二章 Edge of Life

第6話 双頭の黒犬①

(1)


 吸血鬼城が建つ山の麓から一番近い宿場街道まで歩くのは、城の庭園や森の中の散歩くらいしか歩いたことのないミアにとって苦行に近かった。

 道中、ミアの出自やこれまでの境遇など含めロザーナがおしゃべりで気を紛らわせてくれたり、何度か休憩を挟んでくれなければ(ミア達のため以外でロザーナが休憩入れたのは一度、どこかへ電話をかけた時だけ)目的地に到着できなかっただろう。


 感謝の一方、彼女一人であればもっと短時間で到着できたかもしれない、とも思う。くたびれて寝てしまったルーイを背負う背中を前に、申し訳なくもあった。


 夜闇に染まる石畳の歩道の左右、木組みの家並みをきょろきょろ眺める。

 細長い三角屋根、小さな組子窓、家ごとに違う色とりどりの外装がなんだかかわいい。ドールハウスの世界に紛れ込んだみたいだ。


「宿はここ」

「えっ??あ、うんっ!」


 他の建物同様、太い木材で作られた正面のファサード前で立ち止まり、指を差すロザーナの呼びかけで我に返る。入るよ、と促され、慌てて後へ続く。


 受付カウンターで一人部屋から二人部屋への移動を交渉するロザーナの隣で、初めて人間の生活圏内に入ったんだぁ、と、感慨に耽る。

 背中が破れてるのはもちろん、吸血鬼と悟られないよう深く被ったモッズコートのフードの下、自然と表情が綻ぶ。不安でいっぱいだった胸が少しずつ湧き踊り始める。


「わぁ……」


 交渉が済んで案内された三階の部屋に入るなり、目を輝かせて感嘆の声を上げる。

 広さ六帖の室内には壁際に申し訳程度の洗面台、ハンガー付きフック二つ、二台のシングルベッドがあるのみ。貴族並みの生活を送ってきたミアの意外な反応にロザーナは目を丸くした。


「こんなとこ嫌だって言われないか、ちょっと心配したけど……、大丈夫そうでよかったぁ」

「なんで??普通の人間って、こういう場所に泊まるんでしょ??」

「うーん、普通かどうかはわかんないけど、そうかなぁ??でも、『普通』はもう少しだけマシな宿に泊まるかも??」

「へぇ、そうなの??」

「うん、たぶんねぇ」


 気の抜けた会話の後、互いに顔を見合わせ、えへへへ、と笑い合う。

 武器を握っている時は少し怖いけど、おっとりと優しいロザーナはとても話しやすい。まだ出会って数時間しか経ってないが、自分と波長が合うような気がする。変に気負って話さなくてもいいから、かもしれない。

 最初はロザーナへの不信感いっぱいだった筈のルーイも、すっかり安心しきって寝入ってしまった。そんな彼を「んしょっ」とベッドに下ろし、起こさないようにそっと薄手の毛布をかけてくれている。

 長い髪の隙間からちらり、左側首筋に双頭の黒犬シュバルツハウンドの刺青が見えた。


「ミア、おなか空いてるよねぇ??地下の食堂で適当な軽食買ってくるから、お留守番お願いできる??」

「うん、いいけど……」

「なにか食べたいものは??逆に、キライなものや食べられないものはない??」

「食べ物の好き嫌いは、特にない、かな……。ルーイくんも好き嫌いはないよ。……あ!」

「ん、なあに??」


 ミアが言い淀んでも、苛立ちも急かしもせずロザーナは微笑んで待ってくれる。


「あのね……、もし、あればでいいんだけど、クランベリージュースとトマトジュースが欲しい、な……」

「あは、了解っ!教えてくれてありがと。すぐ戻るから待っててねぇ」


 言うが早いか、ロザーナは戦闘時並みの素早さで扉を開き、同じだけの素早さで鍵をかけて部屋を出て行く。

  手持ち無沙汰な状態を持て余し、ひとりミアは眠るルーイの枕元に腰かけた。壁時計の秒針とルーイの寝息が聞こえるのみの静けさ、収まった筈の不安が再び押し寄せてくる。


 人間になりたいと憧れていたし、本などで市井の暮らしなども何となしに知ってはいる。だからといって何の準備も覚悟もなく、身一つで飛び込まざる得ないとなると話は変わってくる訳で。

 ロザーナが信用に足る人だと即決即断し、ついてきてしまったけど――、果たして賞金稼ぎなるものに、本当に自分はなれるのか。


 ルーイは深く寝入っているらしく、目覚める気配がない。むにゃむにゃと言葉にならない寝言を言うルーイに、いいなぁとひとりごちる。その時、ノックの音がした。


「随分早かったね、戻ってくるの……」


 ロザーナだと疑いもせず扉を開け――、中途半端に開け放したまま固まる。

 扉の前にいたのはロザーナじゃない。黒いモッズコートを着た、鈍色の髪の小柄な成人男性だった。


「ロザーナはどこだ」


 反射的に扉を閉めようとしたが、あえなく阻止される。扉を押さえつける男と扉の間に挟まれ、身を竦めるしか成す術がない。


 顔の半分が隠れる程伸びた前髪から切れ長の三白眼が垣間見える。眼光の鋭さ冷たさに背筋が凍りつく。小柄といえども、更に小柄なミアよりはずっと上背があるのも恐怖に拍車をかける。


「もう一度訊く。ロザーナは……」

「あ、貴方こそっ、だ、誰なのっ?!」


 どもるし声は上ずるし、肩に無茶苦茶力入るし。何よりこの人の威圧感半端ない!

 お手本みたいに完璧すぎるくらい完璧な共通言語で喋るから、余計に威圧感が増す。


 でも、どんな人だろうと身元の確認は大事だもの。ロザーナはきれいな子だし、変質者だったら追い返さなきゃ。


「お前の質問に答える必要などない。俺はロザーナに用があるだけでお前に用はない」

「あ、貴方は良くても私は良くないんですっ!ちゃんとお留守番してって頼まれたんだもの!それに、勝手に部屋へ押し入るのはっ、不法侵入っていう犯罪だって本に書いてありました!!というか、もう一回訊くけど、貴方は誰なんですか!!言えないのなら、変質者認定しちゃいますっ!!」


 怖くて怖くて仕方ない筈なのに。やけくそ気分も手伝って必死に言い返す。

 ロザーナに早く戻ってきてほしい気持ち半分、もう半分はこの男と鉢合わせになってほしくない気持ちで頭がぐるぐる回る。


「そうだそうだ!!」

「ルーイくん?!起きちゃったの??」

「だって騒がしいんだもん、目ぇ覚めちゃった」


 男はミア、ミアの背中に張りつくルーイを交互に睨みつけ、これみよがしに舌打ちをした。

 そして、びっくぅぅっ!と揃って肩が跳ね上がった二人、ではなく、ルーイに向け、ホルスターから拳銃を引き抜く。


「本来ならお前達二人とも始末してやりたいが、ロザーナから先に電話をもらっている。だから小娘の方には何もしない。非常に不本意だがな。だが、そっちの子供に関しちゃはっきり言って邪魔だ。吸血鬼を二匹も組織に引き入れるのはあまりに危険すぎる。ロザーナがいないなら、始末しておくのにちょうどいい」


『組織』ってことは、もしかして――、ロザーナの、仲間……??

 だったら、なんで、私たち、こんな酷いこと言われたり、銃まで突きつけられてるの?!


 男が銃を握る右手の甲には双頭の黒犬シュバルツハウンドの刺青。ロザーナの首筋にあるものと一緒。あの刺青の意味はなんだろう。

 また現実逃避したいのか、どうでもいいことに限って目についてしまう。って、今はそれどころじゃない!


「あたしを心配してくれてありがとぉ。でも、電話でも言ったけど、本当に二人は大丈夫だから、ね。スタンさん」


 一触即発の事態に終わりが訪れる。

 功労者のロザーナは男に、スタンという名らしい――、背後からぎゅっと抱きついていた。ちなみにほぼ同じ身長なのか、二人とも顔の位置が変わらない。

 抱きつかれた途端、スタンの殺気が霧消した。それはそれは、いともあっさりと。


「ねぇ、ロザーナ。もう放してもいいような気がする、かも……。さっきからこの人、息止まってる……??」

「えっ??」


 遠慮がちに指摘すると、抱きついたままロザーナは彼の表情を窺う。

 スタンは目をかっぴらき、彫像のごとくぴしりと固まっていた。






(2)


「びっくりさせちゃってごめんね、ごめんねぇ。この人はスタンさんっていって、うちの組織の仲間なの」


 開きっ放しだった扉を閉め、改めてスタンを紹介するロザーナの笑顔と朗らかな声が清涼剤となり、殺伐とした空気を和らげる。だが、彼女の隣で当のスタンが仏頂面を下げて黙っているため、緊張は解けやしない。


「ロザーナに免じて許してやるが、俺自身はお前達吸血鬼がうちの組織に入るなど断固として認めるつもりはない。少しでも危険だと判断したら、即嬲り殺してやる」


 殺気立つスタンにひぃっと首を竦めるミアの背後で、ルーイは「ムッツリスケベ」だとか「ハゲろ」だとか、怨念めいた毒をカナリッジの母語で吐き散らしている。

 普段は素直でかわいいが、嫌いな相手には一転、毒舌を振るいまくるのだ。


「ちょ、ルーイくん」

「だいじょうぶだよ、ミア姉。あいつ、共通語しか使ってないし、たぶんカナリッジの言葉わかんないんじゃ」

「誰が共通語しか使えないって??カナリッジ語は使えるが使う気がないだけだ。むしろ、共通語を話せない無教養な輩に利く口など俺にはない」


 嫌みなくらい流暢なスタンのカナリッジ語に、今度こそルーイは黙るしかなくなった。


「もう、小さい子達を脅しちゃダメだって。あ、これ、頼まれてたジュース。クランベリーがミアで、トマトがルーイでいいんだっけ??時間が遅いから食事は作ってもらえなくて、ジュースだけしかなくてごめんねぇ。おなか空いてるだろうに」

「ううん、気にしないで。ありがとう」


 スタンとミア達の間に割って入るかのように、ロザーナは持ってきたジュースを二人にそれぞれ手渡す。


「スタンさんもあたしに話があるんでしょ??ハイディマリーの件についてよね??」

「あぁ。だが、この部屋じゃまずい。俺の部屋で話をしよう」


 ロザーナはミア、ルーイ、スタンの順にちらり、視線を巡らせる。


「うーん……、そうね。そうした方がいいかも。ごめんね、ミア、ルーイ。ちょっとスタンさんのお部屋に行ってくるから、またお留守番お願い」


 ロザーナは何度も謝りながら、スタンと共に再び部屋を出ていく。

 蚊帳の外の状況。近いと思った筈のロザーナとの距離は、まだまだ遠いのだと、思い知らされるミアだった。







(3)


「空挺を無断で借りたの……、大丈夫だった??」


 スタンの部屋に入るなり、ロザーナは二つ並んだベッドの内、右側へすとんと腰を下ろした。心配げに見上げてくる菫の双眸を、スタンは少し離れた壁際に凭れて見下ろす。

 薄暗い室内、薄青キトゥンブルーの虹彩が透明に輝いて見える。


「大丈夫な訳がない」

「やっぱり伯爵グラーフにバレちゃった??」

「あぁ。さすがに空挺一基無断で借りたら、まぁ、普通にばれるだろうな。住処に戻って早々アードラが、『伯爵グラーフがあんたらのせいでゴキゲン斜めでうっとうしい。なんとかしてくれ』と文句を垂れるし、伯爵アールには雷を散々落とされてきた」

「ご、ごめんなさい……」

「別に??アードラだって賞金の分け前目当てとはいえ、諜報力駆使して吸血鬼城の内部図を作成したんだ。空挺の無断拝借に関してお前は最初から乗り気じゃなかったし、俺が強引に協力したことにしておいた。気にする必要はない」

「でも」

「今回の後始末なら俺が全部やっておく。それより、お前が気にするべきはあの子供達の組織入りを伯爵アールに認めてもらうことだろう??一人ならともかく二人となると……、説得は難しいかもしれん。だから、一人は始末しようと……」

「ダメ。それだけは絶対ダメ!」


 勢い余ってベッドから立ち上がりスタンに詰め寄れば、「わかった、とりあえずはもう手出ししないから安心しろ」と諦め顔で諭される。だがホッとしたのも束の間、再び厳しい表情を向けられる。


「ただし、俺だけじゃなく伯爵アールに認めさせなければ話にならないからな。頑張って説得しろ。アールさえ認めれば他の連中……、アードラやイェルク達も内心はともかく黙って従う筈。本当は説得も協力したいが……、俺は空挺の件への罰で、しばらく拠点から離れた場所の仕事を回されることになった」

「え、そうなの……、ごめんなさい」

「だから謝るな。謝るより責任を全うしろ。ただでさえ管轄外の獲物狙ったあげくに失敗したのだから」

「……そうね……」


 仲間を巻き込んで、様々なお膳立てしてもらって。その癖、大失敗した口惜しさ、歯がゆさがじわじわと胸中に黒い靄を形作っていく。

 折良く、スタンの掌がぽん、と頭頂部へ下りてきた。背丈はほとんど変わらないが、確実に自分のより大きな掌が。


「これ以上、身内に罪を重ねてほしくなかったんだろう??」

「……そんなキレイな理由だけでもないけどねぇ」

「まぁな。誰だって清濁併せ飲みながら生きてる。弱さ醜さとどれだけ折り合いつけられるかの話だ」


 その言葉には何も返さず笑顔で受け止めると、ロザーナはスタンの部屋を後にした。

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