第5話 向日葵
さて、世間は夏休み。私の学校も夏季休暇へと突入した。
とはいえ、私のやることに変化はない。部室は開放されていて、毎日のように本を読んだり宿題を終わらせるために通っている。先輩も、特に約束をしているわけでもないが私が来るからか毎日来てくれている。申し訳無さもあるが、家で本を読むよりも集中出来るので辞めようと思うことはないだろう。
さて、今日は部室に行くと先輩に誘われて校外に出ることになった。以前に言っていた、本の購入に行くらしい。
ということで先輩の先導のもとにその本屋に行くことになったのだが……
「……先輩、ここですか?」
「ええ。そうよ。雰囲気があるでしょう?」
「多分、先輩の想像してる本屋と私の想像してる本屋は別なのかもしれませんね」
学校から5分ほど先にある商店街。一応地元だから店は知っているつもりだったが……裏路地にひっそりと佇むこの本屋については、今日初めて知った。
「もしかして、知らなかった? この商店街で唯一の本屋なのだけど」
「知りませんでした。というか、この通りって店が開いていたんですね」
「ふふ、何も言われないと閉まっているように見えるわよね」
「閉まっているというか……」
外観は、もはや古ぼけた廃屋に近い。閉まっているというよりも、区画整理で取り壊す数日前だと言われたほうが納得ができる。
……あ、いや。よくみてみると、小さい看板がかかっていた。達筆すぎる字で『店書古西江』と書かれている。
江西古書店……右から左へ読む看板ということは、相当昔からこの店はあるらしい。
「こんにちわ」
「……し、失礼します」
ガラガラとガラスの扉を開いて遠慮なく入っていく先輩に続いて、恐る恐る踏み入れる。
……中は外観通りの古さだが、店が一杯になる程に本が山積みになっている。先程までの恐る恐るといった気持ちは吹き飛んで、早く本の山を物色したい気持ちに支配される。
と、奥から足音が聞こえる。どうやらこの店の主がやってくるらしい。どんな人が来るのかと身構え……
「おおー、らっしゃい! チビ助ひさしぶりだなぁ!」
「店長さんも相変わらず元気そうね」
(うわっ……!?)
いきなりでてきたのは、枯れた老婆などではなくて快活でいかにも趣味はスポーツだといいそうな、髪を後ろに結んだ若いお姉さんだった。あまりの衝撃に、目を白黒させてしまう。
……見た感じ、年齢は二十代くらいだろう。屈託のない明るい笑顔はこの枯れた廃屋のような書店とは不釣り合いな印象を与える。
と、そこで私に気づいたのか驚いた顔をする。
「うお!? 何だそのでっけえやつ!?」
「後輩よ」
「後輩です」
「ああ、文学部に入った後輩か。へー、でっかいなぁ。何センチくらいあるんだ?」
「180センチ……くらいです」
「んん? もうちょっと高い気がするんだけどなぁ……」
まじまじと見上げられる。
まあ、180……くらいの大きい私がこういう反応をされるのには慣れている。とはいえ、大きい自分が好きではないので居心地は悪いのだが。
「もう、店長さん。その子嫌がってるから止めて」
「ん? そうなのか? 仏頂面してるからどうでもいいのかと思ったけど……」
「もう、そんなことはないでしょ。凄く嫌そうな顔をしてるじゃない。ね?」
「……まあ、あんまりいい気分じゃないですね」
「そうなのか、そりゃ悪かった」
そういうと、謝りながら下がっていく店長さん。
しかし釈然としてない表情をしている。まあ、慣れていないと表情が分かりづらいとは言われたことはあるのでそのせいだろう。先輩は読み取ってくれるのでありがたいが
「まあいいか。あー、はじめましてだな? 私がこの江西古書店の店長だ。一応文学部のOBだな」
「えっ、そうなんですか?」
「そうだよ。まあ、自分でも似合わねーって思うけどさ。まあ、婆ちゃんも文学部だったらしいから血なのかもな」
そう言ってカラカラと笑う店長さん。
……見た目通りの明るさに、クラクラしてしまう。私とはタイプが違いすぎる。
「店長さんに頼んで、文学部の本を購入するの。昔からのお得意様だから勝手も分かってくれてるわ」
「そういうことだ。まあ、古臭い本しか無いけどな。変な本はないはずだから好きに選んでくれ」
「……分かりました」
さて、そう言われればと本棚を見る。
……古書ということで、とても古い本から誰かが読み終えたまだ新しい本まで。様々なラインナップが並んでいる。
見ている私の横で、店長と先輩は話をしていた。
「最近はどうかしら? 店長さん。前はお金の心配をしてたけど……」
「ん? ああ、ネット販売が上手くいってるから大丈夫になった。古書っていうのは案外需要があるもんだし、ここには昔からの貴重な本もあるからなぁ」
「店長さんがパソコンを使えるの、イメージと違うわね」
「うるせえ。お前だって同じだろ」
……店長さんも、先輩もどうやら機械類には明るいらしい。
イメージを裏切る方々だ。ちなみに私は得意ではない。
「それで、何買うんだ? 前みたいなのは辞めろよ」
「だって、読みたかったんですもの。相談したら怒られましたけど……」
「そりゃそうだろ。数十万するような本を買っても部室じゃ保管しきれねえって」
「数十万!?」
思わず、取ろうとしてた本から手を離してしまいそうになり、慌てて抱きかかえる。
それを見て、店長さんが大笑いをする。
「あっはっは! 大丈夫だ! 流石にそんだけ高価な本は裏に下げてるからな! そこに出てるのは普通の値段の古書だ、デカイのに大慌てしてるのは面白いな」
「そ、そうですよね……」
「ふふ、カワイイでしょ?」
先輩にそう言われて赤面をする。滑稽な姿をフォローしてもらうのは羞恥心が刺激されてしまう
羞恥心を振り切るように本を手に取る。埃っぽく見えて、きちんと手入れされている。本の痛みも、店頭に置かれてるものなのに少ない。ちゃんと手間をかけているのだろう。
……ここはいい本屋さんのようだ。
「先輩、しばらくじっくり見ててもいいですか?」
「ええ。店長さんとお話をするから、貴方は好きな本を見てて。数冊くらいなら部費で買ってもいいからね」
「え? いいのか? あたしの頃は……」
「――店長さん、いいの」
「いや、だって」
「いいの」
「……そ、そうか。まあそれならいいんだが」
有無を言わせない強さの言葉に、店長さんもそれならばと引いてしまう。
……やっぱり部長、職権乱用してるんだろうな……まあ、私は何も言わずあやかるけども。
――じっくりと本を見ている時間は、あっという間に流れる。
急に肩を叩かれて、思わず驚いて振り向くと部長が頬を膨らませていた。
「あれ? 部長? 話は終わったんですか?」
「ええ。もうずっと前にね。凄く集中してるから待ってたのに、全然終わらないんだもの」
「あ、それは……申し訳ないです」
「まあ気持ちはわかるから許してあげる。それで気に入った本はあった?」
「そうですね……何冊か、ちょっと読みたい本は」
私は落ち着ける空間でしっかり読みたいので、買って読みたい思った本を何冊かピックアップはしておいた。
それを伝えると、先輩は頷いてメモを取る。
「これだけね。なら、後日配送してもらうから楽しみにしててね?」
「え? 部室にそのまま持って帰るのは駄目なんですか?」
どうせならさっさと帰って読みたい。
家に持ち帰ってしまいたいくらいだったのだが
「逸る気持ちはわかるけど、一応ルールだからね。ちゃんと店長さんを通さないと先生方から怒られちゃうわ」
「そうだぞー、じゃないと私費で購入って話になるからな」
「そうなんですか…………分かりました」
面倒なルールがあるらしいく、お預けのようだ。
しかしそうなると……この、読みたいという気持ちが宙に浮いてしまった。そんな私に気づいたのか、先輩が普段と同じ話をしてくれるときのトーンになる。
「そういえば、知ってる? 向日葵」
「向日葵は知ってますよ」
「なら、向日葵が太陽に花弁を向けて動くっていうのも知ってるかしら?」
「それは……実は、知ってます」
とある本で見た。向日葵は、真っ直ぐに成長するために太陽の動きに合わせて動いている。成長しきると、動かなくなるらしい。
それを見て、なんとも自然というのは凄いものだと関心した覚えがある。
「あら、残念。教えてびっくりさせたかったのに……」
「すいません。ご期待に添えず」
「ふふ、冗談だから謝らないでいいのよ」
……そういいつつも、本気で残念そうにしてたような。
先輩は教えて驚かせたりするのが好きなので、期待してたのだろう。
「さて、ある先生が向日葵についての話をしたの」
「ある先生?」
「保健室の水月先生だけど、知ってるかしら? 面白い人よ」
「いえ、知らないです。健康優良児なもので……」
「そうなのね。また挨拶をしてもいいかもしれないわ。……さて、話を戻すわね。水月先生が言ってたのは、向日葵は人を見るということ」
人を見る……?
「向日葵についての話をしたときに、先生は向日葵は嫌いだと言っていたの。それについて聞いたら、教えてくれたわ。水月先生には、お兄さんがいるのだけど、子供の頃は仲が良かったらしいの。遊ぶときはいつも一緒で、田舎に帰省をしたときも向日葵畑をお兄さんと歩いていたらしいの」
子供の頃はということは……今はどうなのだろうか。
「長い向日葵畑を通った先にある河原で遊んでいたらしいの。とても空気が良くて、広い場所で、田舎に帰ってから毎日のように水月先生とお兄さんは遊びに行っていたそうよ。その時はまだ向日葵は嫌いじゃなくて、明るいその道を通るのは好きだったらしいわ。そうして、毎日通っているときに、水月先生はちょっとだけ違和感を感じたらしいの」
「違和感?」
「ええ。通っている道が、なぜだかちょっと変わっている気がしてお兄さんに言ったの。でも、お兄さんはそんなことはないっていうの。二人で確かめて、たしかに何も変なところはなくて水月先生は首を傾げて納得したの。それで、最後に振り返るとね」
「はい」
「向日葵畑の向日葵が、一つ残らず二人を見ていたの。一面の向日葵が、二人を」
――想像してみる。
明るくて黄色に染まったとても明るくて楽しい空間。その花が、すべてを一人の人間に向いている光景を。
……ゾッとするような話だ。
「その日、怖くなった先生はお兄さんに頼んで帰るように言ったの。不機嫌そうにしながらもお兄さんは従って帰ったそうよ」
「……どうなったんですか?」
「何も。何も起きなかったんですって。ただ、二人は向日葵に見つめられた。それだけの話。それから、先生はずっと向日葵が嫌いなんですって」
……不気味な話だ。
なぜ見ていたのか。なぜ見られたのか。何もわからない。
「先輩はなんだと思いますか?」
「そうね……私は……」
先輩の答えを聞こうとして――
「おーい、チビ助。ほら、注文書はこれでいいか?」
「あら、店長さん。ありがとう」
「なんか話をしてたみたいだけど、良かったか?」
「ええ。大丈夫よ。店長さんにはお仕事ですもの。こっちのほうが大切でしょ?」
空気を壊すように、店長さんが割り込んで笑顔で注文書を渡してくれる。
先程までの、どこか陰鬱で不気味な空気は消えさった。先輩の答えを聞く前だったので消化不良な気もするが、まあ仕方ないだろう。
「ああ、じゃあ明日には本は届けるからな。そっちのデカイのも、楽しみにしてるんだろ? すぐに持っていくからな」
「あ、分かりました。お気遣いありがとうございます」
「気にすんなって。OBから後輩のためだからな」
笑顔の店長さんに、ぎこちなく笑みを返す。
「それじゃあ、帰りましょうか」
「はい、先輩」
「おう、また来いよ」
そうして、店長さんに見送られながら二人で学校へと戻る。
たった5分程度の短い距離を歩きながら、先輩は思い出したように話かける。
「向日葵の話、私の考えだけどもね?」
「あ、はい」
「栄養を求めて日光を向くのなら、その二人を見ていたのはその二人が美味しいご飯に見えていたのじゃないかしら?」
「ご飯……ですか?」
「ええ。死体の埋まっている場所の花は綺麗に咲くそうだから」
――桜の下には死体が埋まっているように。
綺麗に咲き誇るために、花は栄養を求める。ならば、二人を見ていた向日葵は二人が死ぬ未来を見ていたのだろうか?
しかし、それなら……なぜ、二人は死ななかったのだろうか? 花は何を見ていたのだろうか。
そして学校について、先輩は一言。
「そうそう。水月先生のお兄さんは随分前に亡くなったそうよ。水難事故ですって」
「えっ、それは……」
「水月先生は、それからずっと海にも川にも行ってないそうよ」
そう言い残して、部室へ歩いていく先輩。
ふと、学校の花壇に向日葵が咲いているのを見つけた。
――それが、どこを見ているのか。私は努めて意識をしないようにするのが精一杯だった。
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