ナメクジ羊羹
韮崎旭
ナメクジ羊羹
12時くらいに牛乳を飲もうとしたときのことで、その牛乳は朝食だったのだが、その際にナメクジのような声で「いがよわいの、おにいちゃん?」と話しかけられたのであーあー俺は女だよ少なくとも生物学的には、ていうか生物学的以外に何があるんだ精神は生物ではないとでも? とナメクジのような声はなおのこと、「おにいちゃんのことしってるっていうおねえさんからきいたんだ、胃がよわくてしょくじができないから、ぎゅうにゅうばかりのんではらをくだしてじごうじとくだって」「は?」「きゃはははああ、はなしかけたね!」それから唐突にナメクジの気配はなくなったのだが、おかげでなんだか牛乳にナメクジが混ぜ込まれているような気がして、他の食品はそもそも食べられやしないのに、牛乳すら飲めずこれでは栄養が摂れず生活に支障が出か寝なくてそれは大変迷惑なことだから勘弁してほしいと思いながら上はパジャマと袢纏(はんてん)、下はスキニージーンズという服装のまま服装……呆けていたら気がつくと13時になっておりその日は髪を切りに行くとのことになっているのに食事ができずそのナメクジ童女(ということになっている)には大変迷惑した覚えがあるのだが、冷蔵庫にはいっているフルーツケーキは洋酒たっぷりの風味が匂いだけで判別可能で、明らかに牛乳より甘いワインに合いそうだが昼から酒はなあ、という思いもあり、そもそも私はさっき起床したので今は朝だった、服薬スケジュール的に。そう、食事ができないのだ、何を食べるにも抵抗がある、しかし体重は一向に減らない、増えないだけまだましだが、ああいっていなかったね、私は体重が軽いことを自分に望んでおり、しかし私の願望にかなう体重より現実の体重は大きい値を持つのでつまりダイエットしなくてはならないんだがそれが瀕死の状態ですることかい? え? まあ、瀕死ではないがおそらくはね。ともかくも別に好きではないはずの酒が飲みたくなってくるのはブドウジュースは嫌いだしグレープフルーツジュースには飽きたし牛乳も……うああー失神しそうだこれ書いていて……「おにいちゃんはふせっせいだね、そんなだからたいちょうはくずすしきずは化膿するんだよ」は? 知るか。あとまだ化膿してない。「おにいちゃんぜったいろくでもないいきかたしかしないしろくでもないしにかたするよ、このわたしがほしょうしてもかまわないね、ほんとうに正真正銘のろくでなしだね、おにいちゃん、そんなだから所領は年々減るし、たみのこころもはなれるんだよ」何の話だ?「ああ、これはちがうおにいちゃんのはなしだったかな、まあいいや、どうせどれでもおなじことだ、わたしのこえがきこえるおにいちゃんは、みんなせいかくが芯から腐ってるんだから」へえ。すてきな妹だね。「こんかいははなしかけないんだね、おにいちゃん」「消えろ」「きゃはは、消えます。」いや、服薬せんとならんのになんものめんわ。字なんか書いてるせいだ。心音より剥落に近い虚構が窓の外で降っていたが「あーうつ病が活発である……おさまらん」と言いながらコメに加治虫の揚げ炊きをかけて食べようとしたが成虫は足がかりっと上がっていてかさばることこの上なく、仕方がないので牛乳で流し込むと足が喉に引っかかり引き攣ったような笑みを浮かべて玄関で往来を眺めていた雪が土砂降りの夜のことを思い出した、それは先月の2日のこと、どこであろうが雪が降るというので避寒地の名も腐れてしまい残念だねえだとか言っていると弥生飴という名産品のひどくべたべたした餅を手渡されて「これで入り口に蜜ろうを使って封をしな、安全だよ」と言われたのだが私はそのころ電車で(通常ではない間引き運転がなされていた)河和好野まで出かける余地があるとかで荷造りに忙しかったので微塵も安全ではなかったわけだが、『伝奇整備』などの書籍を積み重ねている間に電報が届き、やめてくれ! うつ病が治らないんだよ!! 朝までにはすでに死んでいる未見の障壁を傘から守るにはどうしたらいいんだろう、まあもう定かさを食えればこんな不具合からも遠く離れて健康そのものの廊下はメッキされていた。明るい。
あかるい。
あかるい。
こんなことがあろうか。それらはまるで羊羹のように柔らかな光を帯び、死に際した麻痺のように明朗な和諧で平穏を体現していた。朝日の昇らない白夜の園のような、覇気のない豊かさに包まれている。この場所にいるなら、おおかた昨日から降り続けた蝗害じみた雪とも無縁だろう。ここはなんだろう。列者の中か、雪の深奥か、溺れて死んだら豊かな雰囲気を持てるのか、だれもいない回廊のような適切なイスラーム寺院建築様式に似た、だが実際のところ宗教建築とはそのようにして推し量るものではないからして気の持ちようがささやかながら濁りを添えている現象に、確信を持てない事実は退けてはならない事だろう。明るさの尺度から遠く離れてレンズの障壁をかいくぐった見知らぬがそこにある。果たしてそうだろうか?
まともな映画すら見れておらず。夜が更けるし夜は明ける。望まれない志願兵はゆくゆく大量のベイクドビーンズを薬缶で裁量するだろうが、電話機の向こうに控えた確かな二次災害を前にしてはそれもささいなことかもしれない。ベイクドビーンズに関して事が始まってしまうとろくな結果になったことがないので今回もそうであろうことは陽を見るより明白だ。確かめようか? お前の書字能力の限度を。二、三時間の健康被害と引き換えにね。豆を煮込んでいたら階下で軍事衝突かと思うような音がして気がつくと未来は消し飛んでいた。我々は繰り返す過去を毎回違うルートで歩く必要があるようだ。それは我々が行きながらに死に、そうしてまたそれによって腐乱を遠ざけていることに由来するのやもしれぬが、ともあれ現実的な解決策が見いだせない以上死者としての映写機の一現象を指し示すのは間違いでもあながちなかろうとのことだった、もう16時だから徒花めいた鬼神の行く末もまた、不明瞭な春霞に落ち込む墓地のほとりで観測されるだろう。私が欠けているものの一つとして、の、慎重さや関心の傾け方。それらが不快に放置された鍋の寒気の中で煮詰まって煮凝りになっているだろう。このかた、放置と放棄ばかり繰り返しているのだから、知ったことではないのも致し方ない。「ところでおいしく酔えるものを探してるんですよ」
「モルグ?」
「死体はもういいから」
「ベイクドビーンズ?」
「死体から頭離せ」
そういう経緯はあることがある。出かけるのにも居場所が必要だ。出かけ得る時間帯を探し求めることも必要だ。人間が必要だ。無人の外出ってどういうことかちょっとわからない。例えばそこに誤字がいたとして、しかしそいつは人ではないから誤字は無人で外出できるということになる。傘も用意しないとならないのだが、いかんせん荷物が多いというか、少量品の買い出しには向かない気候風土のせいで、電信柱に括りつけられた張り紙やその内容であるところの提言・箴言、そんなものを電信柱に張り付けないでいただきたいもので、ねえきいてる? この場で会話するとついぞ不信感からくる慢性的な胸焼けに見舞われるんだって、などと語り部が口にしようものならどこに行くかは割とどうでもいいという心理が働きしかし出かけた後でこんな場所を選定するべきではなかったと後悔するから明らかに出かける場所は選んだほうが良い、ほやをよく選んで煮込み料理に蝗害を足すような慎重さでもって、我々はきっとそうするべきなのだ。そうして深夜という時間帯を見過ごすことになるのだが由来としては深夜がいつかわからないという節があり、確かに落雁などのつき固めたタイプの人間性を活性にしないと難しいし別に人間性があろうが難しく、楽しく酔えるものは知らない、誰も、沈んでいる空間の空想に浸りながら、陰鬱な表象に覆われた現在で死んでゆく、つまり調理に際して何ら調味料の適切な使い分けを見てこなかった失敗、とでも言おうか、そういった些末な積み重なりが日々を不具合極まりないものにしてゆくのだと特に申し上げたい。でもそれは架構された市街地ですら、有効ではない似姿の群れに違いはあるまいよ。もしくはらせん状に正気を失ってゆく洋ナシでできた階梯。あなたがその場所を通った記録媒体の遠い特に遠ざかる被験。できそこなった鳥瞰図の頭。そういった失敗たちを愛せるかが生活を豊かにできるかを兼ねています。だから安心できる書物の海に沈んで這いあがってこられなくなってそのままある種のバーチャルな世界をさまよい続ける回廊は、すなわち今宵の逃避の概形でなくて何だというのか、確かめたくはないか、自身が実は存在しないことを?
ホットケーキミックス買ってきて、そう佐代子は言うと敷石の淵のナメクジを眺めながらでもゾロアスターの語りに出てきた待ってゾロアスターって。いや普通にツァラトゥストラ(ノスフェラトゥみたいな響きだな)には蛭の専門家を自称する住所不定無職(そこまではいっていなかったように思う)人間が登場させられているのであるがこいつはナメクジであって蛭ではないが蛭なら今日から泉鏡花も夢じゃない! 何がだ? 皿をあと5枚ね、あーはい、わかりました、ねえいまトリップして、この期待から逃げ出そうぜ、どこまで、そうだな夜が追いつけないところまで、昼が見えないところまで、いいからレタスを分けて、なにが? はい、逃避です。え? いない? どこから? 狭小物件は扱ってなくて、だから逃避で、いないんです、いないことになってます、バカンスとは、逃避とはすなわちそういった類を指し示すので、いかにもそこにいるようなふりはしますがそこにはいません、時間が要されているんです、では写しの方お送りしますので確認してくださいね、でも今はほら、極夜の手もここまでは届かない、ねえそうでしょう。今週に入りイヤホンを2つだめにしましたが逃避は健在です。まあその場限りなんですけれどね。明け方に窓から外に出てどこだかわからなくなった挙句に自動販売機のある三差路に出くわして面食らっていたらもう鳥のなく頃ではありませんか、ああ憎い、あの鳥の声が私を夜からさらってゆくのだ、私は夜との逢瀬をあきらめざるを得ない、しかし美しい黄金色のひとみを持つ夜はきっとまたその焦点の合わない目を引っ提げて私に降りかかるだろう、朝が殺した彼女の死体はれっきとした遺物の形骸化をもたらして再生の糧となるのだから。そうしてはいるものの場所では昼間の傍若無人なふるまいにいい加減うんざりしていたということもあり、薄明、いや、天文学的薄明に浸って光の浅瀬で、もしくは暗さの浅瀬でゆったりとした時間帯を楽しんだが実際の出来事はもっと急いていた。やむをえない事態などないかの如くにふるまおうとすれば無差別な危険視を避けがたくなるだろうか、盤面は何も語らないから代わりにコインではつらつとした見掛け倒しを一山三文で買っては嘔吐する、今月は本当によく吐くから、なにかと疑い深い人間に近くなってしまうけれど、知らぬふりをしようと決めたのは、やはり近隣の自治体などが消極的な街路樹の悲惨を逆なでしているのだろう、そう思ったところで何もかもが昼の悪辣で暴力的な明るさに曝されて蒸発していても何もおかしくなかった。それだから外出がうつ病とセットであってもなにもおかしいことなどないのだ、ホットケーキのようにも、猿の手のようにも、また猿そのもののようにもふるまいうるから、掲示板に表記された地学準備室の生存が昨日の残照を机の上にとどめている。中身にはなにがあるかという無機的な休符を打ち込んでみてはいるものの、標本箱のサラダからはさくさくとした観測が飛散ってはじけた、花火のような、金平糖の肉片のような、時間帯の近くだけが進んでゆき、どこに置き忘れたか傘の、無感情な読み上げだけが畳敷きの部屋に影を落とす。
貪欲さのフレークをボウルに開けて牛乳をかける。貪欲が程よくふやけてきたら気違いじみた身振りをする。気にしない吐き気とか。ドアストッパーとかの天気予報をよく見るように、前髪をあげるのが慣習となっていたが、この期に及んでばからしいと思いあきらめた。だが貪欲から逃れるのはほとんど不可能なので、あえて貪欲を好んで摂取しているかのような身振りをするのが最近のスノッブの流行なのだ。現在地を架空にできるだけの書簡を隠し持つにはやや湿度が高すぎるのは疑いがないが、であっても、フレークは雨の日の土のにおいのように干上がることがない。確かめなかったのかと言われても、鉄道を逐一確認するなんて日が暮れるし夜は更ける。さらさらとなる欠落の背理法を微塵も感じさせない軽やかさで、常識的にふるまう日増しに高まる不当な違和感が血管を侵す。何も人間の多さばかりが不当ではないのだ。円錐形を見たまえ、あんなに異化されておるのにまだ円錐形を保っている、橋げたからくみ上げたはずの常識的なふるまいは夜も遠くに引き取るころには見るもおぞましい個人的な素性へと置き換えられていた、こんなことなら人間のまねなどするのではなかった、実に実に。人間のまねをしたくて好き好んだわけではないと叫んでいるかけ離れていく意外性皆無の自我が哀れにも病に臥せっているというのに、君は不条理を呼び出してダンスパーティーか、確かに良いことでもあろう、それは泡がはぜる炭酸水か果実酒の甘い心房に幾分近いからな、だが、ああ、置き忘れた君はきっとどこでもない欠落を訪れることから逃れられない。はっきりとした確認がなされない現在でも遅延証明書の書き手が語るには、
その場で失態を嘆く 手をさかさまの 位牌に見立てて呼応する 状況・神経・氾濫原のたらいに並べて その場はどこにも行けやしないさ
とのこと。残念だったね、キウイフルーツのような虹彩を持った君の外貌見掛け倒し。よく膿んだ貴人のあいまいに重ねた廃亡は特に何もないにもかかわらず。
そういうことがあれば出かけたら羊羹が良く晴れた日のことだったのだが、鬱積した心理が語りかけるのは駅舎の風雪除けが良く羊羹だった。よくうつ病だからこんなに牛乳しか飲めないけれどそろそろ飽きてきたのかもしれないとかそういう風にね、人間性に疑念をことあるごとにさしはさむ羊羹のかわいらしい光沢には本当にほれぼれします、何せ羊羹ですからね、でもこの後暇? この、って、どの、ですか? いや、そのーー寛解したりしない?だいぶ先でしょうかな、君はみたいところ白羊羹かはんぺんに見えますが、プロザックでしたか?いいえ、私は見たのか定かではありません、しかし大変カラフルで見目麗しい雨傘でした、ので、市電で移動する際にも余りたいしてだったな、へえ、ササニシキ? いや、大森靖子の「さっちゃんのセクシーカレー」。なるほどね。感想文なわけでして違いますが後半に浅い眠りを16個挟んだらそれはもう勝利じゃあないですか、でも皿の上の羊羹がね……はっきりと語りかける雨の日に三笠の山にしじまを飾って、できれば見ておいてほしい者共の調味料が自己主張をはっきりとするのだろう、きっと、しらふではないから、各々が好きに読み出せるような文章上の差し障りをクマの形のグミ(ラズベリー&ウイスキー風味)のようにカラフルな些細な、些細に、時々知っているふりをするんだ、この時間帯には何もないことを高らかに眠りに落ちる寸前の意思をとどめながら、形作るホットケーキは確かに原型をとどめていたようにおもう。それは人間から遠く離れて不自由な、義体のかけらを食するようなもの。駅舎では君は息災だといいと思う。ホットミルクなどに症候群を重ねながら。
蛙がみている、なにも写らない臭化銀の、遠ざかればいいのに、時間ばかり食らったな、買えるが見ている。感光紙のステープラーに、意味づけの擬態を重ねて、みている、近くで、今期の知りたくないものどもの呪わしい視線をかき混ぜながら、蛙がみている。
それはもう勝利じゃないですか、僕が見ていた橄欖石の光彩と巻き込まれた薄明の人口減に燃えるごみを足して二で割ったような? ああでも、ですね、その眠くなることが機械化された人工言語の強迫性に付け足されているわけです。いないですからね。さて今日は12時なのでまったくもって食欲が失せていて困っていると羊羹が呼び鈴を鳴らしたので応じているとひどい立ちくらみで応対がままならないが実のところそんな羊羹などいないのだ、しかしラジオから流れてくる羊羹の旋律は確かに現況を饒舌に、どんな静寂よりも饒舌に語っているように感じさせる風味が豊かだ。羊羹だから。そういった経緯で羊羹にて羊羹と待ち合わせをして、羊羹を湯煎しに出かけると羊羹にはたいそう大量の人間がおり、なるほど休日の観光地とはかくなるほどのものかと羊羹に恐れ入ることしきりで、戸を開ければそこは落ち着いたBGMに飲み込まれた純喫茶羊羹であり、私はドリップ羊羹を、彼女はエスプレッソを注文し各々の机にアップルパイが運ばれてくるとのっそりと動き出した羊羹の形状のなかで息をすることを確かめたくてと語る彼女の熱を帯びた瞳に思わず映り込む羊羹に気を取られていたので話の内容が完全にお留守になっており、さて、カーテンに覆われた健康さは誰もが認めるに違いない。その時間帯にいないでしょうと言えばそうなのですが。
もう12時ではないから牛乳は飲めないのかもしれないが錯乱と錯綜を折り重ねて緩慢な動作で見やる先はあきらかに意欲や動機が欠如した鉛色の湿原だったはずだ。そこから掘り返されうる空白に名前を付けてみたいという誘惑には確かに駆られるのだが、間違えて打鍵してしまったときの無関心に宿るささやかなささくれのような、微細な蹉跌を見て、見間違えて、見落として、そんなことばかりで生きていると思う。一体全体できそこない。
ナメクジ羊羹 韮崎旭 @nakaimaizumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます