第22話 理由は後からついてくる②

(1)


「イライラするなぁ、あの標的」


 空挺の窓に銃身を固定させ、スコープを覗きながらひとりごちる。

 アードラの名の通り、彼の狙撃の腕は精鋭の中でも群を抜く。(スタンには及ばないものの)本物の鷲と違い夜目が利くし、今夜は満月だ。地上に拡がるホルンの街並み、一晩中ギラギラと灯りが点るのも視界を明るくさせてくれる。

 にも拘わらず、今夜の標的の下手くそな飛行、もとい、予測不能な動きに対し、思いのほか苦戦を強いられていた。


 飛行の高度がやたらと激しく上下するのは全然構わない。有効射程範囲は保てているし。

 なんていうか、そう、あれは死にかけの蚊の動きに近い。

 緩慢かつ鈍い動きなのに、ちっとも叩き殺せず苛立ちを募らせる、厄介さときたら!


『ミアは必ず戻るから!戻ってくるまでの間だけでいいのっ!空挺から標的を威嚇して逃走食い止めてっ、お願いっっ!!』


 件の店、ハービストゥの前に着陸させ、空挺から降りた直後、屋外に出た人々ほぼ全員が空を見上げているのに気付く。

 どうやら今回の標的、本当に吸血鬼だったらしい。自らの蝙蝠羽根で飛行し逃走を図る標的をミアが追撃している。

 派手に立ち回ってるなぁ、と、感心半分呆れ半分で傍観していると、銃声と悲鳴、激しい物音が空中に響く。


「あ、やられた??」


 カシャとスタン、どちらかに加勢しようと思っていたけれど。あのままじゃ標的を取り逃がしてしまう。


 降りたばかりの空挺に再び乗り込もうとして、「待って!」「待て」と、アードラを引き止める男女の声――、スタンとロザーナの声が背中越しに重なった。


「二人とも何??何なの??」

「操縦は俺がやる」

「まぁ、そうしてくれるならありがたいけどさ。あんた、地下はどうしたの……」

「地下に潜伏していた店の関係者は一人を除き全員捕縛、まとめて拘束しておいた」

「約一名は何で捕縛しなかった訳。まさか」

「言っておくが、取り逃がした訳じゃない。そいつだけ始末したってだけだ」

「あー、そういうこと。へえ、スタンにしちゃ珍しい」


 ロザーナがもの言いたげにスタンの横顔を盗み見た。彼もまた、視線に応えるように横目で彼女をチラと見返す。

 こんな時まで……と呆れるも、状況を考え黙って見ない振りを決め込む。


「それから、地下の別の部屋、というか倉庫か牢獄に近い場所には誘拐されていたらしき女が数人、監禁されていた。標的が別の吸血鬼どもと結託し、オークションまがいの方法で女達を売買していたみたいだ。女達の救出はラシャに任せてある。だいぶ怯えきって弱っていたし、こういうのは男より同じ女の方が安心するだろうと思ってな」

「ふーん、ま、それでいいんじゃない??」

「アードラさん!」


 スタンが長い言葉を速く淀みなく言い切ると、ロザーナが切迫した様子で割り込んできた。

 そして、言われたのが先程の、『ミアが戻るまで……』云々の言葉だった。


「だけどさぁ、本当に戻ってくるのかなぁ??」


 不安定な飛行を続ける標的の横を通りすぎ様、トリガーを引く。


 今回の仕事は生け捕りが絶対条件ゆえに決して命中させてはならない。かと言って、全くの的外れでは威嚇の意味がなくなる。加えて、不安定に揺れる空挺からの狙撃。

 スタンの操縦に定評あるとはいえ、相当に難易度の高い狙撃は心身共に負担が大きい。

 気の短い質ではないが、いっそのこと一発で頭をぶち抜きたい衝動がつい生じてしまう。


 無意識に奥歯をぎりぎり噛みしめそうになる。歯が悪くなるから我慢するけれど。


「アードラ!」

「あぁ、やっっっ、と来たみたいだね」


 操縦席からのスタンの呼びかけに心底ホッとする。これで多少は肩の荷が下りる。


「まだ引っ込むなよ」

「はいはい、わかってるわかってる」


 投げやりな返事をしつつ、気をしっかり引き締める。それが伝わったのか、咎めるどころじゃないのか、スタンは特に何も言わなかった。もしかしたら、彼も彼女達が来て内心安堵しているのかも。


「さーて、標的サン。ここからが本番だよ」





(2)


 左肩に巻いた包帯がじわじわと朱に染まっていく。

 朱が拡がるごとに痛みも増していく。ホルターネックのタンクトップまで滲みだすのも時間の問題か。

 頭痛に眩暈。目もかすむ。眠気も押し寄せてくる。


「……はわっ?!」

「あぁ、びっくりぃー」


 眠気に気を取られた一瞬、羽根の動きが止まり、高度がガクンッ!と下がった。

 慌てて羽根を動かすミアに対し、ロザーナは本当に驚いたのかが謎な程、のほほんとした声を上げる。

 ミアをおんぶしているというのに随分と余裕だ。


「あ、いたいたっ!ミア、ほら、あそこよぉ、あそこっ!」


 ロザーナが指を差した前方に空挺と――、追い回される標的がいる。

 相変わらず不安定な飛行を続ける姿に、茫洋とする頭と視界はクリアに、痛みと自らの血の臭いも忘れて銃を構える。


「あ……」


 定めた照準がぐらぐら激しく揺れる。ダメ、腕に力が入らない。手ぶれが酷い。

 一度目の追撃の時より、明らかに標的の動きは鈍ってるのに。自分の動きも鈍っているなんて。


「え」


 手振れが急に治まった。代わりに、グリップを握り込む両掌に強い力と体温を感じ取る。

 思わず、銃身ごとミアの手を握るロザーナの右手を凝視した。


「ごめんねぇ、さすがに片手でおんぶし続けるの、ちょーっときっついから、今すぐ撃って欲しいかも??あ、耳栓はしてるし音は気にしないでぇ」

「う、うん」

「大丈夫!ミアならできるっ」


 自分と同じく標的も疲弊している筈。そんな状態でもう一度このペイント弾を顔面に浴びせたら。


 地上をササッと見下ろす。ちょうど建物が密集している場所だ。

 運悪く建物から外れた場所に落下しても、急降下すれば受け止められなくもない。


「ロザーナ」

「うん」

「標的の落下地点によっては急降下するけど」

「うん」

「その……、絶対、振り落とされないで、ね??」

「あは、りょーかいっ」


 グリップを握る両掌に力が籠る。ロザーナの手にも力が加わる。

 折よく標的がこちらを振り向いた。今だ。いけ!


 星輝く夜空に何度目かの銃声が鳴り渡る。一発、二発、三発。

 儚く美しい星々が逃げ出しそうな汚い悲鳴と共に、標的は落ちていく。


 彼の落下よりもずっと速く勢い良く、落下予想地点の屋根に降り立てば案の定、ほぼ気絶状態で落ちてきた。微妙に屋根から外れそうだったので身を乗り出し、ロザーナと一緒に受け止める。


「わぁ、やだぁ!くっさぁいっ!」

「……ロザーナ……」


 ぷんぷん漂うカメムシ臭に耐え切れず、ロザーナは受け止めると同時に叩きつけるように標的を屋根へ放り出す。運悪く頭をごんと強く打ったらしく、標的の意識は完全に途絶えた。

 それを確認した途端、急激に気が抜け、その場にへたり込む。


「ラシャさーん!今回の標的、捕縛成功したわよぉー!!」


 ロザーナは再び屋根から身を乗り出し、階下にいるであろうラシャへ大声で呼びかける。

 その声をどこか遠くに感じながら、ミアの意識も徐々に遠のいていく。





 あ、ダメダメ。今ここで気を失っちゃ、だめ。

 せめて住処に帰還するまでは。ううん、せめて空挺に乗り込むまでは。


 ほら、またロザーナに心配かけちゃう。今だって、すっごく必死に呼びかけてる。

 ほら、自力で起きるの立つの。ロザーナだって疲れてるんだよ??抱えられてる場合じゃないでしょ??


 ほら、目を開けて。空挺はすぐそこなんだから!起きて、歩かなきゃ。


 目開けて、起きて、歩かなきゃ……。自分で……。






(3)


 ハービストゥから避難させた客達の他、大勢の野次馬が、着陸した空挺の周囲に集まっていた。

 常に絶えることのない話し声、旋回するプロペラの音で騒然とする中、乗降口から降りてきたスタンにロザーナは急いで駆け寄っていく。


「スタンさん!」

「あぁ、わかってる」


 様々な騒音に掻き消されないよう声を張り上げれば、スタンは神妙に頷く。

 ロザーナの腕の中、ミアはガタガタと身を震わせている。種族柄青白い顔が、更に白さを増していた。


「大至急、イェルクの元まで送り届ける」

「お願いっ!!」


 自身が着ていたモッズコートで包んだミアをスタンの腕に預ける。

 だが、ほんの一瞬だけ眉を寄せるの見てしまった。薄青キトゥンブルーの双眸を不安げに見つめれば、「この程度の臭い血の匂いなら耐えられる」と苦笑されてしまう。


 我ながら余裕がなかったとはいえ、失礼だったかもしれない。謝罪を口にしかけたが、察したスタンは頭を振る。


「ミアの容態考えておしゃべりはこの辺でやめようか」

「そうね、そうよね……」


 ミアを抱えて空挺に乗り込むスタンの背中を、乗降口の扉が閉まり、離陸し始めた空挺を。


 最終的には空挺の姿が見えなくなるまで、ロザーナはひとり静かに見送っていた。

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