第27話 忍び寄る影①
(1)
後処理を済ませ、屋外へ出るとまだ日は充分高かった。
銀行を始め郵便局や役所、電話局、新聞社等が集まるこの区画は建物も比較的新しく、歩道の敷石も表面の凹凸が少ないので歩きやすい。通りを歩く人々もスーツや制服を着用する者が多く、車や二輪車も走行している。
大立ち回りを演じた上にロザーナはともかくミアの容姿、服装はこの界隈では悪目立ちしてしまう。なので、二人はあえて建物が連なる通りから一本外れた裏道を通ることにした。
「あー、おなか空いたわぁ。どこか食べに行こっ!」
んー!と大きく伸びをし、屈託なく笑うロザーナはいつもと全く変わらない。
途切れ途切れだけど、視線をそこはかとなく感じるのはやはり自分だけ、だろうか。
「ね、どうしたの??なんか元気ないわねぇ。まさか、ケガしてたとか?!」
「あ、ううん!とくにケガなんてしてないよ??ちょっと疲れただけっ」
「そっかぁ、それならいいけどぉ」
浮かない顔をしていたせいでいらぬ心配をかけてしまった。
だいじょうぶ、だいじょうぶっ!と笑って取り繕えば、ロザーナの表情がパッと晴れる。
「それより、どこのお店に食べに行く??今の時間帯だと、この辺りのお店は大体準備中じゃないかな??」
「じゃーあ、疲れてるところ悪いんだけどぉ、ちょっと歩いてもいーい??」
「うん、それは全然かまわないよ??」
「ちょうど、あの店ってここからそんなに遠くないのよねぇ」
にっこにこと笑うロザーナに少しだけ嫌な予感を覚えたが、疲れと空腹から美味しいものが食べられれば何でも、どこでもいい、と思い、黙って後についていく。
15分程歩いた後、何度か通った覚えのある通りに出たところではたと気付く。
歩道が石畳から淡い桃色のタイルに変わっている。周囲の建物の外壁も歩道と似た薄桃色、薄紫、淡いクリーム色など可愛らしい色に溢れている。
この辺りは若い女性客を中心に人気のある、おしゃれなカフェが軒を並べているのだが――
「ねぇ、ロザーナ。もしかして」
「そ!
たしかに
常連相手の商売だからか、他のカフェと比べて客が少ない点でも気が楽だ。
ただし、
立て看板のメニュー表に目を通すロザーナの横で、硝子越しに店内の様子をチラっと盗み見る。
うーん、よりによって今日は非番だったのね、と、こっそり落胆しながら、扉を開ける。扉上部で呼び鈴がカランと揺れ、華やかで躍動感に溢れたピアノが流れてくる。
入ってすぐ目の前のカウンターの中では、左目に片眼鏡をかけた店主らしき中年男性がいらっしゃい、と穏やかに呼びかけてきた。
「銀行強盗捕縛したの、君たちだったんだね。疲れたでしょ、ちょうど他の客がはけたとこだしゆっくりしてきなよ」
「ふふ、ありがとぉ」
ロザーナと共にスチール製のパイプ椅子を引き、カウンター席に腰を下ろすとピアノの音が止んだ。
演奏が急に止まったせいか、反射的にカウンター席の後ろ側――、各テーブル席を越えて一段高い位置にあるグランドピアノを振り返ってしまう。すると、ピアノの影から訝しげに顔を覗かせた人物と思いっきり目が合った。
ミアと目が合うなり、その人物は露骨に眉を顰めてみせた。予想通りの反応過ぎて、最早怯えも傷つきもしない。
「スタン、ロザーナとミアちゃん来たし休憩入っていいよ」
店主に呼ばれるとスタンは重い腰を上げ、仕方なさそうに譜面を片付け始めた。
ここの店主は双頭の黒犬結成当時の元メンバー。精鋭外ではあったものの、賞金稼ぎとなってまだ間もないスタンが度々世話になったという。だからかノーマンの次に頭が上がらない、らしい。(アードラとラシャによる証言)
仕事や訓練のない日に、この店でピアノの出張演奏しにいくのもそういった理由によるものだとか。
スタンがピアノが弾けると初めて知った時、普段の彼の印象と余りにかけ離れすぎていてかなり面食らったものの、お手本みたいに完璧な発音の共通語といい、人の三倍は高いであろう気位といい、よくよく、よくよーく見れば品のある顔立ちといい、実は上流家庭出身なのが窺い知れる、気もしないではない。
過去や出自の詮索はご法度だし、何より怖いのでわざわざ訊いたりしないけれど。
まぁ、怖いしキツいけど、悪い人ではないのよね。
『ロザーナの足手まといになってもらっては困るから』って、肩の怪我が完治してすぐに蹴り技教えてくれたし。予想通りのスパルタ振りに文字通り血反吐吐いたけど、今日の標的捕縛に役立ったし。
でも、いざスタンがカウンターに近づいてくると条件反射で肩に力が入ってしまう。
当然のようにロザーナの隣に座った彼に何をどう言われてもいいように、と、ミアはひそかに覚悟を決めていた。
(2)
「ミアが頑張ってくれたし余裕で全員捕縛できたわ。スタンさんが特訓してくれたお蔭よねぇ」
「当然だ。成果を発揮してくれなきゃ、小娘にかけた俺の時間が無駄になる」
「もうっ、またそういう言い方するぅー!」
頬を膨らませるロザーナから、スタンは腕組みしながらぷいっとそっぽを向く。
ミアは黙って右から左へと聞き流す。うん、ダメだしよりははるかにマシだもんね。
「まぁまぁ、そうキツイことばっか言いなさんな」
「事実を言ってるまでだ」
「まったく、子供の頃は礼儀正しくてかわいかったのに……」
「昔の話はしないでくれ」
宥めにかかる店主までスタンは鈍色の前髪の下からぎろりと睨みつける。
当の店主は気を悪くするどころか、はいはい、オレが悪かったよ、と肩を竦める。
「そんなんだと女の子にモテないぞー。お前さん、顔自体は悪くないんだから。ちったぁアードラの外面の良さを見習ったらどうだい」
「クソ程どうでもいい。あと、あいつは見た目優男だが口は俺以上に悪いからな??」
「アードラの場合黙ってりゃいいけど、お前さんは黙ってても柄が悪く見える。ほら、おまちどーさま!」
まだ言い返そうとするスタンを遮り、店主は三人分の食事を順番に席に並べる。
小瓶に入ったつぶつぶ苺のジャムとクロテッドクリーム、紅茶味のスコーンの皿がスタン、潰したゆで卵と細かく刻んだキュウリのホットサンドウィッチの皿がロザーナ、ツナと刻んだキュウリ、玉ねぎのホットサンドウィッチの皿がミアの分だ。ちなみにロザーナの卵サンドはミアのツナサンドより二切れ、つまりトースト一枚分多い。
焼き立てパンの香ばしい匂いにつられ、手づかみで一口かぶりつく。
玉ねぎの甘みとキュウリの瑞々しさがツナの生臭さを消し、さっぱりとした味わいが口の中いっぱいに拡がった。空腹も手伝い、あっという間に一切れ完食、二切れ、三切れとどんどん手が伸びる。ロザーナも至福の表情で卵サンドを平らげていく。
がっつく女子二人とは違い、スタンは均等に二つに割った紅茶スコーンへジャムとクロテッドクリームを薄く塗り、落ち着いた様子で食べている。その一連の動作がマナー教師みたいに完璧で、『クソ』とか散々悪態吐いていた人物には到底見えなかった。
「そう言えば、少し気になってたんだが」
三人が食べ終わるのを見計らったかのように、カップの底に残っていた紅茶を飲み干すとスタンが話を切り出した。
「お前達、何者かに
「…………」
「尾けられていたんだな」
黙って微笑むだけのロザーナを通り越し、スタンはミアに問い詰めてきた。
シラを切るべきか、否か。でも、スタン相手にシラを切り通すなどミアには不可能に近い。否、不可能だろう。ロザーナの反応を横目で窺うが、依然微笑みを保ち続けていて何の感情も読み取ることができない。
こういう時のロザーナは何を考えているのか皆目見当つかず、少し、怖い。
どうしたものかと迷い、口を噤む。スタンの目つきが益々険しくなった気がするが、ミアだって答えられるものならとっくに即答している。
「ロザーナ。こいつに気づけてお前が気づかない訳はない筈だ。今でこそ気配は消えたが、さっきまで痛いくらい不審な視線を感じていたんだが」
二人から視線を逸らし、あちこち泳がせているとスタンはロザーナを問い詰め始めた。次の瞬間、ロザーナから笑顔がすぅっと消え失せる。
滅多に見せない褪めた顔に背筋が凍りつく。スタンも一瞬怯みかけるが、尚も問い詰めようと口を開き――
「気づかずやり過ごす方が刺激せずに済むかと思ったの」
表情と同じく醒めた口調で、ロザーナは小さく吐き捨てた。
「ということは心当たりがあるんだな??」
「あくまで勘だけど。もし、
「あの人??」
ミアが尋ねた直後、外で警察車両のサイレンが鳴り響いてきた。
「ちょっと外の様子見てくる」
三人の重たい空気を察してか、本当に外の様子が気になったのか。もしくはその両方か――、店主は三人を残して外へ飛び出していく。
その背中を見送りながら、「あたし自身が蒔いた種かもしれないことにミアを巻き込みたくなかったの」と温くなったミルクティーを見つめながら、ロザーナはぽつりと呟く。
「もしかして、視線の正体は例の男……、なのか??」
「わからないけど……」
スタンの目尻が更に跳ね上がる。ミアは話について行けず何度も二人を見比べた。
「そっか、ミアにはまだ話してなかったわねぇ」
「無理に話す必要はな……」
「でも、ミアだけ蚊帳の外にする訳にはいかないでしょぉ??」
「しかし……」
『言う言わない』で押し問答を続ける二人にミアは口を挟む隙すらない。
ただ、今からロザーナが話そうとしている内容は彼女にとって言い辛く、なるべくなら話したくないことかもしれない。だったら無理して話さなくても……、あ、でも、あの視線と関係あるかもしれないのなら……、と、ミアまで葛藤する羽目に陥った。
だが、この気まずい空気は間もなく吹き飛ぶことになった。
叩きつけるような音で乱暴に店の扉が開き、ベルがカランカラン、カランと壊れる勢いで激しく揺れる。
店主が血相を変えて店内に戻ってきたからだ。
「よく聞け、お前さん達。白昼堂々、近くの通りで殺人が起きた。今巷を騒がせている吸血鬼の連続通り魔かもしれない」
吸血鬼の、という言葉が胸に突き刺さったが、気づかない振りで店主の言葉の続きに耳を傾ける。
「そいつは若い女ばかり五人殺している。今回も同じ奴ならそろそろ賞金を懸けられる頃合いだろう。近々お前さん達の出番となるかもしれないし、一応現場確認しに行くかい??」
店主の問いかけに、三人は示し合わせたかのように同じタイミングで大きく頷いた。
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