第8話 赤蜻蛉
秋も深まってきたこの頃。平和な日々を過ごしていた。
「ふんふんふふ~ん♪」
いつもの帰宅道。珍しく鼻歌を歌いながら帰宅する。今日は清水さんから星屑シリーズ以外のオススメの本を借りてご機嫌だった。
もともと読書に関して私はジャンルの貴賎もないような雑食なのだが、清水さんのオススメする本はとても私の好みに合う。ハズレがないので、帰って早く読みたいとワクワクしている。
浮かれ気分で歩いていると、ふと目の前に赤とんぼが通り過ぎた。
「赤とんぼ……そういえば、もう秋も中頃かぁ」
空を見上げる。まだ日は高いが、すぐに夕暮れになって日が落ちるのだろう。秋はつるべ落としと言うほどに暗くなるのが早い。
「……もう半年も過ぎたかぁ」
この部活に入部してそんなに経過するのかと我ながら感心する。
時が過ぎるのは早いものだ。
(今まで、部活とか習い事とかも何も長続きしなかったし乗り気だったことはないのになぁ)
先輩と出会ってから様々な出来事が起きてきた。あっという間のように思えて濃密な時間の連続だった。正直、恐怖を感じたことは両手で数えても足りないのに、私は部活から離れようとも思わない当たり惚れ込んでしまっているのだろう。
……まあ、最近はおとなしいものだが。平和というのもおかしいものだが、先輩から奇妙な話を聞くペースも徐々に減ってきた。これに関しては私が変に気遣っている部分もあるのだが。
先輩だって話す内容が無限にあるわけではない。まだまだ、この先文学部で活動する時間は一年以上あるのだ。最初の頃は毎日のようにねだっていたが、先輩の話をちゃんとした、正しいタイミングで聞きたいと思っているからこそ聞く回数を減らしている。
これを成長と取るか、贅沢になったと取るかは聞き手次第だろうが……。
「……ん?」
赤とんぼがまた飛んでいる。いや、どんどんと増えていく。近くには止まる場所もないというのに、まるで夕暮れを自分たちの体で再現しようとするかのように飛んでいる。
たしかに秋ごろになれば数は増えるだろう。だが、こんなにもたくさんの赤とんぼを見る事など殆どない。
珍しいこともあるものだと思いながら、まっすぐ歩こうとして。
「うわっ!」
目の前を赤とんぼが横切る。まるで、こちらを通るなとでもいいたげに過ぎ去っていく。
……なんなのだろうか? つい、平和だと考えてしまったせいか何かに巻き込まれたのだろうか。
分からないけども、どこかに誘導をされているような赤とんぼの動きに素直に帰ることは出来なさそうだとため息を吐く。仕方なく、不自然に赤とんぼが飛んでいない先を進んでいく。
(……どこに連れて行かれるのか)
進むと、周囲は緑が増えていく。山の中のようだ。しかし、この道は覚えがない。
道は荒れているが舗装されている。どうやらかつては通っていたが、今は使われてないような道なのだろう。山の中だというのに赤とんぼは監視するように私を取り囲んでいる。
そして、進んだ先は行き止まり……のように見えたが、薄く蔦で覆われていて先がある。ここを進んでいけというのだろうか。
「制服が汚れるんだけどなぁ」
だが、仕方ないだろう。そう思って蔦を引っ張るとプツリとちぎれて先が通れるようになる。そのまま、その蔦で覆われた場所をくぐって先を見る。
「え?」
そこは、知らない場所だった。一面には金色の畑。おそらく米が実っているのだろう。風に揺られて、穂が揺らいでいる。
遠くの家屋からは、料理を作る音が聞こえる。空腹を誘うような匂いが鼻に漂ってくる。遠くには、誰かが遊んでいる声が聞こえる。楽しそうに、どこまでも高らかに。
知らない場所だ。知らない場所だというのに……ここには、泣きたくなるような懐かしさを感じさせる。
(帰りたい)
それは、家でもなくどこでもない。ただ、衝動だった。帰りたい。この懐かしい風景に帰りたい。自然と、そんな思いが私を支配する。
そんなところにどこからともなく歌が聞こえる――それは、童謡の赤とんぼの歌だ。
『夕焼、小焼の、
あかとんぼ、
負われて見たのは、
いつの日か。』
子供の声だった。男の子の声にも、女の子の声にも聞こえるような声。
私の前に小さな誰かが立っていた。夕暮れの逆光で真っ黒な影になっているせいで顔はみえない。
その小さな子供の影は、ただ歌っていた。私を誘うように。
「……誰、かな?」
『山の畑の、
桑の実を、
小籠(こかご)に、つんだは、
まぼろしか。』
私の言葉に反応せず、赤とんぼの歌を歌い続けている。
それは、私にも歌おうと誘っているようだ。
激しい郷愁の念と、帰りたいという気持ちはどんどんと強くなっていく。だが、冷静な部分はこう言っている。帰ったら、戻ってこれないだろうと。
『十五で、姐(ねえ)やは、
嫁にゆき、
お里の、たよりも、
たえはてた。』
歌は終わりに近づいて、子供は徐々に歩いてくる。
――夕暮れは続いて、私達を赤く照らす。その周囲を赤とんぼが取り囲んでいく。まるで私達を、夕暮れに紛れて隠すように。
『夕やけ、小やけの、
赤とんぼ。
とまっているよ――』
そして、歌が止まり影が手を伸ばす。
影で見えないはずだと言うのに、ニコリと笑顔を見せたことが分かった。それは、家族に向けるような。親しい隣人に向けるような。新しい友達に向けるような。そんな笑みだった。
「――かえろう?」
知らないその子を、私は知っているような気さえした。まるで小さい頃から世話を見ていたような気持ちになる。
ああ、このまま何もなければ手を伸ばしてしまうだろう。そして、その手を掴んで一緒に夕暮れに向かって歩いて帰るだろう。
それでも――
だけども――
「――帰らないよ」
たった一言で、私は切り捨てた。子供の影は揺らぐ。困惑しているようだ。
帰りたいという気持ちは強く、郷愁の念はまるでここは生まれ故郷だと錯覚させるような程になっている。だが、それでも――
「――かえろうよ」
「いやだ」
私の答えは変わらない。
子供の影は揺らいでいる。その形は大きくなったり小さくなったり、歪になったり……まるで、不満を吐き出せずに地団駄を踏むように動く。
「かえろう」
「帰らない」
「かえろう」
「だから、私は――」
「――かえるの」
もはや、それは誘いではなく命令だった。思い通りに行かない子供の癇癪。
手をのばす影。だが、私は後ずさり触られられないように離れていく。
――癇癪をする子供を前に郷愁もなにもない。あの帰りたい気持ちも、郷愁の念も薄れていく。
「かえろ」
「かえろ」
「いっしょにかえるんだ」
「かえるばしょはここにある」
周りから声が聞こえ、多くの影が現れる。すべて子供の姿をした影で、手をのばしてくる。このまま放っておけば取り囲まれてしまうのだろう。
――だけども、もう私は分かってしまった。
だから、必死な影の姿に哀れを感じて、せめてもの情けに私は帰らない理由を答えた。
「今の私は帰るよりも行く場所があるから」
彼らの言う帰った先に私の安寧はない。
私が行く場所は、今はたった一つだけなのだ。
「だから、帰りたくなんてないよ」
「――」
その言葉に、影は止まる。理解できない……いや、理解しているのだろうか?
ただ、そこで私は歌の続きを歌った。あそこで歌を止めたのは……ここを終わらせないためだろうから。だから、終わらせるために赤とんぼを最後まで歌う。
「――夕やけ、小やけの、赤とんぼ。とまっているよ――竿の先」
彼らの歌わなかった最後を歌う。
夕暮れが沈んでいく。影が消えていく。そしてグラリと、私の視界が暗転する。そして気づくと、私は元の山の中に戻っていた。
……いや、先程までずっとここに居たのだろう。周囲はまだ夕暮れだが、直に日が落ちて道がわからなくなるだろう。周囲を見渡してポツリと呟く。
「……お墓か」
名もない小さな墓がいくつもあり、そこに赤とんぼが羽を休めるように止まっている。
どうやら妙なものに誘われてきた先は……あまりいい場所ではなかったようだ。
「……まあ、じゃあ行くよ」
暗くなれば迷ってしまうだろうから。
そこを離れる時に、私は帰ろうなんて言葉は使わなかった。
「――ということがありました」
「大変だったわね」
次の日、部室で先輩に昨日の出来事を話していた。
ニコニコとしながら私の話を聞いてくれている先輩に、自分なりに色々と情報を整理はできた気になる。
「それで、貴方は何だったと思う? その赤とんぼは」
「……そうですね。誰かを連れ去っていくようなものなのは分かりますけど……戦争で帰れなかった人とかですか? 家に帰りたくても帰れないから、誰かを取り込んで帰ろうと……」
貧困な私の発想では、その程度しか浮かばないがしっくりはこない。子供の姿を取る必要がないだろうから
先輩はそんな私にゆっくりと答えてくれる。
「そうね。詳しい場所は分からないけども山にあった小さなお墓なのでしょう? それならかつて水子供養された場所でしょうね」
「水子供養……」
水子はこの世に生まれることなく死んだ子供の事。
それを弔ったお墓を水子供養という。
「ええ。昔は神社があったのだけども色々とトラブルが重なって移転されたの。移転先ではちゃんと供養されてるけども……そこに取り残された子はいっぱい居るでしょうね。いえ、取り残されたというよりも、どこにも行けなくてそこにいるしかない子供が」
「……なら、なんで帰ろうって誘ったんですか? だって……」
帰る場所なんて知らないのに。
「それは簡単じゃない? 貴方が母親だっていうつもりで誘ったのでしょう」
「母親? ……私がですか?」
「多分、早く帰りたいと思っていたから赤とんぼに見つかって……そして、貴方があんまりにも楽しそうだったから……じゃないかしら? 羨ましかったのでしょうね。大きくて庇護してくれそうな貴方を見て。生まれる前の子供からしたら、大きくて、頼りがいがある女の子の貴方は……きっと、母親に見えたのでしょうね。だから、赤とんぼを連れて存在しない懐かしい……いつかの日に帰ろうとしたのでしょう」
「――それはなんとも、迷惑ですね」
「ふふ、子供なんてそういうものでしょう? それに……その子達は迷惑をかけることすら出来なかったもの」
……確かに。そう思えば悲しい話だ。
秋の夕暮れ。その赤とんぼを見て郷愁に襲われたのも……おそらく、誰も彼もが一度は子供だったからだろう。誰もが記憶の底にある、子供の頃の懐かしい何かを彼らは写したのだろう。
しかし……残酷な答えだったか。彼らは行くことも出来ず、帰ることも出来ない。だからせめて、一緒にいるために帰ろうと誘ってきたのだろう。
帰る場所を必要とせず進む私の姿は、あそこに縛り付けられた彼らにはあまりにも――いや、止めておこう。
「でも、よく帰ってこれたと思うわ。だって、とても懐かしくて……帰りたくなるのでしょう? なのに、帰らなかったのはとても凄いわ」
「まあ、偶然です」
「そう?」
なにかあると思っている顔の先輩。――確かに、偶然ではない。
私は、私が嫌いだ。帰りたいあの時などない。私は、今のここに居たいのだ。――のような私は。
だからもしも、この日常が過去になるなら私は帰っていたかもしれない。ただ、それだけの話。
「でも、一人でこういう不思議な出来事に巻き込まれて帰ってこれたなら……ふふ、一人前ね」
「一人前……もしかして、文学部の人はみんな経験したんですか? こういうことを」
「……たぶん?」
可愛らしく小首をかしげる先輩に何も言うことはなく、ただ今のこの時間の愛おしさを心に刻みつける。
――願わくば、思い出だけの風景にならないことを願って。
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