第16話 彼女もまた生きる屍だった②
(1)
森の中、ようやく人の気配を感じない場所にたどり着く。鬱蒼とする樹々や草叢の影などを念入りに見回し、手近な木陰に腰を下ろす。
携帯した水筒に口をつけ、からからに乾ききった喉を潤す。額から垂れ落ちてくる汗を腕で拭う。
ほんの束の間の休息。もちろん、休みながらも警戒は怠らない。
追っ手側の面々に見つかる前には移動しなきゃ。悠長に休む気はないので、数分後に腰をあげる。
立ち上がるのと、どこからか響くルーイの大絶叫がちょうど重なった。
まずい、ルーイが見つかってしまった、かも。助けに行きたいのはやまやまだが、自分まで捕まる訳にはいかない。
特に自分は年若い少女かつ非力そうなのに加え、黒髪に柘榴色の瞳をしている。だから、余計に攻撃されやすい、気がしてならない。
(……ん??)
――三時の方向、468m、男が三人。
ルーイの声で一段と跳ねあがった警戒心が感覚をより研ぎ澄ませる。
訓練中、何度となく心身共に極限まで追い込まれ、少量ながら定期的に血を飲むことで吸血鬼特有の力――、常人ではありえない五感の鋭さを身につけていた。
住処にやってきた当初と比べ、麓から城までの上り下りも一日で十往復はこなせる。銃器の扱いや体術訓練も文字通り血反吐を吐きながら習得した。
大好きなクランベリージュースに混ぜているとはいえ、大嫌いな血も我慢して飲んでいる。(これはもう一種の薬だと思って飲むしかない)筋力向上の様々な運動も毎日欠かさなかったので、華奢だった身体もしなやかな筋肉質に変わってきた。
高く飛び上がり、手近な樹の枝に登る。この脚力もまた訓練の賜物。ガサガサと音を立ててしまうのはこの際仕方ない。むしろ、音で寄ってきてくれるに越したことはない。
案の定、葉擦れのような音を不審に思い、足音は荒く速いものへと変わっていく。
もう一段高い枝へ移動すると、枝葉の影から男達の頭頂部がちらちら見え始めた。
背負っていた自動ライフルを下ろし、望遠型照準器を覗く。
ミアに気づいた彼らもまた、各々銃を構えだしている。
だが、先にトリガーを引いたのはミアの方だった。
『うぅ……、臭いで鼻がもげそう……。というか、吐きそう……、うぇ……』
ミアの先制攻撃は見事成功した。したのだが。
すぐに後から別の組がやってきた。応戦もした。したけれど――
『うんうん、ミアはよく頑張ったよー。ただ、うまくいきそうになるとホッと気が緩んじゃうんでしょ??それはよくないねぇ、非常によくないんだねぇ??』
『……はい、肝に銘じます……』
精鋭外チームに捕縛はされかなかったが、カメムシペイント弾を数発受けてしまった。
そのせいで誰もが、ロザーナにすら『ごめんねぇ』と遠巻きにされてしまうのが少し、いや、だいぶ悲しかった。
『その臭いが取れるまで僕に近づかないでくれる??たやすく臭いが移るくせに何度も髪や身体洗わない限りは絶対落ちないから』
『そんなに頑固な臭いなんだ……』
アードラの言葉がミアに追い打ちをかけてくる。
近寄るなと言われたことより、臭いが簡単に落ちないことの方がショックが大きい。
あの臭いが身体に染みついてしまうなんて。何日も落ちなかったりしたらどうしよう。
考えただけで絶望的な気分に陥り、泣きそうになってくる。
十五年間生きてきた中で、最悪なできごと上位五位には確実に入るだろう思い出の産物。
まさか、この身に役立つ時がくるかもしれないなんて。
(2)
午後三時きっかり。ミアとロザーナは精鋭仲間の一人、ラシャに呼び出された部屋へ訪れた。
四方の壁、天井すべて白漆喰の細かな彫刻で作られ、窓際のカーテンまでもが彫刻物、部屋全体が芸術品といっても過言でない。下手な家具調度品を置くのは野暮とばかりに、この部屋には休憩用の円卓と椅子数脚しか置いてない。
円卓の上には、東方風のティーセット、月餅、杏仁豆腐、
首下から右胸にかけての数箇所、ボタンで留めた黒い詰襟服は東方の大国コーリャンの民族衣装。ただし、深いスリットが入ったワンピースではなくツーピース、下衣は上衣と同じ黒のズボンで男装に近い。
「ミアちゃーん!ひっさしぶりー!!」
二人の姿を目に留めるなり、ラシャは髪と同じ色の瞳を輝かせてミアに飛びついてきた。
「おひさしぶ……、わっわっ!ラシャさん、く、くるしいよっ」
「あははー、ごめんごめん!!女の子とお話するのひさびさだからさ、ついテンション上がっちゃった!!ロザーナも元気ー??会う度大人びた顔になってくよねー」
「うふふ、あたしもラシャさんの元気な姿が見れてよかったわ。ね、ね、ところで、カシャさんはいないの??」
「え、だって女の子だけのお茶会なんだよ??例えお兄ちゃんであっても混ざるなんて言語道断!許すまじ!!『女三人寄ればかしましいって言うし。そこへ強引に混ざろうとする男ってどうかと思う。空気読めってなる』って言ってたけどねー」
「そっかぁ、残念だわぁ」
「いいの、いいの!おしゃべりより鍛錬の方が好きな人だし!今日はね、二人が好きな物いっぱい用意したからさ。甘いお菓子苦手なロザーナには果物たくさん用意したからねー」
「わぁい、果物大好きなのぉ!嬉しいわっ」
「ほら、二人とも座って座って!」
ラシャは席に着くよう二人を急かし、ジャスミンティーを三人分の茶器に注いでいく。
菓子や果物はそれぞれ大皿いっぱいに盛られ、各々が好きなものを自分の小皿に取り分ける。
住処で女子三人のお茶会は定例と化しつつある。甘くておいしいお菓子や果物。温かいお茶。殺伐とした仕事柄、貴重な癒しのひととき。
吸血鬼城で暮らしていた頃もお茶会はあった。
けれど、一挙手一投足、指先一つの動きから口にする言葉の端々まで気を遣い、ぐったりすることがほとんどだった。
年の近い女の子達と何の気兼ねなくお喋りできるのが、こんなに楽しいなんて知らなかった。知れて良かった。例え、危険と隣り合わせの世界で生きていても。
「あっれぇ、ミアちゃん。指ケガしたの??」
「あ、うん。昨夜の任務でちょっとね。軽い火傷だし大したこと……」
バンッと両手でテーブルを叩き、ラシャは前のめりになってミアに自分の顔を近づける。それぞれの手元の茶器の液面が振動で波打つ。
しまった、火傷に関しては物凄く敏感な人だった……。
「ありますー、大いにありまくりですぅー!たぶんイェルクからも言われたかもしんないけどっ、いーい??火傷を甘く見ちゃダメだからね?!このアタシが言うんだからね?!」
「は、はぁい……」
「ロザーナも!他人事みたく黙ってにっこにこしてるアンタも!ミアちゃんと組むようになったからマシになってきたけど、すぐ突っ走るからさぁ」
「うん、そうかもぉ」
「そうかもじゃなーい」
ラシャは先程より強くテーブルを叩く。ミアとロザーナは同時に茶器を手に取り、避難させた。
「スタンさんにもよく叱られちゃう」
「ロザーナ!」
「??」
きょとんとするロザーナとは対照的に、ラシャの顔が怒りの色に染まる。
決してロザーナやミアに向けてのものではない、ないのだが――
「はー?!なに、あいつ、まだアンタの世話焼きたがるわけー?!うざーっ、超うざー!!」
「うーん、でも、あたしを拾ってくれたのも住処へ連れてきてくれたのも、訓練やこの仕事のやり方叩き込んでくれたのも、全部スタンさんだもの。自分が育てた責任感で心配してくれてるだけだと思うのよねぇ」
ミアとラシャの心が一つになった。
お互い口には出さなかったが、それとなく視線を交わし合う。
なきにしもあらず。されど、絶対にそれだけじゃない。
「いーい??ロザーナ!ずっと口酸っぱくして言ってるけど、スタンがアンタにはっきり言い寄らないのは拗らせ童貞で対女の子にはポンコツなだけだからね??とにかく気をつけなさいよ!!」
「うん、わかってる。ありがと。でもね、ほんと、スタンさんは大丈夫。ううん、スタンさん以外の住処の男の人達は全員大丈夫。みんな、あたしのこと女じゃなくて人間として見てくれてるから。ラシャさんもでしょぉ??」
「……うん、まぁねー。正直、完全に信用できる男はお兄ちゃんと
「うん、お願いします」
「あたしもお願い」
席を立ったラシャの脚が視界の端を横切る。
七分丈の下衣とコーリャン風の黒いパンプスの間から覗く皮膚は焼け爛れていた。
『実はねー、これ、靴の中も
「なに、なんなの。今日はアタシ達女子とお兄ちゃんは非番なんだけど」
唐突に叩かれた扉を開くなり、ラシャは露骨に迷惑そうな顔をした。
だが、相手は屁とも思わなかったらしく、彼女が更に言い募ろうとするよりも早く己の言葉をまくし立てる。
「あっそ。昨夜の件で、僕がたった今仕入れてきた重要な緊急情報聞き逃してもいいんだね??言っておくけど、
「アンタに限ってはないわよねぇ?!はーっ、相変わらずむっかつく物言い!!で、その情報って何なのよ?!」
敵意丸出しのラシャをやれやれという目で見下ろし、歩み寄ってくるミアとロザーナにも聞こえるようにアードラは告げた。
「昨夜捕縛した違法薬物売人、巷で騒がれてる連続女性失踪と関係があるみたい。ていうか、あの売人の元締めが失踪に見せかけて人身売買してるんじゃないかってさ」
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