第10話 二つの呼称を持つ男

(1)


 白亜の古城は夜霧と闇に包まれて尚、白鳥のごとき優美さを湛えている。


 かつては馬を繋ぎ、休ませるところであっただろう場所へ停車し、降りる。凍えそうな冷たい空気に身震いし、着物の袖を合わせる。


『凹』を逆にした城の中央棟は六層、両翼の棟は各三層。中央棟の四層から六層目にかけて両端には尖塔があり、尖塔の間の外壁には二人の聖人の壁画が睥睨している。


 雨どいのグリフォンが見下ろす中、イェルクとロザーナに続き、中央棟へ続く石段を上がる。

 鉄よりも頑丈そうに見える木製の開き戸をイェルクが叩く。少し間があってから扉が開く。


 扉から顔を覗かせたのは、癖のあるブルネットの髪に、ひょろりとした体躯の少年だった。


 ミアより少し年上、ロザーナと同じくらいの年頃だろう。大きいけれど細長く伸びた鼻や下がり眉、目尻が下がった薄灰の瞳、やや締まりのない唇は優男の部類か。笑っているような柔らかな表情が一層そう感じさせてならない。(小柄な分スタンも優男に見えなくもないが、優男と呼ぶには表情や言動、性格がキツ過ぎる)そして、左手の甲には件の刺青。


 ミアの観察に気づいているのかいないのか。気づきながらも知らんふりをしているのか。

 少年はイェルクから順にミア達に視線を巡らせたのち、ふん、と軽く鼻で笑った。


「何、本当に連れてきた訳??二人ともよくやるよね。僕なら面倒くさいからまとめて始末しちゃうけど。人間じゃないし殺したところで問題ないしね」


 え、この人、今、なんて言った??

 ある意味、スタンに銃口向けられた以上の衝撃がミアとルーイを襲う。


「アードラ」

「だって本当のことじゃん。組織入りさせるには伯爵グラーフの説得が必要でしょ??説得できたとして、使えるようになるまでの面倒も見てやらなきゃいけない。それって余計な仕事じゃない??自分でやらなくていい仕事わざわざ作るとかバカのやることじゃん??ちゃんと報酬や見返りあるならいいけど、そうでもないだろうしね」


 イェルクが窘めたのもどこ吹く風。

 淀みなく長台詞を言う役者のようにアードラは一気に吐き出す。


「とりあえずは中に入れるけど、伯爵グラーフの元まで案内とか説得の協力は知らないからね。僕の仕事じゃないし、イェルクとロザーナだけでやってよ」

「うん、わかってる。アードラさんにはハイディマリーの件でお世話になったもの」

「あ、その件についてだけどさぁ、報酬がない代わり、何で返してくれる??別に金じゃなくてもいいけど……、例えば身体で返してくれても」

「アードラ!子供の前だし、そうでなくても今のは聞き捨てならんぞ!」

「ほんの冗談だって。いちいち怒らないでよ。イェルクでも怒るなんて意外。スタンにも言ってみたら飛び蹴り食らいかけたなぁ。寸でで躱したけど、マジで殺す気でかかってきたみたい。諸に食らってたら顎が砕けたかも」

「お前って奴は……」

「あたし、それでもいいけど」


 ロザーナの呑気な声とは裏腹に、場の空気が凍り付く。ミア達はただ嫌な感じがすると思うだけだが、イェルクの顔色が目に見えて変わっていく。


「ロザーナ!お前は……」

「アードラさんの仕事を手伝えばいいでしょお??諜報活動もなかなか骨折れるだろうし」


 言い放った言葉の真意を理解していないのか、もしくは恍けているのか。ロザーナのずれた回答に、アードラは白けて鼻を鳴らす。


「諜報活動だけじゃなくて僕は賞金首も狩ってるんだ。あんたやスタン、カシャとラシャ兄妹みたいに狩ってりゃいいだけならまだ楽なんだよ」

「うんうん、そうだよねぇ。どっちもこなせるアードラさんってホントすごい人だなぁ、って、あたし、尊敬してるよ!じゃあ、賞金の分け前を渡せなかった代わりに今度はどっちもお手伝いするわね!」

「別にお世辞なんて言ってくれなくていいし。イェルクにも今言ったばっかだけどほんの冗談だし、いちいち本気にしないでよ。共同任務なんて面倒くさいだけだし。あと、今回のあんたらに協力した分の報酬はスタンにせびることにしてるから。あの人、よっぽどロザーナに矛先向かわないようにしたいんだね。まぁ、そんな話はさておき、バカみたいに突っ立ってないでいい加減入ってきたら??寒いんだよね」


 中に入れないでいたのは、怒涛の毒舌の嵐が吹き荒れているせいじゃないか。


 ロザーナは平素と変わりないし、イェルクも表情自体は変わらない――、変わらないが、平静を装っているようで、こめかみに細く青筋が浮き立っている。


 天井を含め、全面鏡張りの玄関ホール。照度類の輝きが天井に、壁に、床に反射し、美しくも眩い。

 思わず目を瞬かせていると、「鍵を空けてあげたんだし、僕はもう自室に戻るから。これ以上は僕の仕事じゃない」と、扉の鍵を閉めながら言い放つアードラの声がする。次いで、素直に礼を言うロザーナと、ため息混じりに「あぁ……、好きにしろ」と答えるイェルクの声が続く。


「アードラさん、口はちょっと悪いけど根はいい人なの。本当よ??」


 邪気のない笑顔を浮かべるロザーナには悪いが、アードラはスタン以上にいい人に見えない。むしろ、スタンの方が数段マシに思えてきてしまう程だ。名前だけちらりと出てきた人達も似たり寄ったりな性格かもしれない。


 本当に、自分とルーイはここに来てしまって良かったんだろうか。

『伯爵』との対面に向けて、ミアの内心は大きな不安で覆い尽くされていた。

 玄関ホール最奥、螺旋状の大階段を一段上がる度、その不安は成長する一方。


『伯爵』に会う前に心臓が破裂するのでは、と心配する程速まっていく鼓動。きっと、真後ろでくっついて歩くルーイも同じだろう。

 気を抜くと荒くなりそうな呼吸。ロザーナとイェルクに気づかれないよう、潜め続けて歩くこと約10分。

 とうとう『伯爵』がいるという書斎室の前へ辿り着いてしまった。


 宝冠クラウンの左右に前脚をかけるグリフォン二頭。その彫細工の扉を上から下まで二度見する。

 扉の隣に視線を移せば、異国の軍服男性の写真。カナリッジよりずっと北西、かつて一大帝国を築き上げた島国。共通言語を母語とする国の軍服。


「この人が『伯爵グラーフ』??うーん……、伯爵アール??」


 カナリッジ語か共通語、どっちで呼称すればいいかわからない。


「うん、そう!昔は某国の空軍中佐だったらしいけど、一〇年前に退役してカナリッジに移住してきたんだって。あぁ、呼び方はどっちでもいいよ。ミアの呼びやすい方で」

「わかったわ」


 額縁に飾られた写真の男性をじっくりと眺めようとしたが、できなかった。イェルクが扉を叩き、向こう側にいるであろう『伯爵』に呼びかけてしまったから。

 なので、『髭を生やした威厳溢れる男性』という、ぼんやりした印象のみで対峙せざるを得ない。


「あれぇー、もう帰ってきたの??早いねぇ!」


 一瞬、何かの聞き間違いかと思った。


「まっ、いいや!ロザリンドもいるんでしょ??早く入ってきなよ、早く早くっ」


 ルーイと顔を見合わせる。なに、この、気さくな返事。

 もう一度、写真を見ようとして、今度こそイェルクが扉を開けたため、またできなかった。でも、余りにも親しげな語調に緊張も警戒心も不安も、全てが吹き飛ばされていた。

 先程のアードラの態度との落差もあってか、肩の力が一気に抜けていく。


「よく来てくれたねぇ。こんな辺鄙な山の中、大変だったでしょ??ご苦労様!あぁ、自己紹介が遅れたねぇ、僕の名はノーマン。まぁ、うちの子双頭の黒犬メンバー達は皆、『伯爵』って呼ぶから、君達もそう呼んでくれればいいよ、うん!」


 書斎机に座る『伯爵』ことノーマンは、ミアやルーイと目が合うと相好をくしゃくしゃに崩す。

 口髭と顎髭は写真通りだが、オールバックに流した(やや生え際が後退気味)白髪混じりの栗色の癖毛も、目尻が垂れ下がった群青サファイアの双眸も、やや小太りで人懐こそうな雰囲気も、写真とはまるで別人みたいだった。





(2)


「うんうん、だいたいの話はスタンレイから聞き出したけど、やっぱり本人達から直接聞くのが一番だねぇ。えっと、ミアとルーイだっけ??僕はね、人を見る目は確かなんだ。だから、君たちが嘘やごまかしができないだろう類の人種だってことはよーく伝わってきたよ。ロザリンドもね、説明不足なきらいはあるけど、嘘は下手くそだし」


 ミア達の話を一通り聞き、ひとしきり、うんうん頷いた後、ノーマンは変わらぬ笑顔で向き合う。


 ところで、住処に住む人達は(スタン以外)愛想がいいのだろうか。アードラも口を開かなければ表情自体は柔らかいし。(その分、毒舌の破壊力は凄まじいが)

 お手本のようにきれいな発音の共通語も、スタンと違い冷たさを感じない。


「でもね」


 ノーマンの笑顔は変わらない。変わらないが――、纏う空気はがらりと変わる。びりびりと肌を刺す緊張に全員の気がきゅっと引き締まる。


うち双頭の黒犬は慈善団体じゃない。『吸血鬼だけど血を吸わない、安全ないい子。行き場がないから賞金稼ぎになってみる』ってだけで来てもらっても、ねぇ??適性ってモノがあるよね??適性があるかどうかも分からない子を育てる程、僕もお人好しじゃないよ??ね、ロザリンド」

「う……、そう、だけど……」

「うんうん、分かってる分かってる。君がまったくの考えなしで二人を連れてきた訳じゃないことくらい、分かってる。でもね、二人には賞金稼ぎの適性以前に、ちょっと問題だなぁ、と感じてることがあるんだ」

「でも、二人は、人を襲わないって……」

「うん、それが問題なんだなぁ」


 ノーマンは首を捻り、考え込む素振りをして告げた。


「吸血鬼の身体が成長するには血を飲むことが必要不可欠でね。このまま血を飲まずにいれば、二人とも身体が成長しないまま大人になる。吸血鬼の体格が小柄で華奢な理由は昔と比べて血を飲む機会が減ってるから。例え、賞金稼ぎとしての適性があったとして、身体が小さく非力なままじゃ力が発揮できない。そこを僕は問題視してるんだよ」


 振り返ったロザーナ、イェルクの疑心の眼差しに、『そんなこと、私、全然知らなかったの……!』と、大袈裟なくらい頭をぶんぶん振るう。すぐに疑いが解けたのか、二人の視線は柔らかくなったが、ノーマンの視線が痛くて堪らない。

 ミアの、自身の血に対する無知、無関心を責められている気になってしまう。


「さぁ、この問題を解決するにはどうしようか??解決の糸口を探るのは僕じゃない。ミアとルーイ、ロザリンドだよ。特にロザリンド。君は管轄外の任務に失敗した上で、更なる独断によって二人を連れてきた。責任はきっちり払ってもらわないとねぇ」

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