第6話 フィフス・フラッグ


ゆっくりと時が流れる。


アイリーンの右腕は肘のあたりから切断され、赤いガントレットを装着した肘から先が、ゆっくりと2人の間に落ちてくる。

ノイエは、自分の全身の血液が一気に沸騰するような感覚に襲われ、怒りと悲しみがない混ぜになった感情に押し潰されそうになる。

アイリーンは、掲げていた右手をゆっくりとおろすと、肘から先がなくなった自分の右腕を呆然と眺めた。

あまりにあざやかに断たれたためか、出血はそれほど酷くないように見えるが、急いで止血をしなければ…。

半ば反射的に観察と考察を行ったものの、当のノイエはこの現実を受け入れられない。受け入れられるわけがない。

数多の戦場を駆け抜け、味方を指揮して勝利を勝ち取り続けてきた団長が… ノイエの憧れであり、団員にとって女神にも等しい存在であるアイリーンが…そして、ノイエの力を認め、受け入れてくれた彼女が…利腕である右手を失ってしまった…自分が傍に居ながら…!


だが、思考を停止することだけは拒む。

それは、自分の存在を否定するに等しいから。


ノイエは、麻痺しかけている思考を強制的に動かす。

これが敵軍からの攻撃によるものであることは明らかだ。

しかし、自分たちに攻撃が届く位置に別働隊など絶対にいなかった。

では、一体誰が、どうやって?

決まっている。

ついさっき、突如として出現し、友軍を混乱に陥れたあいつらだ。


ノイエは、短くなった自分の右腕を不思議そうに眺め続けているアイリーンから視線を引き剥がそうと、意識を戦場全体に切り替えようとした。

そして、ようやく異変に気がついた。

さっきまで怒号が飛び交っていた前方から、全く、何も聞こえてこない。

声も。

武器や鎧が擦れる金属音も。

風の音も。

聞こえるのは、やけにうるさい自分の心臓の鼓動だけだ。

間違いない。

あいつらは、もうここにいる…!


次の瞬間、アイリーンの背後に突如として現れた黒い影を認めるや、ノイエは棍を手にしてから渾身の突きを放つまで、自分でも驚くほど無駄のない流れるような動作を見せた。

狙い違わず、アイリーンに手を伸ばそうとしている影に棍が届く…直前。

両者の間に別の影が滑り込むと、ノイエの渾身の突きを受け止めた。

インパクトの瞬間、強烈な余波が周囲の空気を震わせる。

跳ね返ってくる反発力によって棍を取り落とさないようにするだけで精一杯だったノイエに対し、影はさして力を込めているようにも見えない片方の掌で完全に棍を止めていた。

ノイエは、全身の肌が粟立ち、一気に血の気が引くのを自覚する。

ノイエの棍術は、アイリーン直伝である上に、ノイエの武は彼女が密かに驚くほどの才を見せていた。

事実、個々の能力では他の傭兵団を大きく上回る紅の雫の中でも、ノイエの戦闘力は上位と言って差し支えないほどだ。

しかし、渾身の突きを素手で容易く止められるなど、よほどの実力差でなければあり得ないということは、誰よりもノイエがわかっていた。


こいつらは化け物だ。

素直にオフィーリアの警告を受け入れ、力ずくでもアイリーンを逃さなければならなかった。

しかし、そのチャンスはもうない。

アイリーンは最初に現れた影により、地面にうつ伏せの状態で組み伏せられている。

そして、ノイエにはこの状況を覆すだけの力はない。


今はオフィーリアの声も聞こえなくなっている。

何度も警告してくれたのに…それを無下にしてしまった自分に呆れてしまったのだろうか。

身体から力が抜けていく。

自分たちの死は避け難い。

最後に、彼女に…アイリーンに謝りたかった。

彼女を守ると心に決めていたのに。


ノイエは、彼女に視線を移し…そして、息を飲む。

自分は、この場を切り抜けること、生きることを諦めた。

でも、ノイエを見つめるアイリーンの瞳に光が戻っている…いや、この状況を打開するため、己の魂を燃やすかの如き輝きを放っている。

しかし、片腕を失い自由を奪われた状態で、この化け物たちの手から逃れることは、いくらアイリーンといえど不可能ではないか。

少なくともノイエには希望を見出すことはできなかった。

そんな彼の目に飛び込んできたのは、アイリーンの周囲に漂い始めた光の粒子だった。

まるで、彼女のスキルである《ウォークライ・フラッグス》を発動させようとしているかのように。

だが、既に彼女のスキルは顕現しており、今も地面に突き立つ4本のフラッグが悠然とはためいている。


…まさか、5本目の…


ノイエは、反射的に自らのスキル《スキルクリエイト》を発動させた。

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