第15話 彼女もまた生きる屍だった①

(1)


 ――とある某日、日の出の時刻――



 見慣れた双頭の黒犬シュバルツハウンド精鋭五名の他、初めて見る顔が十数名、城門前に集合していた。

 雑談交わす余裕を見せつける精鋭達とは違い、初顔の者達は多かれ少なかれ緊張に震え、誰もが無言だった。。

 ミアとルーイも技量的にも心境的にも完全にそちら側だが、立場は精鋭達と同じ側。つまり、追う側ではなく追われる側。


『と、言う訳で、みんな準備はいいかい??今回ルールを知らない人も何名かいるみたいだし、かるーく説明しておくよ!今から正午を迎えるまでの間、スタンレイ、アードラ、カシャとラシャ兄妹、ロザリンド、ミア、ルーイの以上七名を、それ以外の皆で捕縛するっていう訓練を始めるのねっ。かくれんぼハイド&シークとおいかけっこの混合だと思ってくれたらいいかなぁ??ただし、隠れる方の精鋭達は全力で逃げるし抵抗もする。精鋭外の君たちも多少の怪我を負わせる覚悟で臨まないと……、自分の方が大怪我を負っちゃうかもだし、そこんとこ要注意!でねぇ、訓練参加者全員、今からイェルクが配るこのペイント弾を使用して欲しいんだよね。銃を使用する人は実弾じゃなくてこっちを使うこと。いい??わかった??』


 弾薬ケースを抱えたイェルクがノーマンの隣から進み出て、精鋭達、ミアとルーイ、精鋭外の人達の順にペイント弾を配っていく。

 精鋭達は全員銃器を扱う。なので、全員がペイント弾を受け取る、受け取るのだが、なぜか皆が皆、微妙な面持ちで受け取っている。精鋭だけじゃない。精鋭外の中でも何人かが弾を受け取る瞬間、頬や口を引き攣らせていた。


『ねぇ、ロザーナ。なんで、みんなして嫌そうな顔で受け取ってるの??』

『えー??それはねぇ……』


 ロザーナから理由を訊いた途端、ミアは絶句し、自らが受け取った弾を地面に叩き落としたくなった。寸でで堪えたけれど。

 傍らのルーイは絶叫したあと弾を叩き落とし、もれなくスタンからミドルキックをお見舞いされていた。


『うん……、このペイント弾だけは絶対に当たりたくない、ね……』

『イェルクさんも開発中、何度も心折れそうになったって。窓という窓を全開、マスクと手術用手袋三枚重ねで作業に臨んだみたい』

『うわぁ、イェルクさん、ほんとご苦労さま……。案を出したのは』

伯爵グラーフの他にいると思うー??』

『まったく思わないっ』

『でしょお??』



 ――だって、染料の中にすり潰したカメムシを混ぜてるんだもの――











「失礼しまーす!ミアいるよねぇ??」


 ノック三回続いて開いた扉から、さらり、銀色の長い髪が。次いで、「ミア姉っ!!」という叫びと飛び込んでくる影。影はロザーナを差し置いて、医務室から作業部屋へ無遠慮に入ってきた。


「ルーイくん?!」

「任務明けに師匠イェルクん所寄るなんてさぁ、どっか怪我でもしたのかと思って!」

「なに、心配して来てくれたの?!怪我っていっても、指輪型銃リングガンで火傷しただけで別にだいじょう……」

「大丈夫じゃないじゃん!あー!もう!!だから指輪型銃リングガンはやめたほうがいいんじゃって、オレ、言ったのにぃぃっ!!師匠っ、いっぺんミア姉と話し合って」

「おぉ、今ちょうど話し合っていたところだ!」


 やや興奮を帯びたルーイの顔がたちまち、すん……っと無に切り替わる。だが、一瞬ののちには柘榴色の瞳がくわっと見開く。


「ちょっとー?!オレも呼んでくださいよっ!!」

「あぁ、すまんすまん!ミアへの新たな銃に関してはほぼほぼ決めてしまったよ!」

「師匠の頭の中でですよねっ?!それ、オレも考えたかったのにぃ……」

「いやぁ、すまんな!だが、ペイント弾の開発時には存分に協力して」

「ペイント弾??まさか……」


 ルーイの青白い肌からほのかに残された血の気が完全に失われる。

 座ったまま、ミアはすまなさそうにルーイを見上げる。同じ色の瞳に不快と恐れがありありと見て取れる。決してミアに向けたものじゃないとはいえ、申し訳なくていたたまれない。


「い、いよぉおおー??ミア姉のためなら、さぁああ??オ、オレ、喜んで協力するもんねぇええ?!」

「なぜ語尾が疑問形かは知らんが、頼むぞっ!」

「し、師匠にたの、頼まれちゃ、なおさら、さぁあ??オレ、が、頑張るわぁあ?!」


 ルーイはミアだけじゃなくイェルクにも弱い。

『賞金稼ぎの素質なし』と判断下したノーマンに、『彼は機械いじりに興味があるみたいなので、武器開発の助手に欲しい』と、住処に留め置くよう説得してくれた恩がある。


「とりあえずだ、ルーイとも話し合ってみるからミアは朝食を食べておいで。腹空いているだろう??というか」


 イェルクは作業室から医務室の扉に目を向ける。

 そこには半開きの扉に張りつき、遠慮がちに三人の様子を窺うロザーナがいた。

 菫の瞳を潤ませ、きゅうん、きゅうんという鳴き声が聞こえてきそうな表情に、ミアは悟る。


 あっ、これ、空腹が限界迎え始めてる顔だ。


「……お、お話、キリつい、た……??」

「う、うん。もうごはん食べにいけるよ」

「ほんと??」

「ほんと、ほんと!」


 言いながら、ささっとパイプ椅子から立ち上がると、ミアは慌ててロザーナの下へ駆け寄っていった。







(2)


 この城内には明確に食堂と呼べる場所はない。その代わり、いくつかの適当な部屋に適当なテーブルセットが用意されている。なので、住処の住人達はその日の気分で好きな場所で好きなように食事できた。

 たまにノーマンが酒宴を開くことはあれど、基本的にほぼ全員、場所も時間帯もばらばらで任務をこなしている。時間を合わせて皆で食事するなど無理である。


「そんなにおなか空いてたんだったら、先に食べててもよかったのに」

「うーん、だってねぇ」


 バツが悪そうに笑うロザーナの頬に銀色の髪がかかる。

 任務明けで訓練がない日のみ、ロザーナは染め粉で髪を染めないらしい。


『こんなにきれいな銀髪なら、わざわざ黒に染めなくてもいいのに』


 ロザーナの銀髪を初めて見た時、思わず口にしてしまった言葉。

 だが、直後、ロザーナが見せた反応に、口にしたことを後悔した。


『あたしはこの髪色、大っ嫌い。男の人からはいやらしい目で見られるし、女の人からは勝手に妬まれるし。褒め言葉で素直に受け止められたのは死んだママのだけ。仲間の皆や伯爵グラーフはそういう変な目で見てこないし特に何も言ってこないから、すごく気が楽』


 笑顔が消え、淡々と突き放した語調で語るロザーナの横顔に、ぞくりと肌が粟立った。

 内包した激しい怒りを言葉のナイフでメッタ刺してくるのがハイディなら、ロザーナは静かな憎悪を足元からじわじわと毒のように沁み込ませていく。そんな印象を受けた。


『でも、ミアからの褒め言葉は素直に受け止めるね!ありがとっ』


 双頭の黒犬シュバルツハウンドの仲間内では、いくつか暗黙のルールがある。

 その内の一つが『仲間の過去や境遇について、自分から話しださない限りは聞いたり詮索しない』だ。


 ロザーナの境遇は城に来て早々、彼女自身の口からおおまかに語ってくれた。

 たぶん、ミアの境遇を語らせておいて自分は何も教えないのは公平じゃない、と考えてのことだろう。


 母親がとある名家の愛人的立場だったこと。ハイディは本妻の娘で同い年だけど腹違いの姉であること。

 八歳頃から街の自警団に入り浸り、体術や剣技など一通り齧ったこと。そのきっかけは母娘共々、街の人々から冷遇され、ロザーナ自身もしょっちゅういじめられたから。


『最初はね、あくまでいじめっこから身を守るためが理由だったの。でもねぇ、撃退できる頃にはもっと強くなってママを守りたい、って思うようになったのよぉ。でもねぇ、結局、あたしはママを守れなかった』


 ハイディが吸血鬼と化し失踪。冷遇されていたのが一転、ロザーナは十三歳で次期当主としてその家に迎え入れられた。前後に彼女の母は亡くなったという。


『ずっと街中から嫌われていたのにねぇ。環境も皆の態度もころっと変わっちゃってねぇ……、すっごく、すごーく気持ち悪くてたまらなかったなぁー。自警団での訓練が唯一の楽しみだったのに、それも奪われちゃって。肩にはずっしり跡継ぎ娘の責任がのしかかってくるし。あの一年の間ですっかりノイローゼに陥っちゃってた。脱走する千載一遇の機会がなかったら、あたし、たぶん、生きる屍になってたかもぉ』


 図らずも、ミアの死んだ両親が間接的にロザーナに苦痛を与えていたことに、罪悪感で心臓が握りつぶされそうなくらい痛んだ。正直に謝れば、『なんで??ミア自身がやった訳じゃないんだから全然気にしなくていいのよぉ??』と、けらけら笑って流されてしまった。


 ロザーナは強くてきれいで優しくて――



「あのねっ、スタンさんがあたし達の分も朝ごはん買ってきてくれてねぇ」


 茶色い紙袋を見せつけてくるロザーナの笑顔があまりに無邪気で、つられてミアも笑顔に。

 三つも年上ながら、なんてかわいい人だろうと微笑ましくなってしまう。


「あたしの大好物の玉子のサンドイッチと、ミアのはバターブレーツェルよぉ」

「ねぇ、ロザーナ。前から思ってたけど、スタンさんって案外マメ、だよね??」

「そうなのそうなのぉー、いつも言ってるでしょぉ??スタンさんはいい人だって!」


 いい人かどうかは未だに判断し難いし、ロザーナと関わる口実にされてる気がしないでもない。

 でも、今朝のイェルクを叩き起こした件といい、ちょっとだけ認識改めてもいいかな、とは思う。


「あ、それとねぇ、カシャさんとラシャさんが今日の午前中に戻ってくるって連絡入ったの」

「え、そうなんだ!」

「でね、ラシャさんから伝言。『女の子三人でお茶会しよ!』だって!いいでしょ??」

「うん、もちろんだよ!」


 束の間の休息がより楽しくなるのだ。首を横に振る筈なんてない。

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