第5話 カニ船 編
カニ船 編
会社を辞めて家でテレビを見ていたら日本航空の飛行機が山に激突していた。生存者もいる。後でわかったけど坂本九さんも乗っていた。人の命なんてあっけないな。昨日まで笑って話していた人がもういない。この前まで俺を左遷した会社に怒りの思いがちっとも癒えない俺は小さい奴だ。生きている限り、世の不条理なんてそこらじゅうにあるだろう。さっさと切り替えて楽しく生きなきゃ。
カニ船と言っても俺が乗る船は蟹カゴ漁のほうで、網で獲る一艘曳漁では無い。獲るカニもベニズワイガニで本ズワイみたいに高価じゃない。主に加工にされるが近年ではロシアからの輸入がストップしたために高騰している。日本人はカニが好きだ。でも近い将来新鮮な蟹は食べられなくなるかもしれない。蟹カゴ漁も底引き網漁も過酷で就労者も外人に頼っているからだ。船も人も高齢で先行きは暗い。市場や旅館の販売促進と裏腹に担い手は風前のともしびだ。今振り返ってもこんな労働条件など世の中に無いほど酷いものなのに誰も知らない。
八月末日ベニ籠漁は漁場に向けて出漁した。一日から解禁なので漁場まで遠いから到着にあわせて早めにスタートする。早く場所取りをしたいのだが漁師同士の上下関係が強く新米の船頭にはいい場所に入らせてもらえない。どの漁船でもそうだがいい情報は一部のトップ同士でしか共有されない。だから情報戦のための無線機は周波数が異なる物がいくつも必要なのだ。近頃はレーダーとカーナビみたいなプロッター画面とが同時に表示されるレーダープロッターで他船の動きはわかるがその場所に入らせてもらえなければ大漁とはならないのだ。だから新米の船頭は未開拓の場所や遠いところまでカニを求めて探索しなければならない。
俺の船の船頭(漁労長)は新米だった。だから、日本海のあちこちに仕掛けを落としていた。カニかご漁は単純な漁法だ。太いロープ(一〇キロメートル程度)にカニかごを細いロープで結ぶ五〇十メートル間隔に二〇〇個程度かごをぶら下げて水深八〇〇メートル以下の深海に落とす(かご縄漁法)という。縄の漁法は何にしても辛い、ふぐ延縄とか他にもあるがロープを全て回収するまで終わらない。カニが一つも入っていなくても延々と作業は続くからだ。
八〇トン程度のカニ船の船尾には左舷側にカニかごが山と積まれ右舷にはロープがこれも、一〇キロメートルの量が積載されている。漁場に到着するとかごを落とすわけだが順番にかごを出していく。全速で投籠するからロープに引っ張られてかごは吹っ飛んでいく。本線に結んであるかごは、万が一順番を間違うと固まって吹っ飛ぶから危険だ。人も一緒に飛ばす危険がある。カニ船は台風以外は時化なんか関係ないから大揺れの船からかごを落とすのはとても危険だ。足元も踏ん張りがきかないし高く積んだかごをひとつづつ下ろしながらの作業だ。一度は飛んでいくかごの下に足を滑らして落ちたこともあった。幸いおそろしい勢いで飛んでいくロープにたたかれることも無く、次に出てくるかごにもぶつからず事なきを得たが、運の悪いやつは大けがか、そのまま海に落ちておだぶつだ。
俺の船は漁場に到着すると、船尾の道具を全て落とした後、前回仕掛けた道具を巻き上げる。目印のブイを探すわけだがレーダーに映ってもなかなか見つからないこともある。全員、双眼鏡で ブイを探す。夜にはブイに電球がくくりつけてあるから比較的見つけやすい。鉄でできたブイを捕まえるとクレーンで引き上げてロープ端を油圧ドラムに何回転か巻き、いよいよ長い戦闘が始まるのだ。ガラガラとドラムが回転して本線のロープを巻いていくロープは船の後部までローラーを通って運ばれる。それを人力で輪にしていく。慣れないと運ばれてくるロープに人の手がついていかないし、落とすとき、もつれないようにぐるぐる輪を作ったらバツ印を書くようにして丁寧に積み上げていく。前の甲板では本線に繋がれたかごの縄をほどくのだが、縄のはじを引っ張ればほどけるようになっている。ところが、そうとうな力とコツが必要だし手に巻き付けた縄が食い込んで痛い。手がちぎれる覚悟で一瞬で引っ張らないと途中で躊躇したらだめだ。おまけに細い縄は本線に絡んでいるから踊るようにくるくるとほどく技も必要だ。若くて起用じゃ無いとなかなか難しい。そんな作業をしながらカニかごはワイヤーの先のフックにかけて吊り上げられ選別台の上でケツひもをほどき、中のかにが落ちてくる。それを数人がかりで大きさや硬さや足がかけていないかなど、それぞれに選別し、プラスチックコンテナにきちんと収める。ある程度コンテナができると、魚倉庫に吊り下げる。魚倉庫の中では降りてきたコンテナを氷をかけて積んでいく。一つのコンテナが三〇キロ以上あるやつを五段ぐらい積み上げるのにはとんでもないパワーが必要だ。それも一度に一五〇個とか、俺も若くて負けん気が強かったからなんとか務まったが今ではその気配はみじんも無い。
カニが落とされたかごは、ベルトコンベアーで船尾へ運ばれる。船尾ではそのカニ籠にカニの餌となる鯖を針金で束ねたものをかごにくくる。そして、高く積んでいくと同時にかごに結ばれている縄を本線にほどきやすいように結ぶ。一連の作業はこんなものだが、一本のロープを巻き上げるのに四時間以上かかる。これを4本ぐらい連続で作業するから足の裏の皮が厚くなる。長時間の立ち仕事と時化で揺れる船上での踏ん張りで厚くなる。朝 始まって翌朝まで立ちっぱなしなんてこともしょっちゅうあった。一つの行程ごとに飯を食うが疲れすぎてあまり食べられなくなる。最初の1ヶ月で一五キロ痩せた。サラリーマンで毎晩飲んでぶくぶく太っただらしない体は細くたくましく蘇った。
今だから時効だが俺たちの船はとんでもないところへ向かっていた。二昼夜走って目が覚めて外の景色を見たら陸地が見えた。十二月頃だったかな。記憶は定かじゃないが、映像はハッキリ覚えている。山々には木々がほとんど無く低い木が所々に見えていた。晴天にもかかわらず、キンキンと冷えている。空気がキラキラと光っている。ダイヤモンドダストだ。
韓国と北朝鮮との軍事境界線を超えて北朝鮮側まで入漁したのだ。最初は軍事境界線で操業していたが他船も入ってきたので船頭は勝負に出たのだろう。荒れる冬の日本海なのに、大陸に近いためか波も風もないし毎日晴れていた。ただ恐ろしく寒い。
とうとう漁を始めてしまった。拿捕されるおそれは十分にあるが欲と道連れだ。誰も手をつけたことの無い海底にカニかごが落とされた。数日待って巻き上げるとかごの上部の入り口までぎっしりとカニがはいっているではないか。直径一メートル少しのかごの骨である鉄筋がカニの重さで歪んでいる。すごい数だ。一五〇個ていどの籠で、五〇〇ケースものコンテナにかにが収まった。狂気の沙汰のように、作業は続けられた。激しい労働で汗をかいてもズボンカッパを脱ぐとジャージの上に吹き出た汗が凍って白くなっている、はたくとパラパラと落ちた。夜中にサロンでウイスキーをストレートで飲んでも暖かくならなかった。それよりデッキで小便したらなんと、広がった先の方からじわじわと、凍ってくるではないか、酔っ払ったと思い、よーく観察するとサワサワと中心に向かって白く凍ってきた。痛いぐらい冷えた夜だった。きれいな星空だったことを覚えている。その頃、自分のベッドで読んでいた週刊ポストに椎名誠のシベリア追跡が載っていて入港の度に買っては読んでいた。とても比較にはならないがロシアの寒さと冒険の話は、何も無い海上生活でもずいぶん楽しませてくれた。吹雪の日もあった。カニ籠を船の前部分から船尾までベルトコンベアーで送るのだがサイドに落ちないように細いロープが通されている。それに伝わるようにかごが船尾へ運ばれる。飛沫が凍る。細いロープに飛沫がかかり、瞬間に凍るからどんどん大きくなる。直径1センチのロープが10センチ以上に肥大する。ロープだけじゃ無い。船全体も飛沫で覆われるから木槌で叩いて落とさないと船の重量が増すしバランスも悪くなるから船外に捨てる作業も加わるから気が抜けない。近海では考えられない経験をさせてもらった。数日で満載となった。二度と無い大漁だった。
何回かチャレンジして、その海域に性懲りも無く踏み入れたある日のことだ。遠くから黒煙をはいて全速力でこちらに迫る軍艦らしきものが迫ってくるではないか。とっても嫌な予感がした。近くまで来るとその小型の軍艦は小型の大砲をこちらに向けた。そして、デッキに兵隊が一〇人ぐらいライフル銃を構えていつでも撃てる準備をしている。ハングル語でなんか言ってるが、さっぱりわからないから。停船したまま待っていた。皆が恐怖で船内で固まっていたが、俺は根っからのバカなのか二カートンのタバコを両手に持って高く持ち上げて向こうのごきげんを取ろうとしたが、なにも反応はなかった。落ち着いてよく見ると兵隊さんの服装は全身黒ずくめで、とても貧相だった。おまけに船尾に大根が干してあった。ひどく貧しいのだろう。皆が痩せていた。どれぐらい時間が過ぎたのか軍艦はマイクで何か言ったあと、その場を立ち去った。胸をなで下ろした瞬間だった。
あの時、なぜ、拿捕しなかったのかわからないが。その後、他船は拿捕され半年近くも抑留されたあげく、億の金を払って解放された。俺たちは単に運がよかったのか、または、日本にいるスパイが金のない会社だという情報をおくったのか、さだかではないが、何も無く帰れたことに感謝している。拿捕された連中にあとで向こうの様子を聞いてみると毎日のように、殴られたらしいし、日本に帰っても監視しているからと脅され、当分なにも話せなかったらしい。俺たちは平和ぼけしていた。今でこそフェイスブックやツイッターか何かで世界とつながるしリアルタイムの情報が手に入るが、当時はガラケーさえ無い時代だったし世界のニュースどころか都会で今どんなことが起きているのかさえ知らないスーパー田舎者だったからこんな怖い国があるなんて想像もできなかった。
これに懲りて北朝鮮海域には二度と戻ること無く、大和堆へと漁場は移動した。
大和堆は有名な漁場だ。特にイカ船がたくさん操業している。しかし、海底の起伏が激しいからか、とにかくよく時化る。毎日来る日も来る日も時化ばかり。ちっとも落ち着かない。おまけに冬には大雪で前が見えない。俺は眼鏡をかけていたから横殴りの風と雪ですぐに見えなくなるから往生した。レーダーも雪が邪魔してよく見えないから航行も危険だし目印のブイも見つけにくい。暗闇のなかを手探りで進むような気持ちの悪い航海だった。
たまに凪の日もあって、夜の操業だったが、船にはぼんやりとした灯りにもかかわらず、様々な生き物が寄ってくる。鰯なんかはよく見られるが、一度はヒラマサの大群が船底を行き来するのを見たし、かごをあげてるすぐ近くまでアザラシが頭を出して俺たちをからかっている。こんな沖までいるなんて正直驚いた。相変わらずイルカとカモメは毎日のように見ることがあるが、海はどこまでも広く果てしない。水平線しか見えないところで昼夜問わず働いていると時間の感覚が麻痺してくる。「今日何日だっけ」てことがよくある。そんなことを一発で吹き飛ぶほどの時化がきた。雨が真横から叩きつけるがエアガンで撃たれたように、パンパンとかっぱに当たる。信じられないかも知れないが雨が顔に当たっていたいなんてこと想像できるだろうか。操業できないからパラアンカーで船を安定させてゆっくり流す。イカ船は日々パラアンカーで流しながら操業しているが、俺たちの場合はまだ満足な漁もないし、航行も危険で帰航できない時、このような手段で時化が収まるのを待つ。アンカーと言ってもパラシュートと同じだ。船首から落として海中で開かせて船が風で流されるのをゆっくりと止めると同時に船を風に立たせて横波を受けること無く時化の中でも安全でいられるのだ。風力計は三〇メートルも出ていたが、船内は驚くほど静かで揺れも少ない。酒盛りタイムである。底曳き船と違って魚は無いから大抵、肉料理になるが飽きちゃうのでカニの餌の冷凍鯖を凍ったままルイベでよく食べた。カニは刺身でよく食べた。食べることしか楽しみがないから、どの業種の船も工夫して酒のあてを考えるのだ。
カニかごに入った深海魚のきもを煮付けてみたりバイガイを焼き鳥風に串に刺して居酒屋ぽくアレンジしたりして楽しんだ。酒はウイスキーが多かったな。暑い季節にはビールも飲むがほとんど北の漁場なので寒いせいかあまり他の酒は飲まなかった。在日韓国のおばちゃんに作ってもらった激辛キムチが重宝した。俺の乗っていたこの船の船長も飯炊きのおっちゃんも、アル中だったから、ウイスキーの一升びんみたいなのがゴロゴロあった。二人とも早死にだったな。
一度は台風に向かうようにして帰航したことがあった。時化とか、そういうレベルのものでは無く三三メートルの船でサーフィンをしてるみたいな、海の底まで滑り落ちたかと思うと山のてっぺんまで持ち上げられたような巨大な波との戦いだ。しかも、こんな時に限って舵が故障した。自動から手動で羅針盤の角度に合わせて右に左に慌ただしく舵を切る。波を乗り切ったらまた、次の波と、冷や汗が出る。港にたどり着くまで生きた心地はしなかった。
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