4
「ナナリー」
下宿の扉から入ってすぐのところで突っ立っている奈々に呼び掛けた。彼女は部屋に入って、おそるおそる衣装ケースのほうを見た。
「とりあえずはこれでいい?」
彼女は紙ナプキンの方を見、それから泰樹を見た。
「ごめん、いい案が思い浮かばなくて……やっぱ駄目?」
奈々は目を真っ赤にしていた。頬には涙がつたった跡があった。彼女は唇を震わせていた。しまった、逆効果だったかもしれない。やっぱり自分は女性の気持ちが分からない、がさつだし気転も利かない、だから駄目なんだと、泰樹が焦ったとき、彼女は何か呟いた。
「え?」
「泰樹って……」
彼女はそう言って、口を歪めた。
「これじゃ、隠したことにならないよ……」
奈々は笑っていた。泣き笑いのようだった。泰樹はなぜ彼女が笑っているのか分からず、いたって真面目に答えた。
「どうしようか悩んだんだけど、僕の部屋みたいに段ボールもお菓子の空箱も無いしさ。勝手に引き出しの中に入れるのも悪いし、うっかり開けてナナリーが目にしたら駄目だろ」
「うん、でもこれじゃ、さっきと変わらないわよ」
「じゃあ、何か箱を持ってこよう。それか、僕が持って帰って預かっておこうか?」
「いい。私、自分で片付ける」
「え……大丈夫?」
「今日はこれでいいから、落ち着いたら捨てる」
彼女はまだ笑っていた。泰樹はとりあえず大丈夫そうだし帰っていいのかな、と思って「じゃあ僕はこれで」と言って部屋に帰ることにした。泰樹が扉から出ようとした時、奈々は元通りの声で、
「ありがとう」
と言った。
晩御飯を食べ終えてぼんやりしていた九時ごろ、突然ドアベルが鳴った。ドアスコープから外を覗くと、奈々が立っていた。
「どしたの、ナナリー」
彼女は手に小さな箱を持っていた。
「あのね、泰樹、さっき数が減ったって言ってたでしょ」
「うん? 何の数だっけ」
「自分で言ったくせに、もう忘れたの? チョコレートに決まってるじゃない。一日遅れだけど」
そう言って彼女は箱を泰樹に押し付けた。
「えっ」
「チョコなんて数じゃないと思うよ」
押し付けられた勢いで手に取った箱は温かかった。
「でも、欲しいなら十個でも二十個でもあげる」
泰樹は目を
ちゃぶ台の上の皿をよけ、箱を開くと、中にはチョコレートマフィンが入っていた。それから一枚の便せんも。
『ほんとは昨日あげるつもりだったんだけど、勇気がなくって、結局やめてしまった。お菓子はうまく作れる自信がなかったし、受け取ってもらえる自信もなかったから。ごめん。いつもありがとう』
マフィンはまだ暖かかった。そして少し粉っぽかったけれど、甘くておいしかった。
泰樹は思った。やっぱり僕って、鈍感だ――マフィンのカップの底には、メッセージが書かれていた。
『本命だよ』
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