第28話 忍び寄る影②

(1)


 地下にあるその酒場はアーチ型の低い天井で、昼間でもカンテラを灯さなければならない程暗かった。

 洞窟、もしくは塹壕を彷彿させる雰囲気に似つかわしく、客層も店員も訳有りな体の、柄の悪そうな者ばかり。左程広くないフロアには下卑た笑い声が響き、紫煙が充満している。

 今も店内にいるのは腕や脚が機械義肢だったり、顔や身体に大きな傷を負う壮年男性数人と――、黒い外套を羽織る若い娘が一人。


 ただの娘というだけなら、娼婦か家出娘の類かと特段注目を浴びたりはしなかっただろう。だが、その娘は太陽のごとく光り輝く金の巻毛、青緑ターコイズブルーの瞳はさながら快晴の空のよう。そして、何人たりとも近づくことを許されない、冴え冴えとした冷たい美貌の持ち主だった。

 客はおろか、店主でさえ声をかけるのを憚られるくらいには異彩を放っていた。


 ところが、誰もが近づくことができない、その娘が座る席の対面に何の躊躇いもなく腰を下ろした者がいた。彼は驚愕に震える周囲などまるで意に介さず、あろうことか頬杖までついてみせる。


「遅い」

「そう??あぁ、一分くらい遅れたかな」

「一分でも遅刻は遅刻よ」


 冷たく呼びかける娘に青年――、アードラはふっと鼻でせせら笑う。


「あぁ、それは悪かったね。今日は爺さんとメガネ君じゃないんだ。まぁ、別にどうでもいいけど。えっと」

「ハイディマリー」

「ハイディマリーさん、ね。じゃあ、これが今回の分」


 斜め掛けの鞄から数個分の血液パックを出すと、ドサッとテーブルに放る。

 机上の血液パックの山を目にしても、ハイディの褪めた表情は変わらない。


「ねぇ、こんなの血液パックじゃなくて、狩ってもいい人間の情報を教えてよ」

「そんな人間いる訳ないじゃん」


 ハイディの額に青筋が浮かぶ。アードラ以外の者は全員恐怖に駆られたが、当のアードラはくすりと笑って受け流す。


「って言うのは冗談で。人間を狩るんじゃなくて狩らずに血液を入手する方法に切り替えていくことにした、って、爺さんとメガネ君が言い出したんだよね、随分前に。知らずにに来たの??ご苦労さま」


『アードラ、お前、もうそのへんでやめておけ』と店内中から訴えるような視線を浴びれば浴びる程、目の前にいる仲間と同じ顔の少女を煽りたくなってしまう。

 ハイディは青白い顔を怒りで赤黒く染めながら、凄みのある目つきで黙ってアードラを睨んでいた、が――、急に表情を緩め、悩まし気にため息を吐きだした。

 余りに急激な変貌にさすがのアードラも警戒を強める。


「実は……、私が今日ここに来たのは貴方双頭の黒犬がたにお願いがあってのことなの」

「へえ、どんな??」

「私達の仲間で貴方達に捕縛して欲しい人がいるの。彼ってば、むやみやたらと若い娘を狩ってて、たぶん、そちらでもすでに賞金付きの指名手配が掛かっている筈よ」

「へぇー、もしかしてこいつのこと??」


 アードラは閉じ紐で丸めていた指名手配の紙を机上に広げる。

 金髪好青年の似顔絵に「あら、そっくり」とハイディは感嘆の声を上げた。


「今の反応だとこいつに間違いないね。で、こいつが次に出没しそうな場所の見当はついてる??」

「ええ、もちろん」


 ハイディはアードラの耳元に唇を寄せる。かすかに血の匂いが混じる吐息を不快に感じたが、顔に出さないよう努めた。

 ハイディの顔が離れると用が済んだとばかりに席を立ち、店を出て行く。



「にしても、本当に似てないんだなぁ、あの二人」



 一度だけ店を振り返ると、アードラはぽつりとこう漏らしたのだった。













(2)



 事件現場は店から徒歩5分程離れた場所、ミアとロザーナが店へ行くのに通った裏道だった。


 現場付近は近代的な建物群の影で薄暗く、道幅も狭い分人通りは少ない。表通りの雑踏、車の走行音で物音は掻き消されるし、物陰に引き摺り込めば凶行に及ぶなどいとも容易い。

 普段は静かであろう場所――、の筈が駆けつけた警察関係者が現場検証し、野次馬が集まり――、表通りよりもずっと騒がしくなっていた。


 通ってから一時間足らずで起きた惨劇。

 野次馬の群れの後方でロザーナ、スタンと肩を並べ、ミアも怖々と現場の様子を窺っていた。しかし、状況を確認しようにも大勢の後頭部が視界を阻む。小柄なミアでは何も見ることができない。

 スタンとロザーナも同じなのだろう。特にスタンはどうにかして現場を見ようと、何度も爪先立ちしては人と人の頭の間を覗き込んでいる。スタン程焦れてはいないが、ロザーナも何度も爪先立ちで前方を覗き込む。


 このままじゃ、ちっとも埒が明かない!


「ミア??」

「おい、どこへいくつもりだっ」


 思い立ったが即行動。

 呼び止めるスタンを無視し、野次馬の群れから離れて元来た道を駆け出す。二人が追いかけてきたらどうしようかと心配しつつ、建物と建物の間の物陰へ飛び込む。

 昼間とは思えぬ濃い影の中、蝙蝠羽根を拡げて上空まで飛び上がる。警察や野次馬に気付かれにくい高さまで飛翔すると、キィッ、キィッと何度か小さく鳴く。見開いた柘榴色の双眸が爛々と輝く。


 被害者は20代女性。首筋に二つの噛み痕。

 直接的な死因は吸血じゃなくて首の骨折による頚椎及び血管損傷。

 服の乱れが少ないし、抵抗した痕も特に残っていない。


 見ず知らずの他人に襲われた、というよりも……、知人、それも親しい関柄の人と一緒にいて突然襲われた、とか??

 もしかしたら、その……、考えただけで頬がカッカッと火照ったが、いらぬ邪推を抱いている場合じゃない。早く戻ってロザーナ達に伝えなきゃ。


「驚いた。ここまで能力に目覚めているなんて」


 背後から降ってきた声に、危うく悲鳴をあげそうになる。

 寸でで両手で口元を抑え、悲鳴を飲み込みながら素早く振り返る。


 ミアの二回り以上上背があり、立派な体格。体格に反し、爽やかな風貌の金髪碧眼の美青年が浮遊している。背中にはミアのものより、大きくごつい蝙蝠羽根。


「嫌だな。別に君を取って食うつもりなんてさらさらないよ。安心して」


 警戒心剥き出しで身構えるミアに青年はにこりと微笑む。

 蕩けそうな甘い笑顔に見惚れるどころか、不信感ばかりが募っていく。


「ロザリンドにね、伝えてほしいことがあるんだ」

「あなた、ロザーナの知り合い、なの??」

「何馴れ馴れしくあだ名なんかで呼んでるのかな。君、ちょっとずうずうしいよ」


 青年から笑顔が消え、声のトーンがいくらか下がる。

 なまじ整っているだけに背筋がぞくぞくしたが、怯えは禁物だ。


「まぁ、いいさ。あのね、今から僕が言う内容、一言一句違わず伝えておくれよ。いいね??」


 見ず知らずの、おそらくは今し方起きた殺人事件の犯人と思われる人物に、なぜ脅迫まがいの命令されてるのか。ミアを侮っているからだろうが、相手を侮るということはその分隙も多い。


「いいけど……」


 もじもじと煮え切らない態度、顔色を窺うように上目遣いで青年を見やる。さも落ち着かない、といった体で、掌を擦ったり袴キュロットのポケットに手を突っ込んだり。

 挙動不審な態度に青年は呆れたような、蔑むような目でミアを見下ろしてくる。


「そっ、じゃあ言うね。『君が賞金稼ぎなんて続ける限り、僕も人間の女を殺し続ける。僕には頼もしい協力者がいるし簡単に捕まることはない。これ以上僕に罪を犯させたくなければ、僕の元へ戻っておいで。今なら僕を捨てて逃げたこと、許してあげるよ??』」

「…………」

「ねぇ、ちゃんと聞いてた??」

「…………」

「返事は??ちゃんと聞いてたなら、復唱してくれる??」

「…………」

「ねぇ、君、馬鹿なの……」


 青年の麗しい顔が僅かに歪み、ミアへ詰め寄ってくる。

 肩を掴まれそうになる直前、手を突っ込んだままでいたポケットからかんしゃく玉を投げ放つ。


 蒼穹に激しい破裂音がこだまし、真っ白な閃光が頭上へ降り注ぐ。

 地上へ急降下するミアの後を、青年が追ってくる気配は全く感じられない。


 よかった、意表をつけて。


 地上の人々が上空を見上げる中、ミアだけはただひとり、俯いたままロザーナ達の元へ駆け出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る