第11話 Untitled

 この夏の思い出は、なかった。…と。

記憶に重い蓋をした。実際、壊れる前の携帯電話には、冬季休みで帰省していることを知っているだろうに着信は入ってこなかった。そういうわたしも着信ボタンの押し方を知らないかのように手が…躊躇って電話できなかった。躊躇う度に甘い吐息と自己に対する劣等感とが交互に出た。アドレス帳を見たりボタンを押そうとしたりするその瞬間を少し楽しんでいたのかもしれない。

だけれども、携帯を水没して壊してしまったら、全部が流れた。愛しさも嬉しさも元から無だったかのように。あの彼と過ごした一週間余りは、嘘だったみたいだった。都心のハイウェイの車窓から見えるビルと灯りと人、人がチカチカと猛スピードで流れる景色の様に、息を置く間もなく記憶は巡りそしてわたしを置いて消えていった。


 その後は、フリースクールの先輩からの先生が不純異性交遊しているという告白により、フリースクールを辞め、大学も一人の力では卒業できずに辞めた。

家に帰れば思ったより劣等感が募っていた。自分がまともに学校へ行けなかった不登校児であり社会からはずれていたこと、そしてそれを上手にその人生を修正できたとは思えないことに意識しないようにしても苦しんだ。身内である母の前にいてもそんな自己に対する負い目を感じ自分に顔がないことを感じた。それを上手に更生させようと社会に上手に混ざろうと思いアルバイトを始めた。

 母はリビングでよくテレビを見ていた。

その日は、バラエティ番組を見ていた。どうもドラマの『メイちゃんの執事』の出演者が出演するバラエティ番組らしい。(よく覚えていない。)乙女心をくすぐるスーツ姿で黒髪で決めた細身の長身の美男子も、明るい柔らかな茶髪の愛らしさも魅力な美男子も、興味ないと自分を制してテレビに顔をそむけてた。でもテレビのにぎやかさはわたしを誘い、ちらっともう一度見ると茶髪の男の子が大きな瞳を更に大きく開けて寄り目をしたシーンを見た。綺麗な瞳に心が呑み込まれそう、そして佐藤健さんという名前を覚えた。その時はそれきりだった。大学も中退し就職もまだきちんとできてないわたしは、明るく華やかな世界をできるだけ遠くにしたかった。自分に自信を持たなければ誰も好きだと言えないような心の痛みがあった。

 お母さんは他のバラエティ番組を見ている時に、DAIGOさんの話題をした。小泉孝太郎さんと違ってしゃべり方が独特だとか、でも性格良さそうだとか。お茶の間の人気者になっていたDAIGOさんに興味深々だった。わたしは、こんなところにもまた魅力的な人がいるのかとため息が出て、自分身の丈との差を途中まで数えて諦めた。ファンになるんだってドリームが必要。“もしか、声をかけられたらイイ女だと思われたい”、そんな恥なき自分でなければファンにだってなりたくない。理想には遠い絶望は自分をまた傷つけると思うからだ。

DAIGOさんはミュージシャンだった。

わたしは、兄の遺したCDのアーティストでは物足りなくなっていた。年月が経つにつれて新しいアーティストは次々と増え、昔ながらのアーティストだけでは流行は追えなかった。だからYouTubeでDAIGOさんを調べて楽曲を聞いた。曲の感想以上に容姿からして理想的でわたしに届かないものを感じさせた。こんんな綺麗な男の人を好きになって、わたしどうするのだろう。人並にも到底届かないという劣等感はまたわたしを轢いてゆくのだろうか。

 

 フリースクールを辞めて半年で家を出た。自分の心の痛みは家での生活でも解消できなく両親との間に溝を感じた。本当に実の親なのだろうかという妄想もあった。一人暮らしのアパートはあっさり見つかり、まぁまぁの家賃でフリーターでもなんとかなると高を括っていた。

アパートではウォークマンに入れたBREAKERZの音楽をひっきりなしに聴いていた。中でもBREAKERZというアルバムが好きだった。わたしの心の憂愁を拭ってくれるような音楽たちだった。

ゆらりゆらりと音楽に乗りマイペースに料理や洗濯、掃除をし、アルバイトにも勤しんだ。一人暮らしをそれなりに満喫していた。

古着屋さんでお気に入りのお洋服を何枚も買い、自分の為に購入した姿見鏡の前で何度も服を合わせた。服を着た自分を、前から横から…何度も眺め、ちょっと寝ぐせのついた髪を撫でて整えた。

 そして一人暮らしに慣れたと思われる数か月後にチケットを譲るサイトでBREAKERZの東京のライブのチケットを手に入れ、仕事の休みをとってライブに出かけた。

東京に着いた時、17時を少し過ぎていた。(あっ…。)待ち合わせに遅れたような気がした。否、わたしは一人だ。ライブまでまだ時間に余裕もある。なのに人波の中に誰かわたしを待っているような気がした。町の中で動く毛先に流れのある柔らかな少し長めのショートの…。人波の中で何かを思い出したような気がした。

パリンッと何かが割れたような気がした。まるでCDのプラスチックケースが割れるような感覚…。

わたしはもう一度人波を眺めて首を横に振って何かを打ち消し、そして着ていたトップスのひらひらのレースをそっと引っ張った。レースの間から東京の舗装された地面が見える。レースがさらに華やかさを足している気がした。そして急ぎ足でライブ会場へ向かった。

ライブはにぎやかだった。お客さんで埋め尽くされわたしは緊張して一人小さくなっていた。大音量のバンド音楽が身体の中を浸透して感動し、合間合間のトークも面白く夢中になって話を聴いた。

終わる頃、次も絶対に来ようなんて確信していた。

今度は友達も誘おうと思い翌年の夏の武道館ライブのチケットを二つ分買った。

 

 武道館ライブ当日、友達と地元の駅で待ち合わせして新幹線に乗り込んだ。友達はいつも以上に綺麗でかわいかった。綺麗な友達と二人でライブが楽しめるとうきうきしていた。

東京に着いた時、チケットを確認しようとバッグの中に手を滑らせた。

 「…!」

 探していたものが見当たらない…。東京駅の中で人ごみを避けて隅へ行きバッグの中身をひとつひとつ出して探した。お財布の間もみたけれどない。そうライブチケットが一枚も見当たらなかった。

ライブ当日はお昼過ぎまでバイトだった。帰ってきて慌てて購入したお弁当を食べた。いつもより味が苦く感じたがとにかく急いで着替えて出かけた。衣装、メイク直しを気にするばかりに大事なチケットをバッグに入れ忘れていたらしい。東京まで交通費も時間もかかるのに…友達を巻き込んでそんなヘマをした。

友達は笑って許してくれその日は東京駅で買い物をして食事をして帰った。友達に食事を驕り、日を改めて交通費も支払った。

一人暮らしの生活は順調そうだったが、どこか忙しくゆとりがもてなかったのかもしれない。失敗したことにひどく胸が痛み、少し鬱になり、疲れが出て…ライブから数日後に家に帰るようになった。

家に帰れば食事が出た。掃除も分担すればよかった。また何かに失敗するのが怖くて数か月後にアパートを引き払い実家に住むことにした。


 家に帰るのと同時にBREAKERZのCDを聴く頻度が少なくなっていった。それでも心に湧き上がるものがあって何度かDAIGOさん宛に絵手紙を送った。そしてバイトをしながらふらふらの毎日の中で、休みの日に立ち寄ったショッピングセンターで見つけた金箔入りの綺麗な箸置きを見つけて、DAIGOさんがよく食事をブログでアップしているのを思い出して買いたくなった。ひとつでは物足りなくて二つ買った。そして二つともファンレターと一緒にDAIGOさん宛に送った。他にもアジアンショップで見かけた綺麗なストラップを色違いでふたつ買い、また二つとも送った。

どうして二つずつ送ったんだろう。よくも考えなかったけど、たぶん、DAIGOさんとその傍にいる恋人のことを思ったのかもしれない。ビジュアル系のロックバンドをしているDAIGOさんだけれど、どこか家庭的にも見え暖かな家庭を築けそうな気がした。でも、もし裏心があるなら、きっと東京での短い短い恋への未練を預けたのかもしれない。更に欲を言えば自分のスペースを隣につくって欲しかったかもしれない。


 それからしばらくしてDAIGOさんの熱愛報道があり、その数年後、DAIGOさんは結婚した。結婚の報道を見てわたしは静かにDAIGOさんから離れた。CDを聴く回数が減りファンレターも書かなくなった。過去の恋への未練ばかりではなく、DAIGOさんが好きだったんだと思う。

わたしもいい歳だったから、

 「結婚、したかったなぁ。」

 と空に吐き捨てた。

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