第7話 案山子

「あの、ちょっといいですか?」

「ん?」


 教室でいつもどおり本を読んでいると、いきなり声をかけられる。

 恐る恐るといった表情のその少女は……ううむ。記憶にない。いや、クラスメイトの顔はほとんど覚えてないのだけども。私の名前を呼んだその少女は清水さんと名乗った。


「えっと、間違ってたら申し訳ないんですけど……部活は文学部……でしたよね?」

「そうだけど……あの、同級生だからタメ口でいいよ」


 私はそこまで敬意をはらわれるような存在でもない。だから、敬語を使われると座りが悪くなってしまう。

 目上の人に自分で使う分にはいいのだが、他人から使われるのは苦手だ。なんなら下級生から敬語を使われるのですら嫌だと思っている。


「え、そ、そう言われても……」

「タメ口で」

「……わ、分かった。あんまりこういう口調に慣れてなくて……」

「申し訳ないけど、私は敬語を使われるのが苦手だから慣れてほしいかな」

「今まで話したことがなかったけど、そういうタイプだったんだ」

「……どういうタイプ?」

「もっとこう……冷徹そうで、キツイ人なのかなって思ってた」


 感心したような表情を浮かべる清水さん。まあ、私は無愛想なのでそう見えるかもしれない。

 だが実際はそんなことはない。腰はそこそこ低いほうだし、別に会話をするのが苦手というわけではない。

 ……というか、清水さんと言う子は思ったよりズケズケ言う子だ。見た目はホワッとしているのに。


「それで、清水さん。どうしたの?」

「あ、うん。そうだったね。その、文学部では変な話とか怖い話について詳しくて、それを引き受けてくれるって美術部の先輩に聞いたんだけど……」

「……うん」


 そうだったのか。全く知らなかったのだけども、知っている顔をする。

 多分先輩に聞いたら、教えてなかったかしら? と言われると思っている。あの人は秘密主義なのか、単に伝え忘れているのか分からない時がある。


「ああ、よかった。その、聞いてほしいというか……文学部で引き受けて欲しい話があるんだけど……いいかな?」

「それなら放課後でもいい?」

「え?」

「今読んでる本が良いところだから」

「あ、うん……いいけど」


 なんとも言えない表情を浮かべる清水さん。しかし、チャイムが鳴って授業になる。

 そのまま、授業に戻り私も本をしまう。さて、放課後までに読み切れるといいんだけども。

 ――そして、放課後。部室へ行く準備をしている私を清水さんが前の席から走ってきて慌てた表情で私を引き止める。


「あの、いいかな! 話を聞いてくれるんだよね!? 忘れてないよね!?」

「……忘れてはないよ」

「ならいいんだけど……そのまま帰りそうだったから」


 不安げな表情を浮かべる清水さん。大正解だ。

 正直に言うと忘れてた。まあ、約束をしたのなら守らないといけない。席に座リ直して話を聞く姿勢になる。


「それで、どんな話?」

「えっとね……」


 そして、文学部に持ち込まれるようならしい話を清水さんは始める。

 ――美術部では、定期的にコンテスト等に応募するための絵を書いている。

 しかし、中には送れないものであったり趣味で書いて終わった作品も多くある。そういった作品は生徒が処分しない場合は倉庫があり、そこで一定年数は預かるのだとか。

 そして、その年数が経過しても引き取りに来なかったり処遇が決まらなかった作品は学校側の所有物になり、許可を取れば生徒が好きにしていいのだという。


「それで、今年も年数が経過したから色々と集められていた絵の処分をしていたの……だけど、その中に一つだけ誰が書いたか分からない絵があったの」

「わからない?」

「うん。ちゃんと管理されてるはずなのに、その絵だけは誰の名前もなくて記憶にないって言われてるの。書かれてる絵も、正直見たみんなが不気味だと思ってて、そのせいで他の美術部の子たちが怖がっちゃって……」

「……それで?」

「先輩たちも、この絵を引き受けるのは嫌だっていって。なら、処分するか? って聞いたけどそれもなんだか嫌だってみんな言うの。そのまま、どうするか決まらなくて……私達一年生に、文学部にどうにかしてもらおうってことになったから頼んできてくれってお鉢が回ってきたの」


 しょんぼりとした表情をする清水さん。

 なるほど、年長者から無茶振りをされるのはどこの部活でも同じなのか。私も先輩にいきなり司会をさせられたからよくわかるようになった。


「それはどんな絵?」

「その、なんとも言えないの。不気味で、見てて不安になるって美術部のみんなが言うし、私もなんだか見てるともやもやする絵で……なんだか寂しい絵で、案山子が書かれてるんだけど」

「案山子……?」

「うん。案山子。その、呪われたりしちゃいそうな気もしてて……怖い話に詳しいなら、そういうのにも耐性がありそうだから……」


 ……なるほど。ピンとは来ない。

 しかし、そこまで言われるような絵。気になってきた。

 私は基本的に行動範囲が狭く他人と交流するよりも本を読むのが好きな人間だ。だが、別に動かないわけではない。興味のあることに対してはわりと行動力を出せる。


「なら、その絵を見に行こうか」

「えっ、いいの? 頼んで何だけど……」

「うん。興味があるし」


 そう言って立ち上がる。ちょっと遅くなるが、先輩には部活動だと言えば問題はないだろう。

 先輩の手を煩わせることでもないかもしれないし、もしかしたら助けを求めることかもしれないが。とりあえず、見るだけ見てみよう。


「案内して。場所知らないから」

「う、うん」


 そして私は彼女に連れられて美術部へと足を運んだ。



 ――部室棟の離れにその場所はあった。

 外から見れば何の変哲もない倉庫だが、中を見ると所狭しと額縁に飾られた絵や彫像が見世物のように晒されている。

 いろいろな思惑や想像を、こうして形にしてきたのだろう。本を読むものとして、こうした生の生み出す人間の感情を感じられる空間は嫌いではない。私は何も生み出せない人間だから余計にだ。


「それで、この絵なんだけど……」

「どれどれ?」


 色々と興味を引く絵はあったが、その絵を見てみる。


「――」


 それは、確かに案山子の書かれた絵だった。

 荒れ果てたなにもない畑に、ぽつんと立っている案山子の絵。空は灰色で、荒涼とした寂しさを感じるだろう。

 その絵を見たとき、私は一つの感想を抱いていた。


「ね、これ、不気味でしょ? 他の絵と違って……その、なんだか見てて不安になって嫌な気持ちになるんだよね」

「……うん」


 ――私は嘘をついた。


「なんだか、触ると呪われたりとかしそうな気がして……この学校って、そういう話が多いから……」

「多分、大丈夫だと思う。この絵は」

「ほ、本当に? なにか分かったの?」

「説明は難しいんだけど……別に悪いものじゃないよ」

「そうなんだ……」

「処分しても問題はないと思う」

「……その、処分を手伝ってくれたり」

「そこまで面倒は見る約束じゃないし」


 面倒なことはゴメンだ。悪いものじゃないという感想も、私が出会った怪しいもののような気配がないという話。

 正直、これ以上は付き合う理由も……


「お願い、手伝って! 星屑シリーズの最新刊を貸してあげるから」

「……えっ!?」


 驚いた。それは、私が読んでいた本のシリーズの名前だ。

 マイナーな出版社なので、最新刊が中々手にはらないのだが……


「その、読んでるのを見て……私もファンなの。あのシリーズ」

「……私以外で好きな人、初めて見た」

「私も読んでるのを見て驚いたの。その、駄目かな?」


 ……出会えるかどうかわからない同士を見つけた嬉しさで、私の口が勝手に開いた。


「処分が面倒なら、文学部で預かろうか?」

「えっ!? いいの?」

「このくらいのサイズの絵なら別に問題はないだろうし」


 そう大きいものではない。キャンバスに描かれた絵は、なんなら部屋に飾ることも出来る程度の大きさだ。

 先輩に対して話の種にはなるだろう。別に捨てる事もできるし。


「それよりも……最新刊を持ってるなら、この前の巻も読んでるよね」

「――! うん、当然読んだよ!」


 そこに、これ以上の言葉は必要なかった。

 ――時に、同じ本の内容を語れる同士の存在というのは、何よりも貴重な存在であり……

 そして、その語り合いがついつい長引いしてしまうのも仕方ないのだ。



「――ということでして、非常に遅れました。すいません」

「……別にいいわよ?」


 気にしてないという素振りの先輩だが、明らかに機嫌は良くない。

 というよりも、別に気にしてませんけど? と言う子供が強がっているような反応のせいで、普段のイメージと齟齬が大きい。

 まあ、結局部活に来たのは学校が閉まる一時間前。正直、盛り上がりすぎた。外はもう暗くなっている。


「すいません。こんな時間まで……」

「いいのよ。だっていいことじゃない。貴方は、普段から他の子と話したり楽しむところを見せないもの。そんなふうにたくさん話せる相手を見つけて良かったじゃない。うん」

「……」


 凄い早口で言われて、どうしようと思う。

 こうなった先輩は初めて見た。多分、放っておかれて不満だったがそれを出すのも違うと思ってるから言い訳みたいになっているのだろう。

 まあ、こういうときは話題を変えるのがいい。ちょうど話の種もあるのだ。


「それで、これがその絵です」

「――ああ、そうだったわね。最初の発端は、絵だったわね」


 そう言って先輩も見る。

 案山子は、単なる案山子だ。打ち立てられた十字の木の棒に粗末な布をかぶせて、顔を布で包み麦わら帽子を被せている。そういった簡素な案山子。

 それが、荒れ果ててなにもない畑の真ん中に立っている。空は曇っていて、全体的に色彩は暗い。


「……ふうん」

「先輩はどうですか?」

「そうね……この絵は、はっきり言うけども……つまらない絵だと思わない?」


 あまりにもバッサリとした切り捨てる言葉だが、私も同意をする。

 おそらく、絵を書く人間から見れば違う感想を言えるのだろう。


「はい。私もそう思いました」

「なら、私と同じ意見ね。ちょっとだけ、考えがあるの」


 そして、先輩は自分の頬に手を当てて話し始める。推察したのであろう、この絵の正体を。



「名前のない、見た美術部員を不安にさせるような絵。不思議よね。この寂しい絵が、どうしてそう思わせるのだと思う?」

「……不安を掻き立てる構図だから?」

「ふふ、それなら私達も不安になるでしょ? でも、私達はつまらないと思ってしまった。それが答え」


 そういって、その絵を見る先輩の目は優しく……誰かを悼むような目だった。


「この絵は、死体よ。この学校に居たどこかの芸術家の残した墓標でしょうね」

「墓標?」

「ええ。どれだけの時間を使って書かれたのでしょうね。どれだけの思いを重ねて書いたのでしょうね。私達はただの学生で、芸術に時間を取る学校でもないわ。なのに、この絵には鬼気迫るまでの執着と労力がかかっている。詳しいわけではないけど、油絵でここまで書き込まれているもの。毎日のように書いていたのでしょうね。でも、私達の感想は?」


 ――つまらない絵。


「この絵は、見る人によって感想は変わるのでしょうね。だって、そうじゃない? 絵を書く人間には、才能の無さを突きつける絵に自分が言われたかのように苦しく不安になる。ただ見る人は、空っぽなこの絵に感じるものがなくてつまらなく感じる。少し絵を理解してる人も、かけられた時間を理解してこの絵に哀れみを感じる」

「……」

「でも、誰もこの絵を評価しない。だって、評価に値しないもの」


 残酷すぎるほどに残酷だ。

 それは、才能の無さを。時間というものが解決しない隔絶した何かを見せつけてくるのだ。


「己の才能の無さを書ききったこの絵を見て、作者はなんて思ったのでしょうね」

「それは……想像できないですね」

「残酷だけども、それが才能の世界。芸術の世界なのでしょうね。書いた誰かは何かを表現したくて絵にしがみつき続けてきたのでしょう。苦しくて、泣きたくて、それでも書いたの。自分の心情を表すようなこの寂しい絵を……そうして残った絵は、能無しの案山子。オズの魔法使いにも出会えなかった哀れな案山子。これは、そういう絵なのでしょうね。これが、私の推察。どうかしら?」

「……どうと、言われても」


 ――それは、答えではないのだろうか。

 この部室には、様々な本がある。中には、誰かの日記だってあるだろう。もしかしたら、先輩はこの絵を書いた人を知っているのかもしれない。

 能無しの案山子。畑も守れず、ただ荒れ果てたそこに立つだけの存在。才能の名期芸術家の墓標。


「――先輩、その絵はどうしますか?」

「そうね……部室に置くのはちょっと出来ないから、引き取って貰える人に……」

「私がもらっていいですか?」

「別に構わないけど……つまらない絵よ?」


 そう聞かれて、頷いてその絵を手に取る。

 なにもない能無しの案山子の絵。まるで――みたいで。


「……なんとなく、その話を聞いて気に入りました」

「そう?」


 珍しく、先輩は不思議そうな顔をしている。私がそう思った理由がわからないようだ。

 ――それでいい。私のすべてを理解出来ることはないだろうから。

 一つだけ、聞きたいことがあった。


「先輩」

「何かしら?」

「――この作者は今も絵を書いていると思いますか?」


 ……その疑問に迷いなく答える。


「当然書いてると思うわ。だってそうでしょう? こんなにも残酷な絵を残して名前を残さなかったんだもの」


 そう言って微笑む。

 その笑みは、あまりにもいろいろな感情が込められていて私では読み取れない。だが、愛おしい物を見るような表情をしていることが分かった。

 ――愚かな子供を見るような優しい顔で。


「才能がない程度で。芸術家として死んだ程度で、諦められる執着ならこんな絵は描かないわ」


 ――きっとそれは、真実なのだろう。

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