第5話 似た者同士

(1)


 精緻な彫細工が施された黒檀製の扉を三度、叩く。『入るがいい』との返事に従い、入室する。

 左右の壁沿いに配置された、扉と同じ黒檀製の本棚、それらの間には大窓を背に、執務机に座すヴェルナーの姿があった。


 年の割に真っ直ぐな姿勢を保ち、指を組み鋭く見据える一族の長を、ハイディもまた挑むように見据える。大方、(認めるもおぞましいが)かつての腹違いの妹がこの城に乗り込んできた理由を問い質すためだろう。ついでに、狩りをし過ぎたことについても追及されてしまうかもしれない。


 二言目には掟、掟と、馬鹿みたいにいちいちうるさい。

 これでは人間だった頃――、名家の令嬢として生きてた時と何ら変わらない。

 誰もが自分にひれ伏し、我が儘を何でも通してくれているようで、その実、窮屈な生活を強いられていた頃と。


「私に話があるとお聞きしたのですが」


 ヴェルナーが口を開くより先にハイディは問う。説教たらしい前置きなど聞きたくもない。

 ハイディの考えを察したのか、偶然か。ヴェルナーは軽く息を吐き出した。


「お前には言いたいこと、聞きたいことが山のようにあるが……、その前に伝えるべきことがある」

「はい」

「人間の賞金稼ぎを手引きし、我々を裏切ったミアを追放した」


 予想だにしなかった発言に、打てば響くはずのハイディも言葉を詰まらせた。しかし、すぐに切り替わった頭に浮かんだのは『自分が次期当主に選ばれるかも』という大きな期待。

 その期待は実際に顔に出ていたらしく、ヴェルナーの視線に僅かながら不快が混じった、気がした。だからといって、喜びは隠せない。隠そうとも思わない。


「それから、お前には当面の狩りの禁止と自室での謹慎を言い渡す」

「なぜですか??納得できません」


 期待が大きければ大きい程、裏切られた時の怒りもまた大きい。

 相手が一族の長だから下手に出てやってるが、他の者なら言葉で責め殺すか、死ぬまで血を吸ってやるかくらいはしている。


「ミア以外で次期当主候補となるなら、私以外ありえないと思います。この城で一番狩りが上手い者は私ですけど??」

「己を過信し、軽々しく掟を破る者など当主の器ではない」

「そうは仰いますが、他に誰がいるというんです??この期に及んで血縁関係を理由に、次期当主を選出するのは少しおかしいかと思われます」

「次期当主なら甥のドミニクを据えるつもりだ」


 はぁ?!と叫びそうになるのを、唇を噛むことで必死に堪える。

 あんな、誰かと一緒でないと狩りに出向けないような、女々しい軟弱者が次期当主?!


「何を勘違いしているかは知らぬが、当主は狩りの能力で決まるものではない」

「でしょうね!能力じゃなくて結局は血筋で決まるのでしょう?!よーく分かったわ!実にくだらないこと!!」

「待て、最後まで話を聞け」

「結構よ!聞きたくもない!!貴方の命に従って大人しく謹慎してればいいんでしょ?!どうでもいいわ!!」


 口を挟ませてなるものか、と喚くだけ喚き散らすと、ヴェルナーの執務室を憤然と退室する。

 わざと歩調を速め、カツカツカツと靴音を立てて廊下を進めば、歩く度に金の長い髪が肩で、背中で大きく跳ねる。


 なにもかもが気に食わない。


 腹いせに元人間のメイドの血を吸ってやろうか。はたまた、ミアが可愛がっていた執事見習いの、人参頭赤毛のこどもの血でもいい。

 ミア以上に弱く役立たずなあの子供なら、消えたところで困ることなど何もない。消えたことすら気づかれないかもしれない。


 部屋に戻るふりして、あの子供を探そう。


 怒髪天をつく勢いから一転、ハイディは美しい顔を邪悪に歪め、ほくそえんだ。










(2)


『もしも、もしもの話よ。万が一、あたしのせいでこの城を追い出されたら』

『森の入り口で一晩だけ待つから、あたしについてきて』



 眼前に拡がる針葉樹の深い森、遥か頭上にそびえる古城、古城を照らす青白い月を、順番にちらちら横目で眺める。

 座るのにちょうどいい切り株に腰掛け、ミアを待つこと数時間。到着時はまだ高かった日も傾き、現在は夜の帳が降りている。


 日没と共にぐっと空気が冷え込み、ぷるり、身を震わせる。長袖とはいえ、薄手のリブ編みニットじゃこの寒さは凌げない。自らを抱きしめるように腕を擦ってみても、寒いのは変わらない。ブリキ素材の携帯水筒のミルクティーもとうに冷めてしまった。


 しかし、一晩待つと口にした以上、守らなければならない。例え、あの吸血鬼の少女が来なかったとしても――、否、まず9.5割方来ないだろう。自分が勝手に先回りして、勝手に待っている、待ちたいだけ。


 吸血鬼一族の結束は強固な分、人間との線引き、住み分けもまた厳しい――、と聞いたことがある。狩り以外での接触は原則禁じられているとも聞く。

 自分が(間違って)襲いかかった時はともかく、彼女はに自分を逃がしてしまった。


 気弱そうだし嘘やごまかしが苦手そう――、つまりは不器用で真っ直ぐそうだから、一族の追及を上手いこと躱せない気がする。よくて追放、最悪の場合、粛清の可能性も十分あり得る。


 くしゅん、くしゅんと、もう何度目かわからないくしゃみが飛び出す。

 身体だけは丈夫なので、簡単に風邪なんて引いたりしない自信はあるが、寒いものは寒い。


 こんな思いをしてまであの吸血鬼の娘を待つ意味なんてあるのか、否、ある訳がない。

 他の仲間が知ったなら、口を揃えて馬鹿な真似はやめろ、と叱責してくるだろう。それでも、彼女が気がかりで仕方なかった。


 常におろおろと困った顔で笑ったり、その癖、突拍子もない行動に出るところがなんだか自分に似ている気がしてならない。

 別にナルシストって訳じゃないのにね、と、自嘲気味に笑いそうになって――、やめる。

 代わりに耳を澄ませば、森の中から落ち葉を踏みしめる、一人分の足音が近づいてくる。

 足音の軽さ、歩幅の狭さから間違いない、あの娘だ。


「本当に、待ってた……」


 針葉樹の枝葉、野草の茂みなどで何度も引っかけたのだろう。赤黒タータンチェック着物の袖や、下穿きの袴スカートの裾など、数ヵ所破れたり、ほつれた糸が飛び出ている。

 後ろで一本に編み込んだ黒髪もぼさぼさに乱れ、頭や前髪に落葉が絡まっている。


「あの……、私、」

「まずは名前を教えて??あたしのことはロザーナって呼んで」


 ロザーナ、ロザーナ……、と、口の中で反芻した後、「私は、ミア……っていうの」と答えてくれた。


「よーし、ミア、ね。覚えた!次はねぇ、あたしが泊まってる宿へいこ!女の子だし、追加金払えば一人くらい増えても問題ないでしょ」


 ミアの腕を引っ張り、街の方角へ歩き出す。ミアの力が抜けた腕、重い足取りには気づかない振りをして。


「あの、あの……」

「うん、なにかな??」

「私、これから、どうすれば……。吸血鬼が人間として生きるにはどうすればいいの??」

「これは、あくまで選択肢の一つと考えて、ね??あたし達の仲間になる、っていうのは、どうかなぁ??」

「仲間……??」

「そ、あたし、国内で唯一賞金稼ぎを集めた組織にいるの。未経験でも大丈夫!初仕事までに訓練受けさせてくれるし、仲間もいい人ばかりだし。だからね、賞金稼ぎになってみない??ミアは足速いしすばしっこそうだし、鍛えればイケるんじゃないかと踏んでるわ!」


 もちろん、他にも理由はあるが、今現在打ちひしがれているミアに話すのは、少し酷かもしれないので黙っておく。そのうち自ずと分かってくるかもしれないし。

 当のミアは、ロザーナの突拍子もない誘いに頭がついてきてないようだった。えっと、えっと……、と無為に口をパクパクさせて、返答に詰まっている。


「……か」

「か??」

「……ん、がえて、おき……ます」


 喉の奥から絞り出された返事は無理矢理にも思えたが、ロザーナは笑顔で受け止めた。








(3)


 先を歩きだしたロザーナだったが、数歩進んだ矢先に立ち止まった。振り返ったロザーナの視線はミアを通り越し、森に向けられていた。


「あの、ロザーナさん」

「ロザーナでいいよ」

「えっと、ロザーナ??あの」


 すでに行き渡っている筈のヴェルナーの命に背いてまで、自分を粛清しに、もしくはロザーナの存在に気づいて追ってきたのか。森の外は一族の管轄外。一度出てしまえば、手出しはできない筈なのだが。


 どうしよう――、石のように固まる全身、笑いだす膝。動こうにも震えが酷くて歩けない。

 ロザーナの笑みも強張り、いつでも迎撃できるようバゼラルドをさっと引き抜く。


「ミア、あたしの後ろへ下がって」


 言われた通り、ささっと背中へ回る。樹々の葉を掻き分け、下生えの草を踏みしめる音が近づくごとに緊張と恐怖がなだれ込んでくる。


「ミア姉ぇぇええ!!」

「ルーイくん?!」


 伸び放題に生い茂る草木の間から飛び出したのは、ミアの専属執事(見習い)ルーイだった。


「ロザーナ!この子は何もしないから手を出さないで、お願い!」


 ロザーナは大きく頷くと、とりあえずは剣を収めてくれた。とはいえ、万が一の事態に備えてつかは握ったままでいる。


「よかったよぉ、ミア姉に追いついてよかったぁぁああ!オレ、オレ、ミア姉と一緒に出て行く!!ミア姉以外の吸血鬼はヤなやつばかりだもん!ミア姉のいないこの城に残る意味なんてないし!ね!オレも連れてってよ!!」

「うん、私もルーイくんと一緒がいいなぁ。でも、お願いするのは私じゃなくて」

「え??」


 泣きじゃくるルーイと二人がかりでロザーナをじぃっと見つめる。


「そんな、切ない目で見つめないでぇ」

「ルーイくんは血液恐怖症で、血を見るだけで失神しちゃう子だから絶対人間を襲ったりしないわ!だから、お願いします!!」

「お願いします!!」


 さながら捨てられた子犬が二匹並ぶ絵面にロザーナは小さく呻く。

 くぅーん、くぅーんと弱々しい鳴き声が聞こえてきそうだし、ぱたぱたと振られる尻尾すら見えてきそうだ。とどめとばかりに邪気がまったく見当たらない、四つの柘榴色の目が更なる追撃を行う。


「うぅーん……、わかったぁ。二人が一緒にいられるよう、仲間に掛け合ってみるねぇ」

「やったぁ!!ありがとう!!」


 ルーイと共にばんざーいと大きく両手を上げて抱き合う。

 喜び合う二人の姿に、しょうがないなぁ、と困りながらもロザーナは頬を緩めていた。


「あ、そう言えば!ミア姉!何がどうなって、このおねーさんといっしょにいるんだよ!!あんな酷い目に遭ったのに!!なんで?!」

「えっ、今頃それ言う?!」

「ねぇ、なんで?!教えてよ!!」

「ええっと……」


 しどろもどろの説明で、ちゃんと教えられる、かなぁ……。

 ミアの不安は尽きないけれど、城から追い出された以上、今は示された道に進むしかない。

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