第2話 漁師までの道のり 編

漁師までの道のり 編



風が嫌いだった。日本海から吹く強い北西の風、どんよりとした空、半年近くもつづくこの憂鬱な天気から逃げ出したかった。俺が生まれ育った所はひどい田舎で当時は陸の孤島といわれていた。町もそのような特別の交付金をもらっていたようだ。

なにせ、俺が二十歳のときにできたトンネルが開通するまで街にでるまでバスで片道1時間かかっていたから

しかも海岸線は道が狭く崖道で風が強いと落石があるし曲がりくねってスリル満点だ。運転手のテクニックはかなりのものだろうと感心したものだ。今では温暖化のせいかめっきりなくなったが真冬の日本海沿岸の道路は凍結した。今思うと寒すぎる、いやなにが寒いのか たぶんモノクロの景色だ。どんよりとした空と鉛色の海、冷たい日本海の強風。こんなとこで育ったからいつも夢想した。明るい世界があるんじゃないかと

 俺はこの、ど田舎から街の高校までバスで通った。昭和五一年、ベトナム戦争が終わった翌年のことだ。まだ、世界情勢のことなどなにもしらない純朴な頃だった。

中学三年のときフォークギターを買ってもらった。吉田拓郎やかぐや姫なんかコードだけでジャンジャン鳴らしてたなあ。ふきのとうの白い冬とか好きだったな。夜遅くまでオールナイトニッポンを聴いて翌日みんなで盛り上がった。そんなことでも楽しめたいい時代だ。今のようにスマートフォンなんて無い時代、せいぜい黒電話があればいいほうだったから情報なんてテレビとラジオだけ それでも楽しめた。だってそれしか知らないから。

実家のまわりには商店も何もないし、目の前は海、後ろは山、ただうちの隣りに京都の呉服屋の別荘があった。うちが管理してたから夏休みなんかこっそり高校の同級生たちと泊まったりした。いくら騒いでも下手なギターが近所迷惑にならんのだ。別荘があるぐらいだから海とかきれいだけど、そこで育ったからそんなもんだと思ってた。家から海岸まで五分もかからないから海パンと草履ばきで海に直行だ。夏中、毎日泳いでいた。隣りの地区に海水浴場があるが陸と少し離れていたから当時は船で行き来していた。遊覧船で島巡りしてたな。今は橋で繋がっちゃったから歩いて行けるけど渡し船賃をケチって泳いで行ってたことを話すと「海水浴場に泳いでいくーー」って女房が大笑いでバカにするのでこの話は封印する。

昭和五一年商業高校に入学した。俺のクラスは商業高校ではめずらしく男子生徒オンリーだった。

まわりは共学なのになのに、しゃーない、同じ面を三年も見る羽目になった。陸の孤島からきたことでなめられちゃいかん。町家のボンボンたちにまけるわけにいかんと、しっかりと背伸びしてた。かわいいもんだ。

巷ではピンクレディーがペッパー刑事を歌い踊っていた。十六の男子なんてまじでガキだ。同い年の女子から見たら子供に見えるだろう。教室でプロレスごっこやブルースリーのまねごとぐらいだもんね。それでも高校生であることになぜか大人に近づいたようなぼんやりとした高揚が少しずつ芽生えていくのである。あほだ。

ちょっとずつ街の冒険も始めるのであるが、昔のことだ喫茶店にいくぐらいかな。そこでなんと、スパゲッティミートソースなるものとピザトーストを注文したときのカルチャーショック。おふくろのマーガリントーストしか食べたことがない俺の人生に光明がみえたのである。

街のやつら、こんなうまいものを食ってやがる。だから今、こんなじじいになってもピザとパスタは大好きだ。できれば、キンキンに冷えたビールがあれば最高だ。血糖値がどうのこうのって言ってられるかよ。うまいもんはうまいんじゃ。

 高校一年生の夏休み、俺は親父とウニ漁をしていた。のーてんきな俺はおやじの会社、とは言っても底引き網漁船と巻き網漁船を経営してたが巻き網がうまくいかなくて倒産したこともしらなかったから毎日二人でウニを採って家で家族総出で加工した。後々この俺がこの会社を引き継ぐとは、このときは夢にも思わなかった。親父は高校を中退して底引き網船の機関長になった。

親父はおふくろの家に婿としてきた。だから働き者だった。漁船員だから普段は家にいなかった。夏は休漁期だから、毎日の家にはいたけど、機関長だから、船の修繕で毎日造船所へ行ってた。だから、ウニ漁は日曜日とか仕事のない日に漁をした。

 小さいときから遊び場は海だった。岩場で釣りをしたり和船で櫓を漕いで従兄と沖の島まで遊びに行ったな。ゲームなんてないから、今から思うと江戸時代の人とあまり変わらないことをしていた。当時の俺は今、ノートパソコンでワードを使っているなんて想像もできない。ましてや半世紀の間に脅威のスピードで通信環境がかわるなんて、知らないほうが幸せってこともあるけど、まったくチャンスがないなんて不公平だ。生まれた場所でほとんど決まっちゃうことが俺には許せなかった。この原始生活から逃げたかった。

 しかし、当時は圧倒的にに情報がない。親戚に都会で成功者でもあればましだが、それもない、ない、ない、なーーにもないのだ。だから、親父とウニを採っている。

 親父が働いていた会社は親戚だった。俺のばあさんの妹が嫁いでいた。そこの社長は一代で巻き網船団二つも造ったが内部紛争でその船と会社は人に譲りまた、一から巻き網漁船を起業した。ただ、個人で底曳き網船を所有していたので、俺の親父は、そこで、働いていたわけだが、巻き網漁船が振るわなかった。社長は色々な肩書をもって財界にも顔がきいたが事業が傾くと誰も寄り付かなくなった。

 残ったのは俺の親父たち底曳き網船の船員だけ。夜昼とわず借金取りがきて電話に座布団をかけていたそうだ。俺の親父も借金の保証人だったから相当精神的にこたえたみたいだ。ある日顔面神経痛になっていた。だけど会社が倒産の危機だということは子供にはさとわれないよう普段と変わらないかんじだったから俺はずっとのーてんきなままだった

会社は不履行をして倒産したが、底曳き網船は残すことになって、その水揚げから返済することになった。

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