第10話 水仙

 これは、先輩が失踪するほんの少し前の話だ。


「――珍しいですね、花を持ってるなんて」

「そうかしら?」

「はい。先輩が持ってるなら大抵は本ですから」

「そう言えばそうね。似合わない?」

「いえ、似合ってるとは思いますよ。本当に珍しいなって思っただけなんで」


 その日、部活に先輩が花瓶に入った花を持ってきていた。

 まだ開花はしていないようで、浅学な私ではどういう花なのかは判断できない。

 先輩は、それを机の上に置いて椅子に座る。


「思ったよりも、花瓶って重たいから大変だったわ。水も入ってるからだとは思うけど」

「お疲れさまです。それで、何ていう花なんですか?」

「水仙よ。1月くらいになったら開花すると思うわ」

「水仙ですか」

「知ってるかしら?」

「はい。一応は」


 先輩はあら残念という。また色々と教えたかったのかもしれない。ただ、知っている花ではあるが……偏った知識なので、どういう話題の振り方をすれば良いのか悩んでしまう。

 というのも、私が知っている知識というのは……


「難しい顔をして、どうしたの?」

「確か、毒のある花なんですよね? 水仙って」

「そうね、毒のある花よ……そっちで覚えてる子は初めて見たかも」

「まあ、なんというか……推理小説で題材というか、事件に使われてたので。それでそういう花があるんだと覚えていたんです。なんで、実物を見たのはこれが初めてです」


 球根は玉ねぎに似ていて、葉はニラに似ている。間違えて食べる人がいるくらいに。

 しかし、その毒性は強く実際に間違えて食べて死亡することもあるらしい。普通に生きていれば見ることはないトリカブトなどの毒を持った植物とは違い、身近にある植物がここまで毒性が強いと思わず印象に残っていたのだ。


「ああ、なるほど……ふふ、あなたらしい覚え方だと思うわ。この水仙の花は、学名ナルシスっていうの。ギリシャ神話のナルキッソスから来ていたり、水仙という名前は中国の仙人を表す言葉だったり……そういった、神秘性を感じさせるような花でもあるのよ。春の訪れに開花するから、希望の象徴としても扱われることがあるわ」

「ナルキッソスっていうと、ナルシストですよね?」

「そう。ナルキッソスは水面に写った自分に見惚れて見つめたまま死んでしまうの。水仙の花も、俯いて水面を見て花を咲かせるからナルシスなんて学名が付けられたのよ」

「……水仙の花からしたらいい迷惑ですね。ナルシスト扱いなんて」

「ふふ、ほんとよね」


 そう言って軽く笑う先輩。


「でも、本当に詳しいですね。たまに何でも知ってるんじゃないかと思います」

「これでも、後輩にいい顔をしたくて勉強してるのよ? ……とは言っても、水仙の花に関しては最近調べたから詳しいだけなのだけどね? 実はこれ、水月先生から預かった物なの」

「水月先生から?」


 水月先生の花嫌いを知らない人が送ったのだろうか?

 まあ、確かに嫌いなものを手元には置いておきたくないだろう。渡す相手が先輩なのはどうなんだろうとは思うが。


「ええ。この花はね、曰くつきなの」

「曰く付き……ですか?」

「ええ。とても、変わった話」


 そう言って先輩はいつものように語り始める。

 水仙の花に関する、不気味で奇妙な話を。



「――この花は、先生の知人の家の近くに供えられていた花なの」

「供えられていた?」

「ええ。ガードレールの下に、悼むようにお供えをされていたの。それがこの水仙。でも、変な話よね。開花もしていない……よりにもよって、毒のある水仙をお供えするなんて」


 たしかに変な話だ。だが、それよりも気になるのは……


「……そんなのを持ってきたら不味いんじゃないですか? だって、お供えされてたんですよね?」

「ええ。お供えされてたわ。でも、大丈夫なの」

「大丈夫って……なんでですか?」

「だって、そこでは誰も死んでいないのだもの」

「……誰も死んでない?」

「ええ。その知人の家の近くに供えられていて、気になってその人はそこで何が起きたか調べたそうよ。でも、過去にそこで何も起きていない。事故どころか、過去に事件も何も起きてないの」


 誰も死んでいない、何も起きていない場所に供えられている花?

 ……たしかにそれは不気味だ。


「本当に、何も起きてないんですか?」

「ええ。近所の人に聞いたり市に聞いたりしたそうよ。新居だから気になったらしいの。でも、何も起きていない。そんな場所に、ちゃんと花束にして供えてあったの。だから、その人は不気味に思って水月先生に相談したんだって。それを聞いて、なんとかして欲しいと言われて仕方なく水月先生が預かったそうよ」

「……優しいですね。水月先生のことだから、自分でなんとかしろって言いそうな気もしますけど」

「どうにも、大きい借りがあるらしくて渋々だったらしいわ。あの人らしいわね」


 そう言って苦笑する。何をしているんだろう、あの先生は。


「で、手元には置きたくないから私に渡したの。で、花束のままなのもなんだから、花瓶に移してみたの。それがこの花の経緯」


 ……経緯は分かった。しかし、聞いた後にもモヤモヤした物が残る。


「……曰くつきというか、不気味ですね」

「そうね。それで気になって水仙について調べたから、こうして貴方に披露を出来るくらいに詳しくなったの」


 なるほど、そういうフットワークの軽さも先輩の知識量に繋がっているのだろう。

 ……しかし、その話を聞いてから見る水仙の花はどこか不気味に見えてしまう。何なら、曰く付きと聞いた時よりも、なお不気味だ。


「なんだか、それを聞いたら不気味に思えますね。その水仙」

「そうかしら?」

「ええ。多分、何も知らなかったら普通の花だなって思ってましたし……話を聞いたあとは、もっと不気味に感じます」


 その言葉に、なにか考え込む先輩。


「――そうね。もしかしたら、それが目的なのかもしれないわね」


 そう言って、先輩は納得をしたような顔をする。


「……それが目的、ですか?」

「ええ。これは、私の推測でしかないわ。それでもいいかしら?」

「はい。聞かせてください」

「――なにもないところに、供えた花。それを見た時に、なんて思う? ああ、ここで何かあったんだな。なにか事件が起きたんだなって思うでしょう?」

「そう……ですね。確かに思います」

「偶然、先生の知人が調べたから分かったけども……普通は調べたりしないわ。誰だって終わった話を調べるほど興味を抱かないもの。だから、時間が経てばこの花を見て住んでいる人ですら、なにかがあったと思いこむようになるかもしれないわ」

「そんな事……ありますかね?」

「ええ。だって、多くの人はショッキングな話の方を……真実よりも聞いて面白い話を好むもの。そうして、この花を見た人は心の中で手を合わせるの。形のない誰かが悼まれていく。そこには何もなかったのに、多くの人たちがそこに何かを作っていく。存在しない死者が生まれて、存在しない者への祈りが積み重なっていく」


 ――形のない何かが作られていく。

 何が出来上がるのだろうか。そこに、どういうものが出来上がるのだろうか。


「そうして、その行き着く先はどうなるのかしら? 存在しない死者が生まれて、幽霊になるのかしら? それとも、形のない何かが形を持つのかしら?」

「分かりませんけど――なんの目的でそんなことをするんでしょうか?」


 その言葉に、首をかしげる先輩。


「……私も思いつきだから、そこまでは考えてなかったわ。もしかしたら、本当は別の場所に供えるのを間違えただけかも」

「それは……まあ、無いとはいいきれませんけど」

「んー、ここまでかしらね。これ以上は、考えても私もしっくりこないから」


 そう言って先輩は体を伸ばす。どうやら、この話はここで終わりのようだ

 ……ただ、ふと思うのだ。

 先輩は理由を考えられなかった。しっくり来る理由がないと言った。

 だが、そんな物は必要だろうか? 目的などなく、ただそこに何かを作った人間がいるのかもしれないと思うのだ。そこには、悪意も善意もなにもない。ただ、好奇心の赴くままにしたのではないかと。

 ただ気の赴くままに向かう人の興味というのは、時には怪異よりもおぞましいのだから――


「ただ、この花は供えられて随分と経つらしいの。だって、不気味だから触れづらいものね」


 そういって、先輩は蕾のままの水仙の花をつつく。


「もしかしたら――もう、この花の置かれた場所には何かが生まれたのかもしれないわね」


 そう言って笑う先輩に、恐ろしいことを考える人だと他人事のように思った。

 ――その数日後に、先輩は失踪したのだった。



 先輩が失踪をしてから数日が経過した。

 今、私は、保健室にいた。そこには水月先生が、つまらなそうな表情をしている。そんな先生に私はもう一度質問をぶつける。


「先輩を探しに行きたいんです」

「だから、辞めとけって」

「辞めません。だから、先生。なにか知りませんか」

「だから、知らねえって」


 答えは変わらない。知らない。当然だ。失踪した先輩のことを未だに警察も探している。あれからたまに話すようになった水月先生の人となりは分かっている。

 水月先生は、言葉遣いこそ乱暴だが意外と素直で優しい人だ。もしも何かを知っていたら、すぐに警察に伝えているだろうし本当に先輩の事を心配しているだろう。

 そんな先生が何も言わないなら本当に知らないか……もしくは、伝えても意味がない荒唐無稽な話かのどちらかだろう。


「このままだと、先輩は帰ってこない気がするんです」


 先輩の失踪は学校でもある程度は噂になっている。だが、それでも失踪という話題性に比べておとなしいものだ。人が消えることに慣れてしまっているかのように先輩のことを語る人間は少ない。

 このまま消えて忘れ去られるような気がしてしまう。だからこそ、私は先輩を探そうと決意したのだ。


「……だから、警察が捜してるんだ。あっちはプロだし、ちゃんと捜索してくれている。だから、お前に出来ることはないんだよ。迷惑になるんだから、おとなしくしてろ」

「嫌です。私は先輩のことを探します」

「……分かんねえやつだなぁ」


 ガシガシと頭を掻く先生。しかし、私の意思は変わらない。頑なに主張する私に流石に先生も辟易としているようだ。

 そのまま、水月先生は外を見てぼそりと呟く。


「というか、なんであたしを頼るんだよ。もっと他にいるだろ」

「私、先生と先輩以外で仲の良い頼れる人がいないので」

「それは……もっと友達作れよ」

「それと、先生は一番先輩と近い人だったからです」


 それは、お互いに知っている事が多いという意味でも……私よりも、先生のほうが先輩という人間に近い人種だと言う意味でも。

 その言葉に、どう答えていいのかわからない表情をする。


「私よりは、お前のほうが知ってると思うけどなぁ……」

「いえ。先生のほうが知っているはずです。だからこうして聞きに来たんです」

「……なにか答えるまで帰らないつもりか?」

「はい」


 別に嫌がらせのつもりはない。

 おそらく、これが一番の近道なのだ。そして、先生はじっと私を見て諦めたようにため息を吐いた。


「……本当にどこに消えたかは知らねえよ。ただ……こういう時に、もしも普通じゃありえない出来事に巻き込まれたかもしれないなら頼る場所は知ってる」

「本当ですか!?」

「うおっ!? 詰め寄るな、お前デカイんだから! 怖いんだよ!」

「あ、すいません」


 どうやら平静を保っていられなかったようだ。自分のことだと言うのに。

 それほどまでに私は感情をかき乱されているのだろう。


「ったく……なあ、知ってるか? 商店街にある古臭い潰れそうな古書店」

「江西古書店ですか?」

「ああ、そこだそこ。なんだ、知ってるなら話が早いな……そこに行って事情を店長に話してみろ」

「……はい。分かりました」


 色々と聞きたいことはあった。しかし、頼れるものはそれしか無いのなら行くしか無いだろう。

 そして、疑問に思って聞いてみる。


「……なんで、先生はそこに行かないんですか?」


 それは、棘がある言葉だったかもしれない。

 その言葉に、私の方を振り返らずに先生は答える。


「――私は自分の方が大事なんだ」


 突き放すようなその言葉。

 だが、それは……おそらく、決して頼るべきではない危険な方法なのだろうと理解させるには十分だった。

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