第6話 百物語
「ねえ、百物語を知っている?」
いつものように部室で読書をしていると、先輩からそんなふうに聞かれる。
もしかして、先輩は私のことをとんでもないぼんくらか何かだと思っているのだろうか?
「あの……流石に知ってます。知らないわけがないと思うんですけど」
「ふふ、そうよね」
そういう先輩だが、悪びれる様子がない。
春から夏にかけて、徐々に先輩と言う人となりが分かってきた。この人は人形のような美しい見た目に反して、案外悪戯好きだったり俗物的なものが好きだったりする。
まあ、私が最初の印象から先輩に神秘的なイメージを持って押し付けているのが悪いと言えば悪いのだけども。
「それで、百物語がどうされたんですか?」
「文学部には伝統があるの。毎年、夏に百物語をするっていう伝統」
「えっ!? 二人でですか!?」
一人50話と考えて……いや、どれだけ時間がかかるのだろうか。
まず、それだけの怪談を集めることが大変なような……
「それは……ああ、ごめんなさい。勘違いさせちゃったみたい。文学部が主導をして、学生を集めて百物語をする催しがあるのよ」
「ああ、なるほど。そういうことですか。ちゃんと部活動をしてるんですね」
「当たり前よ。ちゃんと部活動だもの」
「……そうですか」
先輩が私物化をしている、名ばかりの部活かと思っていた部分はあるが違うらしい。
しかし、百物語か。
「百話ということは、百人を集めて一気に話すんですか?」
「ふふ、流石に一日ではできないわ。百話なんて、聞いてる方も疲れちゃうでしょ? それに、話が同じにならないようにするのも難しいわ。だから、2日に分けるの。午前の部と午後の部で25人ずつ募集をして、怖い話をする。そういう告知をしてるの。それなら、話が同じでも問題がないでしょう?」
「確かにそうですね。それで、いつするんですか?」
「明後日ね」
「ええっ!?」
驚きのあまり立ち上がる。もうすぐじゃないかと。
「安心して、準備はもう終わってるから」
「えっ!? 私、なにも知らなかったんですが!」
「こういうのは先輩がするべきだからね。それに、先生にも手伝って貰ったからして貰うことはなかったの。ただ、当日はお手伝いしてもらうけど……いいかしら?」
「はい、何でも言ってください。正直、もう終わったって聞いて申し訳ない気持ちでいっぱいなんですが……」
本来なら、もっと手足のように一年生は使うべきだろうと思ってしまう。
ただでさえ、背が高い私が何もせずに本を読んでいたとなればウドの大木という誹りは免れられないだろう。
「そう? それなら明後日はいっぱい頼んじゃうけど、いいかしら?」
「はい。出来る限りがんばります」
「ええ。お願いね」
そう言って微笑む先輩に、何も出来なかった分を取り返すように頑張ろうと決意をした。
まあ、これは間違いだったと後悔するのだが。
――さて、あっという間に百物語の二日目が終わった。まるで時が飛ばされたように怒涛の二日だった。
夜の教室の中で、私は疲労困憊して椅子に座り込んでいた。先輩は心配そうに私を見ている。
「大丈夫?」
「……は、はい……大丈夫です」
「ごめんなさい。そんなになると思わなくて……」
「いえ……私の、問題ですので……」
これは何も肉体的に重労働を課せられたというわけではない。
私は自分で言うのもなんだが、人見知りだ。知らぬ他人と語らうよりも、知らぬ本と語らうほうが何倍も好きだという人種だ。本を二四時間読み続けるより、一時間、知らない人と語らう方が疲れる人種だ。
そんな私が課せられた労働というのは……
「でも、そんなに疲れるかしら? 百物語をする教室で、参加する生徒のサポートをするだけなのに」
「申し訳ありません。私には重労働だったんです」
無言で立っているだけなら楽なのだが、暗くしている室内の案内や次に話す人の誘導。簡単な司会も、雰囲気を作る音楽を流すのも私の役目だった。
まあ、音楽を都度再生したり、決まったことを話す簡単な仕事といえば簡単だろう。ただ、私は言った通りに人見知りなのだ。知らない25人を確認して、促したり聞かれたら答えたりしなければならないのは本当に疲れる。
「でも、貴方の司会は好評だったのよ?」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。実は百物語の司会は難しいの。あんまり見知っている人だと、怖さがなくなるでしょ? そういう意味では私もあまり向いていないわ。新入生にさせるのはそれが大きい理由ね。顔をよく知らない生徒だからこそ、非日常の空気を壊さないで居られるから」
「……なるほど、そういう理由があるんですか」
「ええ。その中でも三年間、毎年参加してくれた先輩が一番怖い百物語になっていたから凄いって褒めてたわ。貴方のおかげよ」
「私の……?」
いっぱいいっぱいで愛想を振りまく余裕もなく、失敗しないように必死に手順書を読み込んで居たのだけども……
「ええ。参加した子たち、貴方のことをとても大きいのにあまり見覚えがないっていう生徒が多くて、そのギャップがミステリアスに感じたらしいの。それに、落ち着いた声で淡々としている喋り方が、凄く雰囲気が怖かったって」
「いつも通り……いや、いっぱいいっぱいだったんですけどね」
「それで好評なら良かったのよ」
笑顔でそう言い切られたら、そういうものかもしれない。
「それで、どうだった? 百物語は?」
「……ええっと、いくつか面白い話はありましたけど……」
とはいえ、どこかで読んだことがあるが……マイナーなホラー小説などから持ってきてアレンジをしたのだろう。
観察していて面白かったのは、話の内容よりも語り手次第で怖さが変わる点だった。
「見知っているはずの物語を、とても怖く語る人がいて凄かったですね。オチを知ってるはずなのに、ドキってしました」
「ふふ、怪談の語り上手な子がいるのよ。そういう子は毎年、細部を変えるだけで同じ話をするのに、何故だか新鮮に聞こえるのよ」
「すごい技術ですね……」
「ええ。語り手の大切さが分かるでしょう? 他にはどんな発見があった?」
そうやって聞かれて、思い出しながら答えていく。
とはいえ、そこまで目立って言うこともない。とある運動部の部長が意外と怖がりだったり、同級生らしい子がやけに物知りだったり。そのくらいだ。
しかし、そんなつまらない私の話を先輩はニコニコとして聞いてくれる。
「……このくらいですかね?」
「教えてくれてありがとう。ふふ、こういう話を貴方から聞くと新鮮な気分ね」
「ああ、確かに。こういう日常の話は先輩としてませんからね」
我ながら、人嫌いなのかと思うほどに誰かと交流したと言う話をしない。それで困ったことがないのが問題なのかもしれないが。
「ふふ、貴方も他の生徒と交流してないか不安だったから、ちょっと安心したわ」
「えっ、そんな心配してたんですか?」
「すこしね? だって、文学部も部活である以上は他の生徒と関わることも多いのよ? だから、あんまり誰とも交流してないのも問題なの」
「……難しいことを言いますね」
用事がなければ本と戯れてたいのに。そんな私の内心を読み取ったのか苦笑する先輩。
「とはいえ、これから色々と関わりが増えてくると思うわ。今回、上手にしていたもの。きっと大丈夫よ」
「そうですかね?」
「ええ。そうよ」
そう言い切られるのなら、大丈夫なのかもしれない。
「さてと……それじゃあ、最後の百物語を始めるわね?」
「え?」
椅子に座った先輩は、残っていた蝋燭を取り出して火を付けて電気を消す。
もうすでに百物語は終わっているはずだと思っていたのに。
「気づいてなかった? 最後だけ、24人だったの。語られたのは99話まで」
「えっ、そんなの気づくはず……」
いや、どうだったろうか? 私は対応でいっぱいいっぱいだったし、参加者の名簿も参加者全員が一枚にまとめられていた。だから、ぱっと見ても合計した人数は分からない。
だから、一人だけ欠けていても確かに分からない。話すのも、それぞれが座るものを持ってきて囲む形だったし話の長さもまちまちだった。
「ふふ、気付かれないようにしていたから。ぱっと見てわかるようにされたら駄目でしょう?」
「そうですけど……」
「これも伝統。百物語を締める最後の物語」
そういって、先輩は最後の物語を始める。
「――百物語は、最後に何が起きると思う?」
「最後に……?」
それは、本で読んだことがある。
百話目に暗闇の中へ本物の怪異が出てくる。だから、昔から語られてきた百物語は99話目で止めることが多いのだとも。
「妖怪がでてくる……ですか?」
「そうね。それも語られている結末ね。でも、この学校に伝わっている最後は違うの」
ゆらりと揺れる蝋燭に照らされる先輩の表情は見えない。
ただ、表情が見えないのか、私が見ないようにしているのか。それすらもわからない。ただ、私の体が竦んでいるのだ。
この話を本当に聞いていいのかという、恐怖感で。
「百物語の結末までを話すとそこには怪異が現れて、何かを持っていく。これがこの学校に伝わる結末なの」
「……持っていく、ですか?」
「ええ。そうよ。何を持っていくのかはわからないけども、そう言われている。だって、怪異に連れて行かれてこの世のものじゃなくなったのだから、何がなくなったのかも思い出せないのは仕方ないことだと思わない?」
「それは、そうですけど……」
でも、先輩はそんな結論で終わらせるような人ではないはずだ。
だから、話の続きを待つ。
「――それで、私は考えたのだけども」
「……はい」
「本当に、最初から99人だったのかしら? この伝統は」
「え?」
……どういうことだろう?
「始まりは、ちゃんと百物語を終わらせていたのじゃないかしら? そう、あらゆる百物語が。過去に伝えられている99話で止められた百物語もすべて」
「……」
「でも、百物語の最後まで話し終えた時に、何かがなくなったのでしょうね。誰の記憶からも消えてしまった誰かが。だってそうでしょう? 百の物語もあるのだから、そのうちの一つくらい思い出せない物語があっても仕方ないじゃない。連れ去られたものを思い出せなくても」
想像をしてみる。
顔の思い出せない誰かを。もし、居なくなってもわからない誰かがいるのかもしれない。
でも、誰かはきっと心の底に恐怖が残り続けるのだろう。なくしてしまった恐怖が。
「……なら、この話が終わった後に何が持っていかれるんですか?」
「貴方は何が持っていかれると思う?」
「……そうですね。私は――」
百の恐怖の物語で生まれた怪異。
それが何を好んで持っていくのか。それはおそらく――
「語った人が、なくしたら怖いものを持っていくんじゃないですかね」
「どうして?」
「だって、怖い話でやってきたものが欲しいのは、恐怖だと思うんです。だから、最後に語った人がなくして怖い物を奪うんじゃないですか?」
――まあ、忘れてしまうならその恐怖も消えてしまうと思うけども。
その言葉に先輩は感心したような声音でつぶやく。
「……そうよ。正解。一番なくして怖い物を持っていくの」
「でも、忘れてしまうんですよね?」
「そうよ。でも、怖いでしょう? だって、いちばん大切なものをなくしたことすら忘れるのは、恐ろしいことだもの。こうして、答えを当てられると思わなくてびっくりしちゃった。ふふ、凄いわ」
百物語の話だというのに、先輩はとても楽しそうで、堪えられない笑みを浮かべているようだ。
そして、ふっと蝋燭を消す。
「――これで、百物語は終わり」
真っ暗な室内の中。先輩がそうつぶやく。
――何がなくなるのか。何が持っていかれるのか。
暗闇の中で私はただ、待つばかりだった。
「――さて、電気をつけましょうか」
ぱちんと、光が灯される。
そこには変わらず先輩が居た。何も変わっていない、先輩が。
「どう、なにかなくなった?」
「いえ……何もなくなってないと思います」
そう答えると、そうよねという先輩。
優しく微笑む先輩に、ふと気になったことがある。
――この百物語が伝統だというのであれば、どういう意味があるのか。
「なんで、この百物語の最後を文学部だけで話すんですか?」
「不思議?」
「そうですね……不思議というか、どういう意味があるのかなって」
わざわざ、伝統として伝えるのであればそこにはなにか意味があるはずだ。
「――ふふ、これはね? 後始末と引き継ぎなの」
「引き継ぎ……?」
「ええ。いつか次の子が来たときに教えれるように。また、この百物語を続けれるように。だって、間違えて百話目を誰かが話してしまって、何かをなくしたら寝覚めが悪いでしょう? だから、文学部が最後の話をするの。何もなくさないように」
……なら、私達はなくさないのだろうか?
そう思う私に、先輩は微笑む。
「ふふ、伝統だから深く考えなくていいのよ。最後を文学部がする。それでこの百物語という話は終わる。そういうものだから」
「そう、ですか……」
「ええ。さて、帰りましょう。遅くなってるけど大丈夫かしら?」
「はい、それは大丈夫です」
――そして教室を離れる時に、ふと背後を見る。
何かがこちらを見ていた。
「――」
息を呑む私に、気配は消える。
――私の脳裏に、ある考えが生まれた。
これは呪いなのではないだろうか?
繋ぎ続ける百物語の最後。重しのようにのしかかって行くそれは、怪異に奪われない程に重たい鎖になる。
「――先輩」
「なあに?」
「先輩がなくしたら怖い物って、なんですか?」
「そうね……今は、貴方かしら。大切な後輩ですもの」
そういって笑みを浮かべる。
――ああ、なるほど。だから、後始末と引き継ぎなのか。文学部という呪いを引き継いだ私は、怪異すら持ち上げられないほどに重い呪いを引き継いだのだ。
夏の終わり。私は、文学部と言う重い呪いを引き継いだのだった。
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