第3話 天気雨

 窓の外を見ると、パラパラと雨が降っている。

 梅雨も近く、春も終わりを迎える。ふと、こんな雨の日には先輩との出会いを思い出す。

 珍しく先輩は部室に居ない。そんなときに一人っきりでいると、本の内容よりも思い出に思考が行ってしまう。

 ――私が先輩に出会ったときも、雨の日だった。



「……部活なぁ」


 この学校、白百合学園に入学してから、私は部活に対して頭を悩ませていた。

 というのも、私は身長がとても高い。世間一般的に男性と比べても高い方に位置するレベルだ。普段は見栄を張って小さく申告しているくらいに。

 そのせいで運動系の部活に是非という勧誘が止まらないのだ。断っても、勿体ないと熱烈な勧誘を受けてしまう。どうにも表情が出にくいこの顔のせいで嫌がってるのが伝わらないのもあるかもしれない。


「どこかに所属しないといけない校則って……めんどくさいなぁ」


 かと言って無視できるほど、私と言う人間は反骨精神が存在しない。体の大きさに比べて肝っ玉は小さいと家族からはバカにされる。

 クラスメイトは誰も近寄っては来ない。ただでさえデカイのに、無愛想な私は友人の引っ掛かりを見つけられなく遠巻きにされている。義務感で声をかけてくる教師くらいなものだ。

 そして勧誘のために、上級生が私を待ち構えているので余計に他の生徒からは付き合いづらい存在だ。


「――ということで、連絡はコレで終わりです。そうそう、部活希望の用紙は先生に……」


 先生のまとめる一言でホームルームが終わったことを確認し、いの一番に席を立って教室を出る。

 というのも、このタイミングで退避しなければ運動系部活の勧誘攻撃でしばらく動けなくなるのだ。一度だけと言われて体験入部させられそうになれば断りきれないのは自分の性格上、見えている展開だ。

 なるべく上級生に出会わないように、外に向かうように歩いていって……


「……うそ、雨」


 思った以上に降り注いでいる雨に靴箱で足止めされてしまった。

 晴れ模様だと天気予報では言っていたはずだが、どうやら裏切られてしまったらしい。空模様はそこまで曇っていない青空も見えるような天気なのに、まるでスコールかのように豪雨が降り注いでいる。


「うぅ、傘は持ってきてないんだけどなぁ……」


 しかし、このままだと無駄に高い背で発見されてしまい勧誘攻撃をされてしまう。しかし、この雨に濡れてしまうと風邪を引きそうだし服が透けてしまう。

 どうするか悩み……ふと、視線を横に向けると隣に小さな女の子がいることに気づいた。


(……!)


 あまりにも理想的な存在だった。その小さな体も、整った表情も、サラリとした長く綺麗な髪も。私とは全く真逆だ。

 上手くこの感情を言い表せる言葉がない。ただ、そこには自分の理想が存在していて生きているということを認識するしかできなかった。

 ――おそらく時間にしては、短かっただろう。その理想の少女から、声をかけられる。


「……貴方、新入生?」

「え、えっ!? ……あ、その、先輩……ですか?」


 いきなりの質問に、気遣いなんてものが存在しない返答をしてしまった。ああ、もっと言いたい言葉がある。変に思われたくないという気持ちもあるが、感情と体は別に動く。

 少女は失礼な質問にも、笑顔でそうなのよと答える。


「どうしても背が大きくならなくて……こう見えても二年生なのよ? ふふ、貴方って背が大きいのね。年上かと思ったけど、一年生のタイを付けているからびっくりしちゃった」

「あ、その。すいません、図体がデカくて……」

「なんで謝るの? 大きくて格好いいと思うわ。……それで、貴方は傘を忘れたの?」


 その言葉に、ようやく自分がここで立ち往生している理由を思い出す。


「あ、はい。ええ、そう……です。天気予報だと晴れって言ってたんですけど、こんな雨になるなんて。……先輩も傘を持ってないんですか?」

「いいえ? 私は持ってるわ」


 そういうと、一本の折りたたみ傘を見せる先輩。

 ……不思議なことに、傘があるのにここで立ち往生をしているらしい。


「その……帰らないんですか?」

「んー、帰ろうと思ってたんだけど気分が変わったの……貴方はすぐに帰りたいかしら?」

「そう、ですね……帰りたいです。でもこの雨だと……」

「体を濡らしちゃうのは嫌だものね」


 家までの道はそう近くない。制服も、背が高いせいで替えがないから濡らしてしまうと明日来ていく制服がなくなるのだ。

 だからといって、このまま雨が止むまで待っていると運動部の先輩に見つかる。そうすれば、親切にも案内されて断られずに口車にのって入部させられる可能性だってあるのだ。


「なら、この傘を貸してあげる」

「えっ?」


 ざあざあと降りしきる雨の中で、手に持っていた小さな可愛らしい傘を差し出す。

 あまりの衝撃に、なんと反応すればいいか分からず考えた末につまらない返答をする。。


「……その、いいんですか?」

「いいの。私は雨が止むまで部室で待つから。ただ、一つだけ約束があるの」

「……約束?」

「絶対に道中で、顔を上げたら駄目。質問をされても答えたら駄目よ? 雨が止むまで下を向いて歩くの」


 そう言われて、首をかしげる。


「……それはどういう?」

「説明が難しいの。急ぐのでしょう? 約束を守れないなら借せないわ」

「わ、分かりました。借ります!」

「はい、どうぞ」


 疑問符に脳内が支配されて視線をずらすと、見覚えのある押しの強い運動部の先輩が歩いて来ているのを見つけてしまい、慌てて傘を借りることにした。

 開いてい見る。不思議な模様をした、まるで万華鏡のような模様の傘だ。振り向くと、貸してくれた先輩は優しい笑みで手を降っていた。

 そして、強まっていく雨の中を私はそのまま走って帰っていく。



 ――そして、学校を出てから小走りに帰り、しばらくしてから一息ついて足を止める。

 ここまでくれば勧誘の手も届かない。流石に帰り道に先輩に出会うことはないだろう。そのまま歩きながら、先輩との約束を思い出す。

 顔を上げずに、雨が止むまで下の方を見ながら歩いていきなさいという言葉を。

 変な約束だと思う。別に守る必要はないのだろう。けども……


(でも、まあ傘を貸してくれたんだから……)


 そう思って下を向いて歩く。律儀だとは思うが、約束を破ってあの先輩を悲しませたくない気持ちがあった。

 下を向いて迷いそうにも思えるが、新しい通学路とは言っても実家からはそう離れていない高校だから慣れている道だ。こうして上を向かなくても迷うことは……


(……あれ?)


 昼と夜では道の雰囲気が全く変わるという。雨の日だって、普段と違う雰囲気の道になることはある。

 だけども、歩いていると徐々に足に伝わる地面の感覚が変わっていく。コンクリートから、ジャリジャリとした土になっている。違う。私の全く知らない道だ。


(なんで――)


 迷うはずがない。真っすぐ進んでいれば、そんな土の道に入り込むことはありえない。

 顔を上げたくなる時に、脳裏によぎった言葉。


『絶対に道中で、顔を上げたら駄目だし。答えても駄目よ? 雨が止むまで下を向いて歩くの』


 ――あの言葉は、このことを指し示してたのだろうか?

 ……わからないまま、進んでいく。分からないままに、ここに居るほうが恐ろしい。

 進んでいく。道は、コンクリートから砂利道へ。ジャリジャリと音がする。草の匂い、雨の匂い、土の匂い。

 自分の意志とは関係なく足が止まる。目の前に何かがいる。

 ――自分の知らない何かが。


【やあ、めでたしや。めでたしや。ここにおわすは、うじのいなりのおおかみさま。めでたしや、めでたしや】


 目の前にいるはずなのに、あらゆる方向から声が聞こえる。

 その声は、人のものではない。ザリザリとした、聞いているだけで不安になるような声。

 ただ……その声の主は喜んでいる事はわかる。


【やあやあ、みそめられしきみよ。このこうえいなるひによくぞまいられた】


 違います。来てません。

 そう言いたい。でも、何かをいえるような精神状態ではない。それに、先輩との約束もある。

 ただ黙って下を向く。何が居るのかみたい気持ちもあるが、それ以上になにかに見られることが怖かった。


【さあさあ、こちらにまいられよ。おおかみさまがおまちである】


 無言で立ち尽くす。

 すると、声の主は戸惑ったような反応を返す。


【……ふむ、これはおくゆかしきかな。しかし、おおかみさまのごぜんで……】


 ―― よ い 。


 そう、一言。声が聞こえた。先程の不安になるような声ではない。

 ただただ、大きな存在感の声だった。雷が鳴り響くような。風の音が聞こえてくるような。人には出せない音に近い声。

 それを聞いて、体は硬直して汗が吹き出てきた。

 これは、駄目だ。目の前で台風が迫っているような。津波が目前に迫っているような。そんな、ただ大きな何かが自分を押し流そうとしているような絶望感があった。


【おお、かんだいなるおおかみさまよ! ではでは、ごぜんにおみせしますはうるわしき、まんげきょうのかさのはなよめ!】


 ……顔を挙げず、何も言わない。ただ下を見る。どうなるのだろうか。死んだほうがましなことに巻き込まれるのではないか。

 雨は降り続けている。それでも、じっと声を殺して我慢する。


【さあさあ、うじのいなりのおおかみさま! わがさしだしくもつなるもの!】


 一体どうなるのか。

 人違いだと叫びたい。あの先輩は、知っていたのかと叫びたい。でも――それでも、頼れるのはあの人の言葉だけ。

 だから黙して、俯いて待つ。


【いかがでしょうか! おおかみさま!】


 沈黙。ざあざあと雨が降り注ぐ。

 何かが近くにいる。大きい存在感の何かが。私を見ている。そして、一言。


 ―― ち が う 。


【あぎゅぐうううああああああああああああ】


 違うとという言葉とともに、先程までの不快な言葉のなにかから悲鳴が聞こえる。

 捻られるような。引き裂かれるような。私はもう立っていることもできずに頭を抱えてうずくまり震えていた。

 そして、悲痛な声と音がしばらく続いて……気づいたら、何も音がしなくなる。ゆっくりと、目を開けてみる。


「……晴れてる?」


 雨の音はせず、地面は徐々に乾き始めている。顔を上げる。

 そこは、見覚えのない……いや、知ってる。学校の近くにある神社だ。

 目の前に神様を祀る小さい社があり……ボロボロになって壊されていた。

 ……何に巻き込まれたのかは分からない。でも、ただ今は――


「――帰ろう」


 疲れきった私はゆっくり眠りにつこうとそのまま家路についたのだった。



「……どうしたの? さっきからページが進んでないけど」

「わわっ!?」


 と、回想は一段落した辺りで後ろから声をかけられる。

 驚きのあまりに、椅子から転けそうになりながら意識が現実に戻ってくる。


「せ、先輩!? いつからそこに!?」

「もう随分前に居たわよ? さっきから物思いにふけってるから、どうしたのかと思ったけど」


 そういいながら優しく微笑む先輩。あの後、傘を返しに行った時に誘われて文学部に入部したのだ。

 その時の経緯は……まあ、これもまた別の話だ。


「ふふ、変な顔をしてどうしたの?」

「あ、いえ。入部前の雨の日のことを思い出して」


 そういうと、申し訳無さそうな表情になる先輩。

 これは貴重な表情だ。


「ああ……そういえば、あの時はごめんなさいね。変なことに巻き込んじゃって」

「いえ……それで結局、アレはなんだったんですか?」


 そう、実は理由を聞いていないのだ。


「……あら、言ってなかった?」

「はい。入部するときには別件があって……聞くタイミングがなかったものですから」

「ふふ、そうだったわね」


 そんな話をしつつ、答えを聞く。


「狐の嫁入りって知ってる?」

「はい。晴れの日に降る雨の事ですよね?」

「そう。あの日もそれだったの」


 そういえば、たしかに晴れていたのに妙な豪雨だった記憶がある。

 知っている狐の嫁入りよりは、いささか激しすぎるような気もする。


「ちょうど、変なのに付きまとわれてたから、困ってて。どうしようかと思ったら貴方が通りがかったの。最初はね、貸すのは申し訳ないから止めておこうと思ったんだけど……あんまりにも困ってる顔をしてるから、貸してあげたいって気持ちの方が勝ちゃって……」


 ……そんな理由だったんだ。恥ずかしさを感じる。

 私が先輩を見る前から、先輩は私を見ていたのか。


「だから、傘を貸したの。この地域ではね。昔から女の子が雨の日に消える神隠しの噂があるの」

「神隠し……それじゃあ、あのとき顔を上げてたら私も……」

「そうねぇ……何もなかったと思うわ」

「え?」


 意外な言葉に聞き返してしまう。

 なにもない? 神隠しの噂だというのに?


「だって、欲しい物と違うのに持って帰るなんて卑しい真似はしないわ。ただ、流石に顔を上げてたらあっちも違うって気づいたから巻き込まれなかったかもしれないわね。顔を伏せていたから、あちらは見分けがつかなかったの。そういうものだから」

「……こんなに先輩と身長も見た目も違うのにですか?」

「よくわからないものだもの。見てる基準が違うのでしょうね。だから、貴方のことをちょっと良いように使っちゃったの。ごめんなさいね? 万が一はなかったけど……不安にさせちゃったでしょうし」

「……いえ、それならいいです」


 ……ああ、なるほど。ちがうと言う言葉は、私がお望みの存在じゃなかったから。だから、その罰を受けた結果があの社なのか。

 何かに巻き込まれた先輩は私を使って、巻き込んだなにかにお仕置きをしたのだろう。……うん、したたかな人だ。


「もし私が居なかったら、どうしてました?」

「そうね……やり方は色々とあるから。昔の伝承に沿った方法で対処してたと思うわ」


 ……あるんだ。

 そうなると、本当に偶然巻き込まれただけなのか……そう考えると、不思議な縁だと思う。


「――でも、貴方が入部から随分と経つのね。もうそろそろ夏が来るもの」

「ああ、そういえばそうですね」

「ふふ、ここまで長い付き合いになると思わなかったわ。面白みのない先輩しかいないから、すぐに幽霊部員になると思ったの……これからもよろしくね?」

「はい、先輩。あと、私にはいい先輩だと思ってますよ」

「ありがと」


 そう言って微笑む。この笑みを見て、なんとなく……この部活が自分の居場所なんだと感じた。

 そうして、夏が来る。

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