第4話 蝉

 読書をしていると、汗が滲みだしてくる。

 季節は移り変わって、夏になってきた。徐々に暑さが厳しくなり体を蝕んでくる。

 部室にクーラーは設置されているが、いつの時代のだと言いたくなるオンボロであり涼しさを感じさせてくれる様子はない。


「ああ、うるさいなぁ……」


 蝉の声が響いてくる。

 夏の風物詩である、蝉が煩わしく感じるほどに鳴いている。この白百合学園には立派すぎる花壇やらたくさんの木が植えられているせいだ。緑化のために植えている木を気に入ったのか生徒よりも虫たちの憩いの場になってしまったのは作った人も誤算だろう。

 蝉のあの鳴き声は求愛のために鳴らしているのだとか。誰が好き好んで他人の愛の告白を聞きたいと思うのだ。ああ、いや、噂好きのクラスメイトは色恋の話は好きかもしれないか。虫の話はゴメンだろうが。

 女子校である我が校でも、年頃らしく恋の話に関して大好物な子が多い。とはいえ、実際に付き合っているというような浮いた噂は少ない。他校の男子と付き合っていると言う生徒もいるとは聞いたことがあるが、あいにく私の周囲で見て居ないので幻の存在かもしれない。まあ、同性相手と付き合う生徒も居るらしくそれは実際に見た事が……いや、この話はいいだろう。

 さて、先輩はまだ部室に来ていない。どうやら春頃は色々と暇だったから部室に来ていたらしい。

 理由がわかるというのは、納得とともに自分の中にあった何かが消えてしまう寂しさがある。

 と、先輩について思いを馳せていると部室の扉が開いて先輩が入ってくる。


「こんにちは」

「先輩、こんにちわ」

「ふふ、今日も元気ね。……今日は何を読んでるの? 珍しい表紙だけど」

「ああ、家から持ってきた娯楽小説とかです。サクッと読むのにいいですよ」

「へえ……そういう可愛らしい表紙なのね」

「最近は表紙の絵を、こういう感じにするのが流行りですからね」


 私は乱読家で、ジャンル問わず何でも読む。

 お嬢様学校であるせいか、お硬い本も多く娯楽小説ですらあまり図書館に入ってこない。なので、往年の名作小説しか読んだことのない生徒もいるとかなんとか。

 物珍しそうにしながら。先輩は表紙をいろいろな角度から見ている。そう、まじまじと見られると恥ずかしい気分になる。

 と、そこで気恥ずかしそうな私に気づいたのか申し訳無さそうな表情で先輩は謝る。


「あ、ごめんなさいね。私はそういうタイプの本は読まないから、珍しくて……つい、じっくりと見ちゃって」

「いえ、表紙を見るくらいはいいですよ。それよりも、珍しいってことは、先輩はこの部室にある本みたいなのしか読まないんですか?」


 無骨な表紙に、どこか歴史の重みを感じさせるような紙の古さ。

 先輩が好んで読んでいるのは、世間一般的に古書と呼ばれる部類の本だ。内容は見せてもらったことはあるが、比較的わかりやすいはずの古書ですらとても読むのに時間がかかった。

 そんな難しい本をスラスラと読んでいるのは正直、とても凄いと思ってしまう。


「そうね。古書が好きだから基本的にはここの部室にある本ばっかり読んでるわ。」

「……私も、ちゃんと部室の本を読んだほうがいいですかね?」

「好きにして大丈夫。どんな本を読むとしても自由だもの。文学部は、文学的な活動を行う部活……だなんて、なんとでも解釈出来る部活だから。中には漫画を持って読んできてた先輩もいるくらいよ」

「あ、そんなお題目だったんですね。この部活」


 ふわっとした笑みで言われて思わずつられて笑ってしまう。

 しかし、忙しそうにしている先輩だが何をしているのか。先輩以外の部員としては少々気になるので聞いてみる。


「そういえば、最近部室に来るのが遅いですけど何をしてるんですか?」

「あれ? 説明してなかったかしら?」


 小首をかしげる。こちらも頷く。

 どうやら説明したつもりになっていたらしい。しっかりしてる先輩にしては珍しいことだ。


「そろそろ、新しい古書を購入しようと思って先生と相談していたの」

「古書の購入ですか?」

「ええ。部員も入ったから増やしたいなって先生に話を持っていったの。流石に、部長権限があっても個人で勝手に本を買っていい……とまではいかないから」

「なるほど……私のためにわざわざお手数を……」

「気にしないで? ……実は、自分のためだから、申し訳なくなっちゃう」

「あ、そうなんですね。いくらでも理由に使ってもらって構いませんよ」


 ちゃっかりしている。まあ、そういう理由で使われるのは問題ない。別に犯罪というわけでもないだろうし。

 ……そして沈黙が流れる。先輩との沈黙は心地いい……のだが、やはり気になるのは一つ。


「……蝉の声、煩いですね」

「そうね。だって、ここの部室棟は鳴かずの木から遠いもの。だから他の蝉がやってくるから、普通よりも騒がしくなってしまうのでしょうね」

「鳴かずの木?」


 また知らない話題だ。というか、この学校はやけにそういう話が多い。

 歴史があるらしく、戦火の中でも焼け落ちずに残っていたと校長が自慢をしていた。


「あら、知らないのなら説明しましょうか?」

「お願いします」

「ふふ、貴方は聞き上手だから話し甲斐があるわ」


 そうだろうか? そんなふうに思ったことはないのだが……

 そんな私を気にすることはなく、先輩は鳴かずの木についての話を始める。



 ――この学校の花壇の近くにはとても大きな木がある。

 そこは、いつも静かであり鳥も虫も居ない。まるで、何もかもが死に絶えたように静寂な空間が存在している。


「死に絶えたって……そこまでですか?」

「見たことはないかしら? 中庭の外れにあるのだけど」

「その、私は面倒くさがりなのであまり学校の中の散策も……」

「ふふ、そうなのね。なら、実際に見てみるといいかも。通ったら分かるくらいには静かよ」


 そこまで言われたら、気になってしまう。また休み時間にでも見に行くとしよう。


「静かな理由は色々と言われてるわ。みんなが好きな悲恋の末に呪われているなんて話だったり、戦争の犠牲になった人の霊が居るっていう怪談だったり……でも、文学部には資料があったから大本の話は残ってるのよ」

「おお、さすが文学部ですね」


 まあ、ただしい文学部としての形かはわからないが。


「それで、一体どう言う理由が伝わってるんですか?」

「実はね、桜の木は植えられたものなのだけど、その鳴かずの木だけは学校が出来る前からあそこに木が生えてたの」

「あ、そうなんですか」


 つまり、本当に長生きをして見守ってきた木なのか。


「ただ、今までに三回も植え替えられてるけども」

「え?」


 植え替えられているなら、昔からあると言う話は何だったんだと言いたいところだが……それよりも、気になる箇所が増えた。

 植え変えれられている? それも、三回も?

 ならば、なぜその死に絶えたように静かな木のままであり続けているのだろうか?


「三回っていうのはね、全部校長先生が変わった時なの。その時に一度、引き抜かれる。そして、抜いた底を見た校長先生はもう一度木を埋め直す……それを繰り返してるわ」

「毎回……ですか?」

「ええ。でも、木を引き抜きたい校長先生の気持ちも分かるわ。学校の校舎にある不気味な木。静かだけど、誰もそこに寄り付かない。実際に見てみると分かると思うけど、あまり気持ちのいいものじゃないわ。実際に、昔から木を抜いてほしいって生徒から言われてるほどなのよ」


 そこまで言われる木を植え直すなんて……なら、何を見たのか。


「……校長先生たちは、なんで繰り返すんですか? 前の校長先生から何があるのか引き継ぎで教えても……」

「聞いた話によると、引き継いだ校長先生は誰にも理由に関しては詳しく言わないからよ。ただ、『あそこは、あれでいい。見たら分かる』って答えしか無いから」

「……それは結局、なんだと思います? 先輩」


 先輩なら予想をしているかもしれない。

 私の質問に、考え込むようにして先輩なりの推測を教えてくれる。

 先輩がふと、窓の外を見る。そこには、蝉がジージーと鳴いている。


「そうね……蝉って、幼虫の時に地面で何年も生きて樹液を吸って、そこから這い上がって木に登り羽化をするの。知ってるかしら?」

「ああ、はい。映像ですけど、羽化の瞬間は見たことがあります」


 蝉に思い入れはないけども、意外と神秘的だった記憶はある。

 しかし、なんで急に蝉の羽化の話をしたのだろうか?


「でも、現代だとコンクリートのせいで地面から這い出る事ができずに死んでしまう蝉が増えているらしいわ。それのせいで、絶滅が危惧されている蝉もいるの」

「……なるほど、たしかに言われてみれば。出てこれませんもんね。上を塞がれたら」


 そういいながらも、どう話が繋がるのか……

 いや、ふと思いついたことがある。


「先輩、その植え替えた木っていうのは――毎回、同じ木なんですか?」

「あら、分かってくれたのなら嬉しいわ。そう、毎回同じ木を使っているわ。寄贈と言う形で譲ってもらっているらしいの。同じ種類の、同じ神社の木を」


 柔らかい笑みを浮かべてそういう先輩。

 ……ああ、つまり。


「……何かが埋まっていて、木で出てこれない。だから、変えられない……」

「コンクリートじゃ駄目なのでしょうね。そんなもので防げるなら、最初から埋め立ててるもの」


 ……何が眠っているのだろう。

 この学校の、その静かな場所には。


「……というのが、私の予想。でも、もしかしたらもっと別の理由かもしれないわ。でも、そっちのほうが面白いでしょう?」

「面白いというか……」


 悪趣味だというか。なんとも言えない表情の私を先輩はニコニコと見ている。


「まあ、与太話ならいいけど……本当に何かがわからない物が出てくるよりは、こうして出てきた蝉が騒がしいほうがいいと思わない?」

「そうつなげるんですか……」


 そう言ってから、蝉の声に耳を済ませる。

 暑さを倍増させるような、蝉の耳に響く音。この話の後ならちょっとは許せる気が……


「……いえ、やっぱり蝉が居ないくらいがいいですね」

「やっぱりそうよね」


 そう言って苦笑する先輩だった。



 ――次の日、先輩に教えてもらったその鳴かずの木を見に行く事にした。

 中庭の花壇に生えている木。そこだけ、たしかに静かだった。蝉の声もない。それどころか、生き物がいる気配すらない。たった今、昼休みで場所を求めて居る生徒も多いのに、ベンチどこから周囲に歩いている生徒すら居ない。

 静かすぎる程に静かな空間。まるで、何も存在することを許さないかのように。

 じっとしていると、なぜだか真っすぐ立っていないような不安定な感覚を覚える。


(……足元に)


 何かがいるのだろうか。

 他の生き物が存在することすら許さない何かが。

 ああ、たしかに落ち着かない。自分の足元が割れて飲み込まれるような不安を感じるここは、静かでも落ち着かない。

 何かがいるのなら、ゆっくりと眠っていてほしい。この木が枯れて、植え替える人が居なくなるその日まで。

 そして中庭を離れて教室に戻る。道中、あの蝉の声が聞こえてくる。


「……やだなぁ」


 この騒がしい蝉の声が聞こえて安心するだなんて。

 そんなふうに思いながら、もうあの場所には近寄らないことを心に決めた。

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