第二十五話

「こんなとこで寝泊まりしてんのか……?」

「違う。リバース内にある客室の1つを借りてるの」

 休憩室を見回す勇理に、麗はもっと分かりやすく言った。そうすると勇理は見回すのをやめて、


「なんだ、そういうことか」

 納得したように返事をした。そしてさらに、


「じゃあ、その客室に家族とかで住んでんのか?」

 私生活へ踏み込んでいく質問をした。


「いいえ、私1人で住んでるわ……って、なんであなたにこんなことまで話さなきゃならないのよ」

 麗は勇理の質問にペラペラと答える自分に疑問を持って呆れた。


「おいおい1人って……寂しくないのか……?」

 勇理はリバースの客室で1人暮らす麗を親身になって思いやる。それに麗は、


「寂しくないわよ。それと小さい子扱いはやめて。あなたは後輩でしょ」

 眉間にしわを寄せて答えた。


「て言っても俺から見れば……いや、なんでもない」

 また麗を怒らせてしまうと思い、勇理は途中で言うのをやめた。それから2人の間には再び沈黙が流れる。その中で麗はホットココアを飲み干すと立ち上がり、空の紙コップを持ってゴミ箱に向かった。


 勇理はその背を無言で一瞥し、休憩室の時計に目をやった。時刻は午後6時半。美郷家では夕食を作っている時間だ。すると勇理は何かを閃いたらしく、


「そうだッ!」


 声を上げて立ち上がった。その声にビクッと体を震わせて振り返る麗。丁度、紙コップをゴミ箱に捨てたところだった。


「日向、今日は俺ん家で夕飯食っていけよ。たまには大人数で食べるのもいいもんだぞ」

「……遠慮しとくわ」

 麗は勇理の提案をやんわりとした口調で断り、休憩室の出口へと向かっていく。だがその途中で、


「――まあ待てって」

 勇理が両手を広げて目の前に立ち塞がる。それに麗は目を伏せてため息をついた。


「味なら保障するし、損はしないって。だからいいだろ、な?」

「……遠慮しとくって言ったでしょ。それに今日は1人で食べたい気分なの」

 麗は面倒そうに誘いを再度断った。しかし勇理はそれでも諦めず、


「そこをなんとかお願いしますよ、先輩」

 今度はへりくだった態度で両手を合わせ、お願いをした。そうすると麗が片眉をピクリとさせて反応した。口角もわずかに上がっている。そして、


「……そういう態度をとってくれるなら、まあ行ってあげてもいいわよ」

 ついに麗は折れて誘いに乗った。どうやら勇理の後輩らしい態度に少し気を良くしたらしい。


「よっしゃッ! ありがとうございます先輩ッ! じゃあ友人を連れていくって家に連絡しておきますね」

 頼まれた通りへりくだった態度を続ける勇理。それに麗は、


「え、ええ。頼むわ」

 満足そうな表情で機嫌良く返事をした。その様子に勇理は心の中でふっと笑う。上手いこといったな、と。それからズボンのポケットからカードタイプの携帯電話を取りだして美郷家に電話をかけた。




 偽物の日が沈み、暗く静まった西区住宅街。そこにある美郷家こと勇理の自宅前にリバースの送迎車が停まった。その送迎車からは勇理と麗の2人が出てきた。勇理は背伸びをしながら、麗は無言無表情で玄関に向かう。


「ただいまー」

 勇理は玄関のドアを開けて中に入った。その後ろから麗も中に入る。2人は靴を脱いで家に上がると、リビングへ向かった。


「――ッと」

 勇理がリビングへ入ると腹部に軽い衝撃。それはいつもの恒例行事で衝撃のあった腹部を見ると楓が頭突きをした状態で固まっていた。麗はその様子を不思議そうに見つめる。


「んー、今日は結構良かったな」

 勇理がそう言うと、


「ほんとっ! ?」

 楓が勢いよく顔を上げて嬉しそうな表情を見せた。


「ねえねえ、じゃあ今日は勝っ……」

 楓は途中で麗の姿に気づくと言うのをやめ、


「……だーれ?」

 首を傾げて聞いた。勇理は麗の頭にポンと片手を置いて、


「この子は俺のお友達で、日向麗って言うんだ」

 優しくそう答えた。頭に手を載せられた麗は顔をしかめて不快を示し、その手を払う。


「ひゅうがうらら、さん……?」

 楓は確認するように聞いた。その声は小さく顔には怯えの色が浮かんでいる。どうやら麗のことが少し怖いらしい。そんな楓を見た麗は、


「……麗でいいわよ」

 表情を緩めて優しく答えた。それは勇理が初めて見る麗の姿だった。


「じゃあ……うららちゃん」

「ええ、それでいいわ。よろしくね」

 麗はしゃがみ、楓に右手を差しだした。楓はその手を両手でぎゅっと握り、


「えへへ、よろしくねっ」

 満面の笑みを浮かべて言った。その顔にさっきまでの怯えはない。


 勇理はそんな2人の様子を上から微笑ましげに見つめる。


「じゃあ俺たちはお母さんのところに行ってくるから楓はリビングで大人しくしててな」

「うん、分かったっ!」

 楓は元気よく頷いて返事し、リビングに設置されたテレビの前へと走って向かった。


「あんたって、あんな顔もできるんだな」

 楓が向こうに行った後、勇理はぽつりと言った。


「失礼ね。私はロボットじゃないわ」

 麗は返事をしながら立ち上がり、


「というか、あの子はあなたの妹? 結構歳が離れているようだけど」

 リビングでテレビを見ている楓を見て、そう聞いた。


「いやあの子、楓は俺の従妹で、ここの娘さんだ」

「…………」

 麗は何かを察したようだった。


「……そう」

「ん、どうした? 急に元気が……」

 勇理は言いながら麗の顔を覗き込んだ。


「気のせいよ」

 麗は自分の顔を覗き込む男をキッと睨みつける。その表情や口調はいつも通りに戻っていた。


「……そうか、気のせいか」

 勇理は気のせいだと納得して顔を上げた。その後、2人はキッチンで料理をしている有希のところへ行った。麗を紹介するために。


 2人がキッチンに着くと、大きな鍋の前で味見をしていた有希が気づいて振り向いた。


「あら、おかえりなさい。そして、あなたもいらっしゃい」

 有希はにこりと笑った。帰宅したことはすでに知っているようだ。


「ただいま。んで、こっちが俺の友達の……」

「日向麗です。今日はご馳走になります」

 勇理の言葉に合わせて麗は名乗り、頭を下げた。その態度を見た有希は、


「あらあら、ご丁寧にどうも。こちらこそ、大したおもてなしはできないけど、ゆっくりしていってね」

 優しい口調で麗を歓迎した。


「でも意外だったわ。勇理君のお友達って言うから、てっきり男の子だと……」

 有希はそこまで言うとふとある考えが頭に浮かび、パンと手を叩いた。そして、


「もしかして……本当は彼女さんなんじゃないの?」

 興味ありげに目を輝かせて聞いた。すると勇理は突然笑いだし、


「違います違います。バイト先で知り合った普通の友達ですよ」

 片手を左右に振って否定した。しかし有希はそれを信じず、


「またまたー、隠さなくてもいいのよー。別に恥ずかしいことでもないじゃない。むしろ喜ばしいことよ」

 2人の顔を交互に見て言った。一児の母とはいえまだまだ若い1人の女性。恋愛関係の話は大好物のようだ。


「麗さん、だったかしら。勇理君との出会いはどんな感じだったの? ちょっとでいいから聞かせてくれると嬉しいわ」

 有希は勝手に勘違いしたまま今度は麗にそう聞いた。だが麗はすぐに答えず、表情を崩さぬままどうすればいいと勇理を見た。それに勇理は適当に流してくれとアイコンタクトを送る。麗はそのアイコンタクトを理解したらしく、有希のほうを見て口を開いた。


「……私の持ち場に新入りとして椎葉さんがやってきて、歳も近かったので話し始めたというだけです。それから、期待を裏切るようで悪いですけど、私と椎葉さんは本当にそのような関係ではありません。ただの話し友達です」

 リバース関係のことは伏せつつ、適当に話す麗。話の中で勇理との深い関係もきっぱりと否定した。有希はそれを聞くや否や残念そうな顔になり、


「あら、そうなの……。ごめんなさいね、私の早とちりだったわ」

 2人に向かって謝った。


「でも、勇理君が女の子を連れてきたのって初めてよね。今までは陸上部の男の子たちばかりだったから」

「あーまあ……」

 陸上部を退部したことをまだ言っていなかった勇理。そのせいか気まずそうな顔で曖昧な言葉を返した。丁度その時、


「ただいまー」

 光博が仕事から帰ってきた。それにリビングでテレビを見ていた楓は反応し、父親を出迎えるべく玄関に走っていった。


「……っと、帰ってきたわね。お料理並べなきゃ」

 有希はそう言って大きな鍋の火を止める。鍋の中には野菜や肉などがたっぷりと詰め込まれたクリームシチューが入っていた。美味しそうに煮えており、湯気とともに食欲をそそるクリーミーな香りを漂わせている。


「手伝います」

 麗は配膳を始めようとする有希に手伝いを申し出た。それに有希は、


「あら、ありがとう。じゃあ、そこの棚からお皿を出してくれる?」

 嬉しそうに微笑んで配膳の手伝いを頼んだ。

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