第9話 双頭の黒犬➂
(1)
派手に布を切り裂く音に続き、ぶわり、羽毛が舞い散る。
真白の羽根は床の上――、割れた花瓶と無残に潰れ、水に濡れた薔薇の切り花、乱暴に投げ捨てられた本の山、なぎ倒された書斎机と椅子、叩き割った鏡台の鏡、びりびりに切り裂かれた寝具やカーテン等々の上へ降り注ぐ。広い部屋の真ん中で跪き、すすり泣くメイドや、メイドの髪を鷲掴むハイディの上にも降り注ぐ。
美しい金髪に絡まる白い羽根が邪魔臭い。苛立ちに一層拍車をかけてくる。
髪を強く引っ張り、メイドの横っ腹を力一杯蹴り飛ばす。悲鳴も出せない程の痛みで呻く姿を見ても、鬱憤は晴れるどころか、逆に苛立ちが募っただけ。
まるで図ったかのように城内から姿を消すなんて!
「ほんっと!ちっとも役に立たないんだから!!」
青白い顔を益々青くさせるメイドをいたぶりながら、幼き日、『遊び相手になってほしい』と屋敷に呼び出す度にいたぶっていたロザリンドを思い出す。だって、愛人の子なんだから私に逆らえないし。
万全の体制下での出産に拘わらず、私の母は産褥死したけど、あいつは母親共々健康に生まれてきたってね。
別に母が死んだことはどうでもいい。むしろ死んでくれたお蔭で母親にまで締めつけられずに済んだもの。父以外の周りは『母のいない子』という理由で割と甘やかしてくれたし。
ロザリンドをいたぶる時、顔や手など目に見える場所は決して傷つけなかった。代わりに胸や腹、脚、腕など衣服で隠れる場所ばかりを徹底して痛めつけてやったものだ。
でも、父に知れたら最後、二度と呼び出せなくなる。そしたら、格好の玩具で遊べなくなるじゃない??
いたぶっている最中、ロザリンドは決して泣きもしなければ笑いもしなかった。顔色すら変わらなかった。ただただ、『ごめんねぇ』と謝り倒すのみ。
いつしか月日が経つにつれ、どれだけ痛めつけても怪我を最小限にとどめるようになってきた。
後に判明したのは、ロザリンドが町の自警団に入り浸り、訓練を受けるようになったということ。
だから、どれだけ頑丈になったか試してやろうと階段から突き落としてやったけど、あれはさすがに調子に乗り過ぎた。
ロザリンドは足を骨折し、そのせいで父にこれまでの虐待が知られてしまった。
以来、腹違いの妹とは二度と会わせてくれなくなった。折角の玩具を奪われる失態を犯した自分が恨めしいったら――……!
「私の玩具の癖に……、生意気よ!」
メイドに向けてか、ロザリンドに向けてか、もうわからない。
とどめに、干からびるまで血を吸ってやろうと肩に掴みかかった時、ノックの音が聞こえた。
メイドを乱暴に突き飛ばし、作り笑顔で開けた扉の先には、ひょろりとした痩身、金縁眼鏡にそばかす顔、ハイディより少し年上の気弱そうな青年――、ヴェルナーに次期当主と定められたドミニクだ。
「あら、ドミニク様。私に一体なんのご用かしら??」
「ヴェルナー様から謹慎を言い渡されたと小耳に挟んで……。落ち込んでいないか心配で様子を見に来てしまいました」
「まぁ、心配してくださるなんて、とっても嬉しいわ!でも、お恥ずかしいのだけど、
「うん、わかったよ」
メイドに対してとは打って変わり、蕩けるような笑顔を向ける。声の調子も普段より高めてみる。
案の定、ハイディの笑顔に青白い頬に朱が差したドミニクを内心蔑みつつ、今は取り入っておこうと心に決める。
「ねぇ、聞こえたでしょ??10分で部屋を片付けなさい。今すぐ」
廊下で待つドミニクに聞こえないよう、メイドの耳元で低く囁いてやる。
別に長になれなくても、長の妻に収まるのもまた、一族を手中にする一つの手かもしれない。
たった一分にも満たない僅かな時間ながら、なかなかの名案だと自画自賛したくなる。
今に見てなさい、
(2)
整備されていない上に何度もカーブに差し掛かり、蛇行運転を繰り返す山道によって、車体は絶えず大きく揺れている。ミア達が車に酔わないよう気を遣ってか、イェルクは運転しながら絶えず話し続けていた。
「俺は元々、東の隣国リントヴルム出身で国軍に所属していた。最も国境防衛戦が激しい地域へ配属されて右眼と右手、あと両足の膝から下をやられたって訳だ!」
「え、じゃあ、カナリッジに移住したのって、機械義肢の手術とリハビリのためってこと?!」
「おぉそうだ」
他国民がカナリッジへ移住する理由の一つに、機械義肢の開発が周辺諸国で一番進んでいることが挙げられる。なので、事故や戦争で身体欠損した者が機械義肢を求めてやってくるのだ。
「あれ、めちゃめちゃキツいんだよね?!オレ、昔病院にずっと入院してたけどさぁ、リハビリ室の前通るといっつも泣き叫ぶ声が聴こえてきたもん!」
途中から車酔いでぐったりしていたルーイだったが、機械義肢の話になった途端に気分の悪さも忘れて話題に飛びついた。何せ、人間時代の彼の夢は『機械義肢の製作者になる』ことだったから。
機械義肢の話を興味津々に訊きたがるルーイをよそに、ミアはイェルクの着流しの下、ロングブーツで覆われた脚も機械なのかと、驚きを隠せない。
だから彼が話すカナリッジ語に違和感があるのか、と腑に落ちる。正確に言うと、彼はカナリッジ語ではなくリントヴルム語を話していた。
彼の故国の母語とこの国の言葉は訛りが少し変わる程度の違いしかない。その僅かな違いが却って耳についてしまうのかもしれない。決してイヤな訳ではないけれど。
「軍に入隊する前はな、医学生だった」
「ええっ?!うそ!」
イェルクはルーイの素っ頓狂な叫びに気を悪くするどころか、車内の空気が震えるくらいの大声で笑い飛ばす。
「本当さ!軍に入隊するために途中で退学したんだがね。まぁ、その時の知識が多少なりとも今は役に立っている」
「イェルクさんはね、住処で暮らすあたし達の怪我の治療とか健康管理をしてくれてるの。あとは銃器とかの武器開発、調整、修理とかもやってくれるし。人間と武器、両方の整備ができる、すごい人よ」
「武器はともかく、人間に整備と使うのは少々変じゃないか?!」
「例えですよぉ、例え!」
つまり、イェルクは裏方的な役割か。
もしも賞金稼ぎとしての適性がダメでも、裏方に回る仕事ができないかな。なんて、甘い考えかな。
「あの……、ちょっと訊きたいんだけど……」
「んん?!何だい」
「ロザーナやスタンさんだけじゃなくて、イェルクさんも同じ刺青彫ってる……、彫ってますよね??ロザーナは双頭の
おしゃべりついでにずっと疑問に感じていたことを口に出す。
イェルクはルームミラー越しにちらりとミアを見た。鏡に映る濃紺の隻眼は当惑しており、ミアから助手席のロザーナへ視線が移る。表情は見えないが、ロザーナの肩が小さくなった、気がした。
「ロザーナ」
「ごめんねぇ……、そのあたり、ちゃんと説明してなかったねぇ……」
「説明不足は君の悪い癖だな!」
「ミアもルーイもごめんね、ごめんねぇ……」
「謝るより説明をまず先に、だぞ!」
イェルクに窘められ、後部座席を振り返ったロザーナがあんまりにもしょんぼりしていて、憤慨するより気の毒に思えてくる。
ミアの質問に対する(謝罪を交えての)答えを要約すると――
刺青は組織の名称及びメンバーの印。
ただし、この刺青は組織の頭である『伯爵』が認めた精鋭のみに許されていた。また、精鋭は『住処』と呼ばれる伯爵所有の古城に定住できる。
双頭の黒犬メンバーの功績は市井にも知れ渡っていて、絶対に彼らを敵に回してはならないと認識さている。ロザーナが黒髪に染めていようとミア達を引き連れていても、(ビール瓶投げつけられた以外)不都合が生じなかったのは彼女が精鋭の一人だったから。
「今現在、
「精鋭以外の人たちはどうしてるの??」
「うーん、
「ロザーナはやめた方がいいな、報連相が少々なってない!」
「うぅっ……」
がくっと項垂れるロザーナの情けない背中。自分達の前だと何かと引っ張ってくれる、頼れる姉みたいなのに。やっぱり私たちはどこか似た者同士かも。
住処に近づきつつあると共に高まる緊張の中。ほんの僅かに和やかな気分になれた。
そして、いよいよ、闇に浮かぶ白亜の古城が眼前に迫りつつあった。
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