第18話 ようこそ阿鼻叫喚の世界へ①

(1)


 カナリッジ有数の歓楽街ホルン。

 夜通し灯される店々の灯りで夜空の星も月も霞んでしまう街。

 その中でも最大の規模と人気を誇る『ハービストゥ』という名の娯楽施設は、パブ、賭博場、ダンスフロア、宿泊室、別棟にキャバレーを有している。


 一階のパブ兼ダンスフロアではジャズバンドの生演奏が流れ、流行最先端の服装を纏う人々がホールで踊り、カウンターで酒を飲み交わす。

 賑やかなのは一階のホールだけじゃない。二階の賭博場では上流の紳士から港湾労働者までがカードゲーム、ビリヤードに興じ、白熱させている。紳士たちの傍らでイヴニングドレスに夜会巻きの美女達が侍り、ゲームの勝敗を見守っている。


 一方で、一階、二階とは打って変わり、三階は静まり返っている。

 三階は遊び疲れた人々が眠るためだけの宿泊室。時折、シャワーの水音や微かな寝息が聞こえてくるのみ。


 問題は関係者以外立ち入り禁止とされる四階だ。

 四階の用途は明かされておらず、謎に包まれている。表向きは『数字が不吉だから手を入れていない』となってはいるが、裏では『薬物や人身売買、銃器等武器の横流し等の裏取引が行われている』とまことしやかに噂されていた。

 出来心で四階に足を踏み入れた客、極秘に潜入捜査した警官が消息を絶ったという物騒な噂さえある。


 物騒と言えば、もう一つ。


『その店の経営者であり、犯罪組織のボスの正体は人間と吸血鬼の混血』という噂。


 混血の吸血鬼は純血より優れた力を発揮する者がいる。反面、力を制御できずに凶暴化してしまうことも多い、と聞く。

 賞金を懸けられる犯罪者の三割は混血の吸血鬼という事実もあり、噂が真実なら――、非常に残念なことに、噂は本物だった。







 その部屋は中央に天蓋付きのダブルベッドがある以外、何も置かれていなかった。


 明かり取りの丸窓から漏れる街の灯りが、夜闇よりも深く濃い闇に染まる室内を淡く照らす。

 茫洋とした光が浮かび上がらせるのは、床や壁に点々と染みついた血、血、血。よく見ると血痕は天井にまで達している。


 ベッドには一組の男女の影、激しく軋む音。だが、決して色事ではない。

 男が女に馬乗りになって首を絞め――、絞めながら、むきだしの首筋に噛みつき、血を啜っていたから。


 スカート丈が極端に短い総スパンコールのチューブドレスが闇にチカチカ輝く。

 痙攣する足からドレスと同じく総スパンコールのハイヒールが、床へと脱げ落ちる。

 西の大陸風の、ゆるくパーマをかけたボブカットのこの女性は、ハービストュの中にあるキャバレーの踊り子だった。だった、と過去形なのは、つい先刻踊りが下手なことを理由に解雇通告を言い渡されたから。


 おそらく彼女は経営者、彼女の血を啜る男に食い下がったのだろう。他に行く当てなどないとか、ここを辞めさせられたら路上暮らしになってしまうとか。


『だったら、俺の餌になれ』


 ベッドが軋む音が徐々に小さくなり、遂にはまったく聴こえなくなった。女性の呼吸音も心音も聴こえない。

 それでも男は血を吸い続けた。死体がセミの抜け殻のように干からびるまで。


 かつての彼は血を吸わなくても生きてこれていた。

 純血や吸血によって吸血鬼に変貌した者とは違い、混血は血を吸わなくても身体は充分に成長する。

 覚醒さえしなければ、己が吸血鬼と知ることなく一生を終える者も少なくない。彼のその内の一人であった。


 と出会わなければ。

 小悪党達の頭としての人生を送るだけだった。


 彼女に力を試され、血の味を教えられた。

 一度血の味を覚えてしまったら、もう、元には戻れない。


 傘下の売人を使い、移民や路上生活者の女を中心に薬漬けにして誘拐し、血を頂く。

 彼女には謝礼代わりに下水生活者の中から気に入った人間を引き渡す。

 底辺の人間がどれだけ行方不明となろうが誰も気にかけやしない。むしろ、ゴミ掃除みたいなもの。ある意味では慈善活動だ。なのに――


 下っ端のゴミ売人が奴ら双頭の黒犬に捕縛されるとは……!


 怒りに任せ、これ以上絞れないというところまで女の血を吸い続けたーー





「醜い」


 ミイラ化した死体から身を離し、ベッドから降りる。


 閉店後、部下に刻ませて地下室に放り捨てさせよう。

 冷酷極まる思案を巡らせ、彼は退室しようとした。していた。


 遠くかすかにプロペラが回る轟音が聴こえてくる。

 まさかと思うが、この空挺の音は……







(2)


 歓楽街の上空を小型空挺が一基、旋回している。

 褪せた迷彩色の機体両側面に描かれてるのは双頭の黒犬シュバルツハウンド

 操縦席側にある乗降口の扉は開かれ、降ろされた梯子にミアはロザーナと共に掴まっている。


 空の上から地上――、娯楽施設『ハービストゥ』へ超音波を飛ばし、三階、四階にいる人間の数、位置を把握。インカム越しに電信機を操作するルーイに説明し始める。


「三階は北東の角部屋に二人、向かい側が三部屋続きに一人ずつ」

『四階は??』

「四階は……、最奥に二人……、一人……??」

『ミア姉、どっちなの??』

「ご、ごめん……、超音波で感知したのは二人なんだけど……」

『けど、なに』

「一人は熱感知できなくて……」

『……それってさぁ、あんま言いたくないけど』

「……うん、きっとそういうこと死体なんだと思う」


 ルーイが喉を鳴らす音が届く。ミアも二の句をつげずにいる。


「ちょっとちょっと、君たちぃ??今はしんみりしてる場合じゃないからねぇ??ミア、このくらいで戦意喪失なんかしないでよぉ、いーい??」

「あ、はいっ!ごめんなさい、伯爵グラーフ!私なら大丈夫ですっ」


 ルーイからインカムを奪ったのか、突然ノーマンが横から割り込んできた。更には、彼を嗜めるイェルクの声までもが聞こえてくる。


「頼むよぉ??じゃ、作戦のおさらいするけど……って、いいじゃないのさ、イェルク!僕が説明したって!!あ、ごめんごめん、気を取り直して……。まず、ラシャとカシャが一階の正面玄関から突入、店関係者の捕縛を。情報はアードラから訊いてるよね??事前に紛れ込ませた烏合精鋭外メンバー達が客の避難誘導はしてくれる。スタンレイは地下から潜入するし、アードラは引き続き空挺を操縦しながら待機、ただし必要に応じて皆に加勢してもらう。彼は臨機応変が得意だから侵入はどこからでもいけるしねっ!ロザリンドとミアは四階から突入して!ミア、ロザリンドひとりくらい抱えて飛べるよねぇ??」

「が、頑張りますっ」

「そこは、はいって即答してぇ??」


 暗に『身体が重い』とほのめかされた気がしたのか、ロザーナは切なげに口を挟む。


「う、ご、ごめん……」

「うそ、冗談よぉ」

「君たちねぇ、仲良きことは美しいけど、全部終わってからにしよっかぁ??」

「はーい!」

「大丈夫かなぁ、おじさん心配だなぁ。とにかく、あとは頼んだよっ」


 ブツンッと唐突に通信が切れる。

 二人は揃ってインカムを空挺の中に向かって投げ入れる。


「で、あたし、ミアに掴まればいい??」


 ミアが大きく頷き、蝙蝠羽根を瞬時に出現させれば、ロザーナは正面から抱きつく形で彼女に掴まった。

 折良く、上空まで響く爆発音が歓楽街に鳴り渡った。


「あらぁー、カシャさんとラシャさん、というか、ラシャさん派手に暴れてるわねぇ」

「音の感じから、もう四階まで到達したみたい。確実に四階のどこかの壁に穴が空いたわ。そこから突入しよ」

「りょーかいっ」

「じゃあ、飛ぶね。しっかり掴まってて!」


 言うやいなや、ミアは梯子から手を離し、闇夜に大きく羽ばたいた。

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