第8話 双頭の黒犬②

(1)


 ビールをすっかり飲み干すと、ロザーナはにっこりと笑った。

 十五歳なら成人年齢に達しているが、まだ酒を飲み慣れてない筈の年頃。にも拘わらず、顔色一つ変わっていない。


「ごちそうさまぁ。この子達に下手なちょっかい出さない方がいいよ??双頭の黒犬シュバルツハウンド関係者だから」


 ロザーナは道路を挟んだ向かい側、バーのテラス席を陣取り、囃し立ててくる男性数名に向けて瓶を投げ返す。

 追い打ちをかけるように、オルトロスに似た不気味な刺青を見せつければ、男達は途端に息を飲み、縮み上がる。彼らを一瞥すらせずロザーナはすぐにミア達に向き直る。


「ミアもルーイも大丈夫??怪我はない??」

「う、うん……!あ、借りてる服、汚しちゃったかも……」


 本当は、服じゃなくて(もちろん、服も大事だが)全然別のことを言いたかったのに。


 刺青はロザーナ曰く組織に関係するものだろう。でもなぜ、刺青ひとつで粗暴な男達は一瞬で大人しくなったのか。あの人達はただ酔っ払ったからじゃなく、ミアの髪の色で吸血鬼だと分かり、危害を加えたのか。


 言いたい、訊きたい。なのに、言葉が喉の奥でつっかえて出てこない。また弱気の虫がミアの邪魔をする。


「へ??いーよ、いーよ!全然気にしないで。それより、早く服屋さんに入ろっ」


 ミアの内心の葛藤など知る由もなく。ミアとルーイ、それぞれの手を取ると、ロザーナは二人を店内へ引っ張っていく。


 出迎えてくれた初老の女性店員は三人を、厳密に言えば、ミアとロザーナを一目見るなり、ぎょっと目を剥いた。しかし、ここでもロザーナの刺青を目にすると、別段何を言うでもなく店内に通してくれた。

 ちなみに、この服屋も洋装だけでなく着物や着物をアレンジした衣服も置いてある。


 吸血鬼と関わり深い東の一族の文化を取り入れるなら、吸血鬼とも仲良くしてくれればいいのに――、なんて、甘い考えかもしれないけど。でも、少なくとも、自分もルーイも血を吸わないんだし。


 いっそのこと、『私は吸血鬼だけど人間の血なんて吸いません。だから仲良くしてください』って書いた紙を背中に貼って歩こうかしら。


「ね、ね!この蝶柄のキモノなんてどう??ミアの目の色と同じきれいな赤だし、色違いの黒も意外と似合うんじゃなぁい??ルーイはこの長袖Tシャツとか!無地だけど首や袖の縁の毬柄がいい感じでしょぉ??」


 右手にミア用、左手にルーイ用にとそれぞれの服を抱え、ロザーナはこれはどうだ、あれはどうだと色んな衣装を宛がってくる。鼻歌混じりに、けれど、二人が口を挟む隙すら与えない勢いで。


 その勢いに押されたからか、ルーイの服は割とあっさり決まったが、優柔不断なミアはなかなか決まらない。終いには暇を持て余したルーイがロザーナと結託し、衣装選びを手伝い始める始末。


「ね、ねっ、これはどう??やっぱり着慣れた赤と黒のタータンチェックのキモノが落ち着く??」


 昨日までミアが着ていたのと似た柄の着物を宛がってきたロザーナに「う、うん……」と辛うじて答える。正直、着せ替え人形状態に疲れてきている。


「ねぇ、ロザーナはいいの??」

「んー??なにが??」

「自分の服買わなくても」

「あたし、自分がおしゃれするのは苦手なの」


 なんで??と問おうとして、できなかった。

 ぽんっと衣装を手渡され、強制的に試着室へと押し込まれたため、台詞に込められたロザーナの真意は分からず終い。


「ねー、ミア。どーお??着てみたぁ??」

「ちょ、ちょっと待って……!」


 試着室の鏡に映るのは、服装も含めて昨日までとほとんど変わりない自分。

 でも、だけど、今日からは――、否が応でも変わらないと!

 さっきの弱気の虫ともお別れしないと!


 くるり、鏡に背を向け、決意を新たにミアはカーテンを開けた。











(2)


「はい、到着!二人ともよく頑張ったねぇ」


 足が棒になりながらも必死で歩き続け(一つ目の街を抜け、次の街へ入った時にはもう脚はガクガク)、『組織の住処』こと白亜の古城そびえる山の麓に到着した時には、すでに夕刻を過ぎていた。


 吸血鬼城から眺望できる景観と大差なく、針葉樹が山全体を覆っている。落陽の橙に染まる、簡易的に補正された山道の入り口付近は人家どころか人気がまるで見当たらない。

 馬車の駅亭はあれど、肝心の馬車の姿など一台も見当たらない。


「うーん、迎えの車は来てないみたいねぇ。一応電話でお願いしたのになぁ」

「も、もし、車がこなかったらどーすんの??」

「住処まで歩いて行くしかないかなぁ」


 膝が笑い過ぎて立つのもやっと、途中で買った(正しくは買ってもらった)杖にしがみつきながら、おそるおそる問うルーイに、ロザーナは申し訳なさそうに答える。


「えっ!?まだ歩く……、の??う、うそだよねぇ……?!」

「疲れてるのにごめんねぇ、でも、安全な山道通っていくから大丈夫!」


 がんばろーね!と軽めのガッツポーズを決めるロザーナに対し、ミアとルーイは今にも口から魂が抜け出そうだ。


「それにね、最初の訓練は麓から住処まで走り込みするの。だから、ちょっとでも慣れておかないと」


 夕陽と入れ代わって薄闇が降り始めた。目の前の山道、周辺を覆う樹々、山道を沿って古城が位置する辺りまで視線を巡らせる。

 この距離、高さを走り込む?!整備された街中を歩くだけでぐったりするのに?!


 非常に情けないことに、服屋で新たにした決意が揺らぎそうになる。さっきからルーイが泣きそうな顔で着物の裾を引っ張ってくる意味も察せられる。でも、今更引き返す訳にもいかない。


 きゅっと唇を引き結び、再び山道を真っ直ぐ見つめる――


「あれっ??」


 薄闇に紛れ、ゆっくりと山道を降りてくる影。影の前方は二つの丸く明るい光が浮かんでいる。

 ロザーナもルーイもそれに気がつき、ルーイは大仰なまで胸を撫で下ろす。


 影の正体はV8型エンジンを搭載した黒い車だった。


 本で見たり、話に聞いたことはあれど、丸いフォルムに艶々と黒光りする車体も、猫の目みたいにぎらぎら輝くヘッドライトもこの目で直に見るのは初めてのこと。

 疲労も忘れ、目を凝らして車体を観察していると運転席の扉が大きく開く。


「…………」


 車から出てきた人物が一歩近づくごとに、ミアとルーイはほんの少しずつ後ろへ下がっていく。断じて、銃なり何なり武器を突きつけられている訳ではない。

 ただ、その人物は今までミア達が出会った(数は知れているが)成人男性の誰よりも上背があった。


 単純に二人が同年代の子供と比べ小柄なので、余計にそう思うのかもしれない。だが、彼は長身女性のロザーナと並んでも頭一つ分以上身長差があった。

 白い着流しに紫の羽織りを纏う姿に、街で味わった複雑な気分に再度陥る。彼の右側の首筋には、やはり双頭の黒犬シュバルツハウンドの刺青が。


「イェルクさん、お迎えありがとうねぇ」

「うん、ロザーナもご苦労!」


 よく響く快活な声が夜気を、辺りの樹々の枝葉を震わす。

 空に浮かぶ黒雲でさえ、今にも逃げだしそうだ。


「で、この少年少女が例の……」


 例のって何、と、そわそわするも、イェルクと呼ばれた男が振り返ったことで緊張と警戒心が一気に高まった。そして、いつものように、現実逃避という名の観察を始めていた。


 目も鼻も口も全てのパーツが大きく、どことなく梟に似ている。肩より少し長く、ハーフアップに結った暗めの金髪はいかにも硬そうだし、ミア達を見据える濃紺の瞳の力強い視線にも怖気づきそう――、ここで、ミアはハッとなる。


 この人、片目が見えないんだ。

 眼帯に覆われた右眼からそれとなく視線を逸らす。


「吸血鬼のお嬢さん、この眼が気になるかい??」

「え、その……」

「夜間に運転できる程度には見えている」

「…………」


 どうやらイェルク、ミアが彼の運転に不安を感じたのだと捉えたらしい。

 違う、そうじゃないと言いたいけれど、隻眼をじっと見てはいけないと思ったからとも言えない。

 上手く返事が返せないミアを心配してか、ルーイがしきりに背中をつついてくる。頼みのロザーナもなぜか一言も口を挟んでこない。


 これはなんとかしなければ――、すぅうーと大きく深呼吸し、口を開く。


「あの、いえ、違うんです。車の運転とか、私、よくわからないので……それよりも……、ちょっとお尋ねしたいことが……」

「うん??」

「か、片目でも賞金稼ぎのお仕事ってできるものなんですか??」


 口に出した瞬間、失敗したと悟る。

 ここにきて初めて、ロザーナの顔色がさっと変わったのが何よりの証拠。ルーイも小声で『ミア姉、それまずいって!まずいってばぁ!!』と涙目だ。

 ミア自身、自らの失言に泣きたくなったが、自ら引き起こした過ちで涙を流す訳にはいかない。


「お嬢さん!俺は賞金稼ぎじゃない」

「へ??」


 音量はともかく、予想に反して穏やかな声が降ってきた。

 つい間抜けな声を漏らしてしまったが、それどころじゃない。


「その辺りの話は住処までの車中で話そうか。早く車に乗りなさい」

「は、はい」


 よ、よかった。でも、賞金稼ぎじゃないなら、一体何をしている人なのか。


 とりあえず、自分とルーイへの敵意が感じられないだけ、スタンと違い友好的な人でよかったと、心から安心できた。しかし、安心に気を取られ、ミアは気づいていなかった。


 車の扉を開けるイェルクの右手が、機械製の義手だということを。

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