第13話 夏が来る

 浜崎あゆみさんの歌は愛を歌う歌が多い、と思う。

10代の頃は、大人になったらきっとこんな恋をするんだと憧れたけど、20代を過ぎたわたしは、浜崎あゆみさんとの世界に大きくすれ違ったことを理解した。

数ある歌手の中でどうして浜崎あゆみさんかって言ったら、一番の理由は憧れのガーリーな大きな瞳を含め整った顔と抜群のスタイルだった。そして声に母性を感じてきっと甘えたかったんだ。浜崎あゆみさんは今もなお活動を続けていてわたしの中で更新続けていることも魅力だった。

 

 20代始めまで、いとことよく一緒にカラオケに行った。いつもわたしは浜崎あゆみを歌いそして時々その時期の流行の歌を歌った。

そしていとこに必ずリクエストしたのは“男友達との片思い”を象った歌。毎回毎回何度も同じ歌をお願いした。

わたしは何を思ってたのだろう。まだ理想通りになっていない男友達との映画館デートについての妄想や、叶わなかった高校生活でのたわむれな恋愛に対する願望を描いていたらしい。

でも本当はそう仮定して本心を隠してたと思う。

奥底ではもう一度会いたい幼なじみと描きたかった恋愛関係を思ってた、きっとそうだ。

それを脳裏にも認識させたくなくて、普遍的な理想の映画デートの妄想やあったかもしれない高校生活の絵で消していた。あんなに何度もいとこに歌わせるくらいなら、どうして、直接幼なじみに会いに行かなかったんだろう。

答えは決まってた。昔のまま綺麗な絵を描いていたかった。幼なじみとわたし、写真のまま安らかで温もりが残った思い出を壊したくなかった。だから不登校になって精神障害を抱えたわたしはもう会いに行くことをやめた。瞳から流れない涙を、いとこの横顔と、電飾に照らされてできた、いとこの影に、隠れて収めていた。


 今は2020年春、数ヶ月前に精神的に不安という感情に堪えきれなくて何か…誰かにすがりたくなり、(佐藤健さんの公式アカウントにまで少し心が飛び火してしまいました。。。)

友達…そしてそこから現れた今の流行の人をたぐった。買い始めた新しいアーティストのCD。

今まで聴いて馴染んできた浜崎あゆみさんは、浜崎あゆみさん自身の世界に聞き手を引き寄せながらもそこに閉じ込めず自由を与えてくれる(母性さえもつ)歌声だった。彼女ばかりしか追ってこれなかったわたしは、今の流行りの若い男性の音楽についていくのが少し大変だった。

だってこの男性の魅力は、わたしとは別世界に発しているのでしょう?恋愛なんてあんまりできずにそして僅かな恋愛も失恋続きで引きづっているわたしである。そんなわたしには打撃ともいえる恋愛観や愛情表現…意識が飛びそう。


それでも時々歌声がわたしの耳を撫でてくれる。歌詞の言葉を理解できなくてただ、優しい歌声だったり、易しい言葉で意味を聴きとれたり…そんな風に誘ってくれる新しい世界…。


 『Bremen』というアルバム名を目で確認した。

『どんな今も呑み込んでいけば過去に変わっていく』というサビが胸を射止めたからだ。わたしはそのメロディを聴いた瞬時に脳裏で“男装”していた。

わたしがお兄ちゃんになっていて、そしてそう歌ってわたしや愛したかった相手に投げかけ、そうした人間関係の世界をひっぱっていく。そんな、お兄ちゃんみたいな人に、今、なったような気がした。嘘でもいい、わたしはお兄ちゃんとして生きたい。

先ほどのサビは米津玄師さんの『Undercover』という曲。米津玄師さんの、3rdアルバムの『Bremen』の7番目に収録されていた。アルバムの発売日を検索して(はっ!)とした。

2015年10月7日、ユニバーサルシグマからリリース……。

“いつか、ayuの歌声で、今年の夏を思い出せるように。”という、キャッチコピーの浜崎あゆみさんのミニアルバム『sixxxxxx』と同じ年の2ヶ月違いの発売…。(浜崎あゆみ『sixxxxxx』は2015年8月5日発売)

わたしの浜崎あゆみさんのミニアルバム『sixxxxxx』の感想は、『Sayonara』なんて恋歌なんて知らないという悲しみだった。『Summer diary』は、それでも、寄せてひく海の波に合わせた子守唄のように安らかに聴ける…。

もう浜崎あゆみさんの恋愛songと自分に亀裂が走って5年は経ってる、いやもっとかなぁ。それでもあゆがいないとだめでアルバムを楽しみにして生きてきた。

恋愛の歌と夏の思い出を繋ぐこともできずに、ただあゆの声のよさと曲調の良さと…あゆの美貌さに惹かれるだけ。その寂しさを身に染みている。あゆをどんなに好きだと思っても心に近づく手がかりを見失っているようだし、あゆの歌で幸せになりきれず“ayuの歌声で、今年の夏を…”思い出すだろう世間ともわたしはずれて離れている…。

そんな悩みも『Summer diary』のMVの浜崎あゆみさんの頬杖つく赤い唇の綺麗な横顔を思い浮かべ、サビを口ずさみながら消していた。バイトもそれなりに忙しい。そして“いつか…”を潜在意識の中で夢見て待ち望んでいた。


 そんな大好きな浜崎あゆみさんさえうまく愛しきれない悲しさを感じた思い出のアルバムとの間の距離を埋めるように、わたしは、米津玄師さんの『Bremen』が同じ頃にリリースされたアルバムだと知った。

そのアルバムに収録されている『シンデレラグレイ』もそんなわたしのばらけた心を縫ってくれるような気がした。

フリースクールで先生のことで悩んでた頃に、思い描いたガラスの靴をいただくシンデレラストーリー。

『シンデレラグレイ』という曲のように言葉にして音にでもできたら…。言葉にもできなかったし、もっと違う思いを描いてたかもしれないけど。


 涙を拭った。とは言っても瞳、頬に水気など全くなかった。


目線の先はキッチン…。どうして、って。


彼がキッチンに立ってればいいと思った。

だって…。ワタシハ フヘンテキナ シンデレラ(誰かのお嫁さん) 二 ナリタカッタ…。

彼が、恋愛して毎日を磨いて人生を進んでいく姿を傍観することで、わたしが、夢をみれたらいい。

彼にわたしという一つのファンの魂を移植して、彼にわたしという存在を明け渡して、

―わたしは成仏しよう。


“明るいところからくらいところへ進んでいく”と、インタビューで要約された『Bremen』というアルバム。

わたしは眩しすぎると感じた浜崎あゆみさんの生き方と世界観を、お手本にして生きようとしてつまづいたけれど、アルバムの趣旨を伺って今思う。暗いところにいるわたしの“本当の姿”を自分自身でも見つめられていなかったことを。

明るく眩しく見えるあゆを眺めたことが憧憬の始まりだったとしても、その後の少し薄暗い自分のストーリーを少しずつ自分で受け止めながら作り上げていこう。その参考にこのアルバムの音楽たちはなるのかな?

必ずしもアルバム『Bremen』へのわたしの感想と米津玄師さんのアルバムに関してのインタビューの内容は繋がっていなかったけれど、生身の声を聞いて前へと誘われた気がした。

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