第29話 行き場のない子供達

(1)



『若い娘の血の味を覚えたら、飲まずにいられなくなる。だって、貴方はもうその味を知っているんですもの!』


 好き好んで飲んでいた訳じゃない。

 勝手に覚えさせられていただけ。


 何度となく心中で繰り返しても所詮言い訳に過ぎない。あの罪深く甘美な味をこの舌はなかなか忘れてくれない。










 ――遡ること、三年半前――






『……レイ、スタンレイ!』


 丸テーブルを挟んだ向かいの席からノーマンが強めに呼びかける。清潔なテーブルクロスを敷いた机上には三段ティースタンド、ティーポット……、このあたりでスタンは自らの現状を把握できた。

 今自分がいる場所はノーマンの私室。小太りの中年男性と柄の悪そうな成人男性の二人だけのアフタヌーンティーなど、傍から見たら余り美しくない絵面かもしれないが、目的は茶を飲む事ではなく諸々の報告の方だ。


『大変失礼しました、伯爵アール。少しだけボーッとしていました』

『顔色悪いよ??大丈夫かね??」

『大丈夫です。俺の顔色が悪いのは生まれ持ったものですし、問題ありません』

『本当にぃ??』

『はい。それより、ロザーナを精鋭にしたいという話の途中でしたね』


 尚も心配そうなノーマンを遮り、己の不調から直前まで話し合っていた内容へ会話を戻す。


『うん、そうそう!あの子、元から基礎体力充分あるし、体術、剣技の技術も高い。銃器の扱いも完璧だしねぇ。何より度胸がある!もうスタンレイの補佐がなくても一人で充分仕事こなせると思うんだよー、って、君は反対な訳ぇ??」

『いえ、反対とまでは思いません。ただ、彼女が住処に来てからまだ半年も経ってませんが』

『モノになり次第、即動いてもらう。この組織立ち上げた時からの僕の信条、君は一番分かってる筈だよねぇ??』

『……えぇ、もちろん』

『でなきゃ、彼女の親族黙らせるために色々となんかしないよねぇ??』


 ロザーナと初めて出会った日、『賞金稼ぎになりたい』と熱望する彼女に根負けし、渋々住処に連れ帰ったはいいが(案の定、ノーマンや仲間にからかわれまくって散々だった)、彼女の身元が判明すると(仲間同士の出自等の詮索はご法度だが、トラブルを未然に防ぐために住処へ引き入れた者の身元は本人には極秘で調査している)『うーん、厄介だねぇ。実に厄介な子を拾ってきたねぇ』と、ノーマンにちくりと刺されてしまった。


 何せ、庶子とはいえカナリッジ有数の旧家富豪の跡取り娘。おまけに男と駆け落ちした家出娘とくる。賞金稼ぎの資質に恵まれてなければ、即送り返しただろう。

 彼女を組織に留め置くためにノーマンは地位と財力を駆使し、彼女の家と祖国の知人貴族の次男スペアとを養子縁組させることで解決させた。ちなみにこの話を知るのはノーマンとスタンのみ。


 なぜ、諜報担当のアードラではなくスタンが知っているのか??


『根回しした分の見返りは充分元取れそうだし、むしろお釣りが返ってくるかもー??まっ、精鋭になる子は皆そうなんだけどねっ』

『でしょうね。ロザーナもですが、アードラもイェルクもカシャとラシャも、全員が他に行き場のない子供達。当然俺もですが』




 そう、地下室での惨劇の第一発見者がノーマンでなければ、今頃自分はどうなっていたことか。


 スタンの家系とノーマンの家系は隣領かつ爵位も同じく伯爵だったことから、代々家同士で交流があった。特にスタンの父とノーマンは親友同士だったらしく、父亡き後も彼と母を気にかけては休暇の度に様子を見にきてくれていた。

 正直な話、記憶がほとんどない実父よりノーマンの方が余程父親みたいに思えたものだ。


 あの惨劇の日もたまたま城へ訪問していたノーマンが、姿の見えないスタンを探してくれていた。

 鋏を握りしめたまま、呆然自失で母の躯にまたがっていたスタンを恐れも責めもせず、『間に合わなくてすまなかった』と静かに詫びるくらいだった。


 ノーマンはスタンの母が後天的な吸血鬼でスタンが混血だと知っていた。

 亡父は母が吸血鬼だと知りながら恋に落ち、結婚。妻が秘密裏に領民や使用人を狩ることも容認。そして、父亡き後、人間狩りが激化していったという。


『ここ数年、若い娘ばかりがどんどん姿を消していくんです。奥方様に訴えてはいますが、一向に解決しなくて』


 その時のノーマンの訪問も、スタン達の領地の民がノーマンに直談判したため、らしい。


 ショックの余り半ば廃人状態だった間に(期間ははっきり覚えていない。たぶん数ヶ月)、立場を利用して惨劇の全てを闇に葬り――、正気を取り戻した時にはノーマンと養子縁組しカナリッジに移住、この白亜の古城で暮らしていた。


 最初の『行き場のない子供』は何を隠そうスタン自身。

 類は友を、という訳ではないが、その後も様々な事情を抱えた子供達が城へと集まっていった。


 不具の元一等兵イェルク路上生活していた孤児アードラ、誘拐婚から命からがら逃げ出した少女ラシャ、妹を助けるため罪を犯し、妹と共に密入国した少年カシャ、家のために自らの存在を殺さねばならなかった少女ロザーナ


 ノーマンは常日頃『自分は慈善家じゃない』と言い切っているが、ある意味でこれは慈善事業なのではと思う。軍を退役後、安穏とした隠居暮らしを捨て、なぜ異国で危険と隣り合わせの組織など立ち上げたのか。本人曰く『何となくそうしたかっただけだよー』と言うばかりでまともな回答、もとい、真意は養子のスタンでさえ知り得ない。しつこく訊いたところで詮索禁止だと笑ってお茶を濁されるのが目に見えるだけ。


『君達は自分がより良く生きることだけ考えればいいんだよ??組織を抜けたくなったらいつでも辞めていいしー』


 他の者はともかく、少なくともスタンが『より良く生きられる』場所はここしかない。

 なぜなら――



『スタンレイ』

『……お話は理解しました。試しで一度、B級かC級の賞金首の捕縛でも任せてみますか。それが上手くいったら精鋭に昇格、独り立ちさせましょう』


 飲み残した紅茶もそのままに、もの言いたげなノーマンの視線から逃れるように席を立つ。

 話し合いは終了した。あとは独りで自室に籠りたい。


 寒い季節でもないのに手足の震えが止まらない。自然と長い廊下を歩く足取りも遅くなってくる。

 心臓の持病などないのに動悸がする。戦闘の時だってこんな激しい息切れなどしない。

 額から冷や汗がたらたら流れてくる。まずい。


 無性に血が飲みたい。

 ただの血じゃない、若い女の血が飲みたくて堪らない。

 それが駄目なら誰の血でもかまわない。


 時折、発作的に訪れる衝動。

 耐え切れずその場に立ち止まり――、服の袖を捲って自らの腕に噛みつく。

 鋭い牙が肌を食い破り、肉にまで達する。痛みで少しずつ理性が押し戻されていく。


 唯一の居場所までも失くしたくないんだ。


 衝動が収まり、腕から口を放す。噛み痕から一筋の血が掌、指先へと伝っていく。

 血の筋が流れる腕には無数の噛み痕が残されていた。


 落ち着きを取り戻し、再び歩きだそうとした時だった。


『あらぁ、スタンさんどうしたのー??』


 ようやく我に返ったばかりのせいか、不覚にも口から心臓が飛び出そうな程驚いてしまった。

 他人に背後を取られて気付けないなど不覚すぎる。驚き過ぎて叫ぶどころか声も出なかったのは幸か不幸か。無様なのは変わりないけれど。


 衝動を抑え込んだばかりなのに何て間が悪い。

 よりによって、彼が欲して止まなかった『若い娘』であるロザーナが現われるなんて。

 特にこの娘、無自覚に距離感が近すぎるきらいがあるので、訓練や仕事の時以外はなるべく冷たくして距離を置いているのに。彼女の方では恩人というだけで彼を慕っている節がある。

 今だって、互いの睫毛が触れ合いそうな程間近でスタンの顔を覗き込んでくる。


 勘弁してくれ。そんな風だから男に勘違いされるんだ。

 彼女の口から訊いた(訊かされた)駆け落ちの顛末だってそう。男の側に問題があったとはいえ、彼女にだって落ち度が全くないとは言い切れない、と思う。(いくらスタンを信頼していても、要点をかいつまんでいても、よく男である自分を相手に話せるな……、と)

 要は信じた人間を必要以上に信じ、距離を詰めすぎるのだ。同性ならまだしも異性の場合、多少なりとも警戒と猜疑心は必要なのに。


 スタンとて例外ではない。

 確かに性的な目で見ないと宣言したし、実際そんな目で彼女を見ていない――、が、別の意味での獲物ではある訳で。


『すごく気分悪そうよぉ、あたし、いい吐き気止め持ってる……』

『いらん、必要ない。部屋で休んでれば治るからほっといてくれ』



 さもなければ、お前の身が危ないぞ。


 喉まで出かかった言葉を飲み込む。

 極力触れないようロザーナを押しのけ、重い足取りで再び廊下を歩きだした。












(2)



 宵闇の空と同じ黒々とした波が浜辺に寄せては返すを繰り返している。

 岩礁にぶつかった波が飛沫を上げ、大きな波音が浜辺の静寂を乱す。


 人気のない筈の波打ち際。マリウスはたったひとり、波の動きを眺め、音に耳を澄ましていた。


『いつか海を見てみたいわ』


 幼き日、ロザリンドが無邪気に語っていた思い出に浸りつつ。

 ハイディの伝言はちゃんと伝わっただろうか、と気を揉みながら。


 避暑地で有名なこの海も多くの人で賑わうのは日没の時間まで。

 更にはこの時期はまだ海開きしていない。

 海以外何もない田舎の僻地、今ならマリウスの指名手配の情報は回り切っていない、筈。


「ねぇ、ロザリンド。早く僕に会いに来てよ。でないと、君の身代わりで他の女を殺し続けるから」



 いつだって君以外の女は、君を手に入れる為の糧でしかない。


 駆け落ち決行する以前、君以外の女を何人も抱いていたのだって経験を積みたかったから。

 いざ君を抱く時になって余裕がなかったら嫌だろう??

 容姿が優れているって本当に得だよね。頼まれなくても女の方から僕にすり寄ってきてくれるしね。


 なのに、どうして、君だけは僕を見てくれない??愛してくれない??


 他の女なんかいらない。僕が欲しいのはいつだって――



 昏い思考に飲み込まれるのは、闇の中、黒い海など眺めているせいだ。

 今夜は宿に戻った方がいいかもしれない。時間はまだいくらでもある。


 頭を振り、宿へと踵を返そうとした時だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る