第3話 瞬間的覚醒

(1)


『ヴェルナー様!今のお言葉は本気ですか!!信じられません!!』

『この小娘は貴方様やミア様の仇なのですぞ?!一族に迎えるなど……、正気の沙汰とは思えませぬ!!』

『もしや、ご子息夫妻を失って気が触れたのでは……』

『ヴェルナー様!何かお言葉を……!!』

『ごちゃごちゃと煩いわね。一族の長がいいって言ってるんだから、外野は大人しく従いなさいよ』


 今日の昼餐会と同じ広間、同じ長机に集まった面子もほぼ同じだった二年前。

 違う点があるとすれば、上座のヴェルナーの隣にハイディがいること。二人に向かって、休む間もなく一族たちが非難を浴びせ続けていること。


 非難の視線と声を一身に浴びながら、ものともせず、堂々と受け止めるハイディに一族の怒りは燃え立つばかり。そのうち誰かがハイディに飛びかかったりしないだろうか。

 不安も露わに祖父の顔を見上げる。すると、沈黙を貫いていたヴェルナーが遂に口を開く。


『この娘は我が息子とその妻が命を落とすまで血を吸い続けた。憎しみがまったくないかと言えば……、嘘だな』


 両親が自分に向ける笑顔、温かな眼差しを思い出し、涙ぐみそうになるのを堪える。

 頻繁に狩りに出かけ、血の臭いを纏わせて帰ってくる時だけはとても恐ろしかったが、それさえ差し引けば優しくて大好きだったのに。


『だが、悪いのは狩りの掟を破った息子達だ。心身共に何の疾患も抱えていなければ罪人でもない。いなくなっても支障のない不必要な人間だけを狩れ、周囲から大切に扱われる人間は狩ってならないというのに……。あげくの果てには吸血鬼に変えた瞬間、返り討ちに遭う惰弱ぶり。次期当主の器ではない』


 およそ血を分けた家族に向けたとは思えぬ、冷酷な発言の数々。

 ショックで涙が引っ込むが、込み上げる感情はどうにも抑えきれない。膝にかかる着物の裾をぎゅうぅっと握りしめ、ひたすら耐えるしかなかった。

 他の一族の者達もすっかり言葉を失っている。


『元人間の吸血鬼の多くは最終的に我々の餌と化す。だが、この娘は我々以上に吸血鬼としての素質を感じる。だから』

『私に跡目を継がせてくれるんですか??』


 調子に乗るな!!と、再び激しい非難、罵倒の嵐が飛び交う。

 しかし、ハイディはやはり涼しい顔で受け止めている。その堂々たる態度は貴族の血を引く名家の一人娘というのも納得できる。


 自分はあそこまで強い態度でいられない。彼女には絶対敵わない。


 愛する両親の命を奪った相手の筈なのに。恨みや憎しみを越えて、憧憬混じりの畏怖すら抱いてしまう。


 この感情の正体はなにか。

 十歳だった当時も今も、ミアには掴みきれないでいる。


 憎悪も怨嗟も悲しみも一周通り越せば、虚無、絶望に飲み込まれていく。もしくは、弱者が絶対的強者に跪く感覚に近い、かもしれない。

 だから、ハイディが包み隠さず跡目を狙う旨の発言をしても、一切の反発を感じなかった。なのに――


『まさか、跡目ならすでに決めている』


 ヴェルナーの強い視線がミアへと飛ばされた。祖父の返答に、ハイディはふん、と鼻で笑い飛ばし、会場中を見渡して言い放った。


『世襲とか純血とかで跡目を決めているなら、私が全部ぶち壊してあげる』



 ――ミアよりも私の方が、何もかも上だと知らしめてあげる。そしたら、考えてくれます??――











(2)



「もう一度訊くけど、ハイディマリーが今どの部屋にいるか知ってる??」


 首を横に振ろうとして、真正面から少女の菫色の瞳と視線が交わる。横に振ろうとした首が、勝手に大きく頷く。


「今現在彼女がいるのは、自室??」


 首が勝手に横へと二、三度揺れる。


「他の誰かの部屋??庭園??それとも、城外の森の中??」


 三度、勝手に横へ動く首。


「そっかぁ、じゃあ……」

「あああぁぁあああー!!!!」


 耳をつんざく絶叫、次いで、ドガシャン!!と派手な物音。

 そういえば、クランベリージュース持ってきてくれるって、言ってた……!!


「わあぁぁああああ!!ちょっ、なんなんだよ、おまえぇっ!!ミア姉に何してんだよぉおお!!!!」


 ルーイが叫んだ時には、少女はミアの身体からとっくに離れていた。グラスを乗せていたトレイを振り回し、一心不乱に突入するルーイに飛びかかりかけている。

 例え殺さないにしても、身内同然の子を傷つけられたくない――!


「だめ!この子を傷つけないで!!」


 自分でも驚くほどの声で叫んだ瞬間、ミシミシと軋んだ音と共に背中から何かが着物を突き破っていく。

 異常に痛いし、皮膚が熱くて溶けそう。苦痛に顔を歪めながら、ルーイと少女の間に駆け込んでいく。


 あれ、私、こんなに足速かったっけ??あれ、足が床から浮いて……??


 着物を突き破ったのは大きな蝙蝠の羽根だった。羽根によってミアは低く宙を浮いていた。

 羽根の存在に半ば気づいていない状態で、猛スピードで少女とルーイの間に飛び込み、横から彼を掻っ攫う――、が。


「わっ!」

「わぁああん!」


 掻っ攫ったはいいが、あえなくドスンと床に落下。二人諸共尻餅をついてしまった。

 コントロールがうまく利かない!咄嗟にルーイを抱きかかえてものの、嫌な予感にふと顔を上げる。

 やはりというか、双剣を手に少女が二人を見下ろしていた。


「だ、だいじょうぶ……??」


 だから、武器を構えながら心配そうな顔されても、信用できないって。

 ぶんぶんぶんと頭を大きく振ると、少女は益々困惑しきりで眉を下げた。困っているのは貴女じゃなくて私たちなんです!

 実際に叫びそうになったが、実行はしなかった。少女が、ずっと構えていたバゼラルドを二本共に腰の鞘に収めたからだ。


 少女は自らの黒いモッズコートを脱ぐと、ミアの肩にかけてくれた。女性にしては長身の彼女、サイズは小柄なミアには少し大きい。

 にしても、この人、そんなに歳変わらないだろうに背が高くてやたらスタイルがいい。適度に細くて、適度に出てるとこ出てる。

 長袖のリブニットと細身のレザーパンツはどうしたって体型が顕著に出てしまう。腰や太股のハーネスベルトがより強調させてるような……、って、また、どうでもいいこと考えてる!


「背中が破れて寒いでしょ??」


 無我夢中だったし、すぐに消えてしまったから忘れていたけど『先祖返り』で蝙蝠の羽根が生えたんだった。でも、あれは血を多く飲み続けた吸血鬼しか生えないのに、ほとんど飲んだことないミアに生えるなんて、自分でも信じられない。

 人間と変わりないと信じてやまなかったのに。やはり自分は人ならざる者だと事実を突き付けられた気分に陥り、愕然となった。


「あの、わたし、私が怖く、ない、の……」

「怖い??なんで??」

「だ、だって……、いきなり羽根が生えちゃうんだよ?!」

「うん、ちょっとびっくりしたかなぁ」

「ちょ、ちょっとだけ?!」

「羽根を持つ吸血鬼もいるって情報聞いたことあるし??」

「でも、でも……、ふつうは危害加えられるから、やられる前に……って、ならない??」

「えー、ならない」


 微笑みすら湛えて即答する少女に、ミアは信じられない気持ちで口を噤む。

 少女はしゃがみこんで目線を合わせると、にっこりと満面の笑みを見せる。


「貴女はひたすらこの子を守ろうとしただけだし、あたしへの害意は一切感じなかった。それに、貴女からは血の臭いがまったくしないもの。散々手荒な真似しておいて説得力ないけど、無益な殺生はしない主義……、というか、職業柄、する訳にはいかないのよねぇ」


 少女はくすりと笑い、黄ばみの目立つボロボロの紙を革製のウェストポーチから引っ張り出し、ミアに差し出した。

 紙面の上半分に描かれた絵、母国語ではなく近隣諸国でも通じる共通言語で書かれた文面に衝撃を受ける。


「こ、これって……」

「そ!あたしがこの城に乗り込んだのはこういうことー」


 へたり込んだまま少女に突き返した紙には、ハイディと思われる少女の似顔絵と罪状、懸けられた賞金額が載っていた。


『ここのところ、ハイディマリーの狩りの仕方は度を超えている』

『たった二年で血を吸った人間の数が異常に多い。掟で指定された種類の人間以外の血を絶対に吸っているに違いない』

『時々、一週間近く戻ってこないのはヴェルナー様に掟破りを悟られないよう、わざと遠方に出向いて狩りをしているのだろう』


 一部の親族達が苦々し気に吐き捨てていた、ハイディへの蔭口が一気に真実味を帯びていく。実際に彼女に苦言を呈した者も一人、二人ではない。

『元人間の癖に』を枕詞にした妬み僻みだと聞き流していたけど、懸賞金懸けられる事態にまで発展していたとは――


「あたし賞金稼ぎなの」

「…………」

「だから、あの娘の首がどうしても欲しくて単身乗り込んできたって訳。でもね、関係ない人の命まで奪うつもりは全然ないの。とか言って、貴方たちを巻き込んじゃったのは本当に申し訳なかったわ、本当にごめんねぇ。アードラさんが言うように、やっぱり自力で居場所を突き止めるわ」

「あっ……!まっ」

「んー……」


 アードラさんって誰、とか、少女の後を追いかけなきゃとか、次に移すべき行動は分かり切っているのに。折が良いのか悪いのか、ルーイが目を覚まそうとしていた。

 もぞもぞと身じろぎするルーイを落とさないよう抱え直しながら、どうしよう、どうしよう……と、ひたすら混乱する間に、少女の姿は室内から消えていた。

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