第二十六話

 配膳が終わって全員が食卓につくと、いただきますの合図で夕食が始まった。メインであるクリームシチューを中心に、テーブル上に並べられた料理を皆が食べていく。


「…………」

麗はその様子を少し窺った後、スプーンでクリームシチューのスープを一掬いし……口に運んだ。そして口の中でよく味わい、ゆっくりと飲み込んだ。


「……温かい」

 吐息とともに小さな言葉を漏らす麗。その表情は柔らかく緩み、心が何かで満たされたようであった。


「お口に、合ったかしら……?」

 有希は及び腰で、麗に味の感想を求める。快い味の余韻に浸っていた麗はすっと有希のほうに顔を向けて、


「美味しいです、とても」

 そう答えた。


「……良かった、お口に合って。ほっとしたわ」

 麗の感想に有希は胸を撫で下ろした。


 いつもはサプリやレトルト食品で食事を済ませていた麗。彼女にとって有希の料理は忘れていた母の味を思いださせるものだった。




 夕食後。

 後片づけを手伝い、それを終えた麗の元に楓がやってきてある頼みごとをした。その頼みとは一緒に遊んでほしいというもの。麗は面倒そうな顔をしたが、楓の純粋無垢な笑みに負けて渋々引き受けた。

 そして現在、2人はリビングで一緒にボードゲームを楽しんでいる。その様子は見ていて実に微笑ましく実の姉妹のようだった。勇理もリビングのソファーに座ってその光景を微笑ましげに見つめている。


 麗はゲームの途中でふと時計に目をやった。時刻は午後9時を回っている。それに麗は眉をピクリと動かす。


「……ごめんね、そろそろ帰らないといけないわ」

「えー……まだ遊びたいよーっ」

 不満そうな顏で駄々をこねる楓。それに対して麗は、


「また遊んであげるから、ね?」

 本当の姉のように優しく諭した。そうすると、


「むー……、分かった。でも絶対だよ。ウソついたらハリセンボンだからねっ」

 楓は何とか自分を納得させて麗に従った。


「もう帰るのか」

「ええ。睡眠はできるだけとっておきたいから」

 麗は勇理に返事をしながら玄関に向かう。その途中で、


「またいらっしゃいね」

「またおいでー」

 キッチンテーブルのイスに座っていた有希と光博が麗に言った。それを聞いた麗は足を止めて2人のほうを向き、


「はい。今日は本当にありがとうございました」

 丁寧に一礼した。それから再び玄関に向かい、その後を勇理と楓が見送りのためについていった。


「また来てねー」

 玄関で小さく手を振る楓。それに靴を履いた麗は頷いた。


「そういや、どうやって帰るんだ? 送迎車か?」

「……少し歩いてから、送迎車を呼ぶわ」

「そっか。んじゃ、また来いよな」

「ええ」

 麗は短く返事して玄関のドアを開けた。


「……行っちゃった」

「そうだな。ってほら、楓はまだ風呂に入ってないだろ。早く入らないとお母さんから怒られるぞ」

 勇理の言葉に楓はぎょっとし、


「怒られるのやだーっ!」

 風呂場のほうへ走っていった。その様子を見て勇理はくすりと笑い、何を思ったのか自分も玄関から外に出ていった。急に走りだして麗の後を追う。


 街灯と民家の暖かな光に照らされた道をしばらく走ると、ゆっくり歩く麗の背中が見えてきた。勇理は麗を驚かせようと思い、走る速度を落として足音をあまり立てないようにする。


「――ッ」

 だが途中で麗が気づいたらしく振り向いた。


「……よ、よう」

 気まずそうに声をかける勇理。そんな彼の顔を見た麗は怪訝な表情を浮かべ、


「……何か用?」

 ため息まじりにそう聞いた。


「あー……車に乗るまで、散歩ついでに送っていこうと思ってな」

 片手を後頭部に当てて言い訳のように答える勇理。それに麗は、


「……そう」

 拒むことなく一言返し、前を向いて再び歩きだした。


「あ、ちょっ」

 勇理は慌てて走りだし、去りゆく麗の元に向かう。追いつくとその隣に並び、同じ歩調で歩きだした。2人には身長差があるため、並んで歩くその姿は恋人同士というより、歳の離れた兄妹に見える。その妹のように見える麗は隣にいる勇理に向けて、


「……あなたって、いつも私のことを心配してくるわね。何か理由があるの?」

 前々から感じていたそんな疑問をぶつけた。


「え、それは、あーそのー……」

 思いもよらない質問に勇理は目を泳がせて答えを渋る。その様子を観察するようにしばし見ていた麗はふっと視線を前に戻して、


「……もしも私を、誰かと重ねているのならやめて」

 小さくだがはっきりとそう言った。


「…………」

 図星を突かれて勇理は立ち止まって俯き、沈黙した。その表情は戸惑いと不安で曇っている。そんな彼の様子を見兼ねて立ち止まった麗は、


「別に怒ってるわけじゃないわ。誰かの代わりにされるのが嫌なだけ。分かるでしょ」

 柔らかい口調で言った。


 そうすると勇理はゆっくりと顔を上げ、麗の顔を見た。その顔は確かに怒っているような顔ではない。過去に囚われた1人の男を憐れんでいるような顔だった。


「これからは私を1人の人間として見て。もちろん、あなたの先輩としてもね」

 そう言いながら麗は一歩、二歩と勇理に近づいていく。言葉を発することも頷くことも動くこともしない勇理の手を取り、


「さあ、行きましょ。もう少し歩くわよ」

 その手を引いて歩きだした。


「――ッ」

 勇理は麗の行動に少し驚いたが、拒むことはせず手を引かれるまま歩調を合わせて歩きだす。


 性格上、手を引く側が勇理で引かれる側が麗だが今回の立場は逆だった。

 夜道を小さな女の子に手を引かれて歩く体格の良い男。その光景はもしそこにいれば思わず立ち止まって見てしまうような、面白くも不思議な光景だった。




 翌日の朝。

 爆睡中の勇理は目覚まし時計ではなく、ブレスレットの不協和音によって叩き起こされた。


「――な、なんだッ」


 起きたばかりの勇理は上半身を起こし、慌てて辺りを見回す。寝ぼけているせいかそれをしばらくの間続け、頭が覚醒してきた頃にやっとブレスレットの音を止めた。


『おはようございます』

 ブレスレットから聞こえてきたのは聞き慣れた日高の声。


「……なんだ」

 無理やり起こされて不機嫌そうな勇理はぽつり。時計を見ると時刻は午前5時。目覚ましをセットした午前6時よりも1時間早い。


『緊急の用件です。至急リバースまで来てください。すでに送迎車はご自宅前に停めてあります』

「……あいあい、分かったよ」

 片手で頭を掻きながら返事をした勇理。ベッドから降りて立ち上がると眠気を散らすように大きく背伸びをした。


 それから美郷家の3人を起こさないように支度を整わせて朝食を食べずに家を出た。外には当たり前のように黒塗りの高級車が停まっており、勇理はそれに乗ってリバースに向かった。




「……うーっす」

 あくびをして気怠そうにパイロット控室へ入った勇理。先に来ていた直輝と麗はそれを見ておはよう、と挨拶した。


「あー……眠い」

 勇理は言葉通り眠そうな顔をして適当な席に着く。


「しっかりしなさい。今から作戦会議よ」

 向かいの席の麗は先輩らしい口調で注意した。


「あー、悪い。大丈夫だから始めてくれ」

 勇理は頬を両手で叩いて眠気を飛ばした。


「そうか。では作戦会議を始めるぞ」

 直輝は勇理の言葉を受け、作戦会議の開始を告げた。直後、3人の前にある透明なテーブル上に地下複合都市・関東周辺の地図が映しだされる。さらにその地図上に赤いアイコンが15個出現した。直輝はそれを見ながら、


「南西から15体の司令個体がこちらへ向かってきた」


 はっきりとそう告げた。


「――ッ!」


 その事実に勇理は驚き、完全に眠気が吹き飛んだ。15体の司令個体といえば、勇理が経験する中で最多の数。先日、勇理たちが遠征して潰したグリードの巣、そこの周辺にいた数のおよそ3倍。驚くのも無理はなかった。


「しかしこの数が一度にこちらへ向かってきているのはおかしい。だからこいつらは副司令個体で、どこかにそれを操る本物の司令個体がいるはずだ。そこで俺たちがその司令個体を叩く……はずだったのだが」

 そこまで言うと直輝は困った顔になる。


「肝心のそいつがレーダーに映らない」

「……どういうことだ?」

 言葉の意味が今一つ分からない勇理は問うた。するとその向かいの麗が、


「前にも何度かあったわね、そういうこと」

 思いだしたように発言した。


「ああ。これはまた面倒なことになりそうだな。……それと椎葉、さっきの問いだが、簡単に答えると、真っ先に倒すべき司令個体の位置が分からないということだ」

「え、それじゃあ、どうするんだよ」

「……今現在も自衛隊とリバースともども上空から捜しているはずだが、見つかった報告はない。だから俺たちは副司令個体を倒しつつ、管制室からの報告を待つことになるな」

「……なるほど。でもなんでそいつはレーダーに映らないんだよ」

 勇理はレーダーに映らないその司令個体に対して不満をぶつける。


「俺たちの使うレーダーは司令個体のコアが発する命令信号の波を受信して位置を特定している。だからそいつは、受信させないように何らかの方法で妨害しているんだろう」

「……やっかいね」

 直輝の推測に麗は目を閉じて呟いた。


「とりあえず俺たちは俺たちのやるべきことをするだけだ。深く考える必要はない。今から話す今回の作戦内容をよく聞き、それに従って行動すればいい」

 直輝はそう言って話をまとめ、今回の作戦内容を話し始めた。

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