第19話 ようこそ阿鼻叫喚の世界へ②

(1)


「はぁーい、紳士淑女のみなさーん!こんばんはぁっ」


 甲高い少女の声が一階フロア中に反響した。

 賑やかな話し声もバンドの生演奏をも掻き消す大声。人々は一斉に、声の方向――、フロア一帯、受付カウンター、最後に玄関扉へ注目する。


 そこには、ちょうど回転扉を潜ってきた半袖の黒いコーリャン風衣装を纏う少女がいた。剥きだしの腕には双頭の黒犬シュバルツハウンドの刺青――、そう、ラシャだ。ラシャの後ろには、彼女より二回り近く上背のある、左目の下に大きな傷を持つ青年、こちらは灰色のコーリャン風衣装、右腕に例の刺青――、が続く。

 小栗鼠のように溌剌としたラシャと違い、朴訥として厳つい風貌だが、同じ鳶色の目、髪から彼が彼女の兄カシャだと見て取れる。


 客達は状況が飲み込めず、ジャズバンドの演奏も中断され。数瞬、フロアに沈黙が落ちる。

 フロア中の注目などまったく意に介さず、兄妹はそれぞれ腕に抱える、玄関前にいたガードマンたちをフロアへ投げこむ。すでに気絶している彼らは床に落ちても目を覚まさない。


 ここで初めて悲鳴と怒号が湧き起こり、混乱と喧騒がフロア中を満たす。

 パニック状態の客達を押しのけ、時に突き飛ばしながら、フロアの奥から強面の黒スーツ――、店の用心棒たちが飛び出してくる。


「ラシャ、お前は四階まで一気に駆け上がれ」

「わかった!!」


 逃げ惑い、泣き喚き、床に蹲る客達の間を機敏に潜り抜け。床に飛び散ったグラスの破片で足を滑らせないよう注意を払いながら。

 ラシャは先程用心棒たちが出てきた奥を目指す。そこに二階へ続く階段がある。


「行かせるかぁっ!!」

「!!」


 殴りかかってきた黒スーツのひとりを難無く躱し、追い越そうとして――、右手首を掴まれた。

 ミア程ではないが、ラシャも小柄な部類。体格に恵まれた男に掴まったら最後、ひとたまりもない。


「アタシに気安く触んな、糞男」

「……ひっ」


 十代後半の少女とは思えぬ陰惨な目つきに大の男の肝が縮みあがる。

 その僅かな隙を突き、腰に携帯するブラックジャック詰め物の入った革棍棒を左手で引き抜き、男の脇腹を殴打。

 巨体が傾ぎ、手首を掴む力が大幅に緩む。掴んでいた手を払い、素早く飛び上がる。

 脇腹を殴打した時より更に強く、顔面に二、三発打面を叩き込む。着地直前、とどめの一発で股間を蹴り上げる。


 苦悶の悲鳴をあげながら崩れ落ちる男を踏み越え、ラシャは引き続き奥へ急ぐ。

 流れるような彼女の動きに呆気に取られていた残りの黒スーツ達は、我に返るなり後を追おうとした――、が。次の瞬間、全員が床に伏すことに。


 何が起きたのか、誰もが理解できていなかった。

 やられた黒スーツ達は元より。烏合精鋭外メンバーの指示で避難していた客達も、何なら烏合達ですら。


 再び降りた沈黙。

 沈黙と同じく、再びフロア中の視線を一身に浴びるカシャの両手にはモーニングスター棘付鉄球の連接棍棒。筋骨隆々の巨体から繰り出される鉄球の一撃は良くて脳震盪か打撲、悪ければ骨折、特に頭蓋骨折ともなれば致命的。


 一度に数人を瞬殺(実際は死んでないが)したというのに、カシャは汗ひとつかかずに涼しい顔でフロアをぐるり見渡す。

 秒単位でくるくる表情が変わる妹と違い、彼は表情が極端に乏しく口数が少ない。加えて、体格や顔の傷がより近づきがたい印象を助長させている。

 避難途中の客のひとりと目が合うなり、徐に怯えた目をされ顔を背けられてしまった。


 ラシャが見たなら『失礼なっ!』と食ってかかりそうだが、まあ、急に襲撃されたのだから当然と言えば当然の反応。彼女が今、この場にいなくて良かった。


 一向に起き上がる気配のない黒スーツ達をまとめて太い柱に括りつける。

 括りつける前に、服や靴の中に武器、または武器に転じそうな物がないか。手早く且つ入念に調べて取り出しておく。

 そうこうするうちに、複数の荒々しい足音が階段を駆け下りてくるのが聞こえてきた。


「わざわざこっちから挨拶にいく手間が省けた、な」


 黒スーツ達を縛り終えると、ひと仕事終えたのと、これからもうひと仕事するかとばかりに、カシャは手をパンッと払う。その音とほぼ同時に上階から爆発音、次いで、建物全体が大きく揺れる。

 音と揺れの感覚から推測するに、四階に到着したラシャが爆発を引き起こしたようだ。


 ロザーナとミアも合流するらしいし、彼女達がいれば妹も変に暴走しないだろう。

 妹に対する一抹の憂慮が立ち消えていく。あとは存分に、向かってくる輩達を死なせない程度に叩きのめせばいい。







(2)


 階段を一気に四階まで駆け上がる。黴と埃が混じった臭いに鼻がツンとなった。

 壁や床もなんとなく湿っぽく、自然と鼻先に皺が寄る。


「げ、もう追いついてきたっ」


 荒々しい足音が階段を駆け上がってくる。兄がいる一階と、自分がいる四階と二手に分かれたらしい。


「もー、全員お兄ちゃんとこに行ってくれりゃよかったのにさっ」


 カシャが聞いたら、『そうやって面倒なこと俺に押しつけようとするな』と窘められるだろう。

 そんなこと言ったって、休む間もなく四階まで駆け上がってきたのだ。文句の一つも言いたくなる。


「ああぁぁっ、追いついてくるぅ!!もうっ!全員まとめて始末だわ、始末!!」


 黒スーツの一人が最後の一段を駆け上がってきたのを確認すると、ラシャは頭をわしゃわしゃ掻きむしり、キーッ!と癇癪めいた声を上げた。だが、即座に頭を切り替え、背中から擲弾発射器を抜き取り、肩へ担ぐ。

 一瞬たじろいだのを見逃さず、最初の黒スーツのみならず頭が垣間見えただけの二人目三人目にも狙いを定めて発射させる。


 爆発音、建物の揺れ。降り注ぐ悲鳴、舞い散る粉塵。

 不快で堪らないモノたちを背に、次の擲弾を装填しながら廊下を駆ける。背中を撃たれないよう、背後にも充分注意を払いながら。崩壊した壁の下敷き、もしくは崩落した階段から落下するなどで攻撃どころじゃないとは思うけど、念には念を、だ。


 ラシャはもう一度発射器を肩に担ぎ、先程打ち込んだのと反対側の壁目掛けて発射させる。

 目的は、ロザーナとミアが突入しやすいよう、壁を数箇所破壊するため。ガサ入りは二人と合流してから行えばいい。


「さーて、次はどこに穴空けよっかなぁー……って、その必要はなくなったみたい」


 まだ穴を空けたばかり、立ち上る白煙の中から二つの影が朧に浮かび、ラシャに近づきつつあった。







(3)


 この世のありとあらゆる悪臭を集め、パンドラの箱に収めたみたいだ。


 足元を絶えず這い回る鼠達を器用に避けながら、スタンは真っ暗な下水道をひとり突き進む。

 鼻から下を厚めのバンダナで覆ってさえ、防ぎきれない悪臭に気が滅入ってくる。

 お気に入りのブーツを履いてこなくて本当に良かった。こんな不衛生で悪臭極まる中を歩き回ったら、あとで何回磨こうと汚れも臭いも取れなさそうだ。

 この任務を終えたら、今履いているのは潔く捨てて新調しよう。スタンにとって、ブーツは仕事と仲間の次に大事なものだった。


 アードラが作成した下水道の地図をカンテラもつけずに確認する。

 暗闇に目が慣れてきた――、というより、元々彼の目は暗闇に滅法強い。

 ゆえに、ノーマンは光源なしでも暗闇で難無く動ける彼に地下からの侵入を命じたのだ。


 スタンは中間地点から下水に降りたが、地図のスタート地点はホルンの隣町にある刑務所の運動場。

 ゴールはハービストゥ別棟のキャバレーの真下。


 その刑務所には混血の吸血鬼の受刑者が数名収容されている。

 また、ハービストゥの経営者も混血の吸血鬼との噂がある。


 類は友を呼ぶ、もしくは、同じ穴のムジナ。


 吸血鬼同士はわざわざ打ち明けずとも、互いに感覚で同族だと理解し合う。

 逆を言えば、余程うまく正体を隠せていないと同族だと看破されてしまう。


 あくまでスタンの予想でしかないが、吸血鬼の受刑者の中でハービストゥの経営者と関りがある者がいる一方、刑務官の中にも混血の吸血鬼がいるのかもしれない。

 そして、何らかの利害により受刑者も刑務官も下水道を使って秘密裏にハービストゥへ足を運んでいる、かもしれない。


 何の利害、なのか。

 女性の連続失踪、人身売買の噂から、これもまた予想がついてしまう――、が、できれば外れても欲しかった。


 などと考えている間に、スタンの背丈よりも高い壁と鉄柵が目の前を立ち塞がる。

 鉄柵の奥は突き当りになり、そこから下水は左右に分かれて流れていく。


「要は、鉄柵と突当たりの壁を破壊すればいい訳だ」


 スタンはバンダナを首まで下げると、今来た道を駆け去っていく――、かと思われたが、途中で革製ウェストポーチから出した手榴弾のピンを歯で抜き取り、振り返って鉄柵目掛けて放り投げた。

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