

 驚きと戸惑いは次第に苛立ちへ変化していく。


 ねぇ、ロザリンド。

 君、ちょっと戯れが過ぎるんじゃない??

 ふざけて焦らし過ぎるのも大概にしてくれないかな??

 僕はいつだって君に本気なのに。

 君はいつだってはぐらかしてばかりじゃないか。


 いつになったら立ち止まってくれるんだい??

 振り向いて微笑んでくれるんだい??

 ねぇ、僕を見てよ。僕を見て笑ってくれよ!





「こんなに愛してるのにっっ……!どうして君は、僕を愛してくれないんだ!!!!」



 思い余って盛大に叫んだ瞬間、背後に人の気配を察知。

 激情から一転、冷静に素早く振り返り、腰から護身用の短剣ダガーを抜き放つ。

 カキンッ!と金属同士がぶつかり合う音が波音の間を縫い、夜の海に反響する。


 短剣に食い込む刀身は双剣バゼラルド

 飛びかかってきたのは、彼が恋焦がれて止まない最愛の少女ロザーナだった。








(2)


「ミア姉ぇ~、ミ~ア~ね~え~~!!!!」


 平常の波の高さなら届かない、浜辺を見下ろせる岩礁の陰に隠れていると、ルーイの叫びが遠くから聴こえてきた。ただし叫ぶと言っても声自体は押し殺してるので常人なら聴き取ることは不可能。ミア相手だから聴き取れると知っての叫び。また、アードラの調査の結果から標的の五感は発達していないと知るからこその叫び。


「こわかった!すっげこわかった!!なに、あいつ、マジでヤバいよ?!ムッツリスタンがまともに見えるくらいにはヤバいよ!?なんていうか、もう、捕まえたら即吸血してやるぜ!みたいな空気がビシビシ伝わってきたもん!!死ぬ気で爆走して……、げっほぉおお!!」

「死ぬ気で爆走してきたなら、そんな一気に喋っちゃダメだってば……」


 ミアが待機する岩礁に辿り着くなり、ルーイは(声を殺しつつ)泣きわめき、まくし立て、あげく盛大にむせ返って岩場に突っ伏した。その際、ゴンッ!と岩に顔を打ちつけ、泣きっ面に蜂と化している。

 ポンポンと背中を叩いてあげれば、彼の物ではない黒髪が指先に触れる。


「ルーイくん、カツラはもう外していいと思うよ」


 指摘するやいなや、ルーイはむせながら毟り取る勢いで長い黒髪のかつらを取り外した。ついでに襟元から腕を突っ込み、胸の詰め物も取り出す。






 あの後――、マリウスの忠告めいた伝言を聞かされた後、二人ロザーナとスタンの元へ戻るなり、驚くロザーナや文句を言おうとするスタンに構わず、ミアは彼女の腕に飛び込んでいた。

 お前、離れろ!と、スタンが不機嫌全開で首根っこを掴んで引き離そうと試みたが、それでもミアは無言を貫き、ロザーナから離れない。


『どしたのー、珍しいわねぇ??上空から様子見に行ってくれたんでしょー、ありがとうねぇ。でも、ちょっと無理した??』

『お前、少し変だぞ。何があった??』

『とりあえず、お店に戻ろ??話は落ち着いてからしよっか??』


 店に戻る道中も、戻ってからもミアは一言も喋らなかった、否、喋ることができなかった。

 粘着質な視線の正体は、あの、同族の美青年でまず間違いない。

 彼の自信過剰かつ執着めいた態度口調から察するに、もしかしたらロザーナにとって二度と関わりたくない相手、かもしれない。

 仕事に関わってくるし、話さなければならないのは分かっている。分かっているけれど――、ロザーナに直接話していいものか。ミアはひとりでぐるぐる思い悩む。


 黙って俯き、カウンターの木目を無為に見つめるばかりのミアを見兼ねたのだろう。

 あるいは、機嫌が傾く一方のスタンがミアに掴みかかるのを防ごうと思ったのか。(たぶん両方)


『あたしなら何を言われても聞かされても受け止められるから。ちゃんと話して、ねぇ??』


 柔らかく微笑んでいるのに菫の双眸は射るように鋭い。

 観念せざるを得ない。ミアは遂に上空での出来事を打ち明けた。

 自身の言葉通り、ロザーナは一切の動揺を見せない。終始、気味が悪いほど冷静に話に耳を傾けていた。


『ミアの気を悪くするかもしれないけど、髪を黒に染めてるのは、ミアが会ったあの人に万が一見つかった時、吸血鬼になったと思わせて諦めて欲しかったからなんだけど……』


 長い沈黙ののち、ロザーナが漏らした言葉こそ嘘偽りなき彼女の本音。

 やはり、彼女にとって彼は――


『でも指名手配かかってるなら捕縛しなきゃだし、伯爵グラーフに報告してアードラさんにも調査してもらわなきゃ、ねぇ。話しづらかったよねぇ、ごめんねぇ。教えてくれてありがとぉ。……あのね、あたしも、ミアに話したい、話さなきゃいけないことがあるの。聞いてくれる??』







 ロザーナから聞かされた新たな身の上話の衝撃が残ったまま、着々とマリウス捕縛の計画は練られていく。


 アードラから得た現在の彼の居所、能力の程度の情報を元にミアとロザーナ、補佐にスタンが付く形でこの海辺の避暑地へ向かう予定――、だったのだが。



『僕、いいこと思いついちゃった!聞いて聞いて!!五感が人と変わりないならさぁ、誰かにロザリンドの格好させれば意外と騙せるないんじゃないの??囮作戦イケるんじゃないの??ほらぁー、恋に盲目過ぎて本人目の前にしたら、感情的になって状況見誤っちゃうかもよぉ??』


 ミアとルーイが住処へやって来た時、通されたノーマンの執務室。

 集まった精鋭達に執務机を囲まれながら、ノーマンは機嫌よく指をパチンと鳴らす。


『でもさぁ、一応自警団の跡取り息子だったんでしょ??簡単に引っかかるかなぁ。ミアもラシャも、ロザーナよりかなり小柄だし顔も十人並みだし胸もな』

『アンタ殺されたいの??仲間のよしみで死に方くらいは選ばせてあげるけど??』

『ラシャ。アードラの挑発にいちいちムキにならない』

『お兄ちゃん!だってさぁ!』

『はいはーい、揉めない揉めないのっ!うーん、確かに精鋭の女の子二人じゃ背格好に問題がある、ねぇ……。あぁ、でも、言い換えれば、背格好が似てるなら問題ないってことだよねぇ??』


 ノーマンが意味深な視線を向けた先には、ロザーナを挟む形で両隣に立つスタンとルーイがいた。

 なるほど、微々たる差はあれど三人の身長はほとんど変わらない。


『鬘被って胸は詰め物すれば、まぁ、夜とかに遠目で見れば騙せないことないんじゃないのぉ??』

『なら、俺がやろう。どのみち補佐で付いていくんだ。何なら囮の振りして隙あらば捕縛したっていい』

『んー、やる気になってくれてるところ悪いんだけどさぁー、僕、スタンレイじゃなくてルーイに任せようと思ったんだよねぇ』

『……え、オレ??オレなの??えっ、ちょ、はぁぁあああ?!?!』

『だってほら、君はまだ身体が出来上がってないから女の子の振りしても全然イケると思ってねぇ』

『いやいやいやいや?!ちょっと待ってくださいよ、伯爵グラーフぅ?!』

『君、足の速さだけは精鋭抜いてぶっちぎりだったし、イケるイケる!!それに』


 ノーマンはこれ以上ないくらい、にっこりと良い笑顔を浮かべて言い放った。


『成人男性の女装なんて見るに堪えないじゃない??』


 精鋭の内約二名が耐えきれずにぶっふぉお!!と吹き出す中、当の成人男性であるスタンは蒼白い顔を紅潮させて閉口し、ルーイも魚のようにぱくぱく口を開閉させている。


『だいじょーぶ、大丈夫!君はただ囮になって標的からひたすら逃げてればいいだけだから!!頃合いを見て、ロザリンドかスタンレイに背後から攻撃してもらうようにするからさ!』




 そして今に至る訳だが――

 ルーイの背中を擦りつつ、岩陰から顔を覗かせ眼下の様子を探ってみる。


「え、嘘でしょ……」

「ミア姉??って、ちょっと!」


 身を起こしたルーイが手を伸ばすも間に合わず。

 ミアは急いで岩場を駆け下り、蝙蝠羽を拡げた。


 どうか間に合って、と、必死で祈りながら。

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