第4話 太陽と月
(1)
十五年前の同じ日、同じ時間、二人は別の場所で生まれた。
片や、豪奢な屋敷で夫の立ち合いの下、高名な産科医と優秀な看護師数名に囲まれた万全の体制下で。
片や、老朽化の目立つ小さな長屋でひとりきり、年老いた産婆が頼みの綱で。
そうして生まれた二人は腹違いにも拘わらず、髪と虹彩の色以外は双子のように瓜二つだった。
母親の身分と立場の違いから、必然的に屋敷で生まれた方が姉、長屋で生まれた方が妹と決められた。
二人が成長するに従い、大人達は陰でこう揶揄した。
姉のハイディマリーは太陽、妹のロザリンドは月。
ハイディマリーの金髪とロザリンドの銀髪を喩えてのことだが、その裏には痛烈な皮肉が込められていた――
廊下に飛び出した後、漂う血臭のきつさにロザーナは口元を抑えた。吸血鬼の根城にいるのだし、そこかしこに血臭が染みついているのは当然だろうが。
けれど、先程出会った少女と少年にはほとんど血の臭いが感じられなかったような……、彼女達には悪いことをした。心中で何度目かの謝罪を繰り返す。
ロザーナはすべての吸血鬼が悪だとは端から思っていない。
人との共生を願うがゆえに吸血鬼の本質に苦しみ、必死に抑え込む者がいるのを知っているから。場合によっては人間の方が余程傲慢で残酷で、醜い。そんな人間が吸血鬼と化したら――
ウエストポーチに押し込んだ例の紙が、かさり、ひとりでに音を鳴らした、気がした。
自力でハイディの居場所を突き止めるとは言ったものの、広大な城内、数えきれない部屋の扉をいちいち開けて確認して回っていては埒が明かない。事前に入手した内部の見取り図を頭に叩き込んだとはいえ、ハイディの居場所候補は少なくとも十数ヵ所以上に上る。
成功にしろ失敗にしろ、自分に与えられた時間にも限りがある。できれば無関係な者は巻き込みたくないが――、背に腹は変えられない。
何度目かに曲がった廊下の角、出会い頭にぶつかりかけたメイドを羽交い締めにする。悲鳴を上げる前に口を塞ぎ、こめかみに拳銃を突きつける。
「怖い思いさせてごめんねぇ、ハイディマリーって娘の居場所まで案内してほしいの。お願い」
(2)
「ミア姉、待って!危ないから戻ろうよ!!」
後を追うルーイを振り切り、ミアも廊下を駆けていた。
賞金稼ぎの少女が一人で大広間に辿り着けるかなんてわからない。辿り着けたとして、自分が駆けつけたところで何ができるというのか。
肩に羽織るモッズコートをキュッと握る。彼女の体温と
複雑極まる因縁、感情がありつつ、二年も同じ城で生活を共にするハイディより、今さっき出会ったばかり、しかも危害を加えられかけた名も知らぬ少女の方が気がかりだなんて自分でも変だとは思う。でも――
彼女の笑顔は柔らかいけど、なんだか苦しそうにも見えた。
笑ってやり過ごそうとする自分とどこか重なり、無意識の親近感を抱いてしまっている。
それに、いくら手練れであっても親族達が一斉に襲いかかった場合、非常に危険だ。
特にハイディの非情さ、残虐さは抜きん出ている。首を狙われてると知ったら、ミイラ化するまで血を吸い続けるだろう。
どうか、間に合って!と祈り、広間にたどり着くと、複数の悲鳴、怒号、足音、グラスや食器が割れる音が盛大に響いてきた。開かれたままの扉から何人か廊下へ飛び出てくる。
逃げ惑う人たちにぶつかりかけ、足を縺れさせながらも室内へ駆け込む。椅子を派手に蹴倒す音が聞こえてくる。
椅子を倒したのはハイディだった。
横倒しになった長テーブル(あの大きさ、重量がひっくり返るとは相当由々しき事態だ)、割れて飛び散ったグラス、皿の破片を背景に顎を突き上げている。傲岸に見下げているのは、両手にバゼラルドを構え、向かっていくあの賞金稼ぎの少女。
少女の行く手を阻むべく四人の男性親族が立ち塞がり、襲いかかる。男女問わず小柄で華奢な体躯が目立つ一族の中でも、比較的体格に恵まれたものばかりで。
「みんな待って!!その人を襲わないで!!」
声の限りに叫んでみても、哀しいかな、彼らの耳には届かない。例え届いていても、ミアの言葉には従わないだろう。
少女もミアの声が聞こえている筈なのに、振り返らない。ただひとり、ハイディだけがほんの一瞬、剣呑な一瞥をくれたのみ。
私の言葉は誰の耳にも心にも届かない。
そよ風のように、微かに頬を撫でるだけ。
人によっては頬を撫でたことすら気づかない。気にも留められない。
誰にも
自ら強く噛みしめた奥歯がぎりぎり鳴る音でハッと我に返る。そんなことより――、あぁ、間に合わない!数瞬後には始まる惨劇を予測し、思わず目を――、逸らせなかった。
少女は親族男性達の頭上まで跳躍。まずは二人、首の付け根にバゼラルドの柄を叩き込み、残りの二人の顔面を強く蹴り飛ばす。
四人が床に落ちるより速く着地し、ハイディの足元にローキックを見舞わせる。少女の爪先が脛に直撃する寸前でハイディは飛び上がって攻撃を躱す。その目は
首筋に噛みつこうと飛びかかったハイディを難なく避け、少女は突きを繰り出す。しかし、いつの間にか背中に蝙蝠羽が生えていたハイディは、優雅かつ素早い動きでふわり、天井へ舞い上がる。
「あんた、ロザリンドでしょ??何しに来たのよ??」
「あたしは貴女に懸けられた賞金がほしいだけ」
「なんで賞金稼ぎなんかになってる訳??私の
質問に答える代わりに、少女は柔らかい笑みを深め、バゼラルドを両方とも鞘に収めた。
少女が出た行動にハイディの表情はあからさまに曇っていく。
「何の真似??あと、私の質問に答えなさいよ、相変わらずグズね!」
「ごめんねぇ、相変わらず貴女のゴキゲン取りがへたくそで!」
一発の銃声とハイディの悲鳴が空気を震わせる。少女の右手には、メイドを脅した時に使用した拳銃が握られていた。剣を収めるのと引き換えに、気づかれないようさりげなく腰のホルスターから引き抜いたのだ。
ハイディは左側の羽根から血を流し、落下した。今度は少女がハイディを見下ろす番だった。
心臓の位置に狙いを定め、少女の指がトリガーにかかり――、かかる手前で、ハイディは呻き声を上げながら足元に飛びかかった。その勢いで少女を押し倒し、再び首筋に噛みつこうとした。
少女が劣勢に陥った途端、遠巻きに見ていた他の親族達までもが、チャンスとばかりに次々とハイディに加勢していく。
一人の人間対十数人の吸血鬼。
勝ち目などある筈が――
だが、ハイディや親族達の身体の下、少女はウェストポーチからかんしゃく玉のようなものを取り出し、投げ放った。
一部始終を、止める間どころか声を上げる間さえなく、見守るしか術がなかったミアの視界が真白の光に染まる。
何も見えない、聞こえない。直視すれば、目が潰れてしまう。
閃光から守るべく目を閉じ、顔を腕で覆う。その状態で光が消えるのをひたすら待とうと思った。思っていたのに。
立ち尽くすミアの横を擦り抜け、走り去っていく気配の匂いが、羽織っているモッズコートの持ち主の匂いと一致した。
「待って!!」
「?!」
端から掴めないだろうと思いつつ、勘頼りで伸ばした手が、しっかりと少女の腕を掴む。振り払われるのを覚悟したが、少女もまた立ち止まる。
真白い閃光が薄れていく中、ミアはぐい、と、手に力を込めて強く引っ張った。
「貴女を逃がしてあげる。私についてきて!」
顔を見ずとも、少女の戸惑いは伝わってくる。振り払う隙すら与えず、腕を掴んだままミアは走り出す。覚悟を決めたのか、少女も黙って共に走り出した。
二人で長い長い廊下を走り抜け、何度も角を曲がり、真っ赤な絨毯が敷かれた螺旋状の大階段を駆け下りる。
大小に関わらず煌びやかなシャンデリアが複数、吊り下がる天井。螺旋大階段を囲む、首が痛くなりそうな程高い壁の上部には歴代当主の肖像画。階段の各所にある踊り場の横の壁(壁際には手摺がない)にも、歴代当主の家族らしき女性や子供の肖像画が飾られている。
そのうちの一つ、男女の双子をそれぞれの腕に抱く、彫の浅い顔立ち、黒髪の女性の肖像画の前でミアは立ち止まった。続いて少女も足を止める。
男の子の顔に右手を、女の子の顔に左手を添え、少し強めに掌で押さえつける。年季が入っているせいか、兄弟の絵から顔料の欠片がぽろっと小さく、小さく落ちた。
岩を引きずるようなひどく重たい音が鳴り、肖像画の裏の壁が扉となって開いていく。扉の奥は隠し通路が見えている。
ルーイとかくれんぼで遊んでいる時、偶然見つけたのだ。幅は狭いが、女子供であれば通れる筈。この少女も女性にしては背が高いが、体型は華奢なので大丈夫だろう。
上階から少女とミアを探し回る親族の声が響いてくる。見つかる前に彼女を送り出さないと。
「この通路を辿っていけば城の外へ出られるから。本当よ、嘘じゃないわ」
少しでも信用されたくて、大仰なまでに何度も力強く頷いてみせる。
隠し通路の中へ入り、半分閉めた扉から覗かせた少女の顔は少し強張っている。笑顔で取り繕おうとしつつ、菫の瞳はミアの言葉、表情に嘘はないか、探りを入れていた――、が。
「わかった、貴女を信じる」
何度目かしれない柔らかい微笑み。ちょいちょい、と手招きされ、少女の傍へ寄っていく。そこで耳打ちされた言葉に思わず彼女を二度見する。
もう一度、少女の顔を見返そうとしたが、その時には扉は閉まっていた。
よかった、これでもう、だいじょうぶ!
ホッとした途端、へなへなと踊り場にへたり込む。
大きく肩で息をつき、深呼吸を繰り返すミアの背後、ヴェルナーが近づいていたことなど知る由もなく。
(3)
「ミア」
驚きの余り、後ろへひっくり返りそうになる。ダメだ、振り向くなんて、とてもできそうにない
「お前は、自分が何をしたのか分かっているのか」
「あ、その……」
弁解の余地??そんなもの、ある筈がない。
「あの賞金稼ぎの娘はお前が手引きしたのか??」
違う、と、即刻否定しなきゃなのに、返事もできなければ首を横に振ることもできない。
「ミア」
「…………」
「人間を利用してまで、両親の仇のためにハイディマリーを始末したかったのか??」
この問いには、さすがに何度も頭を振った。
ハイディがまったく憎くないと言ったら嘘になる。でも、力じゃ彼女に敵わないし、吸血鬼としての能力の高さ、堂々たる態度に関しては純粋に敬意を払っている。
第一、あの少女を止めるために広間に駆けつけたし、実際に少女や一族達を止めるべく一度は呼びかけもした。
そう、単純に、自分の叫びは誰の耳にも心にも届かなかったのだ――、と、どう説明すればいいのか、ミアには難し過ぎてわからない。例え説明できたとしても、厳格な祖父には言い訳に取られてしまう、かも。
頭と感情に言葉が全然追いつかない。
無言を貫くばかりのミアにヴェルナーの表情は益々曇っていく。
「ミア、このままでは私はお前を罰しなくてはならない。狩り以外での人間と必要以上の接触、未遂とはいえ、同族殺しの掟を破ったからと」
「……ご、ごめん、なさい……」
「謝罪よりも理由を訊かせてほしい。なぜ、あの少女を逃がした??」
「ごめんなさい、ごめんなさい……、言えないわ……」
ミアはひたすら謝罪を繰り返した。壊れた玩具のように何度も何度も。
こんな時、ハイディであれば、多少強引だったり屁理屈だったとしても、ヴェルナーを一応は納得させる答え方をするだろう。
ほら、私には一族を取りまとめる力なんてないでしょ??
血も飲めない、誰にも言葉を聞き入れてもらえない、言い訳一つ上手にできない。
一段と深いため息が降ってきた。顔を見なくたって落胆したのが痛い程伝わってくる。
「もういい。お前には心底失望した。今日中にこの城から出ていけ」
最後通告を突きつけられて、初めて祖父を振り返る。質問も期待も放棄したヴェルナーは、ゾッとする冷たい目でミアを睨み下ろしていた。
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