第23話 理由は後からついてくる③
(1)
夜空を駆ける少女達の内、髪の長い方を一目見るなり、彼の鼓動は大きく弾んだ。
人工的な漆黒の髪といい、行き過ぎたお転婆振りといい、思うところは多々あるが、些末事等どうでもいい。
あぁ、やっと見つけたよ。僕の愛する月の天使。
未だに強く勇ましい振りを続けているとは哀れでいじらしくて――、なんて愛おしい……!
愛しているよ、ロザリンド。
生涯の愛を誓った時からずっと、ずっと。
いいや、君が幼い頃から僕は心より君を愛してるんだ。君だって知ってるだろう??
知ってるも何も君だって僕と同じ気持ちだったんだろう??
でなきゃ、僕と駆け落ちなんてしなかっただろう??
なのに、なぜ、なぜ――
君は僕を置いて逃げた??
愛し愛され、大切にされることに慣れなくて、怖くなったのかな??
当時君は十四歳、成人前だったしね。
でもね、僕は君を『お姫様』にしてあげられる、唯一の男だよ??
そこは理解していて欲しかったのに。
四年後の、今の君なら、絶対理解してくれるよね??
男は野次馬に紛れて空を、厳密にはロザーナを見上げていたが、やがと明るい表通りから街燈の光すら届かない閑散とした裏通りへ回った。
ほとんどの建物の窓や扉には『閉店』の札、もしくは封鎖の板が立てつけられ、人ひとり見当たらない。
男は適当な建物の影に身を隠し、上等な上着を脱ぐ。
脱いだ上着を腕に持つ間に、逆三角の逞しい背中からワイシャツを突き破って蝙蝠羽根が出現した。
そして、観衆や賞金稼ぎ達の目を掻い潜るように低空飛行しながら、ある場所へ向かって飛び去って行った。
(2)
初めて美味しそうだと思った血の匂いが、まさか自分のだとは。
私はつくづく『規格外』な存在なのね。
だけど他人の血を欲しがるよりは比べ物にならないくらいマシ。
人間の血を、あんな惨い姿に変えてまで求めるなんて私にはできない。したくもない。
いつだったか、何のために血のテイスティングなどのお遊びをするのか、祖父に尋ねたことがある。
城内で暮らす一族全員分となると、最低でも三人分以上の血液が必要。一度にそれだけの数の人間を集めても問題にならないのか、と。
『我々が狭い条件下で狩りを行うのは人間と我々の世界との均衡、線引きを保つため。だが、不満を持つ者も少なからず出てくるゆえに、時折趣向を凝らした遊びを行うに過ぎない。人間側からも見放された者を厳正な判断で選ぶので何も問題ない』
あの頃はまだ幼く、今より考える力が足りてなかった。(いや、今でも大してないけれど)
仮にあったとしても、性格的に自分の主義主張を口になどできなかっただろう。
どうして、身体の成長に必要な分だけの、ほんの少しの血を、吸血以外の方法でお裾分けしてもらうだけじゃダメなの??
人間側からも見放された者にだって心や意思がある。餌にしていいだなんて、人間にしろ吸血鬼にしろ第三者が決めていいことじゃない。
そう、この間の標的だって――、路上や下水生活者、自分の店の人間なら別に何しても構わない、と、拘留先でのたまっているとか。
一族から追放されて三年、ようやく分かってきた。
二つの世界の均衡と線引きは昏い犠牲の上で成り立っている。
また、ここ数年で昏い犠牲は増加の一途を辿っている、気がする。
己に流れる血は絶対否定できないけど、私は人間が好き。
だから吸血鬼の力を使って人を守る。
どちらも憎み合わないようにするために。
「……そっかぁ、私、そうすればいいんだぁ……」
「んー??何か言ったぁ??」
額に頬に、柔らかな毛先が触れる。
くすぐったくてほんの少し背けた顔の先に、黒のリブ編みニットから突き出た豊かな双丘が。
ベッドに横たわるミアをロザーナが覗き込んでいたのだ。
「わっ、あ、あぶない?!」
「え、なにが??」
「えっと、わっ、その、いったぁっ!!」
「ちょっとー、大丈夫ぅ??」
危うく胸に埋もれそうになり、慌てて正面を向いた拍子に傷が痛む。
別に同性同士だし埋もれてもいいのだろうけど、スタンに知られたら色々面倒そうだ。
当のロザーナは、包帯越しに傷を押さえて悶絶するミアの寝姿をなぜか満面の笑みで見守っている。
「ミアが叫べるまで元気になってよかったわっ!」
「う、うん……」
「あ、起きる??起き上がるの手伝うねぇ」
「ありがとう……」
ロザーナに背中を支えられながら、ゆっくりとベッドから起き上がる。
天井ばかりを見つめていた目に、常設された机、医療器具、本棚、奥には作業部屋が順に映し出された。
「ね、ミア、おなか空いてない??」
「うーん、空いてるような空いてないような」
医務室に運び込まれて四日。
初日は意識混濁状態だったし、意識が戻った一昨日昨日も水以外まともに口にする気になれなかった。
今も正直、食欲は余りないが、そろそろ何か食べないといけないだろう。
「実はね、たぶん、あんまり食欲ないだろうなぁって思ったから……」
そう言ってロザーナは、水差しと共にサイドテーブルに置いてあった木皿をミアへ差し出す。
「じゃーん!!ミアの好物のクランベリーよっ!街へ下りたら量り売りしてたのぉ」
つやつやと輝く、小さく丸い、一口大の真っ赤な実。
同じ赤でも深紅、朱、薄赤と粒ごとに色見が微妙に違う、木皿いっぱいのクランベリーの実に自然と喉が鳴る。急激に空腹を訴え始めるお腹の現金さに呆れながら、赤い山の一角にそっと指先を伸ばす。
ひとつ口に含めば、ふたつ、みっつと止まらない。
「んっ、すっぱ!でも、おいしい……」
「おぉ、食べられるようになってきたか!それはよかった!!」
豪快に扉が開き、扉の音以上に豪快なイェルクの声が室内に響く。
「だが、果物は消化がよくないから程々にだぞ??」
「は、はいっ」
「余ったらジュースにしても乾燥させて砂糖につけても、ジャムにしてもいいわよねぇ」
「そんなに沢山あるのか?!いったいどれだけ買ってきた……」
「えーっとぉ、40㎏??」
「「買い過ぎ!!」」
イェルクと声が同時に重なるも、ミアの声はかき消された。その上、自らの大声が傷に障り再び悶絶する羽目に。
「あ、やっぱりぃ??買い出しに付き合ってくれたスタンさんとカシャさんとラシャさんにも止められたけど」
「また絶妙な人選だな!」
「買い出しに付き合ってくれたスタンさんがね、今のミアが食べられそうな物ないか、一緒に探してくれてねぇ。カシャさんとラシャさんとは途中でばったり会ったの。あ、そうそう!果物の量り売りのお店教えてくれたのはアードラさんだったわ!『教えるだけならタダだから』って、すぐどこかへ行っちゃったけどぉ」
「アードラが?!明日は雨が降るかもしれん」
会話を続ける二人を横に、左肩を抑えて蹲るミアはなかなか治まらない痛みに涙目だ。
しかし、涙目になっているのは何も痛みのせいだけでもなかった。
私、もっと頑張る。頑張るから。
人を守るために頑張るから。
家族みたいなこの場所に、ずっといられるように頑張るから。
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