第11話 ギリギリ及第点

(1)


 分厚いカーテン、開かれた大窓を背に、バルコニーに出てパイプ煙草を咥える。

 柘榴色の双眸が見据える先は、遠くに相対する双頭の黒犬シュバルツハウンドの住処こと白亜の古城が建つ渓谷を挟む山々。

 紫煙を燻らせていると誰かが近づく気配が。大方、誰なのか予想はついているが、一抹の警戒は解かずに振り返る。


「ハイディマリーの様子はどうだったか」

「えぇ、僕に取り入ろうと躍起になっていました」

「やはりか」


 金縁眼鏡の奥の瞳はハイディと言葉を交わす時と違い、堂々とした強い意志が宿っている。

 笑い方もおどおどと気弱なものでなく余裕ある笑み。これもまたハイディの前での態度とは180度違う。


「大方、お前を篭絡して妻の座を狙っているのだろう」

「えぇ、僕もそう感じました」


 複雑そうに微笑むドミニクにヴェルナーはゆっくりとパイプを唇から離す。


「例の件は勘づかれてないな??」

「はい、気づいてすらいない様子でした」

「ならばいいが」


 紫煙の代わりに吐き出した溜め息は細い白煙となり宙へ吸い込まれていく。


 無暗に人間を乱獲すれば、危ういながらも保たれてきた人間と吸血鬼の世界の均衡が崩れていく。

 何のために狩りの対象を最小限に留め、人里離れた黒い森の中でひっそりと生きているのか。

 何のために水面下で密かに人間とし続けているのか


 ごく一部の限られた一族の者数名で人間の情報屋が営む酒場などへ足を運ぶ。

 そこで人間側からは『狩ってもいい対象』の情報を。吸血鬼側からは『賞金首にかけてもいい対象』の情報を交換し合う。

 ドミニクが仲間数人と連れ立って狩りを(出向く振り)するのは、彼らが吸血鬼側の情報伝達役を担っているから。


 そう、ハイディを賞金首に仕立て上げたのはヴェルナーとドミニクだった。

 情報屋にハイディの情報を流し、双頭の黒犬シュバルツハウンドの、やたら口の減らない少年、もとい、諜報員と接触。城の内部図作成に助力した。


「しかし、まさか……」


 続く言葉を飲み込むヴェルナーに、ドミニクも神妙に頷いてみせる。

 まさか、腹違いとはいえ妹にあたる人物が乗り込んでくるとは思わなかった。


 二年前、息子夫婦がなぜ情報もなしにハイディを狩ったのか。当時は理解できずにいた。

 だが、後にドミニク達から得た情報によると情報屋を通さず狩りの依頼を受けていたらしい。

 その全容を聞かされた上でも、勝手なことを……と、憤りがはるかに勝る。勝るものの――、自分とは違い、優しい心根の彼らには断りきれなかったのかもしれない。


『私の上の娘は生まれながらに残虐非道な性質で手の施しようがない。このままでは人を大勢殺めてしまうかもしれない。私は娘が処刑台へ向かう姿など見たくありません。そうなる前にいっそのこと……』


 己であれば真偽をよく見定めた後、決断するだろう。ましてや、街を治める領主の跡取り娘。

 下手を打てば、数百年振りの吸血鬼狩りが決行される恐れもある。それでも息子夫婦は決断した。なぜ??


 領主にはもう一人、愛人に生ませた娘がいたから。

 そして、領主自身はそちらを跡目に据えたがっていた、らしい。美しく聡明なのは姉と同じだが、姉と違い穏やかで忍耐強く優しい娘だから、と。


 本当に、そうだろうか??

 上の娘の性質を手遅れになるまで見抜けなかった、矯正する方向へ持っていけない者が、果たして下の娘の性質を正しく見抜けているのか??

 現に今頃は入り婿でも迎えているだろう筈が、剣を振り回しているではないか。


「実に愚かな男だ」

「??今、なんと??」

「いや、独り言だから気にしないでくれ」


 たった一人の孫娘を突き放し、追い出した自分もまた愚かだろう。

 自分達が賞金稼ぎを引き込んだのに、全てミアのせいにしたのだ。さぞや恨まれているに違いない。

 逆恨みしたハイディによって何らかの危害を加えられかねない。彼女の身を守るためだと心中で何度言い訳したことか。


 ハイディの義妹なる賞金稼ぎが逃走寸前、ミアに囁いた言葉だけを頼りにするしかない。(彼女達は聞こえていないと思っただろうが、ヴェルナーはしっかりと聞いていた)あとを追わせたルーイが戻ってこないのも、二人が無事な証拠だと信じたい。


「ドミニク。申し訳ないが今しばらくの間、ハイディマリーの監視をそれとなく続けてくれ」


 私達は、とんでもない爆弾を身の内に引き入れてしまったのかもしれない。

 我々吸血鬼にとっても、人間にとっても危険極まりない爆弾を。











(2)


 口髭の毛先を太い指先で撫でつけながら、ノーマンは更に続ける。


「それにね、今は吐き気をもよおすくらい血の味が受けつけなくても味覚の好みなんて、ある日突然変わるじゃない。あんなに嫌いだった筈の食べ物が急に美味しいと感じるようになる、よくあることでしょ??そうなった場合、どんなにいい子でも人間を襲わずにいられるかな??ルーイくんにしてもそう。血への恐怖心を克服したら反動でやたらと摂取したくなるかも??うーん、どうしたもんかねぇ」

「つまり伯爵グラーフが仰りたいのは、吸血鬼の本能を抑制しつつ成長のために血液を摂取して欲しい、と?!」

「そ、そ!さすがイェルク!僕の言いたいことを完璧に汲み取ってくれたね!」


 ノーマンの笑みが深まった分、ミア達の困惑は一層深まった。

 彼の要求は矛盾の賜物であり、通らない・通せないことが前提なのでは、と疑いたくなる。


「血液の入手自体はね、うちでもできるよ??捕縛した賞金首からちょーっと血を抜かせてもらうとか、ね!僕はこの国の警察組織や刑務所にもある程度顔が利くからさ、警官やら囚人からも検査と称して血を手に入れることは可能だし。血液の入手自体はいくらでもできる、できるんだけど」


 細縁の丸眼鏡が底光る。笑顔なのに背筋にぞくり、怖気が走る。


「イェルクは一切口を挟まないように」


 何か言いかけようとして、その前に念を押されたイェルクが、ぐぅ、と声を殺して呻く。

 絨毯の細かい編目に目を凝らし、ミアはなけなしの思考をフル回転させる。ロザーナも逡巡しているのか、ずっと黙ったままでいる。


 ロザーナならきっと名案を出してくれるだろう。でも、自分達が抱える問題なのに、そこまでロザーナ任せにしてしまって、いいの??ううん、いい筈ない!


『貴女には自分の意思ってものがないの??』

『そっか、いいわねぇ。なぁんにも考えなくたって誰かが世話を焼いて助けてくれるものね』

『本当に幸せな人ね』


 いつ言われたのかは忘れてしまったが、以前ハイディに投げかけられた、なにげない、けれど、はっきりと棘を含む言葉達。今頃になって遅効性の毒のようにミアの心中に浸透していく。


 ルーイと横目で目配せし合う。そうしたところで良い知恵が働く訳なんてない。ただ単に不安をごかまそうとしているだけだ。

 なかなか答えない三人、ノーマンの視線に憐憫らしきものが混ざった気もする。だからと言って、彼が情に流される人ではない、と、初対面から15分にも満たない僅かな時間で理解してしまっている。子供だからと甘やかす人でもないと。


 ロザーナの方はあえて見ないでおく。彼女の顔を見たら甘えてしまいそうだから。

 冷たい汗が額や掌、脇の下をじわじわと濡らし、不快で堪らない。

 その不快感を押し殺し、ルーイの顔を何度目かに見た時、無意識にあっ!と叫んでいた。我に返ると、この場にいる全員から注目を浴びていた。


「び、びっくりしたぁ……。ミ、ミア姉、急にどうしたの??」

「なにか思いついたのか?!」


 すぐさま問い詰めてきたルーイ、イェルクとは反対にノーマンとロザーナは(ここでようやく彼女の顔をまともに見れた)静かな注目を送るのみ。

 それぞれが向ける表情はロザーナが困惑、ノーマンが好奇心めいたものだが。


「ルーイくん!ほら、薬、薬!前に話してくれたでしょ?!病院にいた、お薬飲むのがキライで大人を困らせてた……」

「んん??……あぁっ!わかった!わかったよ!!思い出したよぉ!!うん!それ、いいんじゃない、いいんじゃないのっ!!」

「ねぇねぇ、君たちぃ。君達二人で納得してないで、オジさん達にもちゃんと分かるよう、説明してね??」

「あ、えっと、はい……。あのですね……」


 八つの視線に気後れしつつ、思いきって話を続ける。


「前にルーイくんから聞いたお話……、小さい子が苦いお薬を嫌がらずに飲んでもらう方法からヒント得たんだけど……」

「うんうん、そのまま続けて」

「小さい子に苦いお薬を甘いシロップとかヨーグルトに混ぜて飲んでもらうみたいに、私達が好きなジュースに血を混ぜて飲めばいいんじゃないかなぁって……。血の味や臭いを感じずに毎日少しずつ飲み続ければ身体も大きくなるかもだし、血を求めて人間を襲う気にもならないんじゃ……、って、思ったんだけ……、ですけど……」


 話の途中からどんどん自信が失せ、言葉が尻すぼみになっていく。なんとか最後まで意見を伝えることができたけど、皆の反応が怖すぎる。だって、所詮は子供の稚拙な意見――


「まぁ、思ったより悪くないんじゃない??ぎりぎり及第点ってとこだねぇ」

「え」


 てっきり一笑に付されるか、落胆されるか覚悟していたのに。

 伏せていた顔を上げ、真正面からノーマンを凝視する。


「あぁ、そんなにじっと見つめないでって。若くて可愛い女の子に見つめられちゃ、僕、ドキドキしちゃう!」

伯爵グラーフ!」

「冗談だよぉ、イェルク。まぁ、冗談はさておき……、実はね、ミアが今言った意見と全く同じ方法を実践している者がいてね。その人は一〇年間その方法実践しているが、現時点で人間を襲っちゃいない」

「え、ていうことは……」


 ノーマンは最初から答えを分かっていた。分かっていながら、ミア達が自力で答えに辿り着けるかを見定めたのだ。つまり、適性をすでに試されている。


「ちょっと時間がかかりすぎたのが気になったけど、まぁ、思考力は悪くないね!あえてロザーナの責任だと強調させてみたのも、『ロザーナに考えさせとけばいいなら、別に自分達は考えなくてもいいよね』って思わせる為でもあったけど。自分の問題だと正しく認識して考える、甘えない姿勢はいいね、いいよ!……って、あれ??」


 遂には、上機嫌に笑いだしたノーマンを、イェルクとロザーナが剣呑な目つきで見据えていた。


「あ、やっぱり、君達ご立腹??」

「「あたりまえです!!!!」」


 二人の怒声が重なり、室内にぐわんぐわんとこだます。堪らずルーイ共々両手で耳を塞ぐ。


「趣味の悪い真似はやめましょう、と何度忠告しても直りませんな!相手は子供ですよ?!」

伯爵グラーフったら酷いわぁ!!あたしが何で答えを言えなかったか、知ってくるくせに!!イジワル!!」

「あーあーあぁー、ごめんって、二人ともごめんって!!」

「いーや!いやいやっ!!絶対にイヤーッ!!!!」

「ほら!伯爵グラーフのせいでロザーナが駄々っ子化してしまったじゃないですか!!スタンがいない今、宥めるのがどれだけめんど……、大変か!!」


 ほわわんと穏やかなロザーナがキィキィ喚き散らすなんて余程の理由がある……のか??あったとしても、やはりミアには計り知れない。

 一方で、大人達がぎゃあぎゃあと騒げば騒ぐほどミアとルーイは却って落ち着きを取り戻していく。

 呆気に取られてぽかんと口を開けるミアに、ルーイは白けきった顔で問う。


「で、オレたちさぁ、めでたくここの人になれたってことなの??」

「さ、さぁ……??」

「と、とりあえずはね!試用期間設けて様子見ておこっかなと!!」


 ロザーナに肩を激しく揺さぶられ、猛抗議を受けるノーマンのえらく上擦った声に二人揃って噴きだしてしまう。見咎められたまずい、とすぐに顔を引き締めたところで、今度は真剣な声が降ってくる。


「二人には明日の朝一番、麓から城までの走り込みを始めてもらうよ。もちろん、毎朝!晴れていようと雨が降ろうと走ってもらうから。で、並行して銃器の扱い、体術の訓練。一通り叩き込んだら、山中で他の子達交えての実戦の予行練習。最低でも一年以内には使い物になってもらうから、いいね??」


はいヤ―」以外の答えなど、今の二人が持ち合わせる筈もなく。

 早速明日から地獄が待っていて多難すぎる前途だが、いいも悪いもやるしかない。

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