第21話 未熟者

(1)


 一度目の爆発直後、男は飛び上がって天蓋のレールにぶら下がった。ベッドが大きく弾み、ミイラ化死体が床に転がり落ちていく。そこそこ大きな音がしたが、廊下の壁や階段が崩落する音で掻き消されていく。


 レールにぶら下がったまま天井を、というより、直に取り付けたレールに囲まれた箇所を見据える。

 そこは開閉できるよう作られている。万が一に備え、屋外へ逃走する為に。


 振り子のように身体を揺らして助走をつけ、例の箇所を蹴り上げる。

 その時発生した音が気になったが、折よく二度目の爆発音と重なった。

 頭上にできた真四角の空洞。そこへ向かってもう一度助走をつけ、飛び移る。


 半分だけとはいえ、己に吸血鬼の血が流れるがゆえ持ち合わせた身体能力。

 これもまた、が教えてくれなければ知らなかったこと。


 この階の侵入者どもは、声から察するに全員が若い女――、思わず、じゅるり、舌なめずりする。

 非常事態でなければ全員の血を啜りたい。空洞から屋根裏へ入り込み、先程蹴り上げた空洞を元通りに閉ざしながら残念に思う。


 掟では病気持ちや罪人などの理由がない限り、若い女の血を吸ってはいけないらしい。

 だが、やはり一番美味いのは若く健康的な女の血。


『人間は美味しいモノを沢山食べられるのに、私達は滅多に口にしちゃいけないの。狡いと思わない??私達ばかり我慢させられるなんて。ねぇ、貴方もそう思うでしょう??』


 えぇ、思いますとも!

 だから己の立場を利用し、移民の路上生活者や自分の店の使えない女の血を頂くのだ。

『狡い』と睨まれてはまずいので彼女にも時々献上するし、他の同族にも店の地下でオークションめいたやり方で餌を与えてやっている。

 隣町の刑務官が己と同じく混血で苦労しながら血を摂取していると訊き、地下から店へ来れるよう密かに手配もしてやった。


 美味い物を好きなだけ食べて何が悪い。

 社会の底辺しか狙っていないのだ。見て見ぬ振りしてくれればいいじゃないか。


 狭い屋根裏で音を立てないよう、屋根の一部を取り外す。屋外へ這い出て、屋根の上を伝い歩く。

 正直、飛行にはまだ慣れていないが、悠長なことを抜かしている場合じゃない。

 羽根を拡げようと背広を脱ぎ捨て、その場に立ち止まった時だった。


 発射された擲弾は紙一重で避けられた。

 しかし、かんしゃく玉まで放たれることまでは想定できなかった。

 閃光でまともに目が見えず、無駄にふらふらするばかりで身動きできない。その間に小さな影が勢い勇んで迫り来る気配を感じていた。





(2)


 標的を見つけるなり、ミアは浮遊しながら安全装置を外し、トリガーを引いた。

 楽器のラッパに似た広い銃口から発射された弾は男の左肩を掠めたのみ。とても命中したとは言い難い――、が。

 人工的な赤色が白いシャツに付着すると、男は、うっ……!と小さく呻く。左肩から徐に顔を背ける辺り、やはり効果はあるようだ。


 二発目は左鎖骨ら辺に命中。顔に近い位置を撃たれ、を間近に浴びた男はうおぇええっ……、とえずき、噎せながら後ずさる。


「……おいっ!弾に何を仕込んだっ?!げっほぉっ、うおぇっ」

「なにって……、すり潰したカメムシ??」

「ふざけるなぁああ!!ぶっ!うげぇえええっ!!」


 偶然にも三発目のペイント弾は顔面に命中。目に鼻に口に、カメムシ汁が染み渡っていく。

 顔中を人工的な赤に染め、カメムシ臭を漂わせた男はもんどりうって屋根に転がった。


 臭いが移りそうで嫌だけど、ラシャが空けた穴へ蹴り落として三人で捕縛しよう。


 バサッと大きく蝙蝠羽根をしならせ、屋根へ舞い降りる。しかし、ミアの着地と同時に、男の背中から蝙蝠羽根が出現し、屋根から飛び立った。


「なっ……、待っ!」


 待ってくれる筈などない。

 すぐにミアも飛び立ち、男の後を追う。


 男は飛行に慣れていないらしい。

 速度は問題ないが、不安定に蛇行し真っ直ぐに飛べない。高度の上下も激しく、飛行が下手だと却って追撃が難しい、ような気がする。お蔭で四発目が撃てない。撃てたとしても確実に外す自信がある。


「え」


 また高度が下がった。最早建物にぶつかりそうな高さで飛ぶなんて。

 当然、ハービストゥや他の店から屋外に避難してきた人々の目に晒され、吸血鬼同士の空の追いかけっこは注目を浴びる。好奇や恐怖など決して好意的ではない視線。ミアの心は僅かばかり削られ、動きが固くなっていく。


 ダメダメ!今は標的を追うのに集中しなきゃ!

 弱気に飲み込まれそうな己を叱咤していると、男の高度が急にぐんと高くなる。

 慌ててミアも同じ高さまで飛翔する――


 ズドォオンン!!


「きゃああぁっ!!!!」


 追いついた瞬間、男はぐるんと振り向き、ミアに発砲した。

 飛行は下手くそなのに、不安定に浮遊しながらの銃撃は上手いなんて!!


 咄嗟に急所を避けたが、ホルターネックから剥き出しの肩を撃ち抜かれた。

 撃たれた反動でバランスを崩し、近くの屋根へ落下、そのまま建物の間へ転がり落ちていく。

 直に地上に叩きつけられるよりははるかに運がいい、いいけれど――


「うっ……」


 最終的にダストボックスゴミ箱に落下、いくつかのゴミ袋に埋もれながら、ミアの意識は今にも飛びそうになっている。



 私、なんで、こうなんだろ。

 あの実戦想定訓練の時からなんにも、なーんにも変わってない。


 ひとつ何かできたとしても、それはできて当然のことであって全然足りないんだ。

 周りに追いつきたいだけなのに。ちゃんと肩を並べて戦いたいのに――






『ミアならできるわよぉ』




 なんだろう、近くでロザーナの声がする。

 申し訳ない気持ちでいっぱいすぎて聴こえてきた幻聴??


「違うよぉ??」

「……いっ?!」

「ごめんねぇ、撃たれたとこ抉って弾を出すから、ちょーっとだけ我慢してぇ。ね??」


 ミアはいつの間にか地面に寝かされ、舌を噛まないよう口に布を突っ込まれていた。

 なんでロザーナが、と思う間もなく、鋭利な何かで撃たれた箇所を抉られ、くぐもった悲鳴を上げる。

 だが、辛く苦しい時間は思ったより早く終わり、傷の処置も手早く終わった。

 物理的な痛みから解放され、ホッとしたのも束の間。


「うん!応急処置も終わったし、さっ、起きて!」

「……へっ??」

「アードラさんが空挺で標的を足止めしてくれてるから。捕縛しに行くなら今の内よぉ??」


 おそるおそる目を開ければ、横たわるミアをロザーナが覗き込んでいた。

 菫の双眸は酷く真剣で、いつもの柔らかい笑みは消えている。


「起き上がるのはゆっくり、ゆーっくり、ね??でも、起きたら、あとは迅速に動いて」

「…………」

「捕縛すると決めた以上、ミアがちゃんと捕まえるの」


 茫洋としていた柘榴の瞳がカッと見開き、弾かれたように飛び起きる。


「~~っ!!」

「ああぁぁ、起きる時はゆっくりね、って言ったじゃなぁいっ!」


 傷口を包帯の上から押さえ、前かがみで呻くミアの背をロザーナは慌てて擦った。

 剥き出しの背中に感じる掌の温かさにホッとしながら、ゆっくり立ち上がる。


「……ごめん、ロザーナ。ありがとう」

 ロザーナは無言で頭を振り、にこりと笑う。

 ようやく見せた笑顔に応えるべく、ミアも微かに口元を緩めてみせる。

「じゃあ、行ってくるね」

「待って、私も行く」


 駆け去ろうとして腕を掴まれ、驚いて振り向くとロザーナはさっきよりも笑みを深めて、言った。


「あくまで捕まえるのはミアだけど、あたしも協力するっ!」

「で、でも……」

「ミア、ひとりでできなきゃ未熟って思ってるでしょお??」

「うっ……」

「誰もそんな風には思わないから。むしろ、ひとりで突っ走って標的取り逃がす方が未熟者のやることっ」

「み、耳がいたい……」

「……なーんて、あたしもハイディ取り逃がしたにっがーい経験あるからぁ、あんまり言えないんだけどぉ」


 自らの失敗を思い出して苦笑を漏らすと、ロザーナはミアの怪我してない方の肩をポンと叩く。


「さっ、おしゃべりはこの辺にしてぇ、行こっ??」

「うんっ」


 揃って夜空を見上げた後、この会話を最後に二人は建物の陰から通りへ駆け出した。

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