第12話 神渡し



 ――私の始まりの日。


 それは、先輩と出会った日。あの日に答えがある



「……っ!」



 走る。覚えている。


 印象的な出来事だった。いつだって先輩の立っている場所は不安定で、踏み外せば落ちていくような儚い足場だったのだ。


 それが、いつもは上手く立っていたのに今回だけは踏み外した。それだけの話。



(だから許せない)



 なら、私に出会う前に踏み外してくれ。


 もう、私が貴方を逃す理由などはないのだ。


 自覚した心は止まることはない。あの人を。私の理想を奪っていいのは、この世界に居ないのだ。どのような理不尽も止まる理由にすらならない。



「……ついた」



 それは、壊れた社の前。


 そう、始まりの神社だ。壊れたままにされて直されることはない。それは、これが罰だからだろう。


 不敬を働いた者を許す寛容さなど、神には無いのだから。



(だから、簡単だ)



 そして、私は壊れた社に触れる。


 すると、ゾクゾクとした感覚に襲われる。高いビルの屋上の縁を歩いているような、踏み外した先に死が待つような不安定さ。


 だが、その感覚を無視して私は社を直していく。とはいえ、素人の学生が出来ることはたかが知れている。本当に修理をしているわけではないし、あくまでもそれっぽく見えるようにするだけだ。



「……ん」



 ゴオンと、遠雷が聞こえてくる。晴れていたはずの空には、黒い雲がかかっている。


 雷というのは、遠い昔には神鳴りと言われていたという話もある。そこに神が来ているという、先触れであると。


 だから、これは間違えていないはずだ。



(……おそらくだけど)



 無心で作業しながら、自分の頭の中で今回何が起きたのかについてを纏めていく。


 自分の気持ちを落ち着ける意味もあり、そしてこの後に起きる出来事に備えて間違えないようにするためでもある。



(先輩を攫ったのは、あの水仙)



 なにもない所に、神を作るという行為。それで生まれてしまったのだろう。形のない神が。


 神が求める物なんていうのは、昔から相場が決まっている。生贄だ。



(先輩は、よくわからないこれに見初められる程だった)



 目の前の壊れた社へ冷めた視線を送る。水仙から生まれた神からすれば、目の前に突然ご馳走が用意されていたようなものだろう。


 そして先輩は水仙に攫われて失踪した。ここまでは私の推察。



(おそらく間違っては居ないはず)



 先輩は言っていた。神というのは人から見ればひどく大雑把なのだと。


 人間とは違う存在だから、人から見ると大雑把でひどく甘いように見える。しかし、それはそういう性質なのだという。だからこそ、帰ってこれる人間などがいるのだと。


 だから、まだ間に合うだろう。特に先輩を攫ったモノは目覚めたばかりなのだ。



(そして、先輩につながる手段は――)



 ああ、来た。


 雨は降らない。当然だ。あれは狐の嫁入りなのだから。だから、酷く薄暗い雲の掛かる空。


 雷が鳴り響く中、そして私の前に。



 ―― な お れ



 神が顕現した。





 声を聞いただけで、体が震えていく。顔を上げることができない。見たら、私はどうなるのだろうか? わからないから、ただ頭を垂れる。


 覚悟などは関係ない。溺れれば酸素を求めて体が勝手に反応するように、目の前にいる強大な存在に心よりも先に体が怯えているのだ。


 息も詰まりそうな重圧。神の声は酷く気怠けだ。それでも、私がまだここで怯えていられるのなら温情をかけられているのだろう。


 さて、どう声をかけるべきなのだろうか。



【娘よ。恐れ多くも大神様の御前なるぞ。控えおろう】



 ふと、何かの声が聞こえる。


 それは、以前にも聞いた覚えのあるような声だが……その声よりもはっきりとしていて、少しだけ安心させるような声だ。



「だれ……でしょうか?」


【誰だと? 娘よ。貴様の不敬に大神様も呆れ果てておる。この社の神は、恐れ多くも宇治の稲荷に捧げるべき者を間違えた愚か者。故に罰として大神様がこのままにしておるのだ。分かっておるのか?】


「……わかってます。それでも、お願いがあってきたんです」


【ななな! 不届き者め! 愚か者め! 人は愚かだと思っていたが、分かっていて無礼を働き、厚かましくも願いだと!?】



 優しい声も、怒気が含まれて威圧するようになる。


 当然だろう。だが、そうでもしなければならなかった。正しい手段を調べている暇など無い。ならばどうするのか? それは簡単だ。


 最も簡単に神に会う方法は、神の怒りに触れることだ。恐れこそが、神の本質なのだから。



「……」


【大神様! 御身が出る必要はございませぬ! 私めが、この無礼な小娘を……】



 ―― よ い。 申 せ。



 場の空気が、少しだけ軽くなる。それは、私の言葉を促そうとしているということ。



【よ、よろしいのですか!?】



 ―― よ い。



 ……何が原因なのだろうか? 分の悪い賭けなことは理解していた。そのために私は色々と考えていたことはある。だが、ここまですんなりと話が通るとは思わなかった。



【――わかりました。では、私めがこの小娘に御身の意思を伝えましょう。さあ、娘よ。大神様はお前の言葉を聞いてやると申している。さあ、包み隠さず答えるが良い】


「……とある人が、生まれたばかりの神に連れ去られてしまったのを取り戻してほしいんです」



 その言葉に、場の空気が変わる


 ジェットコースターで落ちる直前のような臓腑がねじれるような感覚。ここで間違えれば、落下してすべてが終わってしまうのだろう。そう確信させるような空気。



【大神様は、その程度のことか? と申しておる】


「そのためには、何でも差し出します」


【娘! 貴様の価値など大神様にとっては塵芥! 不遜も限度があるぞ!】


「……その人は、貴方に捧げられるはずだった女の子です」



 そういうと、ピタリと通訳をしていた声が止まる。そして、怒気に溢れた声が漏れ出てくる。



【――不敬なり! 大神様に捧げられるはずだった女子を横から奪うような真似をするなど! ……と、失礼ございました。大神様】



 よほど腹に据えかねるのか、どうやら本来の役割を忘れてしまっていたようだ。


 自分の尊敬する存在に不敬を働いた相手に怒りを覚えたりする神というのも人間味があるらしい。だが、静かに私の声を待つ大神様という存在はそんな気配など見せずただ黙している。


 だから、私は願いを言う。



「……だから、先輩を連れ戻してください」


【大神様、如何になされますか? 私めとしては、そのような不敬を働く愚か者には八つ裂きにしてその魂魄を要石の下敷きにし――】



 何やら恐ろしい事を言う声を無視して、大神様は私に囁きかける。



 ―― 捧 げ よ 。



「……何を、ですか?」



 ―― そ の 娘 を 。



 その声には、喜色が含まれていることがわかった。


 助けてほしければ、先輩をこの神に捧げなければならないということか。


 わかっていた。神というのは、酷く意地が悪いのだ。助ける対価は助けた者。それでは意味がないとわかっていて言っているのだろう。


 だから私の答えは――



「構いません」


【……むうう? 良いのか?】



 大神様ではなく、姿のない神のほうが戸惑った声を上げる。


 おそらく、私が迷いなく答えたからだろう。そして、声は私に質問をする。



【お主が大神様に捧げるということは、その娘は大神様のもの。決してこちらに帰って来ぬ。それでも良いのか?】


「構いません」



 当然だ。なにせ……



「取り戻しに行くので。たとえどれだけ時間がかかっても先輩のことを」


【何を言う!?】



 ―― ほ う 。



 動揺する声と、楽しげな声。


 そう、この大神様とやらに奪われても構わない。それならば取り返すだけだからだ。



 ―― 申 せ 。



【お、大神様はその言葉の真意を問うておられる!】


「私にとっては、いきなり現れたわけのわからない神様の方がどうしようもない。だから名前がわかる貴方の方が、会話ができる貴方からならどれだけ時間がかかっても取り戻すことは出来るから」



 甘く見ているわけでもない。軽く見ているわけでもない。


 これは性質の問題であり、私が唯一解決する方法はこれしか無いからだ。私の行為は懇願であり……宣戦布告だ。


 お前に預ける。だが、取り返すのだから首を洗って待っていろという。



【不敬な! ここには愚か者しかおらぬのか!】



 ―― く か 、 く か か !



 ゴウゴウと、世界が揺れる。地震のような地響きは、大神様が笑った声なのだとわかった。



 ―― よ か ろ う 。



【お、大神様!?】



 いきなり私に声が聞こえなくなる。いや、音として認識できないと行ったほうが正しい。どうやら、大神様と声が何やら言い争いをしているらしい。


 まるで、雷が鳴り響き続けているような。豪雨が吹き続けているような。そういった音がひたすらに響き続ける。


 そして――



【……娘! 大神様はお前の不敬な言葉を大層面白がられておる! 大神様を前に萎縮せず、傲岸不遜にも宣戦布告! 勇なるものと認めるとおっしゃっておる! ……ワシには蛮勇にしか思えんが】



 そうボソリと声は呟く。


 私だって理解している。これが蛮勇であるということは。だが、その程度で。命程度を掛け金にして済むなら問題なんてものはない。


 先輩を取り戻すためなら、私は悪魔にだって喧嘩を売ってやろう。



【故に一度だけだ! お主の願いを叶えてやろうと大神様は言っておられる! だが、勘違いするではないぞ! お主の言葉が心の底から真であると大神様が読み取ったからこその寛大な措置だ!】


「はい。わかってます」



 ……想定はしていたが、当然ながら心は読めるものらしい。


 だからこそ、私のこの宣戦布告が心の底から本気だと読み取ってもらえるという打算はあった。とはいえ、本気で喧嘩を売るつもりだったが。



 ―― だ が 、 対 価 は 貰 う 。



 その声が聞こえたと同時に――



 視界が真っ赤に染まった。



「あっ、ああああああ! ぎ、ぐぅ……あああああああ! うげっ、ぐっ……げほっ、ぎいぃ……!」



 痛みだ。焼けた鉄の棒を目に突き立てられたかのような痛みが右目から全身を蝕んでいく。。


 あまりの痛みに、顔からあらゆる液体が垂れ流されている。頭をかきむしる。嘔吐する。それでも痛みは途切れない。


 永遠に思える痛み。この痛みが止まらないのなら、私は狂ってしまうかもしれない。そう思わせるほどの苦痛。


 ――そして、唐突に何もなかったかのように痛みが消える。



「げほっ……あれ……」


【――大神様は寛大なことに、お主の右目を供物に選ばれた。捧げられたものは取り返されぬ。そして、その目を通して大神様はお主の見る風景を楽しむこととなる。故に、退屈な物ばかりを写すようであれば先程の苦痛が襲うであろう】



 その言葉を聞きながら、他人事のように自分の右目を触る。


 何も見えない。完全に視力を失っている。


 ――ああ、なんだ。安い対価じゃないか。思わず笑みが溢れる。



【……何を笑っておるのだ】


「いえ。安いものだと思って」



 私の嫌っている物を捧げるだけで、取り返せるのなら。


 たとえ一生の呪いであろうとも、己の勲章だと誇ることが出来る。



【何が安いものか。今後はお主には苦難が待ち受けられるだろう。大神様に捧げた後の残り物でもそれは値千金なのだ。故にお主は木っ端から狙われることになる】


「……ああ、なるほど」



 大神様とやらは、私の右目を奪ったことで呪いをかけたのか。


 奪われた右目で、私は平穏に生きることは許されない。気に召さない時間が長く続けばあの痛みが襲ってくる。


 それでなくても、奪われた残りである私は怪異から見れば価値のあるものになってしまったのだろう。だから、私は様々な物が襲ってくるのだろう。


 だが、それがどうした。一生をかけて取り返す覚悟をしていたのだ。


 なら、一生の苦難など想定通りでしか無い。



「それでは、先輩のことをお願い致します」



 かしこまり頭を下げて礼をする。



 ―― よ か ろ う 。



 大神様が鷹揚にうなずく気配がして場の空気が軽くなる。


 そして、最後に言い残すように声が聞こえる。



【……大神様はすぐに動く。明日には帰ってくるだろう……しかし、時代が新しくなっても人の子は理解できぬ。大神様にあのような不敬を働いて欲するなど。どうしてそこまで出来るのだ?】



 見えない右目でバランスを崩しそうになりながら立ち上がる。


 あの人は私の理想で。あの人は私が欲するもので。そして、私よりも先に絶対に死なせたくない人。


 だから、答えは簡単だ。



「あの人は私のものだからに決まってる。たとえ、神だろうと私から奪わせないだけ」


【……強欲なことだなぁ。人の子】



 呆れたような言葉を残して、空が晴れる。


 そして、全てが終わったことを理解する。ああ、疲れた。


 最初のときのように、泥のように眠りたいと先輩が帰ってくる明日に間に合うように私は家に眠りに帰るのだった。




 ――さて、ここからは後日談だ。



「先輩、おかえりなさい」


「うん、ごめんね? 迷惑をかけたみたいで」



 先輩はあっさりと帰ってきた。色々と聞かれたらしいが、本人が覚えてないせいで誘拐されていたのではないかと言うことで警察は捜査している。


 先輩はと言うと、本当にあっさりとしたものだ。本人からすれば眠っていて目が醒めたら知らない間に失踪扱いにされていたようなものらしい。


 なので、本人からすれば罪悪感よりも先に困惑が来るらしい。



「本当にこんなことは初めてだから、ビックリして……ねえ、どうしたの? 右目」


「ああ、ちょっとものもらいをしてしまいまして」



 眼帯をしていることを指摘されて、先輩に心配をかけないようにボカす。


 この右目は視力はもう存在しない。おそらく、神に捧げたものだから元に戻ることはないのだろう。


 とはいえ、このまま眼帯生活だと恥ずかしいので、カラーコンタクトか何かで視力がないことを誤魔化す方法を考えないといけない。


 ああ、それと手伝ってくれた人たちにもお礼をしなくては。しばらくは忙しくなりそうだ。



「それはそうと、貴方……なんだか雰囲気が変わった気がするわ」


「そうですか?」


「ええ。なんというか……スッキリしてるというか、私が見ない間に大人っぽくなってる気がするのだけども」



 その指摘に、ちょっとだけ照れくさくなる。


 自分の気持ちに自覚をしただけなのだが……まあ、聞かれても素直に答えることはない。


 私のこの醜い感情も。おぞましい執着も。この人に見せることはない。だから、最後まで私は一人で抱え続けるのだろう。


 だが、それでいい。最も嫌いな自分に相応しい末路だ。



「もしかして、恋をしてるのかしら?」


「恋……さて、どうでしょうね?」



 あえてボカすと、意外そうな顔をする先輩。



「……もしかして、図星だった?」


「ふふ、先輩はどう思いますか?」


「えっと……んんー? どっちかしら……なんだか、普段と逆の立場になったみたいね」



 どうやら答えはわからなかったらしく、そう言って考えを諦める先輩。


 笑う先輩に、同意するように私も笑いかける。



「そうですね。普段と逆です。嫌ですかね?」


「いえ、なんだか新鮮で楽しい気分だわ。こういうのもいいかもしれないわ」



 彼女の笑顔を見て私は様々な感情でかき乱されていく。


 ああ、私の最も嫉妬する素敵な人よ。どうか、ずっと笑顔で居てください。


 乙女心は複雑怪奇で、どんな怪異よりも怪奇なものだ。


 だから、これは私だけの怪奇譚。私という怪物の、彼女のために続ける物語。



「そういえば、もう一年が立ちますね」


「そうね……知っているかしら?」



 そして、先輩はいつものように笑顔で語り始める。


 不可思議で楽しい、怪奇譚を。


 この物語が永遠に続くように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

乙女怪奇譚 Friend @Friend

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ