第7話 街へ

 母は美しく優しいけれど、弱く不器用な人だった。


 清貧の薬屋に生まれながらも独学で薬学を学び、独自に薬の研究・開発を行っていたのに。

 妻の不妊に悩み、秘密裏に薬屋に通っていた町の領主の子を身籠ってしまった。


 領主と図らずも恋仲に発展してしまったのか、無理矢理手籠めにされたのか。

 真実は今もって判明していない。別に知りたいとも思わない。


 生まれた女児ロザリンドは認知され。最低限生活できるだけの援助は惜しまれず。


 でも、母は生きている間中、ちっとも幸せそうじゃなかった。

 いつも、いつも怯えてばかりいた。


『女の子は誰でもお姫様になれる』『清らかな心を持つ美しい女の子は必ず幸せになれる』


 全部嘘、嘘ばっかり。

それは本物のお姫様だったり名家のお嬢様だから。


 ただ美しく清らかで優しいだけの人にはね、搾取される一方の人生しか待っていないの。









(1)


 一夜明け、宿の地下食堂の一席に皆で腰を下ろす。混み合う前にと、午前六時と少し早い時間に入ったお蔭か、ミア達の他に食事客はほとんど見当たらない。


 壁に飾られた雄鹿の頭の剥製数点、奥のカウンター席より更に奥、厨房で働く人々を興味津々で眺めていると、ライ麦粉を使ったロッケンブロートパン二切れ、薄切りハム、クリームチーズ、トマト、ザワークラウトを添えた皿が三つ、クランベリージュース、トマトジュース、ミルクティーが運ばれてきた。


 神への祈りもそこそこに(そもそもミアとルーイは無宗教)食事を始める。テーブルの中央に置かれたバスケットには、バターブレーツェルプレッツェルパン、胡麻やケシの実が生地に織り込まれたカイザーゼンメルなど数種類のパンが詰め込まれている。


 食事の邪魔になるからか、ロザーナは長い髪をひとつに緩くまとめて右肩へ流している。双頭の黒犬シュバルツハウンドの刺青が丸見えだ。


 いいのかな、とちょっと心配しつつ、昨夜から続く空腹には勝てず。ブロートにハムを乗せ、ミアは夢中で頬張る。城での食事中ならば『はしたない』と注意されてしまうが、今ならきっと、大丈夫。他の二人も昨日の昼から食事を摂ってないので、黙々と皿の料理を口へ運んでいく。


「ん!んー!!」


 唇を閉じてはいるものの、食べ物を口に入れたまま声を出すなど行儀悪すぎる。

 わかってはいる、わかってはいるけれど。


「ミアってば、バターブレーツェルが気に入ったの??」

 バスケットからミアがいたく気に入った、ハートの形に結んだブロートを自分の皿に乗せながら問うロザーナに、こくこくこく!と小刻みに何度も頷く。

「あたしもねぇ、大好き。結び目の細いとこはカリカリしてるし、太いとこは柔らかくて一粒で二度おいしい!って感じでしょっ??」

「うん、ちょっと塩っぽい味もクセになりそう。こんがりしたキツネ色……よりも濃いかな??表面がつやつやしてるのがまたね、おいしそうに見えるの」

「オレもこのカリカリ感大好き!!」

「ねー!あたし達、気が合うねぇ。そうだ、ブロートと飲み物のおかわりはできるみたいだから、遠慮せず食べて!」


 と、勧められたものの、残念ながらミアもルーイも食自体は細い。もっと食べたい気持ちは山々だけど、一人ブロートをおかわりするロザーナを、指を咥えて見るだけに留めておく。一見華奢に見えるのに、どこへ入っていくのだろうと驚きつつ、だから背が高いのかなあ、とか、銃器を振り回す力があるのかなぁと思ってみたり。


 ちなみに今現在ミアが着ているのはロザーナの服。しかし、二人の身長差が一回り以上あるせいか、彼女のリブ編みニットはミアが着ると超ミニ丈ニットワンピースになってしまう。袴スカートを合わせているので脚の露出を避けられたのが幸いだ。


「さてと……、食べ終わったし、そろそろ出発の準備しよっか。今日の予定だけど――」


 朝食後、部屋で荷物をまとめながらロザーナは本日の予定を話す。その内容を要約すると――

『まずはミアとルーイの服を買いに行く。昼食を摂る。ロザーナ曰く『住処』と呼ぶ組織の所在地へ向かう』


「ねぇ、その、スミカにはどうやって行くの??」


 宿を出てすぐに問いかけるルーイに、ロザーナは「もちろん、徒歩だよぉ」と答える。

 ミアとルーイにどっと疲れが押し寄せ、徐にげんなりした。


「大丈夫、そんなに遠い場所じゃないから」

「じゃあ、どこにあるの??」


 少し疲れた語調のミアの問いに、ロザーナはある方角を指差す。

 剣や銃器を扱うせいで少し皮が厚くなり、黒ずんだ指先が示す先を見た二人は驚きの声を上げる。


 吸血鬼城が建つ森、その間に街を二つ程(そのうちの一つが今ミア達がいる街)挟んで相対する場所に、渓谷を間に挟む二つの山がある。

 街からは見えないが、天気のいい日、吸血鬼城の窓からは二つの山の内、左側に白亜の古城が遠くに見えることをミアもルーイも知っていた。

 あのお城は、他国からカナリッジに移住してきた大貴族の所有物だとも聞いている。


「もしかして、あのお城が……」

「正解!そのお城の主こそ、うちの組織の統括者なの。貴族って言ってもね、そこら辺のおじさんみたいにとっても気さくでいい人よ」


 思わず、そっとルーイと目配せし合う。たぶん、ルーイも同じ気持ちだろう。

 ロザーナが言うところの『いい人』基準がガバガバすぎるのは、昨夜のスタンで証明済み。


「また途中で仲間に電話するから、街を抜けて山の麓に到着する頃にはきっと誰かが迎えに来てくれるわ。だから、上手くいけば今日中には住処に到着できるから。今日も頑張って歩こうねぇ」


 昨夜散々歩いて、足がすっかり筋肉痛なんだけど……、とは、口が裂けても言えない。

 こんな、きらきらと眩しい笑顔向けられちゃ、余計に。

 ルーイも諦めたのか、引き攣った半笑いでごまかしている。


「う、うん……、頑張る、ね」


 そう答えるだけで精一杯だった。






(2)


 宿場街道を東へ歩くこと30分。建物の様子が少し変わってきた。

 建物の構造自体は変わらないが、各建物の屋根に様々な鉄看板が設置されているのだ。葡萄やハサミ、剣と防具などなど。


「鉄看板の模様でそこが何の店かを示してるの。葡萄は酒屋さん、ハサミは理美容店、蛇は薬屋……」

「剣と防具は武器屋だよ!」

「そうそう、ルーイの言う通り!まぁ、今は本物じゃなくて玩具とかレプリカがほとんどなんだけど」


 興味津々で鉄看板を見上げるミアにロザーナとルーイは一つ一つ指差しては説明していく。

 

「で、あたし達の目的、衣装店は……、ここ!」

 豚の後ろ脚を紐で引っ張る女の子の鉄看板の建物前でロザーナは立ち止まる。

「なんだけど……、その前に電話を架けたいから、少し待っててくれる??」


 ルーイと共に、うん、と返事するやいなやロザーナは店の前、石畳の歩道脇にある電話ボックスへ入っていく。人ひとりしか入れない、黒の格子枠に囲まれた全面ガラス張りの狭い箱。

 なんだか窮屈そうだなぁ、と思いながら、ロザーナが出てくるのを大人しく待つ間、通り過ぎていく人々をさりげなく観察してみる。


 カナリッジは他国から流入する移民が多く、ごく一般的な普通の洋装の人々に混じって東方風の衣装を纏う者もいる。

 東方風と一口に言っても漢服や旗装服など大陸東部の衣装だったり、頭にターバンを巻いていたり、オーガンジーの巻きドレスだったりと多岐に渡っている。その中には、ミアが好む着物風の衣装を纏う者も。着物は――、吸血鬼一族に与した者達、東方の島国の文化なのに。


 何百年も前、海を越えてカナリッジに移住した東の一族は、明らかにこの国の人々とは異なる髪や目、肌の色により生活に支障をきたすほどの差別を受けた。そんな彼らに手を差し伸べたのが吸血鬼一族だった。


 当時の吸血鬼一族は血族婚を繰り返しすぎた結果、不具や奇形、夭折者が後を絶たず、存続の危機に陥っていた。よって、この国で同じく存続の危機に瀕していた東の一族と手を組むことに決めたのだ。

 カナリッジで黒髪が忌避されるのは、吸血鬼と交わった経緯があるから。

 差別しておきながら文化だけは取り入れる矛盾。


「しかたないよ。弱きに調子よく振る舞うのも、どこまでも都合良く扱うのもまた、人のさがだもの」


 電話ボックスの扉が開き、諦観が籠ったロザーナの声にどきりとする。なんでもない風を装い、振り返ってみれば、笑顔もどことなく曇ってるような。


「ねぇ、なんで私が考えてたこと、わかったの??」


 まさか、賞金稼ぎには人の思考を読む能力まで備わってるとか?!


「んー、勘??」

「勘っ?!」

「んー、考え事してたミアの顔、ちょっと前までのあたしと似てる気がしてねぇ。ひょっとしたら、似たようなこと考えてて、たそがれてたのかなぁって……」


 ロザーナの話し声に紛れて、ブンッ!と少し重い音が空を切るのが確かに聞こえた。ロザーナからも笑顔が消え、険しい表情に切り替わる。


「ルーイくん、頭下げて!!」

「ふへ?!」


 ミアは叫ぶと同時に、状況が読めずきょとんとするルーイを咄嗟に庇い、共に石畳の歩道に倒れ込む。互いに頭ぶつけないようにだけは気をつけたが、身体のあちこちを擦ってしまった気がする。服もロザーナの物なのに汚してしまった。(ごめんなさい)


 音から察するに誰かが瓶のたぐいをミア達に投げつけようとした、らしい。

 頭上ではロザーナが、投げつけられた凶器もといビール瓶に口をつけ、喉を鳴らして飲み干している最中だった。

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