第9話 コルセット “はずすもの…、締め付けて支えるもの”
いしだ壱成さんを“恋愛感情的に好きだ”と認識してから、町の様子が変わった。
自転車に乗って道を行く時、背の高いバイクを乗り回すハンサムそうな男性を見つければ、いしだ壱成さんがバイクに跨ったらどんなんだろうと妄想して、つい、笑みがこぼれた。
フリースクールでバースデイケーキを作る時も、壱成さんがお口を開けてケーキをお口へ運ぶのを思い出していた。いつか見た雑誌の切り抜きみたいに、がぶりと上品なお口を大胆に開けてトマトを齧るように…。
それから、大学のレポートの為にはじくデスクトップパソコンのキーボードの上の指が、難しい課題の答えを描けずに悶えていると、つい、“I”“S”“H”“I”“D”“A”…“ISSEI"…とボタンを追って押していた。
テレビも外出も自由にできないフリースクールの寮生活で、勉強の為に許されたネット検索で、ま・さ・か、芸能人のことを調べようだなんて、怒られるだろう…。バレないように手早く検索をかけた。こんなことを数回は重ねていたけど、壱成さんの画像の彼の表情はわたしとは違う世界を見つめていた。
長期休みの折には出演した映画をTSUTAYAで探して、いしだ壱成さんの織り成す独特の世界観を味わってみた。でも、映画の途中から、わっと寂しさが襲ってきたような気がした。
小学生の時に少しだけ眺めたドラマも、小学生のわたしがまだ着用したこともなく知り合いにもそんな人はいなかった学生服姿をしてた壱成さん。
わたしと違う感性を持ち、ドラマの世界を忠実に演じながらも本人自身の魅力がこぼれていた。
とても近づけない別々の世界で、そして結局わたしは高校の制服を着ることは3回を少し過ぎるくらいしかなく、学生服を着た男の子とはしゃいでおしゃべりすることも皆無だった。
大人の男性に対する価値観といえば、(40歳を過ぎたら性欲はなくなるのかな?)と小学生の頃からわたしはそう思った。男の人とは、時に怖いもの。年齢差のあるらしい、いしだ壱成さんは小学校卒業間近になるまで名前さえ覚えずにテレビで映った時に心に飾る存在だった。
恋愛を実現しようまで追いつかない自分のもろさに気づいていた。おしゃべりは得意ではなく間の抜けた答えしかできないし、不器用で女性らしい手先作業が苦手で、勉強もうまく捗らず、見た目も綺麗とは言い難く、周りの景色のなかでぼやけてくすむ歪んだ楕円のようなわたしだった。
駄目な自分を感じないように頭の中でぐるぐると(〇〇ちゃん(わたしの名前)、愛してるよ)と自分で囁き、女性を見る目を辛口にして、(あんな女なんて全然良くないのよ。)と欠点さえうまく見つけられないのに悪口を何度もつぶやいていた。
他人を恨めしく思えば思うほど心の穴はあき、改めて心の潤いにしようとしたいしだ壱成さんへの恋心も軋み始めた。
そして相変わらずフリースクールの先生のしたキス行為への誠実な対応を求めようとする苦しみは増し続けた。先生が他の女子に目を配る度に身体が切り刻まれるような痛みを発し、呼吸がハァハァと荒くなって潰されそうになるのをなんとか抑えようとした。憎悪の心は、帰るのを何度も拒んだり、寮からの逃げ場にしたりした実家にも、もちろん向けられ両親を呪った。
父、母について思い出すのは、いつも衣食住足りてたこと。欲しいものは誕生日にもらえ、バースデイのデコレーションケーキまで付いていたこと。旅行に何度も連れて行ってもらったこと。だけども、両親には、常に言葉にならない心の距離を感じ、家で兄とふざけて高笑いした日があったとしても、どこか乾いた笑い声になり虚しさを覆い隠そうと更に声のボリュームを上げた。
そして黒い点のような記憶さえあった。
幼い頃からわたしという人は、好きなアニメは一生懸命正面を向いてテレビと向き合って見ていたが、それ以外の番組も町の景色さえ斜め横から眺めていた。
それでも綺麗な女性には憧れ、長い髪の毛が腰まで届いて流れているのを見れば、わたしの髪の毛も、シャンプーのCMの美女の様にその女性以上にきらきらと揺らめいてお姫様のように伸びているような気分になった。
テレビドラマ、街角でも…、男性が女性に触れるシーンがあれば、トクットクと心臓が脈打って緊張した。
アニメや漫画でも彩られる男性が女性の身体を抱き締める場面やキスシーン、更に小説では、“接吻”やら“唇を重ねる” やら、おしゃれに性的な表現が綴られていて更に心がはしゃいだ。
もう、小学生の頃には恋愛シーンの虜になっていた。
幼少の頃から母と父が口づけをするのを見ている。
わたしも綺麗な女性になれるような気がして、そして愛情を請うて
「わたしもキスして。」
と言った。
小学校に入学して数年年月を重ねた頃、海外に旅行した。父親が仕事で海外へ単身赴任をしていたからだ。そうでなければ海外旅行だなんて似合わない地味で日本を小国だと思って閉じ籠って、戦争を起こし敗北した稚拙ともいえる日本に縋って生きているような両親とわたしであった。
自宅を出て電車を乗り継ぎ成田空港に着けば、背の高い異人さんを見つけてしまい、ビクリと震え、外国に着けば、街並みも大人っぽくおしゃれで、町を歩くビーナスのように女性が上品に、しかし大胆に闊歩していた。外国人男性は…恥じらってしまって覚えていない。高く緻密な高層ビルが立ち並び、ビッグスケールな遊園地やら水族館やら…驚きはあちらこちらに満ちているのに、人の顔を眺めるのさえ緊張してできなかった。
遊園地でアトラクションを楽しんだ後、疲れて
「喉が渇いた。」
と父に言うと、父は少しぶすっと不機嫌な顔をして無言でどこかへ連れて行ってくれた。
そこはフードコートで冷たい紅茶らしいものは、カップからしても
「これはなぁに?」
と思わず聞いてしまう不思議なもので、大好きな砂糖が入っているらしい袋を“シュガー”と認識した時に、まだ知らなかった世界がここにもあったんだとやっとときめきを感じた。
2週間くらいして自宅へ帰宅した。
日本に着いても背の高くナイスバディな外人さんの世界が忘れられなくて、父の運転する車で信号待ちの時、助手席から
「外国人さんのようにキスがしたい。」
とわたしは言った。
父は苦笑してわたしの唇にキスをした。
外国から帰って来て1ヶ月も経ってしまえばその興奮は忘れてしまう。
学校生活は忙しくそれ以上にアニメを目で追うのも日課だった。
ある日、疲れた身体でお風呂から上がりリビングで髪の毛を乾かしていた。父は隣の方で、少し酔ってあぐらを書いて新聞でも見ていたと思う。
髪を乾かし終わりそうな頃に父の手がすっと延びてきた。
幼い胸に触れた。二度。
わたしは驚き、心を食いしばって横を向き、“嫌”という顔をした。
父はなにも言わず触るのをやめた。
わたしは必死に忘れようとした。その後、何もされないのなら今、ここで何か訴える必要もない。だって信じたくない。親の心に性欲というモラルを破る理性のないものが宿っているかもしれないことを。
そして、その後は何もなく生活していた。
だけど、また過ちは襲ってきた。
フリースクールの寮を出て自宅からフリースクールへ通学していた時、健康診断の結果が少し思わしくない父を気遣い、肩もみと腰をマッサージしてあげた。そして、わたしも重い教材を鞄に入れて通っていて肩が痛かったので父に肩もみをお願いした。父は、無言で手を伸ばし体育座りをしていたわたしの肩を触れるや否や背を伸ばして腰を突き出すようにして“お尻”に触れた。父の局部が服ごしにわたしの腰にふれたような感触がした。
「嫌!変態!」
とわたしは言いその場から立ち去った。
時間をあけてやっとの思いでわたしは事の次第を母に話すが、母は、
「考えすぎだよ。」
と一蹴した。
家にいたくない理由がまたできてしまった。こんな“些細な”ことでも話し合うこともできない両親との関係。聞く耳を持たぬ父母と上手に気持ちを伝えられないわたしだった。
わたしは狂ってしまうのは当たり前のような気がした。
わたしは人生をこなすために自分を支える留め金という存在として再びいしだ壱成さんを見つめた。いしだ壱成さんという輝きは、先輩や同級生、後輩、先生や両親などと上手に心を交わしたかったわたしの不器用さに寄り添ってくれるような暖かな光であった。
そうだったけれども、それだけではなく、両親や学校などにわたしの生活に必要なものを何もかも用意してもらえてきたのにも関わらず、人生というものを何もかも掴め損ねたわたしという現実を認識させ、わたしは絶望し、その度にわたしを刺すトゲのような存在でもあった。なぜって、いしだ壱成さんはまぶし過ぎたし知り合いでもなかった。“愛してる”という言葉は相手のことを思って念じたとしても自分自身に言っているだけの空っぽな単語にしかならなかった。
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